第三ふるかわ橋(広島県福山市松浜町四丁目5と4の境界)は中電松浜変電所方向から水呑大橋に抜ける幅九間の広い通りにある。その通りの大部分は狭いながらも、既に昭和5年の地図に農業道路として存在していた。最近、北に更に延長されて、入り江の埋立地を越え、対岸の港町交番方面に直接繋がるようになった。
道三川に平行して背戸川に合流するもう一本の水路があった。御門町から分かれた幻の分流とは逆方向の城南中学校の南に流れる水路からの分流だ。その水路から更に分かれた流れが四十一連隊の北西に1本。連隊の北東から南東にクランクに曲がって背戸川に合流するもう1本。
下水道が完備された今でも生活水は下水道に、雨水はこの水路にと、周囲に水田がなくなっても、大部分が現役で残っている。ただ、連隊の北東側(松浜の道三川に平行)の水路は今は地上にはないし、背戸川への合流地点が付け替えられて、流れる方向も変わっている。
道三川-22-第三ふるかわ橋

連隊の兵舎は徹底的にアメリカ軍の空爆を受けたが、その侵入路に当たる道三川の南側の水田にも隙間なく焼夷弾が降った。戦災焼失地図には焼けるものがなかった水田が白く残っているというだけで、爆撃を受けなかった箇所ではない。爆撃機の上から見て、焼夷弾を投下しても火の手の上がらない所は、畑や校庭や水田であって、人がいない。無駄に執拗な投下はしていない。校庭と田畑が隣接している所では初期消火に成功して焼失を免れた学校もある。家が密集して、爆撃を受け、一旦火事になると、周辺が照らし出されて、焼けていない建物が浮かび上がる。人がいそうな場所は攻撃目標になった。
初めの照明弾と火災の明かりで、この夜の情景を月明かりのように記憶している人も多い。「福山空襲の記録」には月を見上げたという記述すらある。生涯何度も放心状態で見上げた月と、火の海の明るさとが記憶の中で合理的に処理されて重なっているのだ。〆(..)para1002n(ぱら仙人)

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