駐車場角のコンビニ付近に東外堀の切り欠きの角があった。サントークの北側に接するように東西道路があった。しかも、この道路の突き当りが上水道の突き当りだった。その道路を挟んで北側が森政久伍郎屋敷、南は岡田伊左衛門屋敷。
その道路が特定できれば、上水道の敷設位置を特定できる。ここはそういう重要地点でもある。
東堀端武家屋敷の上水道末端付近
戦後の新設道路

風景は先ほどのコンビニ角と似ているが、ひとつ東の路地。横断歩道辺りに江戸時代には東西道路(画面の上下)があった。元々ここには南北道路(画面の左右)はなかった。北御門から突き出した外堀の線から南に下った地点で、さらに入り江までほぼ一直線に下水の溝が通っていた所。
城下の東側は東堀端がお武家屋敷、その外側に町家が広がって、一番外にも武家屋敷が並んでいる。町人を守っているともいえるし、物品の出入りを監視しているともいえる。
町割りはそれぞれ職種毎に区切られ、通りに面して商家が並び、上水道が引かれ、要所要所に貫洞(かんとう=大きいものは畳一畳、上水道の溜め井戸。深さは自然流路のため下手ほど深い。石蓋がしてある)が設けられていた。商家と商家が背中合わせの裏には下水路が通っていて、町名の境でもあった。現在1本おきに広い道路と狭い路地の痕跡が残っているのはその当時からの名残だ。〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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