鞆鉄道(262) 大川下新田七丁目(5) 六丁目の町道(現市道)公図界上を測り直し
最近はほとんど出かけずに碁盤まで持ち出してパソコンの隣で碁を並べたり、碁石を水洗いしてみたり、すっかり鉄道からご無沙汰です。
ブログランキングでは囲碁人口がとても少なくてアクセスの上位にランキングされます。そのほとんどは碁に興味がある方ではなく、鉄道とか画像加工とか、日常のちょっと変わった話題とか、そういうことを見に來られている方が、ついでにポチッと押してくださるので同時に囲碁のランキングにも加算されて一躍ベスト5に入ったりしていたわけです。
まじめに何やかんやこまめにアップしていたころ馴染みにしていただいていた方々です。來てみても、來てみても囲碁ばっかりで鉄道の進展はないし、共通の話題はないしで、次第に遠退かれ、ちょーごめんなさいの限りです。
台風やら日差しがきついやら、お年寄りが外に出ていないやら、最近ではだんだんこちらの方が耳年増になって、折角情報を持っていそうな人に出会っても話が引き出せないことがあったりして落ち込み気味です。
鉄道は写真を撮るには日差しのあるほうがいいし、かといって熱射病も気になるし、そんなこんなで随分間が空いております。出来る限り下までスクロールする間に一つくらいは碁以外の話題をと思って意識はしていたのですが、ふと気が付くとそれもありません。
碁はストックがいくらでもあるし、夜中でも雨でもいつでも書けるのでどんどん先に進んでしまいました。雨宿りに軒を貸したら母屋まで占領された感じです。
雲の形も秋空っぽくなってきたし、そろそろ鉄道も毎日とは行かずとも、元のペースに戻さねばと思っています。
T木さん宅が水路から120m地点 鉄道はもう25mほど左です

写真の奥が東
「ここは古くからあった町道(現市道)です。突き当たり(現在新しい住宅団地が建設中)に避病院(伝染病の隔離病院)があったので、早くからここだけ水道が引かれていました。道はあるし、便利がいいのでここに家を建てたのです。そのころはもう鉄道は廃止されていましたが、盛り土はありました。」(T木さん談)
水路から142m 幅4.8mが鉄道用地です。

写真の奥が東
T木さん宅とU田さん宅の間が鉄道のようなイメージに見えますが、U田さん宅は鉄道跡が平らになってそのうえに掛かる形で建てられています。逆にT木さん宅は鉄道跡地と接していた畑を宅地にして引っ越して来られていますから鉄道ぎりぎりまで屋敷内だったわけです。区画整理で今は境界線が斜めではなくなって道路と垂直に境界ブロックが築いてあります。鉄道跡地も幅は4.8mですが、道路とは斜めに交差しているので接地面は5.1mあります。
電柱が軌道のセンター付近

写真の奥が西
T木さん宅とU田さん宅側から西を向いた様子です。電柱(ウンドウコウエン支24左4 A4右2)が軌道のセンターです。道路は既に六丁目です。これで軌道の位置が分かったので、もう一度七丁目の元の位置の戻って、鉄道跡地と接していたL字道路の跡に行ってみます。

para1002n(ぱら仙人)
人気ブログランキング ←ワンクリックをよろしく!!

0