鞆の石畳(77) 道路の付け替え
前回予告したコースとは丸で逆廻りになってしまいました。林半助邸の前の南北道路の突き当りが現在はT中さん宅になっていますが、実際に現場に立ってみると、家の敷地が道路とぴったりに見えます。鞆の道路は江戸時代以来変わっていないというのが通説ですが、御屋敷跡の一角、組小屋の井戸周辺だけは事情が違うのではないかと思います。道路が新設されたのに伴って付け替えも行われているようなのです。年代を追って絵図面や地図を見比べてみました。辻褄の合わないような差異、つまり、作図の間違いもありますが、それは海岸線の変化にも起因するのではないかと思います。
ちょっと予定を変更して、道路が付け替えられている痕跡、さらには海岸線の変化の痕跡。埋め立てに使われた土砂の移動の様子などを探って、城山の麓、組小屋の井戸から東へ向かって海まで一度出てみようと思います。
篠簀子(しのすのこ)の隙間から見える組小屋の六角井戸

U野の散髪屋さんの裏の井戸が隣の駐車場に立て掛けられた篠簀子の隙間から見えます。カメラのレンズではなかなか難しいですが、人の左右の目は簾の篠竹の隙間から見える井戸の僅かなずれをうまく繋いでくれるので、篠がまるで透き通っているように井戸の形もはっきり分かります。
前回紹介したT中さんのところを通って千代の湯をぐるっと回りこむように道路がありました。明治時代に東西の通りが新設されて、12m程先にあったクランクが廃止されたようです。
T中さんの話「戦前からうちはここにあるのですが、そういわれると道路が通っていたかもしれません。元々はこの辺りには林さんの醤油蔵があったのです。」
千代の湯はその後、SPAR鞆の浦店になり、現在はM山蓄音機館になっている。ここに醤油蔵があったようだ。
元禄時代の町絵図を見ると、醤油蔵の裏を回りこんでいた道路が組小屋の六角井戸にぶつかり、その井戸の反対側延長線上に海に出る通りが描いてあります。城下町の町割りは直線で見通せないようにT字路の組み合わせでできているので、関町の町家を一区画跳び越しますが、現在の地図では、A野音楽教室の前のT字路が丁度延長線上になって、路地が海に突き当たります。
A野音楽教室の前のT字路と海に向かう路地


A野音楽教室の前のT字路は元禄町絵図にも既に描いてある古い道路で祇園さんの参道から県道の間にある鞆で一番長い直線道路です。鞆では珍しい十字路もある目抜き通りです。魚の鱗をイメージしたきれいな石畳の道路です。その石畳から海の方向に桜色のコンクリートブロックで桜鯛の鱗をイメージした路地が見えます。この路地を海まで出てみます。実はこの路地、このシリーズが始まる
最初に通った路地です。偶然ですが、鞆の南側を半周して元の場所に戻ってきました。とりあえず古い海岸線の痕跡を探しに海まで行ってみます。

para1002n(ぱら仙人)


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