2006/2/14

こうして  音楽
告別式も終わり、「世界」は次のステップに入った。
それは「伊福部昭がいない時代」、というステップだ。
とりあえず、ここ最近で、最も「正しく」作曲家伊福部昭、を語っていた
某新聞の短いコラムをあえてここに(無断で)転載することで、
俺もいったん、「次のステップ」へと進むことにする。

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「箱庭」拒み大地に立脚     片山杜秀(音楽評論家)

伊福部昭は、もうひとつの日本を生きた。
彼は、大正時代の北海道で生まれ育ち、中学の時、初めて本州以南を訪れた。
小さな盆地の景色が多く、水田が整然と広がる。伊福部は、それに驚いたという。
伊福部の日本は、温和な箱庭的風土のもとで繊細な美意識を育てた日本ではなかった。
もっと大スケールの、荒々しいものだった。彼の知る日本人は、北海道の果てしなき原野を勇ましく開拓していた。しかも、アイヌの人々も身近に居た。違った文化が衝突していた。
彼の音楽は、そんな体験に立脚する。北海道帝国大学の学生時代に独学で書いた「日本組曲」(1933年)と「日本狂詩曲」(35年)は、ともに生命曲溢れたリズムの饗宴であり、早くも作曲家としての個性を確立している。前者はヴェネツィアで、後者はボストンで初演された。続く「土俗的三連画」(37年)は、日本とアイヌの戦慄を違和感なく接ぎ木し。他民族の共生する理想を表現する。これらの作品で、日本を代表する作曲家の地位を得た。ただし。海外での評価は、戦争で途切れた。不幸なことだった。
戦後、音楽は様変わりした。インターナショナルで前衛的な響きが作曲の王道とされた。だが、伊福部は従わなかった。音楽は人間の生命力を表すべきで、それは人間の生きる風土を抜きにして語れない。「音楽にインターナショナルはない」というのが口癖だった。作風を変えずに、アイヌの舞踏に霊感を得た「タプカーラ交響曲」(54年)などを書き続けた。彼は長く、反時代的存在として扱われた。風向きが変わったのは、
前衛音楽の覇権に陰りの見えた、70年代後半からである。
戦後は、数多くの映画音楽も手がけた。中でも有名なのは「ゴジラ」(54年)である。彼はストラヴィンスキーの「春の祭典」を聴き、大男が大地を踏みしめているような感じに親しみを覚え、作曲家を志した。伊福部にとって、ゴジラもそんな大男だったに違いない。
また教育者として育てた、芥川也寸志、黛敏郎、石井真木らの音楽も、アジア的な生命力を追及した点で共通する。
晩年は、グローバリズムという言葉の流行に危機感を抱いていた。
伊福部の、北の大地に根ざした他民族的な音楽は、今こそ見直されるべきだろう。



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わずか19歳の時、独学で、しかもほとんど何の楽器も使わずに交響曲「日本組曲」を書き上げた超天才 伊福部昭は、その天賦の才に従ってそれから72年の年月を作曲家として生き、そして逝った。棺の中の先生の表情は、とても穏やかだった。
伊福部先生、さようなら。そして、ほんとうに、ありがとうございました。

2006/2/14

告別式  音楽
昨日、13日が、伊福部先生のお通夜、今日14日が告別式でした。
両日とも、小春日和。なんとも、先生のお人柄を忍ばせるような天気。

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場所は西五反田の「桐ヶ谷斎場」。葬祭場と火葬場が一緒になった、
「最新鋭」な斎場。

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伊福部家は、六十何代も続く神官の家系。なので、お葬式は「神式」。
いわゆるお焼香はなくて、かわりに「玉串奉奠(ほうてん)」をする。
榊の小枝に紙垂(しで)がついたものを、祭壇に捧げるのだが、
普通、誰もそんなことはやらないので、列席者にとっては案外プレッシャー。
一応、会場には、手順を図示した「マニュアル」が掲示されているし、
印刷されたマニュアルもあるのだが、これがはっきり言って、すげえ分かりにくい。
幸い、俺はいままで何回か、神式のお葬式に出たことがあったのでなんとかなったが、
初めての人は殆どの場合、デタラメなやりかたで榊を捧げるハメになる。
まあ、そんなこんなの列席者のあわてふためきぶりも、優しく微笑んで
見守ってくれているような先生の遺影↓

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ほんとーーーに、いいお写真でした。
それはそうと、この写真には写ってないが、実は祭壇の真ん中に「天皇陛下」って書いてあって、
なんのこっちゃ、神式ってやっぱり、天皇陛下を祭壇のセンターに祭ったりするのか?
とか思ってたら、なんと、天皇陛下から「お花」が届いてたんだそうな。
天皇にもらった花はどこに置くのか?やっぱり、あいうえお順で、た行のところ?
とかいう相当笑える騒ぎになって(ほんとう)、結局祭壇の真ん中に置いたという・・・・。
先生は、「文化功労賞」を受賞されているので、そういう人が亡くなると、
天皇からお花がとどくんだと。なるほどねー。

告別式後は、林信介さん、井上誠さんたちと新宿で昼食をとりつつ、すっかり
「飲み」状態に突入。先生の思い出話に花を咲かせているところに、、
井上さんイチオシのインディーズアーティスト「体育Cuts」氏も参加。

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すでに彼のCDを聞いていて、あまりの歌のうまさに愕然としていた福田は大盛り上がり、結局夕方6時過ぎまで飲み続けたw。

ちなみに、「体育Cuts」というのは、単に「スポーツ刈り」の「逆」なんだそうだ。
このなるほど感、福田は素直にウケました。
これが彼のCD。↓すげえ面白いので、いっぺん聞いてみておくれ。
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