2010/7/17

不精な小学生の夏休みの日記みたいだ  
前回記事をアップして、忙しいのに自転車でコケたりしてたら、もう11日も経っちゃった。いつの間にか梅雨明けだし。

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7/17現在、まだこんな状況。とにかく7/24の姫のライブまでに完治させたいので、
なるべく親指が動かないように添え木して包帯グルグル巻き。クソ暑いのにさー(> <)
でも誰のせいでもないからどうしようもないよなー・・・・強いて言えば、雨にぬれた路面とチャリのつるっつるの前輪(F1のレースカーのタイヤなみw)のせい。
ちなみに、行きつけの整骨院の医師によれば、このところ自転車でコケて骨折する人が毎日のように来るそうな。季節がらかね。俺の場合は、転んだ時に手をついたのが原因のただの打撲なので、まあ不幸中の幸い。でも、正直、左手の親指打撲は、キーボディストにとってはけっこうキツい。治るまで左手を全然使わないのがいいらしいんだけど、俺はPCのマウスを左手で使うんで、そうもいかない。あとコオロギの足切るときに、コオロギを持つのも左手。すげえ掴みにくい。

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なんかいろいろ面倒なので、またゾンビになってみた。これ、写真を撮るとあっという間に3DのゾンビメークをしてくれるIPhoneのアプリ。静止画じゃなくて、口のところに指を持っていくと、ゾンビが指をかじって血が飛び散ったり、あちこちに指を持っていくとちゃんとその方向を向いたりする。すげえ面白い。これだけのためにIPhoneが欲しいくらい。

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先週の日曜日(コケる2日前)、ひさびさにYAMAHAのイベントに出る。
向谷氏とおもにダブルツッコミ漫才しながら、ちょっと一緒に弾く。
USTREAM上のアーカイブ動画が公開中なので、興味のある人はどうぞ(^-^)/
途中、まあ、予想の範囲内だが、楽器の話が全然出なくなって、鉄道と怪獣の話になっちゃったりしてけっこうグダグダですがwww

http://www.ustream.tv/recorded/8208970

なんにせよ、コケたのがこのイベントが終わってからで本当によかった。

2010/7/7

「内容の無い音楽会」をいまさら10倍とは言わないけど2倍くらい楽しむための補足 その3  
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さて、1987年当時、福田にとって「フュージョン」がいかにこっぱずかしい音楽であったか、は分かっていただけたと思うが、パンク、あるいはパンク的なものは大好きだった。このブログでも何度か書いているが、福田はビートルズよりセックスピストルズのほうがはるかに好きだし、同じ「ジョン」ならジョン・レノンよりジョン・ストラマーのほうが好き。でも、この「パンクのモーツァルト」では、パンクを徹底的に揶揄している。何故か。特に理由はない。単に面白かったからだ。この「面白さ至上主義」が「内容の無い音楽会」の根幹にある。それは実は、かなりニヒリスティックで虚無的な感覚であり、「有意味」でウエットな「70年代の空気感」を徹底的に排除する1980年代の空気感と明らかにリンクしている。この曲ではその傾向が特に顕著だ。
「パンクのモーツァルト」は、当初、インストルメンタル曲として企画された。パンクバンドが真剣にモーツアルト楽曲を演奏しようとしたら、ヘタクソすぎてこんなんなっちまいました、というシンプルな笑いを狙ったネタだった。まずは生方がQX1のリアルタイムライトでワザとヘタクソなドラムを打ち込み、それに稲葉政裕がベースとギターをスタジオでダビング、敢えて演奏ミスの有無は問わず、ともにテイク1でOKにした。こうして一応「完成版」のはずの作品を聞いてみたのだが、全然物足りない。
「面白くないね」と生方。「うん、面白くない」と俺。「こりゃボツかな」
すると生方が稲葉に「ねえ、稲葉、なんか、社会的な事歌ってみてよ」
「社会的なこと」と稲葉。「なんでもいいすかね」
「なんでもいいよ、面白きゃ。任せた!」「わかりました!」
そして、いきなり稲葉が歌い出したのが「イジメ イジメ イジメやめろーーイジメ イジメやめろーーー」だったのだ。そのあまりの面白さに、俺も生方も、ヨダレをたらして笑いこけた。歌い終わって稲葉がボーカルブースから出てきた頃には、二人とも笑いすぎてムシの息だったと思う。「いやー、稲葉、天才!!」「面白すぎる!おまけに社会的だ!」「社会的なのって面白いね!」「面白い!」
とまあ、当時福田が一番好きだった蛭子能収のマンガ「私はなにも考えない」を地で行くがごとく、ほんとうになんにも考えずに、ただ面白いかどうかだけを基準にして作られた楽曲がこの「パンクのモーツァルト」なのである。歌詞のテーマである「イジメ」には、実は一切、意味などない。それが80年代の「時代感覚」だった。

つづく

2010/7/6

「内容の無い音楽会」をいまさら10倍とは言わないけど2倍くらい楽しむための補足 その2  
ここで、「フュージョン バトルシップ」に横溢する、「フュージョン」というジャンルへの揶揄っぷりのキツさw、について触れておこう。それをちゃんと語るには、結構時代を遡る必要がある。
わが国で、ロックバンドスタイルで演奏される、ボーカルパートの存在しないいわゆるインストゥルメンタル音楽に対し、「ロックとジャズがお互いに影響を与え合った音楽」の意味で「クロスオーバー」という表現が使われ始めたのは1970年代中期である。それが「ロックとジャズが融合した音楽」=「フュージョン」という表現に変ったのは1970年代末期。福田は二十歳そこそこの音楽青年としてまさにリアルタイムでこの時代を生きていて、1976年頃からインストルメンタルバンドを始め、1978年には「フュージョンバンド」の「夢職人」でYAMAHAのコンテストEastWestに出場している。そんな状況の中、とにかくバカテク!!スゲー!!なんなんだあいつら!!と表されたバンドが「カシオペア」で、デビュー前からその異常なまでの演奏のシュアーさとクオリティの高さは、当時の若手の中では完全に頭一つ抜けた存在だった。その後、彼らが一つの核となって「日本フュージョン界」を形成し、数多くのフォロアーを生んだのは疑いようも無く、曲調や根本的嗜好性は異なるものの、福田とギタリスト斉藤英夫が1980年に結成したバンド「YOU」も、間違いなくその影響は受けて1981年にデビューしている。「YOU」のデビューアルバム「PICKY SLICKER」の一曲目、「May be love」の16beatシンコペーションの多様っぷりは、明らかに「カシオペア」の楽曲のそれを上回っているし、今聞くと妙に「挑戦的」ですらあるw。しかし、明確に「日本フュージョン界」の正統的アルバムたろうとしたこの「PICKY SLICKER」がセールス的に振るわなかったことや、当時どんどん台頭していたニューウェイブや、スタイル的には全く逆だがTOTOなどの「ハイテクなロックバンド」の影響もあり、福田も斉藤英夫も、そしてベースの荻原基文も、16beatのフュージョン、というスタイルにどんどん嫌気がさしていった。実際、「PICKY SLICKER」発表以後のライブで、16beatのいわゆる「フュージョン」楽曲は意識的に排除されていき、約1年後に制作を開始したセカンドアルバム「NaturalBeauty」(最終的には映画「燃えよ!カンフー」のサントラ盤としてリリース)では、その種の楽曲は2曲くらいに減ってしまった。そんな意識の変化と時代の流れの中で、福田の中で「フュージョン」というスタイルは猛烈な速度で「古臭いもの」へと変貌し、「内容の無い音楽会」の制作を始めた1980年代中盤においては、単なる揶揄の対象であり、音楽表現として「(ほぼ絶対に)避けるべきもの」になっていたのである。したがって、「フュージョン バトルシップ」中、曲の展開部分で使用しているあからさまな分数コード(ある音楽が「フュージョン的」であるための一つの最も安易な方法論!)も、実は当時、「うわー、なんつーコードアレンジ!はずかしー!」という大笑いのギャグなのだった。思ったより屈折してるでしょw。
とまあ、こんな風に、明らかに「近親憎悪」的要素も含んだ感情が、「フュージョン バトルシップ」制作の強烈なモチベーションであったことは間違いない。ちなみに、この「フュージョン的表現」への憎悪というか嫌悪感は福田の中でずーーーーーっと尾を引き、自分の中でなんとなーく折り合いがついたのはわずか数年前であるw

2010/7/5

「内容の無い音楽会」をいまさら10倍とは言わないけど2倍くらい楽しむための補足 その1  
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えー、おかげさまで無事再発となりまして。
お買い上げいただいたみなさん、本当にありがとうございます。
再発記念としまして、もう一度このアルバムを根掘り葉掘り解説してみようかなと。
え、再発の前にやればもっと部数が伸びたかも知れないって?
まあ確かに!でも、それをやらないところが福田のすごーくダメなところなので、
ここはひとつ笑って見過ごしてください。

あ、一応宣伝しときますと、「内容の無い音楽会」、少数ながら「大頭屋」での販売が決まりました。今回のSONYさんからの発売で買いそびれた方は是非どうぞ。
詳細はまた追って・・・

というわけで、まずはなにはともあれ、楽曲に関するどうでもいい事柄(なんか、トリビアって言うのが最近イヤでさーw)を順繰りに。まずはどあたまのこの2曲。

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M1、は、なんか立派なタイトルついちゃってますがw、作った時はホントに「旺文社ラジオ講座」(と言ってすぐ分かる人は相当年寄り)っぽいのを作ろう、というだけのモチベーションで。でも、なんでまた「旺文社ラジオ講座」を元ネタにしたのかなあ。全然思い出せないんだよね。「題名の無い音楽会」ってこんな感じのオープニングじゃないし。多分、アルバムのバカバカしい内容とのギャップを際立たせるために、ことさらに「教育的」なイメージを強調しようとしたんだと思うんだけど。ハープシコードの音色は、DX7U用の「生福」に入ってる、生方がプログラミングした音色。この手の生楽器音のFM音源でのシミュレーションは、当時の生方の得意中の得意とするところで、ホントに天才的だった。彼が日本一だったのは間違いなく、ゆえに、世界一。この当時、電子楽器で再現したハープシコード音色としては間違いなくベストの音色だと思う。演奏は、多分、福田がリアルタイムで演奏したものを、いったんQX1と言う機関車みたいに黒くて巨大なシーケンサーに取り込んで細かくエディットしたんだったと。
このアルバムは、ほぼ全曲、YAMAHA QX1をベースに制作されたのだが、今考えると、よくあんなに融通の聞かない動作の遅いシーケンサーでこんなアルバムを作ったなーと。
今だったら、一曲レコーディングしてる最中に発狂するかシーケンサー叩き壊すと思うw。なにせ、ワークメモリが猛烈に小さいので、例えば一度何らかのエディット作業をして、それをプレイバックするたびに、必ず5インチフロッピーへの書き込みが行われる。プレイバックが終わってまたエディットのモードに移ろうとすると、今度はフロッピーからワークエリアへのデータロードが起きる。データの保持、という意味では、ある意味ムチャクチャ安全なのだが、とにかくなにをやっても必ずフロッピーディスクとのやり取りが起きるので、それはそれは動作が鈍いのである。それでも、この当時としてはQX1はMIDIシーケンサーとしては最高峰の製品で、定価は48万円。今だったら、同じ値段でおそらくHD容量1テラ、5コアの最強マックプロが買える。時は流れたのぉ・・・
でも、作業的には、生方がQX1の操作に異常なまでに熟達しており、MIDIキーボードを使わずにシーケンサーのキーだけで楽曲を打ち込む達人だった・・・と書かれてもイメージがしにくいと思うが、要するに、楽器の鍵盤は一切使わず、コンピュータのキーボードだけでどんどん音楽を打ち込んでいく、という事に非常に長けていた(後に、当時生方と福田が経営していた有限会社「タイムベース」に入社してきた18才の浅倉大介くんは、生方のQX1打ち込みを見ていたく感動し、後に生方を上回る速度で楽曲を打ち込むQX使いになったとさ・・・なんか空しいような、楽しいような話)ので、結構サクサクと進んだような印象もある。その生方のQX1打ち込みスキルがいかんなく発揮されているのが、M2「軍艦行進曲 フュージョンバトルシップ」である。
当時間違いなく日本一の人気とテクニックを誇ったフュージョンバンド「カシオペア」の、16ビートのシンコペーションを多用するアレンジを揶揄しまくった失礼千万な作品で、冒頭では生方が向谷実氏のMCのマネまでやっているのだがw、これを聞いたカシオペアのメンバーは笑って許してくれた。みんな心が広くてよかったなあ・・・っていうか、ごめんね、カシオペアのみなさんm(_ _)m
実はこの楽曲、福田がリアルタイムで鍵盤を演奏してデータを取り込んだのはキーボードパート(楽器はDX7U。音色はあえて、DX7用の「向谷実ROM」を使用!)とサックスソロ(音色はAKAIのS900)だけで、ドラム(S900)、ベース(DX7U。音色は7U用の「生福」から)、ギター(確かS900)は全部、MIDIキーボードを使わずにQX1からの直接入力で生方が打ち込んでいる。「ここは神保くんならこう叩くか、くくく」とか「桜井くんベースはこうかな、ウフフ」とか言いながらひたすらQX1のキーを叩き続ける生方の姿は、友人とはいえ、かなり不気味だった。こうして曲の全体像が出来た後、「ドラムソロで観客が盛り上がって手拍子をするが、ドラムのフレーズがムズカしくてついていけず、だんだんズレ、自然消滅する」とか「エンディング近くのギターの異常な速弾きをスロー再生すると君が代になっている」とかの、数回聞いただけではなかなか分からない(「君が代」ネタは多分何度聞いても分からないw)仕掛けをあれこれ入れ込んで完成。「題名の無い音楽会」の名司会者であり、日本有数の作曲家でもあったが、有名な右翼の論客でもあった黛敏郎氏と、超絶技巧バンド「カシオペア」をストレートに皮肉った「だけ」のこの「フュージョン 軍艦マーチ」は、しかしこの後、フュージョンファンにも奥田民生氏にも右翼の街宣車にも愛される珍曲として、日本音楽史にその名を刻んだ(けっこうホントだけどちょっと大ゲサ)。

つづく

2010/7/3

最近 明らかに  
Twitterのせいでブログ不精になってる。あの、ぼそぼそっ書き込んでほおっておける感じって、ホントに凄いと思う。ただ、俺、Twitterでみんなが書く「いまXXXX なう」はなんかイヤだw。別に理由はないけど。「なう」って、なんだかなー・・・

さて、ここのところ、いきなりプリンタが壊れたり、カメぞうがへなへなになって入院したり、福田は福田で酒の飲みすぎで歯が痛くなってほっぺたにシップ貼ったりして(だいたい5日以上連続して夜更かしして酒飲むと左の奥歯の歯茎が腫れるのだ。ここ1年ばかり持病に近い。まあ、あんまり飲むなっていう警告かw)結構イライラな日々が続いていた。昨日あたりからかなり落ち着いたので、ブログもアップしてみるかという気に。

アップし損ねてたネタも結構あって。たとえば

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久々の河崎監督。監督が中野にオープンした「ルナベース」というバーにお邪魔した時の写真。6/19だから、もう半月くらい前じゃん!全然オタ臭のない、普通にオシャレなバーなので、みなさん普通に飲みに行ってみてください。ちなみにこの写真の福田、左頬が腫れて見えますが、この時点ではまだ歯痛はおきてませんw

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これは6/22、YAMAHAの巴与志雄さんというかたの還暦記念&引退パーティ。
左から、実はパク・ヨンハ似の谷口さん、JSPAの大浜さん、巴さん、向谷実氏。
写真に撮ってみると、正直、ああ、時間は流れたのねー、という感じw
ちなみに巴さんは、1978年に福田が「夢職人」というバンドでYAMAHAのコンテストに入賞した直後、初めてバンドをYAMAHAのデモ演に雇ってくれた忘れられない人物。もちろんその後も散々お世話になったのだが、やっぱり「最初にどうこうしてくれた人」というのは忘れがたいものだ。その時、初めてのギャラ(バンドで11,111円)を振り込んでもらうために作った銀行口座が、福田が人生で初めて自分で開いた銀行口座であり、実は今でもその口座が福田のメインの口座である。ほんとにどーでもいい話だなw。
ところで、向谷氏とは、今月の11日、銀座のYAMAHAで一緒にCP1のデモ演をやる。向谷氏も俺も完全にツッコミタイプ、要するにダブルツッコミデュオによるデモなので、演奏はまあ置いておいて、MCがどうなることやらww。

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ちょっとというか、かなり飛んで、6/30。もろもろの打ち合わせでサムシングクリエイションへ。井口監督が7/2からのニューヨークアジア映画祭(NYAFF、略してニャフ・・)で上映するザボーガーの予告編を編集していた。デモ田中氏がナレーション担当で、監督はその場でナレーション原稿を書いたのだが、これがもう本気でヤバかった。その他、テロップの内容といい編集といい、トータル的には本編をはるかに凌ぐ発狂した予告編だ。ま、基本的にニューヨークの映画祭でしかやらないんだから大丈夫・・・なワケないじゃん!!絶対誰かがYOUTUBEにアップするぞ!!うわー、そんなことになって大丈夫なのかどうか知らないけど、みんな、期待して待て!!

さて、というわけで、明日はスーフェス・・・・



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