2010/7/7

「内容の無い音楽会」をいまさら10倍とは言わないけど2倍くらい楽しむための補足 その3  
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さて、1987年当時、福田にとって「フュージョン」がいかにこっぱずかしい音楽であったか、は分かっていただけたと思うが、パンク、あるいはパンク的なものは大好きだった。このブログでも何度か書いているが、福田はビートルズよりセックスピストルズのほうがはるかに好きだし、同じ「ジョン」ならジョン・レノンよりジョン・ストラマーのほうが好き。でも、この「パンクのモーツァルト」では、パンクを徹底的に揶揄している。何故か。特に理由はない。単に面白かったからだ。この「面白さ至上主義」が「内容の無い音楽会」の根幹にある。それは実は、かなりニヒリスティックで虚無的な感覚であり、「有意味」でウエットな「70年代の空気感」を徹底的に排除する1980年代の空気感と明らかにリンクしている。この曲ではその傾向が特に顕著だ。
「パンクのモーツァルト」は、当初、インストルメンタル曲として企画された。パンクバンドが真剣にモーツアルト楽曲を演奏しようとしたら、ヘタクソすぎてこんなんなっちまいました、というシンプルな笑いを狙ったネタだった。まずは生方がQX1のリアルタイムライトでワザとヘタクソなドラムを打ち込み、それに稲葉政裕がベースとギターをスタジオでダビング、敢えて演奏ミスの有無は問わず、ともにテイク1でOKにした。こうして一応「完成版」のはずの作品を聞いてみたのだが、全然物足りない。
「面白くないね」と生方。「うん、面白くない」と俺。「こりゃボツかな」
すると生方が稲葉に「ねえ、稲葉、なんか、社会的な事歌ってみてよ」
「社会的なこと」と稲葉。「なんでもいいすかね」
「なんでもいいよ、面白きゃ。任せた!」「わかりました!」
そして、いきなり稲葉が歌い出したのが「イジメ イジメ イジメやめろーーイジメ イジメやめろーーー」だったのだ。そのあまりの面白さに、俺も生方も、ヨダレをたらして笑いこけた。歌い終わって稲葉がボーカルブースから出てきた頃には、二人とも笑いすぎてムシの息だったと思う。「いやー、稲葉、天才!!」「面白すぎる!おまけに社会的だ!」「社会的なのって面白いね!」「面白い!」
とまあ、当時福田が一番好きだった蛭子能収のマンガ「私はなにも考えない」を地で行くがごとく、ほんとうになんにも考えずに、ただ面白いかどうかだけを基準にして作られた楽曲がこの「パンクのモーツァルト」なのである。歌詞のテーマである「イジメ」には、実は一切、意味などない。それが80年代の「時代感覚」だった。

つづく

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