2010/10/20 17:20
今の時代を如何に見るかという問題があります。
基本認識として、日本が、封建時代の最後に「激変の時代」を迎えていたのは、わずか140年前の事であり、1世代を短く見積もって20年(親の世代が子供を作る迄の期間)としても僅か7世代前であり、人の一生の2倍にも満たない時間でしかありません。そのうち、私が産まれてから基本的な生活水準の変化の無かった(約・人類が月に訪問してから)の40年を除けば、たった100年なのです。
視点を現代日本に移して見ると、私の産まれた当時には、日本はまだ右肩上がりの経済成長中で、その後も成人するまでには(80年代末のバブルまでは)、石油ショック等はあり、また、ゆるやかに日本経済の代表的な産業の移動はあっても、その経済は順風満帆に見えました。しかしその後の20年は、経済は成長を止め、停滞し、近年には新興諸国の台頭に反比例する様に、むしろ日本の国債影響力は低下しつつある様に思われます。(その変化は、それ以前の時代に比べれば、少なくとも昔「中流」などと呼ばれた階層では、やはり次第に進む没落はありつつも緩やかで、もはや旧い「新」左翼諸派や、左翼政党が機関誌等で当時から「激動」とアジっていたのは、若干、的外れの観は否めません)
これに反して、国際社会では旧東側諸国が「体制崩壊」を迎えたという「激変」があり、東西冷戦に変わって米国の覇権と、それに反発するテロの時代、また米国の影響力に影が差し始めた一方、まだ現在も独裁体制を維持している中国や北朝鮮などが今後どんな変化(悪い意味を含む)をしていくか?、また地球規模での環境変動や資源の枯渇等々、今も「激動」は続いていると見る事も出来ます。
ならば、日本は、今後は、どうなるのか?
やはり、40年程の平穏な時代を短いと見るか否かは別にして、グローバル化の進展もあり、今までよりは変化の激しい、場合によっては【受動的に】であれ、「激動の時代」を迎える可能性は、大きいとも言えます。
しかし、140年前の「激動の時代」にも、それまでの鎖国政策を許さない国際的な帝国主義列強のアジア進出という「外圧」は確かにあったものの、それ以上に、田沼意次時代の蘭学解禁から始まり、時に弾圧はされつつも蘭学者や国学者による、江戸300年の封建体制の安泰という胎内に、より近代的で合理的思想の探求や、弾圧に屈しない積極的な啓蒙の蓄積が、土台となる民衆にも浸透していき、その中から【能動的に】難局を乗り越えていこうとする多数の人材を排出したという特徴が有ります。
対して現代日本はどうか?
政界では既存の各政党とも人材の枯渇が嘆かれ、在野でも若者の理系離れ(というか数学的合理性離れ)が進み、個人的な難局や壁にぶつかった際にも、打破し、乗り越え、生延びようとする貪欲さよりも、より安易な道を選んだり、場合によっては引き篭もったり、最近やっと実現した政権交替ですら、政治を変えようとする意欲は、冷静な合理性ではなく、非合理的で情緒的な一過性のものだったりします。
(例えば、小林よしのり氏の漫画がヒットセラーになり、それを読んだだけで、自分の足下の居住地域で人間関係の共同体に参加するわけでもなく、それが右であれ左であれ、愛国心?に目覚めたなどという程度の若者は、中国で自国の体制を批判すら出来ずに、他者の器物を損壊してウサを晴らす反日デモをやっている腰抜け学生と、私には同じにしか見えません)
こんな状態のまま【受動的に】迎える「激動の時代」とは、他ならぬ【没落】の時代に違い有りません。
では、今、必要な事は、何なのでしょうか?
歴史に学ぶのであれば、それは、現状までの枠に囚われず、自主的に新たな知見に触れ探求し自己を啓蒙する事で向上を目指す人間像であり、その人間の輪を足下から広げて行く、無数の個人の一歩一歩の前進であると、私には思われます。
私自分自身が、そのような人間像から見れば、まだまだ至らない点も多いのは自覚しつつも、自分自身の為、家族や地域などの身近な人々の為、広くは国際社会に至るまでの様々な段階の共同体に属する未来を託された人々の為に、この「激動の時代」を、打破し、乗り越え、生延びるに値する人間に、自らを成長させていかなければなりません。
それは、私の個人的な思想的立場からすれば、より公正で平等で自由な社会、例えばベーシックインカム=基本所得制度による公正の実現と、それに伴なう積極的労働政策や(再)教育政策、それによって、これまで未開発にされている人的資本の開発が花開く事が可能な社会の実現に、つながっているものです。
江戸時代の後半の100年余りの時間で為された事(人材の輩出)が、これからの僅かな猶予で可能か?という問題はありますが、少なくとも現代では江戸時代とは異なり、思想で弾圧される事は無いという先人の残した「社会的条件」が有るのは確かです。
(時に無責任な言動の自由に履き違えている向きはあっても)
私は、政治に関わる限り、大衆の理性に信頼を寄せ続け、それを足下の自分自身の生き方や人間関係や仕事を通じて、表現し続けたいと思います。

8
2010/10/4 20:47
2週間前に、居住地域(はっきり言って田舎です)における、神社の「祭り」が終り、先週には小学生の私の子供の「運動会」も終り、その間に「仕事」に追い回されてきていたら、すっかり秋です。
最近、私は「狂気」と「正気」、「飼い慣らされた精神」と「野生の精神」とかを、考えてみたりします。
「祭り」の参加は、基本的にはボランタリーなものであり(義理や人情もありますが)、私は、毎年ですが「祭り」では、屋台の引き回しの際に子供達に演奏させる「御囃子」を教えたり、夜には「初子」や「新築」を祝う為の「練り」に参加したりしたのですが、本気になると正気が「キレ」る事があり、子供を「感情的に」叱ったり、夜の「練り」では限界を超えたアルコールと疲労を、更に「祭り」固有の熱気や激情で、普段の「正気」の時には考えられないキレっぷりを発揮したりしました。(要は、日常とは違う「祭り」には、それでも残っている「正気」と同時に、確かに「狂気」もあるのだなぁ〜と…)
「運動会」という、学校の先生方の、日頃の懸命な「正気」の努力と、子供達の一生懸命な努力の成果にも、クラス対抗の競技などには、応援などに、日常の個人の意識とは別の、「集団的意識」なる、私の様に「アスペルガー症候群」で集団には馴染めない人間から見れば、一種の「狂気」じみた熱狂が感じられるのは、私の気にし過ぎか?
ところで、この間、日本と中国の間で、歴史的に見れば(少なくとも江戸時代までは)どちらの【モノ】でも無く、両方の漁民が漁業をしていた「尖閣諸島(中国名:釣魚島)」について、「狂気」と「正気」が交差しています。
先に近代的な国民国家を形成し、国境線の確定の重要性に気が付いた、明治日本の政治家達は、どこの国の(この場合は中国の)統治も主権も確立していない事を確認の上で、国際法で「処女地」の領有は先に領有権を主張した国が優先される原則に則り領有を確定させました。また現状において実行支配が確立されている土地は現状を変えない事が基本という原則から、少なくとも1970年代までは、あの共産・中国自身ですら、自国の地図には組み入れておらず、中国共産党の機関誌「人民日報」にも、当該・諸島が日本の領土であると認めてきた点で、これは「理」は日本の側にある様に思えます。
しかしそれも、例えば、幕末に、日米間に国交が開かれた際に、小笠原諸島(父島・母島等)について、当時の幕府と米国間で議論が分かれましたが、実は実在も定かでは無い「小笠原氏」が記したとされる古文書に、八丈島以南の島々についての記載がある事を盾に取って、先に入植定住をしていた米国を押しのけて(米国系の住民ごと)、日本に編入したという経緯もありました。
(今でも、小笠原諸島には、江戸時代に入植した米国系の子孫…というか金髪・青目の「日本人」が住んでいる事は、歴史に詳しい人なら誰でも知っている事です)
これにも、一応の「理」があるのなら、中国の古文書に「釣魚島」の記載があるなどの希薄な論拠にも、一定の「理」があるなどという話にはならないか?(かなり無理がありますが)
要は、近代国民国家としての「自覚」を確立した時期の格差の問題も有るのは、現実的には、仕方の無い問題として、現状に引き継がれています。(国際法の原則も提唱されて時期も浅く、あいまいさも残していますし)
私は、共産・中国が大嫌いですから、台湾も、チベットも、東トルキスタンも、住民が独立を求めるならば、それこそが「理」であり、独立を望む人々に連帯したいと思いますが、日本だって、歴史的に国民国家を持たなかった先住民であるアイヌから土地を奪っておきながら、いざ「国家」が登場すると、やれ「領有」に「理」が有るとか無いとか言っている姿や、反面やっと最近になってアイヌを先住民族として「公認」した事やら、これは、近代国民国家という枠組みの前提においては、「狂気」から「正気」に、シフトしたと見るべきなのか?
国内に民主主義が無く膨張政策・覇権主義に偏った中国が「正気」かは疑わしいものの、もしも国際関係を、単純な「非協力・ゲーム理論」に擬えるならば、仮に日本だけが「正気」でいても、ババを引くのは、日本という事になります。実際には、南沙諸島や西沙諸島の問題を抱えるベトナムやフィリピン、広くASEAN諸国や中国の周辺国あたりと、部分的な「協力」を取る事が、かろうじて日本が「正気」を保つ事に繋がるならば、それも良いとは思うのですが、こうした問題が「理」や「正気」だけで解決した実例が、残念ながら歴史的に乏しいのも事実です。
少なくとも民主主義の「政治」には、それを支える主権者たる住民のアグレッシブな精神が必要なのは、言うまでも無い事でしょうが、そのアグレッシブさというか、時に野生の強さを兼ね備えた精神が、かつて時代の変遷に伴なって次第に「狂気」に変質していった経験を持つ日本人は、「狂気」を恐れるあまり「野生」まで失ったと見る向きもあるでしょうが…冷静で理性的な「正気」を保った「野生」のエネルギーとは、決して「若さ」だけではなく、人間的にも成熟を要するものなんでしょうね。
何にせよ、人が人を殺し合うという、(正義を掲げていようがいまいが)最悪の「狂気」だけは、回避して欲しいものです。

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