ドワンゴの第2回囲碁電王戦第3局は突然の強制終了のような印象を残して終局した。囲碁対局はコンピュータのディープゼン碁が打っていたのだが、投了の判断は人間がした。
大盤解説の井山裕太六冠と吉原由香里六段
コンピュータ自身の形勢判断はまだコンピュータ有利の状態だった。加藤さんは数値は10くらい差し引かないと高めに出るので、勝利確率50%台だともはややや不利の状態で、どこに打っても負けに向かう手しか示せなくなると、突然の投了宣言を説明した。
ゼン開発者の加藤さん(初段くらいらしい)
コンピュータにとっては、より手数が長くなりそうな手段を選ぶべきだが、その判断が付きかねて、今まで通り、候補手の中で最も評価の高くて終局までの手数が短い手が、終局を早める最善の手段という姿勢を貫き通す。
勝ってさえいれば損な手でも早く終局した方が確実に勝てるという判断なのだ。ただし、形勢判断が正しければの大前提があってこその理屈であって、形勢判断を間違っていれば、どう打っても負ける状態で、そんな手を打って、速く終局に向かえば、負けを早める手段でしかなくなる。
この辺りの形勢判断の数値に対する対応が人間に頼ったという結末だった。これ以上打ち続ければ、ますますどうしようもないちゃらんぽらんをしでかしかねない。大恥をかく前に強制終了の投了という手段に出て、コンピュータを救ったというのが真相かも知れない。
形勢が本当によければ、評価値が高くて、最も手数の短い手段がよいことになる。どう打っても負ける形勢だと、一貫性を失って、別人四五人が入れ代わり立ち代わり打っている状態になってしまうらしい。形勢不利だと挽回しようとして無理な手を打つようになっていると主張する人もいるが、うまくいかないから無理な手なのであって、もともと無理な手を打っても挽回はできない。
どんな形勢でも淡々と大きい順に打つしかない。ひたすら大きい順に打つことが今までの囲碁システムではできなかった。手数が長く複雑になるように、できるだけ終局を長引かすような手段をコンピュータは選ばないように設計されているので、勝負手が打てない。
紛れるように打つこととちゃらんぽらんのでたらめを打つことは全然違う。それは勝負手ではない。勝利に向かって最短コースを進むのと、のらりくらり長引くように打つのとはまるで方向性が違う。コンピュータは矛盾することが受け入れられない。
もう何年も前から同じ課題が残っていると同じコメントが繰り返されている。解決したいのだけれど解決ができなかった課題だ。コウがらみの攻め合い、形勢が怪しくなった時の挙動不審、ヨセのまずさ、一手パスのような自陣への手入れ。
趙治勲先生が50年もカケて勉強してきた囲碁の厚みについて、こんなことで十分やれると堂々と打って来られると、今まで自分が何をしてきたのか愕然とすると仰っていた。確かにあれほど地を与えて、死ぬ心配のない状態にしてくれて、それでも堂々と焦らず打って、最期の方で何度も間違えさえしなければ、ちゃんと碁になっていた。
コンピュータはとてつもなく強いところと弱いところがある
人間の常識では考えられない新しい囲碁観だ、武宮流のような妬きもちを妬くほどの大風呂敷でもない、甘いのかと思うようなちょこちょこっとした部分的な厚みの碁でここまでやれるとは、不思議でしょうがない。コンピュータはどんどん強くなってほしい。コンピュータに学んで人間もまだまだ強くなれる。囲碁の世界はまだまだ深い。
相手の厚みを逆に攻撃目標にして囲碁界に君臨してきた大棋士がそう仰る。

para1002n(ぱら仙人)
人気ブログランキング ←ワンクリックをよろしく!!

1