2007/5/25

富永まい監督 ロングインタビュー  01  インタビュー
F:ではまず、生い立ちその他、パーソナルな事から伺ってよろしいでしょうか。
お誕生日は?

T:12月12日です。

F:血液型は?

T:A型です。

F:おお、それはなんとなくそういう感じがしてました。
作品の折り目が正しい、っていうか・・ご出身は。

T:東京都武蔵野市です。

F:東京人なんですね。ご家族の構成は?差し支えなければ・・・

T:両親に、三姉妹・・私が長女です。武蔵野市の決して広くない団地で、
それこそ姉妹くっつきあってころげまわって育ちました。

F:正しい育ち方しましたねえ・・・子供ってそれがなによりですよ。

T:そうですねー。私たちのころは、とにかく子供の数が多くて、外で遊んでいても、
とにかくわらわら子供がいる。みんなからまりあって遊んでる感じでした。

F:素晴らしい。好きなTV番組とかは?

T:それが・・・・実は家にTVがなかったんです。

F:えっ!!それって、「紀子さま」みたいじゃないですか!

T:状況的には(笑)。たしか、私がまだ幼稚園だった頃、家のTVが壊れまして。
で、よくは覚えていないんですが、その時、私が友達のうちでTVのワイドショーか何かを見て、確か「中ピ連」(福田註:「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」の略。いわゆる1970年代フェミニズム運動の最右翼とも言うべき存在。当時は、さまざまなマスコミを賑わせた)っていうコトバを覚えちゃって、それを母親の前で言ったらしいんですよ。

F:幼稚園の女の子が、いきなり「ちゅうぴれーん」と(笑)。

T:それが母親にはショックで、こんな言葉をむやみやたらに吐き出すTVなんてものは、家の中になくていいんじゃないか、と。

F:それを機に家からTVの存在が消えた・・・それすごいですね。
ずっと無かったんですか?

T:小学校から中学校にかけて、ほぼ9年間。

F:9年間も!!学校で仲間はずれにはならなかった?

T:それが、あんまり。実際、私のテレビのバラエティ番組の記憶って「ドリフの全員集合」で途絶えてまして(笑)、そのあとの「ひょうきん族」とかはまるで見てなかったんですが、放課後遊んでいると、だれかれなく、こう、流行のアクションをするのを観てそれを覚えちゃうので、結局、番組の細かいことは分からなくても、根っこのところは分かってた、というか、情報の共有が出来ていて、みんなの遊びに参加できてたんですね。

F:なるほど・・・・・それもまた、たくさん子供がいたから出来たんでしょうねー。
富永さんの家にテレビがない、なんてことは、たくさんの子供たちの持つたくさんの現実の中ではほーんの小さな事実になっちゃう。今じゃありえない。学年がひとクラスしかなくて、しかもその人数が20人、とかがザラですからね。

T:ええ、今だったら不可能だと思います。絶対にいじめられるでしょう。

F:・・・しかし、映像作家で、しかも、CM作品もたくさん作られている富永監督がテレビのない家で育った、っていうのは面白いなあ。このネタだけで、今日お話を聞いた甲斐がある。

T:(笑)でも、高校生になって新しいテレビがきた時は、それはもう、ずーーーーっと見てました。ヒマさえあればテレビ、でした。

F:それはそうなるでしょうねえ当然。その頃はちょうど「宇宙戦艦ヤマト」や「ガンダム」「マクロス」等のブー ム だったと思うんですが、そういう種類のアニメーションはご覧になってましたか?

T:そのあたりはまったくスルーです。もろガンダム世代なんですが…。アニメーションは、中学生のときに見た「銀河鉄道の夜」http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17612/が大好きで、いまでも時々 見ます。

↓つづく

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