2006/1/30 16:05
この記事のタイトル(↑)は、NHK総合で毎週日曜日にやってるTVアニメ【雪の女王】のエンディングテーマです。
ちなみに、本ブログの記事の中身とは何の関係も無いのですが。(笑)
でも最近、何故か耳について・・・鼻歌になってたりするんですが・・・イイ曲ですね。
ところで昨日、地域の町内会(自治会)による「節分」というイベントが、町内の公民館で行なわれました。
(対象は小学生以下の子供の居る家庭という事で)
「鬼は外」という節分の意義にちなんだものなのかは知りませんが、我が子に付いて公民館へ行ってみると…最初に「知らないオジチャンに付いて行ってはいけませんヨ」という内容のアニメビデオなんぞが、地元警察あたりから回ってきていて、それを主催者が子供に見せていました。(笑)
あんまし(笑)とか付けれないというか・・・昨今の事件のニュースを見てると、シャレに為っていない重いテーマですね。
私の住んでいる「浜北」という地域は、先ごろ「浜松」に合併されたのですが、工業都市である旧「浜松」地域に隣接する郊外都市であり・・・もっと周辺にある過疎地からの人口流入やら、旧浜松市街地では地価も高くてマイホーム等が持てない人達が、(私の様に)マイホームを建てて住み着きつつあるという事で、最近になって人口も増えてきて開けてきた新興住宅地といった場所です。
ようするに・・・古くからの村落共同体が未だに残存しつつも、新たな変化を迫られているといった土地柄です。
そんな中で「節分」の行事を始めとした自治会の取り組みといったものは、例えば子供を見守る地域の目というものが衰えつつある中で、必死に何かを残したいといった地域の人々の「願い」の様なモノを感じさせる気がします。
地域の変貌という現実は、「鬼」の様に排除できませんから、いづれ古い共同体は解体されていくのでしょうが、その過程である【今】の取り組みの成果として、いつか・・・替わりに新しい「何か」が形成されていけば良いのですが・・・
それはともかく・・・私自身は節分での豆まきにおいて、子供会のお母さん達から「鬼」のお面を手渡されて、鬼の役を急遽やる事になってしまい、子供達に豆だけでなくて、色々とぶつけられて痛かったゾ、と・・・

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2006/1/22 1:11
昨年末に私は、地域の公的機関でエイズ検査を受けてきました。
(10数年ぶりですが、これで三回目)
最近では即日に結果が出るとの事でして、幸いにして陰性との結果が出ました。
3ヶ月余り前に行った街中の飲み屋で、少し・・・まぁ「ハッテン」してしまったという事があったので・・・自分自身における不安を解消するという意味で、まぁ検査を受けた事は意味のある事でした。
アフリカの某国では、国民の半数近くがエイズ罹患者という、絶望的な状況下で民主化を進めているという国もあるそうですから、日本なんかで「不安」なんていうとバチが当たりそうです。
まだまだ日本では、性の多様性という事に対する理解は乏しく、かくいう私自身においても、偏見から自由ではないのかもしれません。
(ゲイとエイズは直接関係はありません)
でも、私自身が性的マイノリティーに属するという事が、多様性を尊重する社会を求める動機の一つになっているという意味で、それは不安定とはいえ自分自身のアイデンティティーの構成要素となっているのです。
矛盾している様に見えますが、(ある面で)女性を嫌悪する事と、妻を愛してる事は、私の中で同居しているのです。
こういう矛盾(アンビバレンス)は、性に限らず私の中には山程あります。
(例えば・・・嫌っている政治党派に愛情も感じているといった具合に)
それらの矛盾を統合する自我というものに、不安を感じないといえば嘘になるのですが、矛盾する一方を否定しては自己が成立しないのですから、まぁ仕方がありません。
私が何らかの組織(国家やら政党やら地域やら)に対して、多様性を認めてくれる様に願うのは、まさに自己保存の本能に根ざす「願望」であります。
私が、いわゆる「おおらか」な南方の国に行きたいと願うのも、同じ「願望」による現状逃避なのかもしれません。(台湾とか・・・行きたいな〜)
しかし私は、実は北方系の寒冷地に適応した体質なので、南方に行ったら苦労するでしょうね。
でも時々思うのですが、もともと日本人とは、南方系と北方系が掛け合わさった民族であり、内部に常に矛盾を抱えた存在みたいな気がする・・・ってのは、自分に都合良く解釈しすぎなんでしょうかね・・・(日本人には限りませんよね・・・苦笑)
何でもいいけど、早く・・・春よこい・・・

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2006/1/12 0:13
昨年の9月6日〜今年の1月5日迄、長らく(4ヶ月)に渡って診断書で「鬱病」という病名を頂き、基本的に「休職」という扱いで居りましたが、先日(1月6日)から復職をしました。
休職期間の最初の2ヶ月で、有給休暇は4日を残して殆ど全て使い果たしてしまったので、新しく有給休暇が支給される来年度までは、真面目に毎日会社に通う事になります。
あまり「真面目」という点においては自信が無いのですが・・・やるしか無いって気分です。なにせ2年前に物好きにも(無謀にも)住宅ローンを組んで一戸立てなんか買ったもんですから、自分で自分の首を絞めているみたいなモンです。
(安普請の上に、田舎なんで土地も安い?物件なんですが・・・苦笑)
さて、仕事を再開するに当たって、何か自分自身を支える動機というか誘因(インセンティブ)が何で有るのか?…少し自分でも再確認したくなりました。
誰であれ、何か一つぐらいは、自分を幸福にしておく「口実」ぐらいは持っているものでしょう。
それが仕事である人間もいれば、仕事に満足できない人間は(それでも)家族を不幸にはしなかったと言うかもしれないし、仕事も家族も駄目な人でも俺はTVに出てくる政治家みたいに他人を見下した事なんか無いって言うかもしれません。
中原中也の詩の中に、「人には自恃さえあれば良い」…なんてのが有りましたが・・・私は、自分の仕事に自らを恃む誇りや面白さを見出していけるのかな?
そんなモン知らんがな・・・(笑…こりゃ他人に問い掛けるもんじゃないって意味ね)
まぁ先の事は判らないというか、何時まで今の仕事を続けていられるのかも判りませんしね。
あぁ…また「飲み」に行きたいな。
(最近は2週に1回程度の頻度で近所のスナックで一人で飲んでるんですが)
もう良い年なんだから…プライドという言葉の中身を問うていきたいと思う今日この頃の私でした。
(オチ無し・・・苦笑)

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2006/1/4 2:55
とりあえず・・・あけまして御めでとう御座います。
この「とりあえず」というのは、このブログ(HP)への来訪者は、カウンターを見る限り「数」は少ないとはいえど、それでもココを読んでいるのが如何なる人なのか(内実)を私は全く承知していないので、ひょっとして到底に「目出度い」という気分では無い方も居るやも知れず、それを度外視した時候の挨拶が「とりあえず」のモノに過ぎない・・・という意味です。
(あぁぁぁぁクドイな〜私の文章は・・・)
ところで、本ブログにおいて「新年」をネタに記事を書くのは2回目になります。
去年は一休禅師の和歌を話題にしましたが、同じ話題で2回も掘り下げて記事を書ける程には書き手である私自身に深みが有りませんので、ならば今回はソノ「深みが無い」というのが如何なる状態を指すのかを考えて、はたして新年なるものに何が見えてくるのか(または逆に見えてこないのか)を少し・・・
(今は・・・日記でまで「政治」をネタにする気分じゃ無いので)
ところで私の勤務先では、今年は新年は5日迄が休日であり、6日から業務開始となります。
そしてソノ日は・・・私も鬱病による4ヶ月ばかりの休職期間を終えて…正式に【職場復帰】を果たそうという日でもあります。
私の仕事による「稼ぎ」の多寡には、自分の子供2人を含む家族全員の生活が掛かっているワケですから、少しは真面目に「復職」という事に向き合った上での「決意」なり「心構え」ぐらい有っても良さそうなモノだと思うのですが、実は・・・何も無いんです。
有るのは、昔に読んだ漫画の中の台詞・・・
「所詮、世の中、成り行きまかせ。親の生き死にゃ、都合で決める。」
・・・という、チンピラみたいな「居直り」ばかり(苦笑
こりゃ今年が、どんな1年になるのか?・・・目に見える様だ(自爆
まぁ、冗談抜きにして、1年前には年間の1/3(4ヶ月)も休職してるなんて想像もしてませんでしたし、今年も1年後には何処に辿り着くものか、判ったモノではありません。
先が見えない事に、不謹慎ながら少しだけ怖くて【ワクワク】してしまいます。
まぁ、このままの状態って事は無いだろうから、良くなるか悪くなるかは別にして、何かしら事態が進行しているのは確かでしょう。
そりゃ「良く」していきたいとは人並みに私も思っている筈ですが、何を持って良いと言えるのか、肝心の処が判然としません。
まぁ個人的に・・・家計を経済的に破綻させない・・・といった生活保守主義こそが、家族に対する「責任」であったりするってか?
もちろん、あえて「破綻」を望む理由は無いんですが、ソレだけなの?
思索は表層でグルグル回り留まり、更なる深みに至る契機を探しあぐねる・・・
そんなもんです。今の私は・・・

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