2007/9/19 23:01
去る週末(9/15・16)に、私が居住している地域(浜松市浜北区本沢合)にある、水神社の秋祭りが行われました。
祭りはやはり子供が中心で、小学校4〜6年の子供達と一部の中高生が中心となって、お囃子(笛と太鼓)を神社の境内に設置された舞台の上やら町内を引回される屋台に乗って演奏するのが毎年の慣例で、他にも初子や新築などの祝事があった家を回り「練り」と呼ばれる激しい押し競饅頭をしながら「ヤイショー、ヤイショー」と叫ぶという事が、静岡県西部の遠州地方独特の祭りの特徴になっています。
祭りの運営を中心になって進めるのは、地域の自治会傘下にある「若連」と呼ばれる組織で、20代〜40代の子供達のお父さん世代の50人程の人達が、「若連」の中で「お囃子班」だとか「屋台班」「交通班」「花火班」などに分かれたりして、約2カ月程の準備を経て祭りを進めるわけです。
(運営費用は自治会費からも出るのですが、他にも地域の商店や企業から協賛金を集め広告のチラシを作ったりする営業業務まであったりします)
私は、4年程前に家を新築してこの地域に引っ越して来て以来、この祭りに参加してきましたが、私にとって「祭り」とは、現代においては希薄になりつつある地域共同体に根をおろすという意義を見出している、ささやかながら貴重な取り組みであります。
というのも、奥方達は子供会やPTAなどで地域に溶け込む機会があるのですが、男親にとっては子供達の同級生や地域の親たちと親睦を深める機会など殆ど無いという背景があるからです。
(アパート暮らしの頃は、私もそんな事を考えなかったのですが)
これが当初の意義に留まらず、けっこう私には楽しかったりします。
祭りの中で私は、ここ3年は「お囃子班」に属して、最初は子供達に逆に教えてもらいながらも祭囃子の指導を続けてきたのですが、小さな子供達相手というのは、とにかく大きな声を気合を入れて張り上げねば全く相手にされません。(じっと静かになんかしてないんだもん…笑)
更に当日には、合いの手というか掛け声を大声で叫び続ける事で祭りを盛り上げたり、声でお囃子のリズムを整えたりせねばならず、祭りが終わった今は、すっかり声が掠れてしまいました。
更に、普段は机の前に座っている仕事で体を動かす事の少ない私にとっては、屋台の引回しやら「練り」は、体力の限界を極める重労働だったりします。
(40歳の今年は去年よりも力はセーブしたつもりでしたが、それでも4年前の初参加の時よりも確実に疲れた…中年太りのせいもあるけど体力が落ちてきたんですね)
アルコール漬けになりながら大騒ぎをして、文字通り目が回る様な非日常のうちに、アッという間に終わってしまうと感じるのが私の「祭り」の後味です。
唯一の悔いとなったのは、祭りの最中に、私の3番目の妹が、神奈川から寺の坊主をやっている旦那様と、生後10カ月になった甥っ子と一緒に来てくれたのだけど、祭りが忙しくて殆ど話し相手にもなれなかった事です。それでも両親の健康に気を使って欲しいとの妹の言葉は重く受け止めたつもり?なのですが…
月曜日には後片付けで有給休暇を使い、また日常に戻って2日経ちました。
今日は、九州地方の顧客の新工場向けの生産ラインの予算書作成に目処がつけれたので、明日は、アジア某大国の某大手会社向けの大型物件予算書に取り掛かる準備をしなければ…
気が付けば、残暑も和らいで、どうかすると通勤時など秋の風が肌寒かったりします。
祭りが終わった後の「日常」も、充実した日々にしていきたいものです。

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