2010/8/11 14:38
先日、週末の土曜と日曜日に、家族で一泊二日の東京への小旅行に行ってきました。一応の目的地は子供向けに、「三鷹の森・ジブリ美術館」と、浅草の「花やしき」だったのですが、妻と私は、それぞれに東京在住の友人や親戚に会うなど、それなりに楽しんできました。
(一人で東京に仕事等で行くのに比べれば、疲労はしましたが…)
私自身は、産まれも育ちも名古屋市で、現住所も「一応」は政令指定都市になった浜松市ですし、学生時代も、就職してからも、何度か東京にも行っているので、一般的に「都市」という場所を全く知らないワケでも無いのですが…一定以上の「規模」のもたらす効果なのか、はたまた日本の「首都」として【特別】な場所と認知されて一極集中が進んでいる為なのか、東京とは、他の日本の地方(都市を含む)とは違う、確かに街の「質」の違いというものが「何か」あると(地理学的に言う所のユニークネスが)、行くたびに(私には)感じられる土地であると思われます。
(単なる…お上りさんコンプレックスじゃなくて…苦笑)
そもそも、歴史的に東京は(既に良く知られている事の「おさらい」に過ぎませんが)、16世紀前半までは、単に湿地帯の広がる、農地としてさえ開発が進んでいなかった場所なんですが、豊臣秀吉の時代に徳川家康が移封されてから都市として開発が始まり、江戸時代には政治の中心として、日本の各地方からは参勤交替などで各藩の江戸屋敷が作られるなど、18世紀には、既に当時の日本の人口(約3000万人)の30分の1である100万人以上が住むという、当時の世界でも有数の都市となっていました。
明治以降も、天皇家が都として定めた事もあり、政治的な一極集中化が更に進み、それに伴なって、経済面でも(公的な許認可を受ける場所である事や、政治的影響力を発揮したい企業の側の事情もあったのか)、各企業体が拠点を東京に置く事で集約化が進み、更には情報面でも集約されて新たな情報発信の拠点となっていく事で、取り残された東京以外の地方には、東京に対する羨望や憧れみたいなものが蓄積されていったのでしょう。
現在の東京は、先の大戦で一旦は焼け野原となった事があったにも関わらず、戦後の高度経済成長期に、単に復興するだけでなく、更にますます地方からの人口流入が進み集約化され、今や日本の総人口の10分の1が住む、日本全体の発展と伴に、世界有数の都市に成長しました。
東京と、その他の地方で、就職口や利便性や住民の受けられる医療や行政サービス、場合によっては所得まで、その「格差」が問題となってきたのも、敗戦後に民主主義が定着してきたからこそ(高度成長期以降)の問題なのかもしれませんが、歴史から見ると、その構造は、戦後に東京への人口流入が大きくなってきた時期から、少し遅れて表面化してきた問題の様で、地域における村落の地縁や血縁による地域共同体的なものが、元々が、東京では、外部からの人口流入で希薄化し無くなっており、共同体の互助的な人間関係の「代替」としての、行政サービスとしての「福祉」を、全国平均よりも先に整備せざるを得なかったという側面もあるのではないかと、少し思ったりします。
もちろん、現在では、地方でも共同体の解体は進んでおり、医療や福祉などは、むしろ過疎・高齢化した地方にこそ必要度が増しており、高度成長期における「格差」と、現代のそれでは、普遍的に保障される事を前提とした「人権」という観点で、全く違う様相を呈して来ているのは、論を待たない所でしょうが…
話を、掲題の「東京を記述する」という問題に戻しますと、歴史的な経緯も踏まえ、人口構成の観点から言えば、東京とは地方からの「お上りさん」の、1世から、せいぜい2世〜4世の世代で構成されている人口的には「新しい」土地であると言えますが、既に東京に行った事のある人であれば(フィールドワークするまでもなく)誰でも判る様に、東京ならではの、マナーや慣習や人間関係の有り方というモノも、日常の些細な習慣みたいな点から、文化と言えるまで大きく育ったものまで、色々と「有る」のは事実です。
ウチの子供でも気が付いた些細な点では、駅などでエスカレーターに乗る時に、左側に立ち止まる人が片寄り、右側を先を急ぐ人の為に空けておくマナーやら、電車に乗る時に昇降口の中央は電車を下りる人の為に空けておき、乗り込む人は昇降口の左右に、きちんと列を作って待っているとかいう些細なマナーや習慣、奇抜な服装や標準とは異なる異質な存在にも(軽い無視で)許容される人間関係の距離感が居心地が良かったり、逆に接客する店員の誰もが(お国言葉でなく)標準語を話しているという不自然な同化(強要)傾向、気軽には通り掛かりの人に挨拶も出来ない人間関係の疎外感と、逆に商売や何らかの目的の為には不自然に馴れ馴れしく話しかけてくる客引き、等々…
街並みは、総じてJRの駅毎に、浜松レベルの地方都市の中心部だけ切り取って、繋ぎ合わせて、パッチワークにして広げた様な、大きな田舎というか、没個性な街が殆どですが、今の流行りでは秋葉原だとか、古くからだと神保町の古書店街、霞ヶ関の官庁街、新宿副都心の高層ビル郡と隣りの有楽町の歓楽街、渋谷、浅草、原宿、六本木、池袋(最近ここは乙女ロードとか言って所謂…「腐女子」の聖地らしい…笑)とか、何かの文化に特化した、独特の雰囲気の有る街もあるのも、他方では、東京の持つ一面です。
これだけの規模で、歴史や文化や土地だけでなく、住む人の想いの様なモノが重層的・複合的に関連し合っている場所を、とても地理学的な意味で、それが如何なる土地なのか「記述」するという事など、きちんとしたデータも取らず、聞き取りなどのフィールドワークもせず、よってまともな分析なども出来ないので、何故?現在の様な形になったのかなどという結論など出せなくて当たり前であり、とても…ブログの一記事(というより私の力量)などには手におえないテーマである事が解ります。
(そんじゃ始めからテーマにするなよってか?)
結局、知れば知るほどに、謎が湧いて来るというか…(これは地理だけでなく…対個人についても当て嵌る問題なのですが)、今回の私は…「奥が深くて底が見えない」…という、典型的な「お上りさん」的な感慨を深めた上京旅行でした。
P.S.
今回、唐突に、東京という場所を「記述」しようと思ったのは、下記の(少女)漫画の影響です。
「高杉さん家のおべんとう」柳原 望 (著) 既刊1、2巻
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4840129665/sr=1-2/qid=1281508543/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&qid=1281508543&sr=1-2&seller=
主人公は、名古屋(N)大学の「地理学」専攻の、30歳代草食系男子のオーバードクターで(1巻の終わりには目出度く助教の地位も得るのですが)、急に亡くなった幼馴染の叔母の娘(イトコ)である、中学1年生=12歳の少女の、未成年後見人=保護者になる事になって、真面目に「家族」と成るべく四苦八苦するという、内容は「ハートフル・コメディー」であって、決して「青少年保護条例」に抵触する様なエロ漫画ではありません。(苦笑)
…まぁ中年男性が書店で買うには「勇気」が要りますが…杉山(S)女学院勤めの主人公の同期の友人親子(母娘)も良い味出してますし、故郷の名古屋の地域ネタも多く、思わず買ってしまいました。
そこで、出て来る話の多くが「地理学」に関わるネタが多く、例えば学部生向けゼミで、最初の課題が各家庭で出て来る「みそ汁」をゼミ生が調べる事で、その意味を学生に問われた時に、主人公が答えて曰く、「(みそ汁とは)、使う味噌、具の種類、だしの取り方、それらに家族の都合と土地の都合、さらには社会の都合が反映されています。歴史、文化、人の思い、どんな風に関係しあって、それがそこに在るのか?そのようになったのか?、きちんとデータを取って、聞き取りをして、分析考察して明らかにする。この作業(プロセス)は学問だけじゃなく社会でも役に立つのではないか。そして身近な自分の家のみそ汁が、どれだけ重層的で複合的な存在か、君達の学ぶ地理学は、そういう世界を見せてくれる学問なんです。」という説明をするのですが、思わず「学問」一般においても、新しい知見に触れて得られる感動とは、社会に「夢」や「希望」や知的な好奇心を満たすという「ロマン」を与え、場合によっては「指針」ともなるのが、歴史的にも「学問」が果たしてきた役割だったし、将来もそうなんだろうと、膝を打つ思いをしたので、私も学問的な「記述」には程遠いながらも、私が東京という土地について感じた事だけでも、書きとめておこうと思った次第です。

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