2009/2/12

愛のむきだし(祝・ベルリン映画祭W受賞)  映画
              クリックすると元のサイズで表示します
「一行で説明できる映画がいい映画である」というコトバがある。特に「プロデューサー」という職業に就く人間が標榜するコトバだ。例えば、「盗まれた自転車を貧しい親子が探す話」「百姓が浪人を雇って野武士と戦う話」「戦争で記憶を失った男と孤独な少女の恋物語」「西部の老強盗団が死に花を咲かす話」「陸送屋が白いダッジチャレンジャーで爆走する話」「でっかいサメと人間が戦う話」「ムエタイ戦士が仏像の首を取り戻しに行く話」・・・。確かに、一行で説明できる傑作、秀作は多い。「内容が一行で説明できる映画はいい映画」というコトバは、確かに明らかに一つの真理を語っているし、いい映画の「必要条件」ではあるだろう。しかし、「十分条件」ではない。内容を一行で説明するなんてとても不可能な傑作、はたくさんある。そして、園子温の作品群は明らかにその範疇に属する。ホラーエンタテインメントに徹した「エクステ」を除くと、園子温映画を一行で解説するのはほぼ不可能だ。「自殺サークル」「奇妙なサーカス」「紀子の食卓」・・・はっきり言って、誰かに「どんな映画ですか」と聞かれても、コトバに詰まる作品ばっかりだ。なので、福田は大抵の場合「とにかく面白いから、見て!」これしか言わない。それが園子温映画を一行で説明する(説明してないけどなw)最良の方法だし、園子温映画は、まずとにかく、本当に「見なきゃ分からない」。この「愛のむきだし」もまさにそういう作品なので、この映画を見よう、と思っている人は、観る前にこの先を読まないほうがいい。というか、読む必要がないw。でも、見ようかどうか迷っている、という人は、是非読んで、面白そう、と思ったら、是が非とも劇場で見て欲しい。237分、という長丁場こそ映画館の為にある「持続」で、自宅でDVDで見ようとしても多分必ず何らかの邪魔が入るだろう。集中して見るには劇場しかない。そして、集中してみれば見るほどこの映画の面白さは増す。極端な事を言えば、近所の映画館でやっていなければ、東京に見に来るべき。え、マジかって?マジですw。この映画、それほど面白い。
以下、前半部分のストーリーを解説。なので、激しくネタバレです(^-^)。ご注意。

敬虔なカソリック信者の父と母の元に生まれた主人公のユウは、美しい母が毎日マリア様に祈る姿をこよなく愛し、「いつかユウくんのマリアさまをママに紹介してね」という母の笑顔を胸に深く刻み、幸せな毎日を送っていた。しかし、神様という存在は昔からこういう敬虔な信者にこそ試練を課すもので、最愛の母はまだ幼いユウを残してあっけなく病死。父親テツは妻を亡くした悲しみからより信仰を深め、カソリックの神父になる。ユウはそんなテツを慕い、尊敬し、父子二人だけの時間は静かに流れていくのだが、ある日、教会でのテツの説教を聴いて号泣する女サオリが現れ、事態は急変。奔放で、まさに「愛むきだし」のサオリはテツを「誘惑」し、彼はそれに応えてしまう。カソリックの神父なのに「愛むきだし」になっちゃった彼はユウと二人で暮らしていた神父専用の寮を退出、古い民家を借り、そこで、新たな暮らしを始めた・・のもつかの間、戒律によって結婚を禁じられているテツの態度に業を煮やしたサオリは、わずか三ヶ月で家を出て行ってしまう。最愛の父親をサオリに獲られ沈んでいたユウはこの破局を喜ぶが、これをキッカケに、穏やかな人格者&聖職者だったテツは、ユウを毎日懺悔室に呼び出しては「お前が今日犯した罪はなんだ!?」と詰問するようになる。しかし、とにかく「素直で優しく清らかに」育ってしまったユウ、いくら思い返してみてもなんの「罪」も犯してはいない。「神父さま、僕はなんの罪も犯していません」と答えるユウに、神父テツはこう言い放つ。「何の罪も犯していない、というその考えが、お前の最大の罪なのだ!!」素直なユウは愕然。とにかく、なんとか「罪」を犯さなくては!と、彼なりの「罪」を重ねはじめる。でもそれは、「授業中友達が落とした消しゴムを返さずに千切る」「道端のアリンコを踏む」「小さい子供たちに取ってと頼まれたサッカーボールを、あさってのほうに蹴る」という程度のもの(このあたり、すげえ笑える)。懺悔室で自分の罪を告白しても、父は「私をバカにしているのか!」と激昂するだけ。かくしてユウは父親が認めてくれる=神が赦してくれる「罪」を犯すべく、学校の不良仲間に「弟子入り」し、些細な「罪」を積み重ねては毎日父親への懺悔を続けるのだが、なかなか「満足のいく罪」を犯すことが出来ない。そんなユウの様子を見かねたワル仲間の一人が提案する。
「おまえ、神父が一番イヤがる罪ってなんだかわかるか?」
「??」
「エロだ!!」「エロ・・・・」
「そうだ、ヘンタイだ」「ヘンタイ!?」
ユウの頭の中に影もカタチもなかったその言葉に導かれるように、彼はナゾの「盗撮王」(なのかなー・・)の老人に弟子入りする。そして、デジカメを片手に、街行く女の子のスカートの下を撮りまくる盗撮技=ほぼカンフー技の修行を始める。ここでユウが繰り広げる「盗撮殺陣」は爆笑。ユウ役の西島くんの動きが素晴らしい。そして、ユウは盗撮の「罪」を父に告白・・・すると、初めて父は本気で激怒、ユウをぶん殴る。やった!ついに父親との絆を取り戻したユウは大喜び。ヘンタイ!これこそボクの求めていた「罪」だ!!こうして、素晴らしい運動神経のユウの技は、父親への「愛むきだし」の歓喜の中でどんどん磨かれ、そのうち不良仲間たちが逆に彼に弟子入りし、彼はみるみる「盗撮のカリスマ」となっていく。しかし、どんなに盗撮を繰り返しても、ユウはどんな「性的興奮」を得ることがなかった。なぜなんだ?なぜボクは、みんなのように「勃起」しないのか。ひょっとしたらボクは、「ぼくのマリアさま」を探しているだけなのか・・?盗撮を繰り返せば、いつか「ぼくのマリアさま」に出会えるだろうか・・・?こうしてさらに「罪」を重ね続けるユウに、ある日テツが満面の笑顔でこう言う。
「おまえに、会わせたい人がいるんだ。」
まさか、またあの女!?と思ったユウの予感は的中、父親を惑わせたサオリと街でバッタリ出くわす。やっぱりだ・・あの女が戻ってきた!!ショックを忘れようと、仲間との遊びに没頭するユウ。負けたら女装して街に出て男をナンパする、という他愛のない賭けに負け、なぜか「女囚さそり」のコスプレ(爆)で街に出ると、一人の少女と街のチンピラたちの大立ち回り(じつはこの立ち回り自体がある人物によって仕組まれたものなのだが、そこまで書き出すとキリがないであえて割愛w)に遭遇する。何故かメチャクチャにケンカが強いその少女と、盗撮修行で鍛えた「さそり」ユウの強力タッグは、激しい戦いの末、敵を完全撃破。「ありがとうございます!」ユウに感謝する少女。その時、一陣の風が、少女のスカートを捲くり上げた。瞬間、ユウの中で爆発が起きる。「マリアさまだ!!」少女もまた、思わぬ助っ人となった女性「さそり」に恋してしまう。実はこの少女ヨーコ、舞い戻ってきたサオリの娘(ただし、サオリの昔の男の娘で、血のつながりはない)。こうして、物語は一転、こんな恋はヘンだ、私はヘンタイだ、と思いつつも「さそり」に恋焦がれる自分を抑えきれないヨーコと、ついに見つけた「マリアさま」=ヨーコが大好きなのに、自分が「さそり」である事を言い出せないユウとの同居物語、という「愛むきだしのラブコメ」に変貌する。巧いなあ・・・しかし、それもつかの間、サオリへの愛ゆえにカソリック神父の職を辞そうとするテツ、ヨーコへの愛に悶々とするユウ、そして、神さまより自分を選ばせたいサオリと、さそりに恋したヨーコ・・・要するに、全員「愛むきだし」状態の「新しい家族」に、謎のキリスト教系カルト教団「ゼロ教団」の魔の手が迫り(年代的に、この書き方、燃えますw)、映画は一気にシリアスなトーンへ。そして、どうやって幕が引かれるのか全然予想のつかない怒涛の30分へと突入。暴力と混沌と激情が支配するクライマックスを経てたどりつくラストカットが語るものは何か。この「幕のひきかた」に関してはあえて書かないが、少なくとも観客は、チラシに書かれた「無敵の純愛エンタテインメント」というコピーは全然ウソじゃなかった、と納得するだろう。
どう、見たくなったでしょ?

4時間近い上映時間に、大胆さともどかしさ、下世話さと品格、笑いと恐怖、優しさと残酷さが、まさに怒涛のごとく去来する傑作。映画作家としての天性のリズム感、的確かつ一切のブレも「枷」もない表現技法を以って園子温が描こうとしているのは、常に「家族」の問題、そして、人のつながりである。実はこんなに描くテーマが一貫している監督は稀有であって、その点からだけでも、この作家はもっと色々な場所で語られねばならない。この映画の中に何度「食卓」のシーンが登場するか、そしてそれは、あの忌まわしい「恋空」の食事シーンとなぜここまで違うのかを検証してみる、というのも、ひとつの楽しみ方だろう。
キャスティングも素晴らしく、特に、ユウを演じる西島隆弘、ヨーコを演じる満島ひかりの二人は、存在感、演技、両面において素晴らしいの一語に尽きる。この二人のおかげで映画には常にどこかサワヤカな風が吹いている・・・オエ、なんだこの表現w。でもまあ、ホントにそう思うんだから仕方がない。西島くんだから盗撮殺陣も女囚さそりも見事に「あり」。満島さんは「コリント書」の一節を延々絶叫する3分くらいのワンカットシーケンスが圧巻。素直に圧倒された。というわけで、ホントはどうでもいいんだけど、今年の「日本アカデミー賞」でこの二人が主演男優賞、主演女優賞を獲らないんだったら、「日本アカデミー賞」の存在意味は皆無・・って、まあ、もともと皆無かw。とにもかくにも。「盗撮」とか「ヘンタイ」とかいう「お下品」なコトバを元手に、愛と宗教をテーマにしたこんなに長大で感動的な「ホームドラマ」を撮ってしまう園子温はほんとうに天才。「ICHI」が最低で「252」がどうしようもなく「20世紀少年」がダメダメでも、日本映画は
園子温がいる限り大丈夫。

☆☆☆☆


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ