福山城の配置模型を見て、俄然、石垣に興味が湧いてきた。
軽石を削ってタイルを作った模型の石垣

写真の奥が本丸模型の石垣。 野面積みのように見える。下段中央やや右寄りに弓なり構造が見られるが、そのほかの場所は只べったり並べた感じがする。
全体的な印象としては、空いた隙間を埋めていくタイル貼りに近い。力学的に上からの力を分散して受け止める構造ではなさそうだ。横に膨らむのを防ぐために、直方体の長い石を打込接ぎにして、算木積みにしてあるところは、写実的だが、角度が水平で、これでは石垣は外に押されて緩んでしまう。もっと斜めに内側に力を掛けて額縁の枠がしっかりする構造にならなければならない。
額縁の枠を支えるために、受ける側も山なりになる。基底部の全体が波打つ構造になる。しかし最上部は水平でなければならないので、山なり、弓なりの頂点を結ぶように、間を埋めて、2段もしくは3段に平行な面を作って上へ上へと重ねているのが全体の石垣構造になる。実際に重量の掛かっていないタイル貼りだと、積んでいるうちに形が崩れる心配がないので、その辺がおざなりになったようだ。
そもそもの原因は算木積みの一番外側が角度をつけず、水平に据えてしまったことに尽きる。
外側の二ノ丸の石垣は打込接(は)ぎにして、その後の研究の成果がよく表れている。
拍子木積みの基壇は相当な傾斜角がついている
重機のない時代に人間が石垣を組むときに面を合わせたり、安定した据わり位置を決めるまで何度も持ち上げられる大きさでなければ、現実の工事はできない。お城の石垣は意外に小さなものが使われている。場所ごとに石工の親方がいて、分担して、或いは、競い合って、工事が進められたかもしれない。工区の境界線、仕事始め、仕事納めの目印に刻印を入れているのかもしれない。狭い範囲で色々な文様の刻印が集中している壁面もある。石の産地を表す刻印だという説もある。
さまざまな文様の刻印がある




いろいろな刻印を見比べていると特に下の方で、簡単に手の届く位置に真新しく、彫りの浅い、釘のようなもので全方向に斫(はつ)った輪郭の太い刻印もある。いたづらに誰かが模刻したのであろうか。

para1002n(ぱら仙人)
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