鞆軽便鉄道(45)
ごめんなさい。瀬戸川といったり、西芦田川といったり、芦田川本流といったり、混乱させています。瀬戸川は元は山手の小田川と合流して神島橋の下手で芦田川(広島県福山市)に注ぐ支流です。中土手が出來て、人工的な中洲などで仕切られ、微妙な形ですが、水呑大橋付近まで続く川の形にはなっています。瀬戸川です。
以前は高屋川が芦田川汚濁の根源だということで、中津原のみるみる館の所に大掛かりな浄化設備ができました。実験は成功して水はきれいになったのだと思います。今度は芦田川汚濁の悪玉は瀬戸川だという訳で標的にされています。標的であろうがなかろうが結果的にきれいになるなら文句はない訳で、草戸大橋下流で木炭を使った水質浄化が行われています。今は橋の下や上手の整地が進められ、公園になる予定です。
草戸の堤防は狭くて人は危なくて通れません。土手下に古來からの鞆街道があって、人は土手を降りて水呑へ行くのですが、水鳥なんぞを眺めながら河川敷が散策できるといいかなと期待しております。昨日は橋の袂に川原に下りる取り付け道路が出來ました。植栽工事が終わっても、立体交差のロータリーとかまだまだ大掛かりな工事は継続されるようで、坂をそのまま残してもらっても実際に川原を散策できるようになるのは何年も先になるようです。
話は元に戻って、その下流の洗谷鉄橋です。
県道(芦田川堤防)を越える鞆鉄道跡

5.8km標柱の少し手前です。県道の下の畑に並ぶ電柱の1本目の外側(右)と2本目の内側(左)が軌道跡です。左にゆっくりカーブした所が妙見駅跡です。
中州の手前まで53間(96.5m)の鉄橋が渡してあった
振り返って瀬戸川の向かいの中州の手前まで、旧県道(土手下南側)から53間の鉄橋がありました。そこから先は真ん中に中川という幅6間の小川を挟んで鷹取川まで中州や湿地が続いています。芦田川の分流鷹取川はさらに60間を越える川幅がありますし、行った先は水田地帯で福山駅から遠ざかりますから、利用客の数から言っても鉄道を通す意味がありません。中川の手前で遡上して街中を通るコースになっていました。



水呑側から見える景色を確認するために対岸の5.8kmの少し下手に行ってみました。岸辺から見えていた分譲マンションがこれだ。
初めは、洗谷の鉄橋は対岸まで渡っていると思っていたので、地図を見て痕跡を探したり、古い住宅地図(昭和34年頃)に載っている家を片端から訊ねて行っても全く手がかりはありませんでした。終いには煩がられて、「この辺には鉄道なんかありゃあせん」と、にべもない返事。小学生には変なオジサンがいるとか怪しがられたり、散々でした。それもそのはず、大正8年(水害)までは川の中の湿地や水田で家はなかったのだし、鉄道も向かい側の水呑方だから誰も聞いたことさえないのは当然だったのです。
(これから先しばらくは河川敷や中洲、川ばかりでどうやって繋ごうか思案しています。200mごとに鉄道方向の中州を撮影して、振り返ったら土手下の旧県道端にある建設省の境界表示でも探しながらご報告します。国の財産と私有地との境界で国境紛争鬩(せめ)ぎ合いの痕跡探しです。)〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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