2010/7/6

「内容の無い音楽会」をいまさら10倍とは言わないけど2倍くらい楽しむための補足 その2  
ここで、「フュージョン バトルシップ」に横溢する、「フュージョン」というジャンルへの揶揄っぷりのキツさw、について触れておこう。それをちゃんと語るには、結構時代を遡る必要がある。
わが国で、ロックバンドスタイルで演奏される、ボーカルパートの存在しないいわゆるインストゥルメンタル音楽に対し、「ロックとジャズがお互いに影響を与え合った音楽」の意味で「クロスオーバー」という表現が使われ始めたのは1970年代中期である。それが「ロックとジャズが融合した音楽」=「フュージョン」という表現に変ったのは1970年代末期。福田は二十歳そこそこの音楽青年としてまさにリアルタイムでこの時代を生きていて、1976年頃からインストルメンタルバンドを始め、1978年には「フュージョンバンド」の「夢職人」でYAMAHAのコンテストEastWestに出場している。そんな状況の中、とにかくバカテク!!スゲー!!なんなんだあいつら!!と表されたバンドが「カシオペア」で、デビュー前からその異常なまでの演奏のシュアーさとクオリティの高さは、当時の若手の中では完全に頭一つ抜けた存在だった。その後、彼らが一つの核となって「日本フュージョン界」を形成し、数多くのフォロアーを生んだのは疑いようも無く、曲調や根本的嗜好性は異なるものの、福田とギタリスト斉藤英夫が1980年に結成したバンド「YOU」も、間違いなくその影響は受けて1981年にデビューしている。「YOU」のデビューアルバム「PICKY SLICKER」の一曲目、「May be love」の16beatシンコペーションの多様っぷりは、明らかに「カシオペア」の楽曲のそれを上回っているし、今聞くと妙に「挑戦的」ですらあるw。しかし、明確に「日本フュージョン界」の正統的アルバムたろうとしたこの「PICKY SLICKER」がセールス的に振るわなかったことや、当時どんどん台頭していたニューウェイブや、スタイル的には全く逆だがTOTOなどの「ハイテクなロックバンド」の影響もあり、福田も斉藤英夫も、そしてベースの荻原基文も、16beatのフュージョン、というスタイルにどんどん嫌気がさしていった。実際、「PICKY SLICKER」発表以後のライブで、16beatのいわゆる「フュージョン」楽曲は意識的に排除されていき、約1年後に制作を開始したセカンドアルバム「NaturalBeauty」(最終的には映画「燃えよ!カンフー」のサントラ盤としてリリース)では、その種の楽曲は2曲くらいに減ってしまった。そんな意識の変化と時代の流れの中で、福田の中で「フュージョン」というスタイルは猛烈な速度で「古臭いもの」へと変貌し、「内容の無い音楽会」の制作を始めた1980年代中盤においては、単なる揶揄の対象であり、音楽表現として「(ほぼ絶対に)避けるべきもの」になっていたのである。したがって、「フュージョン バトルシップ」中、曲の展開部分で使用しているあからさまな分数コード(ある音楽が「フュージョン的」であるための一つの最も安易な方法論!)も、実は当時、「うわー、なんつーコードアレンジ!はずかしー!」という大笑いのギャグなのだった。思ったより屈折してるでしょw。
とまあ、こんな風に、明らかに「近親憎悪」的要素も含んだ感情が、「フュージョン バトルシップ」制作の強烈なモチベーションであったことは間違いない。ちなみに、この「フュージョン的表現」への憎悪というか嫌悪感は福田の中でずーーーーーっと尾を引き、自分の中でなんとなーく折り合いがついたのはわずか数年前であるw


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