二月三十日の出来事を収集しています。「二月三十日」
軽便鉄道(廃線跡)を捜し歩いています。「両備軽便鉄道」「鞆軽便鉄道」
中古地図と古写真を頼りに見えない線路、水路、道路、海岸線を訪ねて
現代の風景に蘇らせる実物大パズルです。
最新囲碁ソフトの実力比較テスト。
健康管理の散歩代わりにDIY軽作業。(para1002n)・・・★★★彡・・・
日朝交渉へ合意
「道筋ついた」政府歓迎
認識の差大きく不安も
朝日新聞 政治面7頁 1995年3月31日付
連立与党の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)訪問団が三十日(旧暦二月三十日)、朝鮮労働党と国交正常化交渉の再開を盛った合意書を交わしたことについて、政府は「日朝交渉再開の道筋がついてきた」(五十嵐広三官房長官)と歓迎している。ただ、「李恩恵(リ・ウネ)」問題をはじめ、過去の交渉で対立が表面化した諸問題は手付かずのまま残っている。再開後の交渉がどのような展開をたどるかには、不透明な要素がつきまとい、「決して楽観できない」(外務省幹部)との本音ものぞく。
河野洋平副総理・外相は同日夜、村山富市首相らとともに官邸で渡辺美智雄元副総理・外相の帰国報告を受けた後、記者会見し「(与党訪朝団の)努力に敬意を表したい」と今回の合意書を評価。その上で、「準備が整い次第、政府としても交渉に臨みたい」「無駄な時間を費やすつもりはない」と述べ、交渉再開時期を探る考えを強調した。
与党訪朝団について、外相は当初、「日朝交渉再開のきっかけになる(首脳)」と期待を寄せる一方で、「今後の政府間交渉を縛るようなことを約束されると困る」(幹部)と不安も隠さなかった。背景には、一九九〇年に調印した自、社、朝鮮労働党の「三党共同宣言」に明記された「戦後四十五年の償い」が、その後の政府間交渉の足かせになった、との苦い思いがあるからだ。
今回の合意書作りではその「三党共同宣言」の扱いが焦点となった。日本政府が期待した「棚上げ」による有名無実化まではできなかったが、北朝鮮側から「ギリギリのところを引き出した」と外務省は受け止めている。