この記事は4年前の今日、2013年7月26日のものです。日付だけを今日に変えて並べ直してあります。1週間掲載した後、元の日付に戻します。記事の内容は、ごちゃごちゃ盛りだくさんで、整理されていないが、いろんなことをやっていたんだな。
『 昨日は暑いさなかに屋外で体を動かしていたので、熱気にやられたらしい。散歩なら途中で中止すれば済むが、掃除はそうはいかない。重い硝子戸を周囲にぶつけないように持ち上げると、必要以上に力を使っている。慣れた作業ならコツも分かっていて、余分な力は使わなくて済むが、不慣れだと余計なところに力を入れて、無駄が多いのだ。
無駄が多い分、いい運動にはなっている。少しずつ意識しているよりも力を無駄に使っていたらしく、今日は腰やらあちこちガタがきている。部屋でおとなしくしている。朝からウナギのかば焼きも食べたし、コカコーラゼロも飲んだ。昼は龍都(近所の中華料理屋さん)の炒飯や豚韮炒めも食べた。エミちゃん三姉妹は外食に出かけた。
最近に限らず、置いて行かれることが多い。定年親父のしつけ方に、昼ごはんは自分で都合して食べるという項目があった。その通りだと思うので極力実践を心掛けている。
飲み物はいつも特製のブレンド中国茶なのだが、このところコカコーラZEROに嵌っている。すごい勢いで飲んでいる。コカコーラ中毒になったかも。

コカコーラと云えば、昔、1982年頃中国旅行中にバスの中で出たことがある。それまで飲んだことがないわけではなかったが、剣道の先生とか、陸上の指導者とか部員に炭酸飲料を禁じている人が多かった。コーラを飲むと骨が解けるという噂もそういう人たちの間から広まっていた。
初めて飲んだ時は松脂っぽいいやな味だったが不思議と癖になる。中国では極めて珍しい高級飲料で、出した方も鼻高々なのだろうが、冷え具合はいまいちだった。冷えていない飲料は決して上等とは云い難い。飲み残しをそのまま持って歩くわけにもいかないので、途中休憩でバスを降りた時、側溝に残りのコーラを捨てた。
瓶の形を見ればそれが何かは中国の人にもわかる。飲み残しを溝に捨てるということがどんな行為かは私にも察しはついた。驚いている中国の人たちの視線も十分感じた。
それ以来コーラは極力飲まないことにしていた。それでも偶〜に欲しいなと思うことがある。自動販売機も日本ならどこにでもある。ジュースとか、アイスクリームとか、糖分のあるものはあまり好きじゃない。ZEROならいいんじゃないかと最近飲むようになった。
部屋にこもっている間にblogのメンテナンスをした。
リンク先のないものがずいぶんあったし、隔月アクセスランキングも1、2月分で止まったままになっていた。リンク先がなかったり、データが古いままで更新されていなかったりすると開いてみた人ががっかりする。信用も失う。
今からでは遅すぎるかも知れないが、信頼回復のため、リンク先がしっかりあるかどうか囲碁関係は全部動作テストをしてみた。
「発見」と云うジャンルがある。私が世の中にはすごい人がいるものだと感心したblogやホームページを紹介するコーナーだが、それすら現在はなくなっているものがある。残念な限りだ。その道にのめり込んでいる人にはプロもいるのだろうが、機材もすごい。魚の耳石収集家は私以外にはいないだろうと思っていたら、電子顕微鏡から石の研磨機まで取り揃えて、すごい研究をしている人がいた。
大抵の人は素人だからすごいねと褒めてあげると嬉しがるのでそれでいいが、素人に褒められるようじゃプロとしては笑っていられないものらしい。
いろいろ昔の作品を読み返すと面白い。
回文、後ろから読んでも同じ表現。「大惨事は人災だ(だいさんじはジンサイダ)」と云うジャンルを作ったときは、変にいじって怒られたことがきっかけだった。そんなにご大層に云うな。これくらいのものは毎日作ってやる。見ていろ。と云うわけで回文100作、寝ても覚めても回文に明け暮れて、終わったときには、もう今日からは作らなくて済むと、さすがにホッとしたことを思い出す。
今は囲碁ソフトにはまっている。自分が何手も先まで読めないし、形勢判断もできないのに、ソフトが次の一手候補を挙げてくれたり、形勢グラフを描いてくれたりする。何種類かを照合しながら見比べているだけでなんとなく解説っぽい文章が書ける。私のアイデアはなくて、ただ、ソフトが示している手を紹介するだけなのだが、自分が強くなった錯覚も味わえてこれがなかなか面白い。
最新のソフト対決だけでは古いものが見捨てられて日の目を見ることがなくなる。何とかしたいと思っていた。
目的は囲碁ソフトがますます進化して欲しいこの一点なのだ。
極限状況を作ってとことん突き詰めると問題点が浮き彫りになる。それが初手天元戦であり、投了を認めないルールだった。
もう一つの極限状況は不利な形勢でも冷徹に打つ。
これも解決できれば人間に置き碁で指導できるソフトが開発できることに繋がる。本当かどうかは確かでないが、今の囲碁ソフトは形勢が不利になると無理を承知で一発逆転の奇妙な手をあえて打つようになっているそうだ。そんなことはあり得ない。無理はダメだから無理なのであって、無理を打って形勢は逆転できない。そのことを置き碁で証明して、問題解決を早めていただきたいのです。
囲碁ソフトに古いも新しいもない。置き碁のハンディーをいかに克服できるか。横綱から十両まで番付を作って同門、同部屋も総当たりの置き碁戦広島場所を興行しようかと思っています。
300手を超えるとファイル変換に支障をきたすことがあるようですから、極力手止まりまでは投了しないで打つ。300手打ち切り審判判定制度とか、途中で変更しなくても済むような一貫したルールを考えています。一旦投了を打診すると頑として先に進まない作りになっているソフトも参加するので、特別扱いをしなくて済むルールが必要です。
極限状況に追い込んでソフトの問題点を明確にし、開発の歴史をたどる。このような問題を次のソフトではここまで解決できているとか、そういうことも併せてみていきたいのです。逆に云えばろくに問題解決は後回しで、ただ他のソフトに勝つことだけにしのぎを削ったソフトの歴史も浮かび上がるかもしれません。
パソコン業界に劇的な進化が見られないので、ソフトも激変が期待できません。いろんな端末が競合して多様化しているソフト業界の次の段階は中央の大型コンピュータと連携したシステムかと考えます。その為には細かな損得をとことん比較する正確な計算作業を指示できる命令が必要です。期待しています。業界の皆さん。よろしくお願いします。』以上全文
これがたかだか四年前の囲碁ソフトの様子だったのか。あれからしばらくして、AI搭載のドローンが登場して、自由曲面上を最短距離を選んでぶつからずに移動空間中を12次方程式で飛行するプログラムを人間が命令しなくても、コンピューターが試行錯誤しながら学習する技術が開発された。
将棋に人工知能が応用され、囲碁にも波及して、あっという間にとんでもない時代に突入した。人工知能を持ったドローンから、人間が勝てない神様の囲碁の領域まで、進化の過程を振り返ると、イギリスで蒸気機関が発明されて今日に至るまでの技術の歴史が、まるで生物学の個体発生は系統発生を繰り返すを地で行くように、技術の進化速度はますます加速化し、長い歴史の中で起こっていた変遷が、今や目まぐるしく短期間に移り変わっていく。これから人間環境のあらゆる分野で、どんなことになっていくのか空恐ろしくさえある。

para1002n(ぱら仙人)
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