2010/1/17

歌舞伎町の映画館が  映画
とにかくどんどん消えていく。

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もう随分前に閉館したコマ劇場と新宿プラザに続いて

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プラザのあったビルを背中にして右側のこのビルでも

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4つの劇場が閉館。

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その真向かいにあるこのビルでも

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3つの劇場が閉館。ウワサでは、今年、ミラノ座もなくなるらしい。

そうなれば、もう歌舞伎町のこの界隈に来る事もなくなるだろう。
「街」はこうやって変わっていく。
寂しいとかそういう以前に、なんというか、21世紀に入って、
ホントにもう10年が経ったんだなあと実感。

2010/1/17

かいじゅうたちのいるところ  映画
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幼い少年が、不思議なかいじゅうたちの住む島で繰り広げる冒険ファンタジー。
例えばそう思い込んでこの映画を見ると、多分見事に肩透かしを食らう。この肩透かしによって、この映画は、単純に「理解しがたい映画」と評価されてしまう惧れすらある。なので、敢えて、ネタバレを書く。もしこの映画を「明快な冒険ファンタジー」として見ようと考えていた人は、是非、このネタバレを読んでから映画館に行って欲しい。もちろん「この映画をそんな風には考えてなかった」という人は、鑑賞後にお読みくださいw。

主人公のマックスは9歳。幼年期と思春期のはざまにいる。
何も考えなくても暖かだった世界の微細な歪みを感じはじめて、日々落ち着かない。理由もなく激昂する気持ちを押さえられず、飼い犬を執拗に追い掛け回してみたり、最近遊びの相手をしてくれなくなった姉やその友達にいきなり雪合戦を仕掛け、手ひどい反撃をくらって、大泣きする。もちろん悔しさ半分、甘え半分の大泣き。しかし、それでも彼を無視、黙って友達と出かけてしまう姉の部屋に行って、自分が姉にあげたプレゼントをメチャクチャに壊すマックス。マックスが感じている、平凡だが切実な孤独や焦燥の描き方が見事。手持ちカメラによるシャープな撮影と巧みな編集が、マックスの心理を的確に表現していく。離婚し、いわゆるキャリアウーマンとしてマックスと姉二人の子供を抱えるママはなんとか子供たちと向かい合おうとする努力は惜しまない「いい母親」だが、日々の疲れから、マックスの「多動ぶり」に時折ついていけなくなり、ある夜、ついに爆発。マックスは家を飛び出して夜の住宅街を走り出す。追いかけるママ。
よくあるパターンとしては、ここでマックスが車にはねられるなど、なんらかの「事件」をキッカケに、ファンタジーパートに移行したりするのだが、そういった普通の展開は一切ない。
走るマックスは唐突に、木立のむこうに海を見る。木立を抜けた岸辺にはちいさなボートが停泊している。マックスはそれに乗って、海原に漕ぎ出す。そして、荒れる海を越えて、ちいさな島に到着する。リアルとファンタジーの境目は全くない。これがマックスの「夢」なのか「現実」なのかは一切説明されない。まるで、「幼年期の精神の運動」そのもののように、映画は展開する。

島に到着したマックスは、なにやら大騒ぎしているかいじゅうたちを目撃する。
バカでかいキャロルが、家を壊している。仲間たちはなすすべもなくそれを見ている。
その豪快な破壊っぷりに共感したマックスはキャロルといっしょに家を壊し始める。
かいじゅうたちはあっけにとられ、訝しげにマックスに歩み寄り、「お前はだれだ」と問い詰める。
「食うぞ!」
「そんなことできるわけないよ!僕は王様だ!だから食べられない!」
驚くかいじゅうたち。
「ぼくはなんでも出来るんだ!」
「・・・ひとりぼっちなのも救えるのか」キャロルが尋ねる。
「できるとも!」
たったこれだけの「説得」と「納得」によってマックスはこの島の「王様」になる。
さてそのあと、いったい何が起きるのか?
王様マックスは、この不思議な島に隠された秘密を暴き、
かいじゅうたちを脅かす敵を打ち倒し、世界を救うのか?
いや、実は「なにも起きない」。
映画はただ、そこに棲むかいじゅう同士の「かいじゅう関係」を淡々と語る。
マックスとかいじゅうたちの交流を淡々と描く。
そう、ここは確かに異世界だが、本来のマックスの世界の写し絵に「すぎない」のだ。
もっとも気難しく乱暴だが一番やさしくもあり仲良しのキャロルは、明らかにマックス自身だし、キャロルが常に愛憎半ばで接する女かいじゅうのKWは多分、姉、もしくはママだ。

確かに、最初はとても愉しかったこのかいじゅうの世界。
かいじゅうたちと転げまわって跳ね回って遊んで、みんなで重なって眠った(このシーケンス、最高!)。でも、この満ち足りて暖かい世界は、あっけなく歪みはじめてしまう。
なぜなのか。
ぼくはほんとうに、みんなと愉しく暮らしたい、と思っているだけなのに。
ぼくは王様で、この世界を支配しているはずなのに。
悩んだ王様マックスは「戦争ごっこ」を計画する。
敵味方に分かれて、泥ダンゴをぶつけ合うのだ(冒頭の雪合戦のメタファー)。
きっと愉しくて、またみんな仲良くなれる!!
・・・・でも結果は、まるで逆だった。
戦争ごっこは、精神的にも肉体的にも、みんなを傷つけてしまったのだ。
あるかいじゅうが言う。
「きみはほんとうは王様なんかじゃないだろう?」
「うん」告白するマックス。「ぼくは普通のこどもだ」
「最初からわかっていたよ。でもキャロルにこのことは言うな」
しかし、キャロルはこの真実を知ってしまう。
激怒するキャロル。「このうそつきめ!食ってやる!!」
でも、お互いにほんとうは大好きだと知っているマックスとキャロル。
そしてマックスは決める。「ぼくは帰るよ」
島の岸辺から船に乗るマックスを見送るかいじゅうたちの中にキャロルの姿はない。
船が何十メートルも岸を離れた時、キャロルが走ってくる。
しかし、すでにお互いが触れ合える距離ではない。
体の半分を水に浸したキャロルは黙ってマックスの船を見つめる(このシーン、ほんとに素晴らしい)。こうして、マックスはもうひとりの自分に別れを告げる。

多分、マックスがかいじゅうの島で学んだのは、世界にはうまくいかないことは確かにあって、でもそれは受け入れるしかない、というとても切ない真実だけだ。それでもぼくは、この世界を好きでいよう。
ほんの少しだけ「成長してしまった」マックスは、いつの間にか船を降り、
ふたたび夜の住宅街を走っていく。家に飛び込む。
ママが待っていた。多分、長い時間。ママは黙ってマックスを抱きしめる。
そして、食べ物をほおばる空腹のマックスを、ママは黙って見つめる。
そのやさしく微笑む表情で、映画は終わる。

間違いなく映画史上に残るクオリティの「キグルミ特撮」を使って、極めてナイーブな「ホームドラマ」を完成させたスパイク・ジョーンズに拍手。すべてがCGによるポストプロダクションだと言う
かいじゅうたちの表情は驚異的で、彼らはほんとうにこの映画の中で生きている。撮影、美術、編集、音楽、どれも実に素晴らしい。というか、
こういう意欲的な作品を作ろうとしてほんとうに作リきった事自体が、なによりも素晴らしい。
「アバター」なんか、どうでもいいw。こういう映画がヒットせな。
福田はもう一度見ます(^-^)/

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