二月三十日の出来事を収集しています。「二月三十日」
軽便鉄道(廃線跡)を捜し歩いています。「両備軽便鉄道」「鞆軽便鉄道」
中古地図と古写真を頼りに見えない線路、水路、道路、海岸線を訪ねて
現代の風景に蘇らせる実物大パズルです。
最新囲碁ソフトの実力比較テスト。
健康管理の散歩代わりにDIY軽作業。(para1002n)・・・★★★彡・・・
中国総書記6日に来日
出るかなパンダの「いい話」
トントンにお婿さん!?
上野の森は今そわそわ
朝日新聞夕刊1992年4月2日(旧暦二月三十日)付
パンダは、日中友好と歩みをともにしてきた。国交正常化が実現した1972年10月、カンカン、ランラン夫婦がやってきてブームを巻き起こした。ランランの死後はホァンホァン(推定19歳)が贈られ、カンカンが病死したあとの82年には、「(国交正常化)10周年」を記念してフェイフェイ(推定22歳)が来日。その後、人工授精でトントン(5歳)、ユウユウ(3歳)が誕生した。
(上野)動物園が「もう1頭」の期待を持ち始めたのは、昨年5月に「子パンダたちの性別が、生まれた直後の判定とまったくあべこべでした」と発表してから。オスのはずのトントンが発情の仕種をし、ユウユウからオスの生殖器がひょっこり見えたため、検査ミスが判明した。しかしトントンが貴重な適齢期のメスと分かり、動物園はかえって小躍り。逆に坊やのユウユウには、「かわいい子には旅をさせ
ろ」の声が出始めた。(中略)
(繁殖のためのとはいえども)パンダのやり取りは、中国が圧倒的に主導権を握っており、海外流出も政府が厳しく管理している。パンダがいる他国の動物園も「目玉」を簡単には手放すはずがない。
そこで「20周年」への期待となるわけだが、過去にパンダを贈られた経緯を見ると、政府要人同士の会談で唐突に決まるパターンが目立つ。(カンカン、ランラン)初来日の72年も、動物園はパンダ舎を用意する間がなく、トラ舎で急をしのいだ。田代園長も「パンダは外交問題です」と悟(ママ=朝日新聞の誤変換じゃないの?すごすぎ〜 昔、ワープロが定着しかけたころには良くあったが、最近じゃ珍しいよ)っている。