両備軽便鉄道は吉津(広島県福山市)を東北東方向に進む。吉津停車場付近は米軍の焼夷弾攻撃の際の焼失地域になっていない。山を迂回した所に中国電力変電所があって、そこはいの一番に標的にされ、壊滅した。昭和11年には鉄道が撤去されていたので、両備鉄道沿線はアメリカ軍の空爆の焼失地域から外れている所がかなりある。家屋の立て込んだ市街地はべつとして、郊外は田んぼの中を走っていたからだ。米軍が爆撃しなかったのではない。偶々周囲に燃えるものが何もなかったのだ。
両備軽便鉄道-吉津停車場周辺クリックすると大きく表示します
YahooJapan地図Pasco
進行方向を写真の正面にして、撮影していると、奥が真北でないものだから、方向感覚がややもすると混乱する。場合によっては周囲の様子を説明するために進行方向以外にカメラを向けることもある。
全体を把握するために鳥瞰写真で鉄道跡を眺めてみた。
写真の左の南北(上下)通りが石見道です。横尾(北)で官道(参勤交代道=旧山陽道)と合流して、西に行くと尾道-長崎。そのまま北に行くと石見に通じています。
横(東西)の通りが神辺街道(現旭通り)です。福山城下は通常旅人が通行することはありません。通り抜けても、芦田川畔の山手は臨時橋で、橋桁に板は渡してありませんでした。福山は海側に新しく開かれた街で、古くからの伝馬人足の寄せ場、本陣などは神辺でした。
話は両備鉄道が蓮池川を渡る所に戻ります。前回は旭通り緑地公園の南西角にある簡易橋の所を鉄道が渡っていたことを紹介しました。次回は緑地公園からM岡宅を通ってN村宅の庭先を通過する場所を紹介します。〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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