鞆軽便鉄道(48)
昔は安芸の国と備後の国には「くにざかい」があった。備後は徳川の親戚筋で親藩という。譜代よりもっと親密な関係らしい。安芸は外様で錦の御旗の下に長州が福山城下に攻め込もうとしたときは一発触発の緊張状態があった。薩長戦争とか、長州征伐とか、戦国乱世以來、国境を意識する事件は日本全国に現実にあった。今は日本が統一されて国有地は我が日本の国土であって、私有地と隣接していても緊張感も違和感もない。隣接する私有地が独立宣言をすれば、そこが国境線にもなりうる。そういう極端な話でなくても、外国の領事館とか、出先機関の敷地境界線でのもめごとは国際問題、国際裁判の案件になりうる緊張感を持っている。
日本全国どこにでもある境界表示杭や板を並べてみても、ふん、と鼻であしらわれている気がして、無理やり勿体つけている感じもします。兎に角、続きです。
芦田川堤防下の旧県道

@福山ガス西部ショップのフェンスが途切れるところに金属製のプレート、A一軒置いて塀の所に境界杭があります。


@塀の基礎に矢印が接するように、表面をつや消し加工した金属板が取り付けられています。 A一軒置いてコンクリートの基礎を3cm削って杭が立てられていました。民間人の財産を削って境界を示すとは、職務に忠実というか、杓子定規というか、そもそも、
設計図面通りなら、土手の角から垂直に線を引いた
基底部が7mの法面(のりめん)、
中段の平らな部分が2m、そこから更に同じ勾配(1/25)の斜面が
基底部で4m先まであって境界杭が打たれていることになっている。現在は中段と同じ高さに埋め立ててあるが、先の4mがどこかに行ってしまって、後からなんで今更3cmなのかな?




B一番左と2枚目は同じ場所を角度を変えて撮影しています。ブロックとブロックの間に雨水の排水溝があって、境界杭はその溝の中にあります。Cその隣の御宅の角にも頭を赤く塗った杭が立っています。

D更に一軒進んで坂の手前、空き地の角に雨樋の集水管を括りつけた境界杭がありました。パイプを白く塗った時垂れた塗料でそのまま杭の頭も白くしたのでしょう。ここで日没です。写真は別の日のものです。

ここまでで堤防の上に上がると、下りの妙見バス停でした。ちょっと先には三ケ瀬の堰があります。鞆鉄道の線路は中州の向こう側を通っていました。〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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