2010/2/6

いやー楽しかった!!  ライブ
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始まる前はいったいどうなるんだ!?と思っていた昨日の「内容の無い音楽会」ライブ。なんせ、福田がライブの構成を決めて「うまかろうくん」シナリオのプリントアウトなどをしたのが昨日(要するに本番当日!)の午前中。で、現場で打ち合わせしたのが、本番の1時間半前。いやー、もうドキドキものでしたが、さすがみなさん人前に出る仕事を昨日始めた今日始めたという若造ではない。あたりまえですがw。いざ本番となったら(多少酔っ払ってろれつが回ってないケースはあったけどw)みなさん、歌もセリフもバッチリでした。素晴らしい。生方くんも福田も、喋りに喋ってアルバム制作秘話や元ネタを全披露。まあ、アルバムを知らない人には結構キツかったかもしれないが、知っている人はそりゃあもう面白かったはず・と前向きに我田引水解釈。

というわけで、会うのは十数年ぶりというメンバーもいた昨日のライブ、久々に心から楽しかった。写真は、ライブ終了直後。後列左から岡井大二氏、稲葉うまかろう政裕くん、クリス・シルバースタイン氏、水谷公生師匠、前列右から、サンプラザ中野くん、
生方くん、福田、そして昨日の紅一点、藤原美穂さん。みなさん、ほんとうにお疲れさま。そして、声のみの出演をしてくれた浅倉大介くん、ありがとうございました!

ちなみに、みなさんを簡単にご紹介しておきますと。

■岡井大ニ氏■日本初の本格的プログレバンド「四人囃子」のドラマーとして、日本ロック史に名を刻む伝説的人物(なんかこう書くと「生福」のネタみたいだがwほんとう)。福田がプロデビューしたバンド「QUYZ」のドラマーでもあったので、知り合ってすでに30年になるのだが、ここ10年くらいは全く会う機会がなかった(年賀状のやりとりはしてたけど)。「内容の無い音楽会」では怪獣ドラマ「うまかろうくん」で、「うまかろうくん対ジョン・ノレンの霊魂 世紀の対決」を実況中継するアナウンサーを熱演。昨日はレコーディング以来23年ぶりにその実況を生再現してくれました。いやー、嬉しかったー(^0^)/

■稲葉政裕くん■このブログにもしばしば登場しているのですでにお馴染みだと思うが、彼の実質的なメジャーデビューアルバムが「内容の無い音楽会」。ある意味、このアルバムは、稲葉くんのソロアルバム、と言ってしまってもいい。彼がいなければこのアルバムは成立しなかった。「内容の無い音楽会」の中で、彼はギタリストとしての凄まじい才能はもちろん、メタル歌手、演歌歌手、俳優、怪獣としての才能も示しきっているのだが、現在は、スタジオプレイヤーや、吉田拓郎さん、小田和正さんのサポートギタリストとして活躍、数ある才能の中からギタリスト才能だけしか使っていないのが個人的にはちょい残念w。

■クリス・シルバーステイン氏■1985年にニューヨークからやってきたとても心の優しいベーシスト。福田とは、生方くんを通じて知り合い、1987年に真璃子というアイドル歌手のレコーディングで初仕事、その後1988年から2年間、鈴木雅之ツアーを一緒にやった。「内容の無い音楽会」にはラッパーや英会話学校の先生役(「オンナーッ!」としか言わない)として参加。現在は小野リサさんのサポートなど、ほぼ、オトナな音楽専門wのベーシストとして活躍中。25年も日本にいれば、普通日本語がペラペラになるものだが、彼の日本語は未だに片言。彼とも、この10年くらい会う機会がなかったのだが、昨日久々に会ってみて、日本語のレベルが昔と全く同じなのに爆笑してしまった。ごめん、クリスw。

■水谷公生師匠■今更説明するまでもなく、福田の師匠。1983年の秋口、南こうせつのサポートバンドのオーディションで初めて会ってからすでに27年が経過。いやー、時の流れはほんとうに早い。ビックリだ。ちなみに、初めて会った時の水谷さんの印象は「カリメロ頭の、すげえ業界人っぽい人」でしたw。昨日は、レコーディングでも歌っていただいた「47歳の地図」のボーカルや、「うまかろうくん」のキャストとしても参加していただきました。

■サンプラザ中野くん■最初に会ったのは1982年の夏ごろ。当時の中野くんのニューウェーブ系変態バンド「スーパースランプ」が出たコンテストに、福田のバンド「YOU」がゲストで出たのがキッカケ。その時の河合くんの異様な動きと、「さよなら」という、世にも陰気で切ないバラード(確か、浮気した男を殺した女が、男の着ていた着物を庭で燃やすっていう曲)にいたく感動し、福田はその年の大晦日の「スーパースランプ」解散ライブにキーボディストとして参加。翌年、中野くんと河合くんは「爆風スランプ」を結成、福田はサポートキーボディストとしてライブに参加するようになった。昨日は、当時「山口のばら」という変名で作詞してくれた「47歳の地図」にはじめてボーカリストとして参加。「うまかろうくん」でもちょっとセリフを言ってもらったりしました。

■生方則孝くん■初めて会ったのは、デジタル楽器最盛期の1984年、YAMAHAが大金を投じて開催していたイベント「X DAY」の東京会場。彼は、DX7とシーケンサーQX1のデモンストレーションで、生ギターのストロークのような演奏をしていた。それは当時としては本当に驚異的なクオリティで、びっくりして話しかけたのを鮮明に覚えている。その後、大阪X DAYの移動で新幹線が一緒になりすっかり意気投合、一緒に会社でもやるべーという話になった。「生福」という名前は、翌年、DX7のソフトを作るときに考えたもの。まさかその名前でアルバムを作るようになるとは思ってもみなかったw。昨日はご機嫌でよく喋ったねー(^-^)/

■藤原美穂さん■最初に会ったのは鈴木雅之ツアー。もうひとり松葉美穂さんというコーラスメンバーがいて、ミホミホだった(別にそう呼んだ覚えはない。なんとかなく書いてみたかった。ミホミホ。)。「内容の無い音楽会」の録音当時は、まだ彼女がどのくらい芸達者なのかはあまり分かっていなかったので、うまかろうくんの「小美人」役をやってもらうにとどまったのだが、その後、マーチン(鈴木雅之)のJWAVEの番組に福田がコントを書き、彼女も演技者として参加したとき、物凄い演技の才能があることが判明。1988年の「内容の無い音楽会」ライブでは、実にいろんなことを押し付けた。昨日も、女性役は全部一人でやってもらいましたw。


というわけで、ライブ後はそのまま「鈴ん小屋」で軽く打ちあがり、終了後は何故か「アントニオ猪木酒場」へ。誰のナビだったのか、全然不明w。いやー、なんかすごかったな、「アントニオ猪木酒場」。

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店内BGM猪木ボンバイエが洗脳音楽のようにループする中、最大級ジョッキワインを飲む藤原姐さん。平然と全部飲んでました・・・

それにしても。
今更ながら「47歳の地図」は名曲だと思った。
あれをシングルカットしなかったSONY、シクったなw。

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