2009/3/31

お詫び  ライブ
きたる5/21に予定しておりましたトークライブ「裕福バカデミア学園・九州校 開校式」ですが、まったくもって福田の個人的事情により、延期させていただくことになりました。現状、替わりのスケジュールは立っていませんが、なんとか年内には実現したいと思っております。ほんとうにごめんなさい(> <)その節はどうぞよろしくお願い申しあげますっm(_ _)m

2009/3/30

水道橋  ライブ
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3/29は水道橋でBeatNutsのライブがあった。反対側の出口で出てしまい、ちょい迷う。

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こっちで降りればよかったんだよなー。実は、福田が通っていた竹早高校は
ここからも歩いて行ける。たまに、学校の帰り、友達やガールフレンドと
ゆるゆる後楽園のあたりを抜けて、水道橋駅のこっちの出口まで歩いた記憶あり。

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けっこう繁華街から離れたところにある「東京倶楽部」。
基本的にいわゆるJAZZ系のライブハウス。

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夜になると、それなりに雰囲気ありw。

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福田はもともとJAZZは好きじゃない・・というか、もうちょっと正確に言うと、JAZZという音楽そのものが嫌い、なのではなく(まあ、大して好きではないのは確かだが)、「JAZZという音楽の周辺に存在する様々な記号」が好きじゃないのである。それは例えば、グラスに注いだバーボンだったり、オシャレな男女の会話だったり、タバコの紫煙だったり、都会のイルミネーションだったり。なんだか知らないが、そういう記号に対して、福田はイラっとするw。もうちょっと端的に言うと、かつて一世を風靡した「わたせせいぞう」的な世界観に対して、ムカつくのである。なんでなのかよくわからないが、多分そういったものは、怪獣やホラーと完全に対極だからだろう。なのに、福田はこういう店に出演して演奏したりする。人生は不可解である。

2009/3/30

キム・ヨナってすごいなー  スポーツ
普段はフィギアスケートなんて見ないんだが、たまたまTVをつけたら、ものすごいスケーティングをしている東洋人の女子がいて、完全に見惚れた。とにかくスピードがすごいし、表現がシャープ。ジャンプも素晴らしい。かつ、全体の演技が艶やかで、いい意味で色気がある。エンディングまで、ほとんど瞬きも出来ない感じで見てしまった。なんじゃこの女子、日本人にこんな選手いないよね、と思ってたら、韓国のキム・ヨナという(・・なんて書くまでも無いほどのスーパースターらしい:無知w)選手だった。日本の浅田真央の演技は何度か見たことがあるが、ちょっと総合的に「表現者としてのレベル」が違うんじゃね?そしたら、なんだか物凄い点数が出たらしく、会場もTVも大騒ぎになってました。あとで調べたら、浅田選手と同い年なんだってね。とにかく、まだまだ若いのに、あの表現力はすげえ。これから彼女の出るスケートの試合は見ることにしようっと。

2009/3/28

花冷えにも程がある  
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潔く花が散りきって

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白木蓮はどんどん終わり

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交代要員としての桜の出番を待っているんだが、「開花宣言」以来、季節は冬に逆戻り。これじゃ咲こうって言ったって咲けないよなー。

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一分咲きの桜の古木から、枝も介さず伸びる蕾。

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こっちは咲いてる

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寄ります

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大森林を睥睨(へいげい)する巨大花に見立てて見るのが正しい。

2009/3/25

今日は  映画
朝9時30分から井口監督新作のオールスタッフミーティング。

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映画関係の人間は平然と朝から動く。ミュージシャンだったら、
こんな時間に新宿に集合と言われても、多分誰も来ない。
映画関係者がエラいのか、単にミュージシャンがダメなのか(多分、後者)。
それにしても眠かった。

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公式の情報開示が始まるまで、福田のブログでのタイトル発表は
出来ないのでモザイク。まあ、井口監督のブログなんかではばんばん
発表してるんですがw、一応プロデューサーからの指示ということで。
撮影開始は今月末から。公開は夏ごろの予定。
少なくともシナリオを読んだ時点では壮絶に面白い。乞うご期待!

13時、オールスタッフ終了。その後、向ヶ丘遊園のスタジオでBeatNutsのリハ。結構疲れた。

2009/3/24

佐々木誠 ロングインタビュー01  インタビュー
3/16。前回の氏へのインタビューからちょうど一ヵ月後。2月末から3月初旬にかけてアメリカ ロサンゼルスの南カリフォルニア大学の招きで「Fragment(フラグメント)」の上映とティーチインを行った佐々木誠氏(以下、MS)と再会。

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いわゆるインタビュー記事の構造としては極めて異例だが、「Fragment(フラグメント)」という作品の内容、佐々木氏の履歴などを語る前に、まずは現状、この作品そのものが「いま」置かれている状況そのもの、についてのインタビューを掲載したい。
そのため、佐々木氏に関するさまざまな来歴や出来事が「既知のもの」として会話が行われている場合が多い。あきらかに不明と思われる部分については最低限の注釈を補すが、詳細に関しては今後の「遡って」のインタビューで補完していただければ幸いである。

3/16

YF:おかえりなさい。どうでしたか、アメリカでの「Fragment」への反応は。

MS:とてもよかったです・・と言うか、自分が想像していた以上に正確に見てもらえたし、深いところまで見てもらえたっていう感じがありますね。

YF:それは素晴らしい。今回の招聘はそもそもどんな経緯で決まったんですか?

MS:USC(南カリフォルニア大学)で日本文化論を教えているローリー・ミークスという教授・・・ものすごい美人の教授なんですが(笑)、彼女がたまたま渋谷のアップリンク(註:「Fragment」の上映館)で「Fragment」を見てくれたのがキッカケです。

YF:なるほど、日本文化論を教えてる人だったら反応するよね、この作品には。上映は教室とかで?

MS:いえ、USCにはすごい映画館がありまして、そこで。

YF:映画館があるの!?大学の中に?

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USC構内にある映画館の正面玄関。

MS:そうなんですよ。スピルバーグとかそのへんの大物映画人の寄付で作られたらしいんですが(福田註:かつてスピルバーグはUSC志望だったが、学業成績が芳しくなく入学できなかった)、ほんとうに立派な劇場でびっくりしました。でも、「Fragment」の上映の日が、アカデミー賞授賞式の日だったんですよ。

YF:うわあ、そりゃキツい(笑)

MS:(笑)ですよね。これは絶対お客さんなんか来てくれないだろう、ガラガラだろうと思っていたら、なんと300席が全部埋まって満員でした。

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YF:すごい!そりゃあ嬉しかったでしょう。客層はどんなでした?やっぱり白人が多かった?

MS:いえ、東洋系、ヒスパニック系、白人、黒人・・・人種入り乱れてました。黒人の数は多くなかったですが。

YF:理想的な状態じゃないですか・・・福田は、アカデミー賞授賞式って、なんだかんだ言ってもやっぱり「所詮は白人のお祭り」って感じがしてるんで、映画のイベントとしては明らかにアカデミー賞に勝った感じ?(笑)観客の反応は具体的にはどうでした?ここは明らかに日本とは違うな、みたいな部分は。

MS;そうですね、僕が意図的に笑いを取ろうと思って入れた部分にすごくストレートに反応してくれていたのが嬉しかったですね。例えば、井上実直が100日荒行に入る前に、食べ収めみたいにいろんなケーキをパクパク食べまくっているシーンとか、ニューヨークで僧衣を着た実直くんと井田さん(註:「Fragment」で井上実直氏とともにグランドゼロで祈祷を行う僧侶)が、「パフォーマンスと間違われないないだろうな」とブツブツいいながら歩いている姿なんかが素直にウケてました。

YF:上映後のトークも盛り上がりましたか。

MS:映画学科の教授や、宗教学の教授たちとトークして、とても深い話になりました。映画学の教授が、「Fragment」というタイトルはつまり、さまざまな断片を集めて世界を再生していくという意味なんだね、と言ってくれて、これは僕にとってはいい意味で予想外の表現で、なるほどそういう捉え方もあるんだな、と。ただ、会話はあくまで通訳を介しているので、思っていることを全部は話しきれなかったし、多分、教授のみなさんの話も通訳のかたが全部は訳しきれていなかったと思います。

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YF:でしょうねえ。で、この上映会のあと、さらにオファーがあった、と。

MS:ええ、USCでの上映を見てくれたカルフォルニア大学の教授の招きで、後日、カリフォルニア大のサンタバーバラ校とリバーサイド校の2校で、2007年制作の短編の「マイノリティとセックスに関する2、3の事例」を上映しました。この時は、それぞれ50人ぐらいずつに見てもらいました。この時のリバーサイド校の教授は、もう日本語ペラペラなんですが、彼はこの映画の素晴らしい理解者でした。「きみの映画は、ハイパーテキストだね」と言ってもらえたのが凄く嬉しかったですね。

YF:ハイパーテキスト。

MS:ええ、つまり、作品のどの部分からもなんらかのテキストが取り出せる、どのシーンにも問題提起がある、ということらしいです。これは嬉しかった。

YF:素晴らしい褒め言葉だねー。的確に佐々木誠作品の本質を突いてるって言うか。
例えば「Fragment」って、作品の中心に描いている対象、要するにそれは「井上実直」という人物なんだけど、彼に対して、徹底的に客観的だもんね。常に一定の距離を置いて、その距離感が最後の最後まで変わらない。その客観性、クールさにおいて、とても正確に、「客観的に」意味が切り出しやすいんだよね・・・これが、ガァっと主観的になっちゃうと、その瞬間にテキストも変容して、問題の中心点がブレる。異質なものが出てくる。

MS:でも、熱いっていうか、そういう部分がなさすぎる、ってよく言われるんですよ。だからなのか、この作品、いわゆる「ドキュメンタリー映画」界からは完全に無視されています。

YF:え?本当に?

MS:はい、いわゆる黙殺、に近い状態ですね。結局のところ、この映画でおまえは何が言いたいんだ、と、よく言われます。

YF:要するに、なにも結論が出てないじゃないか、って事?うーん、それは困ったなあ。この映画、音楽もナレーションも一切入れずに、ただ淡々と事実だけを追っていって、最終的にはいわゆる「結論」を何も出さない。見た人に全部をゆだねちゃう。それこそがこの映画のドキュメンタリーとしての面白さだし、誠実さだと思うんだけど。

MS:そういう風に見てくれる人とそうでない人が真っ二つ、ですね(笑)。例えば、いわゆる映画関係の人には、評論家含め、結構否定的に言われる事が多くて。逆に、デザイン系とか、福田さんみたいに音楽系のかたからは、評価していただくことが多いんです。
僕自身は、この作品を撮るまで、いわゆる「ドキュメンタリー映画」というものを作ろうと思った事は一度もなくて、一番好きな映画は実は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」なんですが(註:佐々木氏の映画作家としての志向性に関しては、別のインタビューを後日掲載する)、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」って徹底的に主人公マーティに関して客観的なんです。実はマーティのクローズアップが一度もないとか、異色のハリウッド映画なんですね。マーティは常に「誰か」「何か」に影響を受けて物語がすすんで行くし、そもそも「主人公の心理」が描かれない。あのテンポに影響受けているのかなぁと勝手に思いました。つまり、「ドキュメンタリー映画」を作っているのに、エンタティンメントの王道みたいな映画から影響を受けてる、というあたりが、いわゆる「ドキュメンタリー」のカテゴリーからはじかれてしまう一因なのかなあと。

YF:うーん、どうだろう。この作品が「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の影響下にある、っていうのは、多分、作者にしか分からないことなんじゃないかなあ・・少なくとも、福田としては、前回佐々木さんから、いままで見てきた映画の履歴とか好きな映画についてのお話を聞くまでは思いもしなかったことだったし。むしろ、テーマの設定の仕方とか、そういう事で引っかかってるのかも。例えば、今まで、映画評論家とかに、仏教の坊さんをアメリカに連れてく、っていうテーマ設定がそもそも安易だ、とか言われたことない?

MS(笑)ありますねー。結構、そういうノリはあります。

YF:やっぱりなあ・・・なんだか、絶望的になるね。「アメリカに坊さん」で何が悪いんだろうなあ。問題は、そこから何を語ろうとするか、その意思であってね。日本人って、方法論にかまけて本質を見失うっていうか、方法論の評価が先で、その先は知らん、みたいな事を言っちゃう傾向がある。福田は、そうじゃねえだろう、と思うんだよね。アメリカ人のほうがストレートに物事を見る部分が明らかにあって、「Fragment」に関しては、そういう見方をしないと見えてこないものがたくさんある。そういう意味では、日本でよりアメリカを含め、海外でのほうが、「正しく」評価してもらえるかも知れないね。今後は、アメリカでの更なる展開、みたいなことは考えてるんですか?

MS:まだ特に具体的な話はないんですが、今後もこの作品を持って海外に行くことはあると思うので、とりあえず今は、英語をもっとちゃんと勉強しておくかと。やっぱり、通訳ごしだ限界がありますからね。

つづく



2009/3/24

3/22  ペット
お彼岸で父親の墓参り。実家の近所に住んでいる妹の家へ行き、久々に猫と遊ぶ。

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妹の家の飼い猫は全部で三匹。この子たちが、今年で7歳のチャパ(奥)とベル。
両方とも女の子。

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チャパ。目が大きくて実にプリ。

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目も大きいけど実はお腹も大きい・・妊娠してるとかそういう意味ではなくw。

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ベル。

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で、この子が今年で2歳のギン。唯一の男の子でやんちゃ。実は妹の末娘(18歳)にしかなついていないのだが、好奇心は旺盛なので、かまうと一応寄ってはくる。

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うー、カワユス。

昔、福田は犬のほうが好きだった。板橋に住んでいた子供の頃、捨て犬だった雑種犬を二度飼ったし(二匹とも逃げ出して最終的には行方不明・・今でも反省している)、大学時代、鳩山村に住んでいた頃は、デカくてボケなかわいい雑種犬に「レグ」(エルトン・ジョンの本名・レジナルド・ケネス・ドワイトの愛称)と名づけて飼っていた。ネコはなんだか気味が悪くて好きじゃなかった。まあ、「ネコが気持ち悪い」と考え始めた最大の要因は、幼稚園の頃雑誌で読んだ「三味線屋に生まれた赤ちゃんの額に猫型の痣が!!」みたいな記事なんだがw。でも、ある日、妹が捨て猫を自室でこっそり飼っている事が、妹の足中にびっしりついたノミの刺し痕から発覚。怒り狂う母親の前に彼女が連れ出してきたチビネコの可愛さに、福田は一撃でやられた。そして、それまで大のネコ嫌いを公言していた母親も、しかたなく与えたエサにムニャムニャと文句を言いながらかぶりつくチビ猫の愛らしさに一瞬でノックアウトされてしまった。「猫派誕生」の典型的瞬間である。

この「ノミ事件」で存在が明らかになったチビ猫は、その後、「キー坊」(当時福田が大好きだった「サウス・トゥ・サウス」というバンドのボーカル・上田正樹氏の愛称)と名づけられ、玄関のゲタ箱の上がお気に入りで客が来ればだれかれ構わず思いっきり威嚇する、すげえ性格の悪い猫に育った。なおかつ、トイレの場所をちゃんと覚えず、備え付けのヒーターの裏などで頻繁に用を足してしまうおバカ猫だったが、とにかく自然の中を自由気ままに飛び回って、けっこうシアワセに暮らしていたのは確かだ。
その彼が一歳になろうというある冬の日、耳の後ろからダラダラと血を流して帰ってきた。村の「猫社会」を牛耳るボス猫と喧嘩をしたらしい。どんな猫も「子猫」のうちは絶対に傷つけられる事はない。つまりキー坊は「オトナ」として、ボス猫と対決したという事だ。血を拭きとってしばらくすると出血は止まったが、耳の後ろには、深くはないがかなり大きな傷が見えた。我々の心配をよそに、キー坊はそのまま眠ってしまった。翌朝、彼はすっかり元気な様子で、ドアを開けろ、と鳴き、颯爽と表に出て行った。そして、二度と戻ってこなかった。
その日、猛烈な猫同士のケンカが目撃されていた。キー坊はボス猫に再戦を挑んだらしい。そして、多分、やっぱりキー坊は負けたのだ。猫は人の知らないところで死ぬ、という。彼は致命傷を受け、どこか、我々の知らない場所で死んだのだろう。もちろん、我々はキー坊を捜しに出た。しかし、当然のように、彼の姿はどこにもなかった。

それから約1年後、妹がデパートのペット売り場で「3,000円」でたたき売りされていた雑種の猫を買って来た。和猫と毛の長い種類の洋猫(多分、メイクーン)が混じった、ぬいぐるみのようにかわいい猫だった。彼女はその猫に、また「キー坊」と名づけた。「初代」のキー坊とは似ても似つかない、落ち着いたおっとりした大型の美ネコに育った彼はしかし、やはり1歳になりかけた時、ボス猫に挑戦する為に家を出、そのまま帰って来なかった。キー坊の足だけが草むらに転がっていた、というようなかなりマユツバな、しかし、完全に否定する理由もない情報を受けて、またあちこちを探した。しかしやはり、キー坊の姿はどこにもなかった。どうやら彼がもう生きていないことだけは確かなようだった。

その約2年後。板橋の祖母の家で従兄弟達に英語の家庭教師をしていた福田は、道すがら、白黒ブチのブサイクな子猫を拾った。衰弱して声も殆ど出ず、ゼンマイの切れかけたオモチャのように動くその猫をバスケットケースに入れ、その日は祖母の家に泊まった。枕元に置いたバスケットから聞こえる弱々しい声が、時折ぱたっと聞こえなくなる。そのたびに不安になってフタを開ける。一応息をしている子猫を見て、安心してフタをしめる。しかしまたしばらくすると不安になって開けてみる。こんなことを繰り返しているうちに朝になってしまい、その数日前から風邪気味だった福田はほぼ40度の発熱。自分も瀕死になりつつw、死にそうな猫の入ったバスケットを抱えて鳩山に帰った。
今だったら、この猫はいったん獣医に連れて行き、寄生虫やノミの駆除などをするのだが、当時はそんな考えは毛頭なかった。田舎に連れて行けば元気になるだろう、と確信していたのだ。で、実際、その考えは(たまたま)正しかった。瀕死の子ネコは、草木の間を遊びまわりながら、どんどん元気になった。鼻のあたりの黒ブチを見て、福田は彼を「デン助」と命名した。デン助は人懐こい、穏やかな性格のネコに育ち、家族の誰に対してもよくなついた。頭もよく、トイレのそそうなどはもちろん一度も無かった。彼は三匹目にして、家族に最も愛された猫、になった。そして、我々が「覚悟」を決める事を余儀なくされる時期がやってきた。デン助が1歳になる時。ボス猫へ挑戦する時だ。過去二度の経験から、この時期を迎えるのが本当にに恐ろしかった。彼を家に閉じ込めておくことも考えた。しかし、いったい、いつまで閉じ込めておけばいい?第一、自然の中を飛び回って育ったデン助を、いきなり家の中に閉じ込めることなんてできっこないし、するべきじゃない。彼は、俺に拾われてこの家に連れて来られ、表を駆け回って自由に育ってしまった限り、ボス猫と戦うしかないのだ。
そして遂に「その日」が来た。デン助は怪我をして帰ってきた・・・しかし、血の流れている場所がキー坊とは明らかに違った。シッポのあたりなのだ。ケンカをはじめたはいいが、ビビッて背中を向け尻を引っかかれたらしい。いいぞ、こいつ、いい感じで「臆病」じゃん!希望が見えた気がした。こいつ、死なないかも・・・!この予想は当たった。彼はその後もしつこく挑戦を繰り返し、決して致命傷を負うことなく逃げ帰り、また挑戦し、また逃げ帰る。このネチっこい挑戦を経て、彼は最終的に、ボス猫を駆逐してしまった。かくしてデン助はその後10年以上、ボスとして鳩山村の「猫社会」に君臨しつづけた。挑戦を受ける側になったデン助は、片耳の半分を食いちぎられつつも、二度と尻に怪我を負ってくることはなかった。

やっぱり、ネコはいい。

2009/3/22

告知  ライブ
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よろしくっ!!(ポスターはクリックで拡大できます)

2009/3/22

なんだか、無常  芸能
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最近知り合いになった印刷会社の方から、その会社の「仕事のサンプル」として2週間ほど前にいただいたCD。引き出物のひとつだったそうな。

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開くと、こんな。すごーくよく出来てます。ああ、無常。

2009/3/21

いろいろ記憶がない  
探し物をすると、必ず目的とは関係のないものが出てくる。日頃、そういえばあれはどこへやったっけなあ、とか考えているものがひょいと出てくる。「マーフィの法則」(ナツカシス)にこんなのあったっけ?

というわけで、また整理してない写真の束が出てきた。

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多分、1994年頃だと思うんだが。かなりサイド刈ってる。あんまり記憶がない。

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髪の毛のシッポの生やし始めの頃。どっかの専門学校で夏期特別授業をやった時の写真なんだけど、95年とかかも。あ、もちろんウクレレの講義じゃなくw。この当時、福田はウクレレを肌身離さず(カバンにケースごとくくりつけて)持ち歩いていたのであります。しかし、この講義とウクレレがどうからんだのかは、全く記憶なし。

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こんな写真、存在すら忘れてたw。猿岩石がゴールした、ロンドンのトラファルガー広場で放送終了後の記念撮影。この放送は1996年の10月下旬。ってことは明らかに上の写真より後だから、福田はいったんサイドすげえ刈り上げたあと、また元に戻してるんだなあ・・・うーん、記憶がない。この時点でシッポがあるのかどうかも完璧に忘れた。


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これは爆笑w。実際に「モヒカンリレー」でお客さんをモヒカン刈りにしてる写真って、殆どないんだよなー(ビデオはたくさんあるんだが)。多分、1999年の広島か東京立川。キーボーディスト二人がかり!・・と思ったら、小島はバリカンじゃなく黒と赤のマジックを持ってる。そういや、この時、小島が何か地肌にムチャクチャ描いたような記憶があるようなないような。あれ?単にサインしただけだっけな。ダメだ、これまた覚えてない。それにしても福田痩せてますなー。今より10kgくらい軽いんだから、そりゃ細いかw。

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これは「OMR」制作の真っ最中の頃。連日の作業続きで全然体を動かしてないから、とってもぷくぷくw。ところで、福田が満面の笑みで握手しているこのかたは誰でしょう(さすがに福田、それは覚えてます)。


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