2006/5/2

島口哲朗:シマグチテツロウ ロングインタビューvol.2  インタビュー
----------島口哲朗、は本名?

TS:はい、本名です。

----------小林未郁のように「改名にいたるような事態」はなかった、ということですね(笑)。
では、生年月日、出身地を教えてください。

TS:えー、生まれは1970年5月13日、埼玉県所沢市の狭山ヶ丘、というところです。

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----------牡牛座。俺と一緒だ。ご兄弟は?

TS:いません。ひとりっこですね。

----------あれ、そうなんだっけ?意外だなあ・・・

TS:え、そう見えませんか?

----------いや、なんていうか・・・島口くんって物腰が柔らかいから、上にお姉さんか、下に妹さんか、どっちにしても女性の姉妹がいるのかなと勝手に思ってたんだよね。

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TS:そうですか・・・ああ、なんとなく分かりますねー、それは。
でも一人っ子です。ぼくひとりと両親、の三人家族で育ちました。

----------典型的な核家族。お父さんはどんなお仕事を?さしつかえなければ。

TS:いわゆる大手建設会社のエンジニアで、耐震技術関係の専門家です。サラリーマンでしたが、専門書も書いてました、まあ普通の人は絶対読まないような本ですけど(笑)

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----------じゃあ、バリバリ理系!っていうことは、島口くんも実は理系?

TS:いや、全然ダメですね、数学は。完全に文系です。それは母親がそうなんで、そっちから受け継いだ感じですね。母親の親戚には、まあいわゆるプロではないんですけど、例えば役所が出版している小冊子にレギュラーで寄稿している、みたいな人が多かったです。

----------じゃあ、アーティスト的な部分はお母さん譲り・・・

TS:うーん、どうかなあ。それだけではないかもしれないです。父親方の祖母が踊りのお師匠さんで、いわゆる芸事のプロだったし。あと、体育系の能力、というか、運動神経は完全に父親譲りですね。父は四国の徳島県出身なんですが、実はあの「池田高校」にいまして

----------「池田高校」って、あの有名な蔦監督の?

TS:ええ、中学時代から野球をやってて、蔦監督に見初められて(笑)池田高校野球部に行ったんです。中学三年生の時は、徳島商業の投手だった坂東英二さんと対決したこともあるそうです。対戦結果は 三打席一安打、だったそうですけど(笑)。で、池田高校の野球部に入ったんですが、一年生の時肩を壊してしまって、結局二年生からは陸上部。陸上部の試合でも坂東英二さんと走ったことがあるらしいですよ。その時は勝ったって言ってました(笑)。

----------バリバリスポーツマン。しかも理系。かっこいいなあ。基本「スポーツ嫌いでド文系」の福田の対極の存在だ・・・あ、ちなみに実は俺のオヤジも相当スポーツ系だったんだけどね。俺、見事に何にも受け継いでないんだよ、スポーツ系遺伝子(笑)。
さて、で、そういうお父さんだったら、子供育てるのに凄く厳しかった、とかはなかった?
理路整然とスパルタ、みたいな。

TS:いや別にそういうことはなかったですね。でも、習い事はたくさんしてました。
習字、ソロバン・・・それと、バイオリン。

----------バイオリンをやってたんだ!

TS:はい、すげえ意外だと思いますけど(笑)。3歳から12歳ごろまでやってました。

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----------今でも弾ける?

TS:いやー、どうかなあ・・・全然触ってもいないですからねえ(笑)。

つづく↓

2006/5/2

島口哲朗:シマグチテツロウ ロングインタビューvol.3  インタビュー
----------なかなか本格的な習い方だよね。3歳ではじめる、っていうのは。

TS:確かに本格的は本格的で。実は、幼稚園は武蔵野音大付属幼稚園にバイオリンで受験して入ったんです。

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----------!それはもう明らかに子供に音楽家目指させてる行きかただ。ご両親、本気だったね。で、そういう状況下での島口くんがよくやってた遊びは?

TS:基本、外を転げまわって遊んでました(笑)。チャンバラごっことかも普通にやってたなあ。あと、家では、絵を描くのが大好きで、特に、アニメ系のっていうか、マンガ。すごくよく描いてました。

----------これまた隠れた才能の話だ。深いなあ!マンガ、最近は描かないの?

TS:ええ、全然描いてないですねえ。最後に書いてたのは・・・浪人中かな。

----------その辺の話は時系列を追ってまた後で。面白そうだからとっておこう(笑)。
で、アニメ以外でTVで好きだったのは?ちょうど、ウルトラマンタロウとかレオの時代なんだけど、特撮モノとかは見なかった?

TS:うーん、なぜか そっちの特撮モノには行かなかったんですよ。ゴレンジャーとかはちょっと見てましたけど。基本的にアニメ以外だと、好きだったのは時代劇ですね。

----------すでに時代劇だったんだ!(笑)。お年寄りが一緒に住んでるとそうなる事が多いけど、踊りのお師匠さんだったおばあちゃんとは一緒には住んでなかったんだよね?

TS:ええ。だから・・・なんでなんだろうなあ・・・まあ、父親が基本的に野球と時代劇好きだったんでその影響でしょうね。
「大江戸捜査網」(有名な長寿番組なので、果たして島口くんがどのあたりを見ていたのか、興味のある人はhttp://ooedosousamou.hp.infoseek.co.jp/data/sougou1.html へGO!)が大好きで。「死して屍ひろうものなし!」っていうセリフ、大好きでしたねー、よく真似してました。役者さんでは、里見浩太郎さんや瑳川哲朗さんとかの大ファン。

----------(笑)シブい幼稚園児。他の時代劇も?

TS:見てましたねー。「大岡越前」も「水戸黄門」も。大好きでした。
あ!あと、そうそう、時代劇、で思い出したんですが、この頃、「死ぬマネ」が大好きで、よく一人で死ぬマネしてました。

----------はあ、それは具体的にはどうやるの?

TS:例えばTV見てたり、あるいは、寝ようと思って布団に横になってる時とか・・まあ、いわば所かまわず、なんですけど、いきなり「死ぬアクション」がしたくなるんですよ。「うおおおっ」とか「うぐっ」とか言いながら、こう、首が斬られた、背中刺された、みたいなアクションをするんです。今は斬られる役より切り役のほうが好きなんですけど(笑)、その頃は、なんか、斬られて死ぬ、みたいなのがカッコよかったんですね。

----------・・・なんか、分かるような気もするが、100%同意は出来ん(笑)。でも、かわいいっちゃあかわいいね、その子供(笑)。ちょっとクレヨンしんちゃんみたい。
さて、で、小学校。小学校も音大の付属に?

TS:いえ、普通の公立の小学校です。付属校のあった所沢から川越に引っ越してしまったんで。この頃は、ものすごく落ち着きのない子供だったですね。なにか行事が進行してても、ひとりでかき回して進行を止めちゃう、みたいな。特に入学したての頃。常に母親に叱られてた記憶があります。

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----------エネルギー過剰タイプの多動児っていう感じだねー。それはずっと?

TS:いえ、2年生になったら落ち着いたような記憶があります。

つづく↓

2006/5/2

島口哲朗:シマグチテツロウ ロングインタビューvol.4  インタビュー
----------勉強は?

TS:基本的にはいわゆる「よくできる子」でした。2年生までは全科目5、でバランス取れてたんですが、だんだん崩れましたね。国語、社会、体育、美術が大好きで、算数、理科はキライ、になっていきました。

----------どんどん文科系になっていったんだね。確かに、島口くん、韓国映画の「武者(MUSA)」のパンフに載せた文章とか、今月号(註:2006年6月号)の「映画秘宝」に書いてる文章とか、すごくうまいもんなあ。いつも関心してます。いや、文系だから文章がうまい、ということにはならないし、むしろ、数学的なセンスがないと文章はうまく書けない、と思ってるんで、明らかにお父さんの理系DNAもそこに介在してると思うんだけど。なんにせよ、文章がキラいな人には絶対書けないタイプの文章を書きますよね、島口くんは。本はたくさん読んだ?

TS:自分の本の読み方はちょっと変わってまして、量を読む、というより一点集中型なんです。気に入ると、それこそ100回でも繰り返して読むんですよ。歴史小説が大好きだったんですが、「水滸伝」とかもとにかく繰り返して繰り返して読みました。だから、相当ややこしい内容も全部覚えてました。108つの宿星の名前とか。(興味のある人はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%BB%B8%E4%BC%9D%E7%99%BE%E5%85%AB%E6%98%9F%E4%B8%80%E8%A6%A7%E8%A1%A8  を参照。小学校時代にこれを全部覚えてた島口くんって・・・)

----------俺も怪獣の名前なら相当言えたけど・・・あと。プランクトンの学名(笑)

TS:(笑)それはマニアックですねぇ。

----------いや、でも、「水滸伝」に出てくる108つの宿星の名前がすらすら言える歴史小説好きの小学生のほうが、マニアックなんじゃない?今なら「水滸伝」を原作にしたゲームソフトがたくさんあるから、案外そういう子供、いるかもしれないけど、当時はそんなのないしねえ・・・・俺、あんまり前世とか信じないんだけど、なんとなく前世の存在を信じたくなってきた(笑)。

TS:(笑)そうですよね。自分でも妙だなと思うこともありまして。例えば、2年生の時の図工の時間に、自由に人物を描くっていう授業があって。誰を描いてもよかったんですよ、友達描いても、マンガの主人公描いても。なのに、自分は何故かこの時、鎧兜姿の源義経を描いたんです。義経のビジュアルなんてどこで知ったのか、自分でもよく分からないんですけど、相当ちゃんとした義経でした。

----------どんどんオカルト系特殊児童な感じになってきた(笑)。無意識のうちに、時代劇で「仕入れた」情報なのかもね。でも、TVとかは普通のアニメとかも見てたんでしょ?

TS:はい、それはもう。「巨人の星」「ガッチャマン」「ヤッターマン」「侍ジャイアンツ」・・あと、「カルピス名作劇場」は見てました。「キャンディキャンディ」も(笑)。それと、大好きだったのはNHKでやってた人形劇の「三国志」。これはハマりました。(註:1982年10月2日〜1984年3月24日放送。放送開始の時、島口くんは6年生)

----------やっぱり歴史だ!絶対なんかあるな、こりゃあ、うーん・・・そういう趣味の部分以外でもなにかこう、ついつい歴史への嗜好が反映しちゃうこととかなかったですか。教室に入るときについ「おのおの方!」って言っちゃうとか。

TS:(笑)それはなかったですねー。

----------そうか、残念。でも、そういう周囲とシンクロしそうにない趣味の持ち主って事で孤立してたりは?

TS:全然してなかったです、他はいたって普通だったですから(笑)。むしろ、勉強出来るほうで運動も得意っていうことで、わりと友達を仕切ってるタイプでした。ずっと学級委員長だったし。

----------リーダー的存在。今と同じだね(笑)。

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TS:(笑)・・・で、自分ひとりで決めた自分なりのルール、っていうのが常に頭の中にあって、それに従って行動してました。そういうルールのもとで集団を仕切る、みたいな。例えば、ケンカして相手を泣かしてもいいけど、もし相手が血を流したら絶対それ以上攻撃しない、とか、万引きは1万円以上が罪、とか。それ以下の金額の万引きは悪い事だと思ってませんでした(笑)。

----------その具体的な金額、おもしろいなあ。要するに「俺が法律だ」ってことだね。それって、ある意味、非常にひとりっこ的かもしれない。兄弟がいると、自分でルール決めてたつもりでも平気で破られたりするから。例えばメシ食ってて、大皿に持ってある揚げ物のラス1は俺の、とか勝手に思ってて、余裕で箸でつまんだとたん、弟に空手チョップで叩き落されて奪われる、とか(笑)。あ、これ、実体験ね。

TS:(笑)弱肉強食ですね。そういう経験はないです、確かに。そうか、たしかに、一人っ子的、な判断の仕方だったかもしれませんね。

つづく↓

2006/5/2

島口哲朗:シマグチテツロウ ロングインタビューvol.5  インタビュー
----------さて、中学です。中学も公立?

TS:はい、川越市立の、まだ出来て数年という新設校でした。荒れてましたねー、当時。

----------校内暴力、とかいう言葉が流行り始めたころだよね。日本全国、そこらじゅうの中学が荒れてたんじゃないかな。でも、まあ、パワーあったってことだよね。仲間うちのケンカとか、先生ぶん殴るとか、パワーなきゃできない。今みたいに、刺しちゃう、とか、クスリ盛る、とかだとあんまりパワー要らないけど(笑)。ある意味、健全な時代だったような気がする。

TS:そうかもしれません(笑)。とにかく、そこらじゅうでケンカしてました、生徒。
他校が攻めてくる、とかもよくありましたしね。そうそう、これは忘れられないんですが、自分、バスケ部に入ろうかな、と思って、入学してすぐ、バスケの練習試合を見に行ったんです。自分の出身の小学校は、全国大会常連のバスケットの強豪校で、そこにいた友達もたくさん入る予定だったんで。そしたら、そのバスケ部がもう悪くて悪くて(笑)。
先輩に、地元でも有名なそのスジの一家の息子のOさん、とか、双子のワルのKさんSさんとかがいまして・・この双子のKS兄弟はもう、ハンパじゃなくカッコよかったですよ。こう、二人で長ランきて、ビシーっとリーゼントで決めてて、しかもいい男。すごく人気のあった不良でした(笑)。

----------マンガのキャラみたいだなあ(笑)

TS:そうなんですよ(笑)。で、試合開始のとき、整列するじゃないですか、5人ずつ向かい合って。ところが、そこに、Oさんとか、KS兄弟も並んでるんです、ガクランのまま。エナメル靴履いて、クシでリーゼントをこう、びしーっと決めながら、ガム噛んでるわけです。ちょっと信じられない絵なんですが。

----------(爆)うわー、それでそれで?

TS:試合開始のホイッスルが鳴ったとたん、OさんやKS兄弟、自分達のベンチからだだだーって飛び出して、相手校のベンチにとび蹴り。その後は、もう、ボッコボコですよ、相手の学校。蹴るは殴るわ、大騒ぎ。

----------(爆)!すごすぎ!映画より面白い!!

TS:それでバスケ部、一気につぶれまして(笑)。

----------(爆)つぶれるわ、そりゃ。で、島口くんは?

TS:野球部に入ろうかな、と思ってたんですが、結局、軟式テニス部に入って、一応3年間、マジメにやってました。

----------なぜ野球部に行かなかったの?

TS:うーん、なんというか、無意識に、自分の能力を全開にしたくない、っていう気持ちがあったんですよ、この頃。もし、能力全開にしたのにうまくいかなかったら、自分に対して言い訳がたたないじゃないですか。だから、力を全開にしなくてもすむところにいて、いや、自分はホントはこんなもんじゃないんだけどね、って言ってたかったんでしょうねえ。

----------なるほど。それはすごくよく分かります。それに、軟式テニス部は平和そうだしね。

TS:でも自分の周りは案外賑やかで(笑)。っていうのは、相変わらず「勉強は出来るほうで運動も得意、リーダー的」っていう感じだったんで、案外いろんなところからニラまれまして。一度、神社に呼び出されて、10人ぐらいによってたかってボコボコにされました。
タコ殴りです。
あれ、15人ぐらいいたのかな、相手・・・

----------15対1で、「おめー生意気なんだよー、調子コイてんじゃねーよー」みたいな?

TS:そうですね(笑)。もう、やられっぱなしです。小柄だったし、格闘系のことはなにもやってなかったし。

----------逆襲は?

TS:まあ、その後、それなりには(笑)。

----------案外ヤンチャだったと(笑)。

つづく↓

2006/5/2

島口哲朗:シマグチテツロウ ロングインタビューvol.6  インタビュー
----------好きな映画とか音楽はどんな感じでした?本はきっと歴史モノを読んでたと思うんで(笑)

TS:そうですね、本はもう「水滸伝」「三国志」。小学生の時より、大人向けのバージョンで繰り返し読んでました。なぜか「西遊記」には行きませんでした。
それから、タイトルは全く覚えてないんですが、アウシュビッツ収容所の事を書いた本に衝撃を受けました。コルベ神父っていう神父さんが出てくるんですが、うちは母がきちんと洗礼も受けたキリスト教徒で、小さい頃、自分もたまに伝道に一緒に行ったことがあったのもあり、その神父さんのキリスト教徒としての生き様にがーんときました。でも、それ以上に印象に残っているのは、その本に載っていた大量の死体の写真ですね。原爆資料の写真とかを見たときも、物凄い衝撃でした。無名の人間の大量の死、っていうのは、自分的に、すごくなにか、キーワードなんです

----------確かに、「三国志」とか「水滸伝」とか、その他、歴史モノっていうのは、無数の「無名の人々の死」を大前提に描かれてるよね。そういう物語の中では、それこそ、何万、何十万という無名の人たちが死んでいる、というのが、まず暗黙の了解事項。その上に「英雄」が存在してる。大量の死者の無念や虚しさや怨念をひとりで背負い込んで、なおかつ超えていく、みたいに。で、島口くんはそういう「英雄」が好きだったわけだよね。

TS:そうですね・・・うーん、ひょっとしたら、母親によく聞いていた「終末」の話とかと関係があるかもしれません。最後の審判・・・神様と悪魔の最終戦争・・・

----------そういう話を小さい頃に聞いてたんだね。だったら、そういう圧倒的におそろしいイメージに対抗するために、「時代劇的な」イコール「大量の無名の死を潜在的に内包した物語的な」ものを超える存在である、「英雄」にあこがれたのかも知れないってことかもね。そのためには、ファンタジーではリアリティがたりず、当然、特撮ヒーロー、とかでも役不足。実在した、もしくは生身の「英雄」じゃなきゃいけない。

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TS:うーん・・・このへんはすごく深いんですよ。うまく言えないんですが、もっと根本的な、イメージそのものみたいなものをくりかえし夢で見ることがあって。それは「壁」の夢だったり、「壁からの距離」の夢だったり、あと、火や水、といった世界のエレメントそのものが一瞬にして変化する夢だったり・・・・

----------すごい夢だ。そういう抽象的な夢を覚えてる、っていうのもすごい。フロイト的というより、なんかユング的な夢だな、ちょっと変な言い方だけど。でも、このまんま行くと、面白すぎてこのインタビュー全然終わらなくなりそうだから、先にすすもう(笑)。映画やTVでハマってたものとかは?

TS:映画は・・うーん、この頃はほとんど何も見てないですね。あ、TVの「ガンダム」にはハマりました。相当ハマッて、ガンプラ作ってました(笑)。プラモはもともと好きで、言うの忘れてましたけど、小学校の頃から飛行機とか戦艦は作ってたので、その流れですね。あと「ガンダム」ほどじゃなかったですけど好きだったのは「宇宙戦艦ヤマト」。でも一番好きだったのは相変わらずNHK「三国志」でした。

----------一貫してる。やっぱり「戦記モノ」が好き、なんだ。まさに男子全開な嗜好だってだけだ、とも言えるけど。角度かわって、男の子的には「アイドル」とかはどうだったんですか。

TS:この頃は「夕焼けニャンニャン」の全盛期で、自分自身から率先して見てた、というより、友達の誘いで見始めました。自分はいわゆるオクテ、なタイプで、それを心配してくれたんだかなんだか、友達に「お前、こういうの見とかないとヤバいぞ」みたいに言われたんです。それで、そうかー、と思って見始めました。言われるままに菊池桃子のCDとかも買いました(笑)別に菊池桃子のファンじゃなかったし、買ってもぜんぜん聞かなかったんですけど、「そういうものを持ってる」という事自体が重要というか。でも、河合その子は好きでした(笑)。

註:このあと「初めてのオナニー話」で相当盛り上がったのだが、お互いの名誉のために、それは一応カットw。

つづく↓

2006/5/2

島口哲朗:シマグチテツロウ ロングインタビューvol.7  インタビュー
----------さて、高校です。高校は、前に聞いたけど「坂戸高校」なんだよね。

TS:そうです。

----------このへん、妙な縁があるなあと思うのは、俺、大学1年から卒業してちょっとの間までの4年強、つまり、1976年から1980年の初夏まで「鳩山村」ってとこに住んでて、利用駅が「坂戸」だったんだよね。坂戸駅で降りてあとはバスで延々走って鳩山村に帰宅(笑)。島口くんが入学してくる頃はもう東京に移っちゃってたんだけど。でも、今も母親は鳩山に住んでるから、事あるごとに利用駅は坂戸。

TS:へえええ、そうなんですか!それは確かに、「縁」ありますよねー。

----------なんだか不思議なんだけど。縁がない人、っていうのは、いくらがんばってつながろうとしても全然つながらなかったりするよね。さて、まあその話は置いといて、坂戸高校とういうのはどんな?

TS:埼玉公立高校の中では、まあ「いい高校」に属するレベルの、でも決してガリガリの進学校じゃない、平和な学校でした。実際、ケンカも全くない、平和な学園生活でしたよ。部活は、ちゃんと硬式野球部に入って、マジメに甲子園目指してました。野球一直線です。

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結果は、県大会ベスト8で終わっちゃいましたけど。本当は、徳島の池田高校に行きたかったですねえ。
で、高校時代はバスケ部のS君というやつとよくつるんでました。いわゆる親友、ですね。すごいルックスのいいヤツでしたよ。

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体育の時間に体力測定があって、その時、そのSくんはとにかく抜群の成績で、なにからなにまで自分の上を行ってたんですが、短距離を一緒に走ったときは彼をぶっちぎったんです。それがキッカケで仲良くなりました。

----------どのくらいのタイムだったの?

TS:自分はたしか、100m11,2秒とか、そんな感じですね。

----------うわ、そりゃ速い!もろに陸上部クラスじゃない。野球部ではダントツだったでしょ。

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TS:そうですねー。足には、ちいちゃいころからずっと自信がありましたけど、高校時代は、家から高校まで12キロをチャリで通ってたし、相当鍛えられてたと思います。

----------往復24キロをチャリ?スポーツマン以外の何者でもないなー(笑)硬派すぎ。なにか色気のある話はないの?

TS:(笑)高校3年の文化祭で初めて彼女が出来ました。

----------おお、やった!それはどういうキッカケで?

TS:彼女が文化祭のステージで、工藤静香の「MUGO・ん・・・色っぽい」を歌ってたんです。それを見て、一発で惚れました(笑)。バカみたいなんですが、なんせそれまで野球一直線の小僧ですから、もう一撃ですよ。うわーやられたー、なんてかわいいんだ!って感じです。

----------工藤静香にやられたのかあ。ウブよのお・・・(笑)。で、その恋はどう発展したの?

TS:えー、まず映画に行きましたね、初めて女の子と映画に行ったわけです。見た映画は、「バカヤロー」でした。

----------うわ、新しい!若いんだなあ、やっぱり(註:福田より13歳下なんだから当然)で?

TS:そのあとも何回か映画に。長渕剛の「オルゴール」を見ました。つまんなかったです(笑)。で、付き合いだしたのが高三の文化祭過ぎですから、もうすぐ受験じゃないですか。彼女は中央大学への推薦入学が決まってたんです。なので、自分も中央大学を受けることにしました。

----------おお、なんとピュアな!

TS:いきなり猛烈に受験勉強を始めて、模試では、倫理社会でとてつもなくいい偏差値を取れて、これは大丈夫かも、と思ってたんですが、さぼっていた英語が原因で失敗しました。その結果を彼女に報告したとたん、いきなり態度が豹変して、あっさりきっぱりフラれましたすごかったですよ、発表の前日までは好きとか言ってたくせに、結果が出たら、もう、あっさり。

----------なんて女だ!やっぱり工藤静香の曲なんか歌ってる女は信用ならん!これは個人的偏見だから気にしないでいいよ(註:福田はかつて工藤静香が大キラいでした。今はどっちでもないです)じゃあ、大学は落ちるわ、彼女にはフラれるわ、で、大ショックだね。

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TS:ですねー、浪人始めたんですが、さすがにちょっとすさんでました。
で、この頃、親友のSくんが、聞いてみたらって教えてくれたのが浜田さんの「Wasted Tears」で。彼は高校くらいから、自分に尾崎とかも教えてくれてたんですが。この「Wasted Tears」にはハマりました。暗い曲が多いのも、当時の精神状態にはしっくりきて。もちろん今でも全曲歌えます。で、そこから始まって、「Sand Castle」「Edge Of The Knife」あたりを繰り返し聞いてました。
で、そのうち、Sくんと二人で、曲の歌詞を書き始めたんですよ

----------歌詞を!

つづく

2006/5/2

島口哲朗:シマグチテツロウ ロングインタビュー vol.8    インタビュー

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島口くんのブログもあり!→http://moon.ap.teacup.com/tkamuis/

TS:自分が歌詞を書いてた、というのは、小さい頃バイオリンを習ってた、というより衝撃的かもしれませんけど(笑)。メロディはないんですが、「架空の曲の歌詞」をどんどん書いてたんです。詩、というより、歌詞です。で、意味や内容そのものよりも、韻をキレイに踏むとか、ノートの上に書かれた歌詞の「形」とか、そういう事に相当こだわってました。今でもそういう感覚、強いんですが、例えば、CDの歌詞カードでも、歌詞の並び方とか、紙の上に占めてる位置とか分量とか、そういう事が気になるんです。ああ、これはキレイだ、カッコいいな、みたいに。

----------それは面白いなあ!昔、ロシアにフォルマリズムっていう芸術運動があって、「表現されている形式」にすごくこだわるのね。例えば、「じょうご」っていう詩があるんだけど、それ、紙の上に「じょうご」の形に言葉を並べて書いてある。「じょうご」って言う詩がじょうごの形をしてる。その「形式」を含めて、作品。そういう表現形式によって驚きを喚起して日常を異化する、それが芸術というモノだ、という。

TS:へえ!そういうの、自分は好きかも知れません。

----------フォルマリズムは、最終的にそこから生み出された作品群が弱くて、単なる「芸術運動」である事を超えられなかった、と俺は思うし、そのへん、シュルレアリスムに比べて全然マイナーなんだけど。でも「何かを表現するときの形式へのこだわり」というその一点では、位相が全然異なるけど、殺陣との共通点もあるかも。詩は、どれくらいの分量書いたんですか。

TS:ノートにびっしり、で5冊はありますね。で、その歌詞には殆ど全部イラストがついてるんですよ。歌詞とイラストでワンセット。このノートを、大学(日大芸術学部映画学科脚本科)の受験の面接の時、面接官の先生方に見せたんです。多分そのノートで、自分は大学に合格しました(笑)。

----------「歌詞」で脚本科に入った男(笑)。

TS:そうなんです。散文より詩に興味があるという状態はそのままずっと続きまして、
脚本科のクセに、在学中に書いたシナリオは実は1本だけ。あとは相変わらず、歌詞を書いてました。

----------その歌詞に、例えば「かむゐ」のテーマになりそうなもの、ない?あったら、俺が曲をつけてみたいなあ。時間があるとき、探してみてください。

TS:わかりました、ちょっと今更恥ずかしいですけど、探してみます(笑)。

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----------さて、で、いよいよ大学に入学して、最初から殺陣同志会に行こうと?

TS:いいえ、最初は、ミュージカル研究会、ミュー研っていうんですが、なんといってもそこが一番メジャーな部だったので、そこに行こうと思ってました(笑)。でも、なんか、殺陣同志会からミュー研にお達しが行ってたみたいで。あいつはウチにくれ、みたいな。で、殺陣同志会に入ったんですが、入ってすぐ、刀の振りすぎで腰とひざを痛めちゃいまして、一年目はほぼ見学してました。全然動けない人、だったんです。二年目からは稽古できましたけど。

----------その時点で、現在の「かむゐ」のメンバーというのは誰か一緒だったの?河口くんとか?

TS:いえいえ、河口先輩はもうそれこそ大先輩で。というのは、自分は浪人中は遊びまくってしまい、その結果三浪してるので、河口先輩とは年は三つ違いなんですが、学年は六年違うんです。先輩はとっくに卒業して就職してました。伝説の先輩でしたね。すげえうまい人がいたって。福ちゃんとあきはるは、まだ入ってきてませんでしたし。

----------なるほど。「かむゐ」を作ろうと思ったきっかけは?

TS:在学中から、いろいろなプロのステージに呼んでいただけるようになって、特に
歌舞伎の方からのお声がけが多くて、自分の中では、このまま歌舞伎をやっていくのかな、という気持ちも少なからずはありました。でも、なんだかんだいって、歌舞伎というのは家柄の世界ですよね。まあ、猿之助さんのスーパー歌舞伎、なんかは相当自由だったんですけど。そういうのもあって、歌舞伎ではいつか壁にぶつかるだろう、もっと違う表現の形はないのか、と思うようになりまして。同志会で学んだ殺陣の技術や思想、それから、自分は日本舞踊も習っていたんですが、そこで得た日本古来のいろんな所作、そういったものを自分なりに組み合わせた何かを表現していきたいと思ったんですね。

----------それで「かむゐ」を立ち上げたと。

TS:はい。自分と河口先輩、真瀬樹里、そしてKさんというメンバー4人で、1998年に第一期の「かむゐ」を旗揚げしました。結成してすぐ、NHKの金曜時代劇「寺子屋ゆめ指南」の一対一の殺陣をつける仕事をやって、その後、ストリートパフォーマンスをやりにこのメンバーでアメリカに行きました。アメリカへは二回行ったんですが、一回目の時、偶然見てくれたミラマックス(註:「KILL BILL」の制作会社)のスタッフの方に物凄く気に入ってもらえて、二回目にはラスベガスに呼んでもらえて。クェンティン(・タランティーノ)と会ったのはこの時ですね。クェンティンは彼女と一緒で、自分らの演舞をデートついでに見て、「おー、すげえじゃん?」みたいな感じだったですけど(笑)。

----------いかにもQT(クェンティン・タランティーノ)っぽいなあ(笑)。

つづく↓

2006/5/2

島口哲朗:シマグチテツロウ ロングインタビュー vol.9  インタビュー
TS:(笑)ですね。で、そのあと、いろいろあってKさんが脱退して、福田高士がメンバーになります。実はこの当時、福ちゃんは、青二プロという声優のプロダクションで、声優のマネージャーの仕事をしてたんですよ。でも、はっきり言って目が死んでた。同志会にいた時の福ちゃんとはあまりにも違っちゃってたんです。そこで、自分が青二の社長さんに「福田をください!」と直談判して退職させてもらい、「かむゐ」のメンバーに迎え入れたんです。

----------福ちゃんがマネージャー・・・似合わないなあ。それ以上似合わない職業はないというくらい(笑)。「かむゐ」に入って正解だったと思うなあ。で、いろいろ精力的に活動して、田中あきはるくんが参加してきて、2001年にはソロ公演もやり、そして・・・島口くんは、2002年からいよいよ「KILL BILL」の撮影に入った。

TS:はい。2002年の3月にロスで顔合わせがあって、そこから2ヶ月間はキャストのみんなに剣の基礎を教えました。その間に、クェンティンに本編中の「MIKI」という役を貰いました。

----------前に聞いたんだけど、QTも最初は殺陣の練習に参加してたんだけど、すぐに飽きてやめちゃったっていう話もあったよね(笑)。「かむゐ」の殺陣の基本形1から10までのうち、2で止めちゃったっていう(笑)。千葉真一さんはこの時はロスに?

TS:最初の一週間はいましたけど、あとは一度も来ませんでしたね。自分がひとりで教えてました。

----------まさに、島口くんが「マスター(師匠)」だったんだね。で、北京ロケに行ったのは・・

TS:5月の中旬くらいです。青葉屋のセット撮影で、7月いっぱいまでずーっと北京にいました。その間に、オーレン石井(ルーシー・リュー)が机の上を歩いていって組長の首を切り落とすシーケンスを手始めに、

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ユマ(・サーマン)がオーレン石井率いるクレイジー88の面々と戦う最初のシーケンス、そしてクライマックスのユマ対ルーシーの雪の庭の決闘の殺陣演出を担当しました。

----------見事な仕事っぷりだなあ・・・「KILL BILL vol.1」、もう何度見たか分からないほど見てるんだけど、見るたびに感心してます。あと、俺は個人的に、例の布袋くんの曲をバックに、青葉屋の廊下をオーレン(ルーシー・リュー)とクレイジー88が歩いてくるシーケンスは、この10年くらいのアクション映画の中で一番カッチョいいシーンだと思ってて、あのシーンの中に役者として存在してて(笑)、しかも2〜3カット、アップで抜かれてる、っていうのは、もううらやましいとかそういうレベルじゃあないね。すげえなあ、の一言。

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残念なのは、MIKIがすぐ殺されちゃうこと(笑)。マジでもったいない。ほんとは一番強いのになあ、と、見るたびに思う(笑)。撮影中の苦労話とかはなにか?

TS:自分はユマに刀で刺されたあと、ほおリ投げられて大きな水槽に落ちるんですが、
あの水、最初に入れたまま、全然入れ替えないんです。リハーサルから何度も落ちてるんですが、どんどん水が腐ってくのが分かる(笑)。塩素剤はどぼどぼ入れるんですが、そのせいでどんどん水が臭くなって、しまいには体中にぶつぶつが出ました。

----------うひゃー、やだなー、ブツブツ。他には?QTと意見が対立したとか、そういうことはなかった?

TS:特にはなかったです。役者さんたちも、必死になって殺陣を覚えてくれましたし。そういうあたりには、さすがにハリウッド俳優の貪欲さ、を感じましたねー。どの俳優も、この経験を絶対自分にとってのプラスにするぞ、っていう意気込みがあるんですよ。中でもルーシーは素晴らしかったですね。動きもよかったんですが、なにより、自分がこだわっていた、日本的な所作をちゃんと表現してくれました。性格的にもすごくフレンドリーで、やはり、白人社会の中での東洋人同士、という意識があるみたいで、すごく応援してくれました。

----------俺が「かむゐ」を最初に見たロフトプラス1のイベントの時も、彼女、ビデオレターをくれてたもんねえ。いいヤツだなあ、ルーシー。でも、クライマックスの斬られた後のメイクをめぐっては色々あったって言ってたよね(註:「KILL BILL Vol.1」では、ルーシー扮するオーレンは、ユマ・サーマンに斬られて、「脳みそが露出したカッパ」状態になって死ぬ。未見のかた、必見!)

TS:最初、あの決闘ではQTはルーシーに、ガクランを着せてお歯黒をつけさせたかったらしいんですが(笑)、ルーシーが泣いて抗議しまして、白装束の着物になったんです。
で、せっかくあんなキレイなコスチュームになったのに、最後はカッパですからねえ。それでも、ほんとは、ルーシーが倒れた後にすごく泣けるセリフがありまして、撮影中スタッフもみんなぐっと来てたんですが、それはカットされちゃうし。

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----------ひどいなQT(笑)。でも、ビックリしたという点ではあそこまでビックリした終わり方もなかったんで、やっぱり、凄い、と言うべきなのかな。

つづく↓

2006/5/2

島口哲朗:シマグチテツロウ ロングインタビュー vol.10  インタビュー
TS:そうですね(笑)。いろんな意味でクェンティンは凄いです(笑)。撮影の休み時間、役者はみんなハードな撮影でぐたーっとしてるんですが、クェンティンだけは異常に元気で、なんだかよく分からない古いビデオ(註:どうもその中に東宝の怪獣映画「サンダ対ガイラ」も含まれていたような気配)をみんなに見せては「これ最高だろ?な?なっ?この感じが出したいんだよ!!」みたいなノリで。とにかく、ずーっと騒いでる。ユマとかは本気でうんざりしてました(笑)。

----------(爆)あー、会ってみたいなー、QT(笑)。

TS:自分もマジ、福田さんに会わせてみたいです(笑)。

----------(笑)さて、で、公開が翌年の2003年10月。俺はこの映画、プロダクションIGつながりで試写会で見たんだけど、無論その時点では島口くんの事はなーんにも知らず。で、11月にロフトプラス1で「キル・ビル・ナイト」を見て・・・・あれは面白いイベントだったねぇ、ホントに。「KILL BILL」クライマックスの雪の庭の決闘を「かむゐ」が再現する、とか最高だった。

TS:お客さん、25人しかいませんでしたけどね(笑)。

----------(笑)こりゃーすごい、すごすぎる!と思って、12月1日のAAAに出ませんかって誘った。その時点ではAAA、すでにリハ、がんがん進行してたんだけど(笑)、五朗ちゃん(岸谷五朗)に、絶対に「かむゐ」を武道館をに出そう、ほんとにカッコいいんだから!って紹介したら、一発で気にいってくれて・・・思えば、凄い勢いで事態が進展したねえ。

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TS:ですねえ。次の年の春、「斬雪」の撮影があって、続いて地球ゴージャスの「クラウディア」があって・・もうあれから2年経っちゃったんですね。

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----------そうそう、早く次を作らんと(笑)。で、「かむゐ」の今後は?単にスケジュールとかではなく、「かむゐ」として目指すもの、は?。

TS:・・・まず、「かむゐ」としては、メンバーひとりひとりが表現者として大成する、ということが目標ですね。大成する、と言うと抽象的な感じですが、精神論的ニュアンスだけではなく・・・・すごく分かりやすく言うと、まずは「表現者として自立して、きちんと社会的にも評価されている状態」になる事。

----------今、島口くんの知り合いの範疇で言うと、例えば誰のような感じですか。

TS:そうですね・・・リリーさんですね、リリー・フランキーさん。

----------なるほど、それはすごく分かりやすい例だね(笑)。

TS:常に目線を高くして前に進みたい、と自分では思ってます。殺陣のスペシャリストとしての立場を確立しながら、今やっている「ワークショップ」を「スクール」にまで充実させて、日本だけじゃなく、世界に展開していきたい。。で、きっかけを「スクール」で作りつつ、「かむゐ」という名前で、どんどんいろんなジャンルの事をやっていきたいですね。

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最終的には、音楽、演劇、映画、その他全部を含む総合的なエンターテインメントのブランドになって、大きなひとつの「かむゐ」の世界が作れたら最高ですね。実際に自分が担当するのはその中の「殺陣」でいいので。とにかく、個人として自立しつつ、人の和の中で仕事がしていきたいですね。

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----------スケールが大きいねー。素晴らしい。前から言ってるけど、「かむゐ」のやってることは本当に「日本オリジナルの本物」なわけで、これほどワールドワイドに通用するものはない。俺ら所謂ロックミュージシャンのやってることが、所詮「借り物」なのとはエラい違い(笑)、ほんと、そういう意味で「かむゐ」がうらやましい。是非とも、がんばってください。「かむゐ」には問答無用の実力があるし、基本的に世界に通用する事、をきちんとやってるんだから。
というわけで、最後に。次の言葉から連想する言葉を即座に答えてください。考えちゃダメ(笑)。

TS:はい。なんだか緊張しますね(笑)。

----------ではいきます。
沈黙

TS:無

----------束縛

TS:なわ

----------希望

TS:光

----------街

TS:雑多

----------愛

TS:温度

----------鍵

TS:迷路

----------家

TS:安堵

----------海

TS:地球

----------星空

TS:形を変えるもの

----------知識

TS:水

----------友情

TS:ありそうでないもの

----------憎悪

TS:真っ黒な塊なんですが、光の当たり具合によっては真っ赤に見える、絶対に砕くことの出来ないもの・・・なんでこれだけこんなにイメージが具体的なんだろう(笑)?

----------さあ?(笑)ではこれでほんとうに最後。
孤独

TS:自由

----------長い時間、ありがとうございました!

TS:こちらこそ!

2006/4/19

小林未郁:コバヤシミカ にインタビューする  インタビュー
突然、こんな企画を思いついた。
寺澤さん主催のMomentのHPでのいろいろなインタビューを読んで、面白いなー、俺も自分とこでやってみるか、という軽い気持ちと、どうせなら今月発売になった小林未郁の「心臓ノ音(ミミナリ)」のプロモーションもしてみよう、という、プロデューサーとしてのちょっとした「欲」がこの企画発案の動機。

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小林未郁と会ってからもう3年ほど経つが、実は福田も「小林自身に関する詳しい話」を本人の口からあまり聞いたことがなかった。小林未郁とは仕事現場でしか会わないし、彼女自身は決して無口な人間ではないが、基本的に仕事中「ムダグチをたたく」タイプではないからである。

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でもまあ、2ndアルバムも無事出来たことだし、なおかつ先日は日テレ系の「歌スタ」にも突如w出現したりもした。ここらで一度、あれこれ根掘り葉掘り聞いてみるのも面白いだろう、と思って、あれこれ根掘り葉掘り聞いてみた。時間がないので、電話でw。
その結果、想像以上に波乱万丈な人生展開あり。
いやー、ホント、他人の人生って面白い(無責任)。
と言うわけで、このブログには頻繁に登場してくるものの、
みなさんにはいまひとつ「実体」がつかめなかった、と思われるシンガー「小林未郁」、
いったいどんな人間なのか。
軽い気持ちで読んでもらえれば幸いであります。
ちなみにこの記事は、vol.6まであり、上から下にスクロールしていけば全部読めるようにしてあります。では!
(以下、小林未郁はMK)

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-----確か、小林未郁っていうのは、本名じゃないんだよね。

MK:本名じゃなくて「芸名」です。3年前くらいにつけた、新しい名前。姓名判断によれば、幸せになる画数らしいんですけど。でも、元の名前と読み方は同じ。漢字だけ変えたんですよ。

----個人的には、ちょっと読みにくいって思うんだが。「未郁」(みか)って言うのは。

MK:よくそう言われますねー。でも、逆に読みにくいことで、初対面の人なんかとまずその話題で話が出来るんでOKかな、と。あくまで、画数こだわり、の名前なんです。
母親がわたしの不幸を不憫に思って占いの先生にみてもらった。

----不幸(笑)?改名を余儀なくされるほど?

MK:それはもう(笑)。きっといろいろお話していくうちにそれはおのずから明らかに、っていう感じです。

----引き作るなー(笑)。では、とりあえず、すごく昔に遡って聞いていきましょうか。
まず、生まれは。

MK:広島県の広島市内です。安佐南(あさみなみ)区というところで、広島駅から30分くらいかかる、市のはじっこのほうです。子供の頃は、山や田んぼに囲まれた田舎だったんですが、10年くらい前にあったアジア大会にあわせてモノレール(註:正式名称はアストラムライン。1994年に開催された「広島アジア大会」の会場として広島広域公園に造られた競技場「広島ビッグアーチ」へのアクセス路線。その路線の大部分は安佐南区内にある)が出来て、駅前にマンションやお店が増えて、ずいぶんコンクリートに囲まれてる感じになりました。でも、今でも帰ったらほっとする、いわゆる「ふるさと」な感じです。

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     ↑これがアストラムライン


-----小さいころはどんな子?

MK:基本的に一人で遊ぶのが好きなタイプで、もちろん友達とも普通に遊んでたんですけど、ツクシとりとかオタマジャクシとりセミとり、とか、ひとり探検がすごく好きでした。

-----アクティブ系。

MK:ですね。外ではそんな感じでいわゆる田舎の子の遊びを普通にして、家ではお人形遊び。リカちゃん人形で、今夜庭でパーティがあるの、っていうような設定で遊んでました。

-----ゴージャス系設定好き。そういうのも含めて、ごくノーマルだ。小学校では?

MK:学校の先生には、いつも「明朗活発」って言われてて。確かに学校では明るかったんですけど、実際は「なんとなくさみしいなあ」っていつも思ってました。なんというか、どうせ友達とは絶対に完全には分かり合えない、みたいな気持ちが小さい時からずっとあった。もちろん、そういう感じは表に出さないで過ごしてましたけど。

-----その理由のない寂莫感、何が原因なんだろう。誰かを好きになっちゃうとその人と別れる時につらいから仲良くならない、っていう感覚は子供にはよくあるみたいだけどね。だから最初からあきらめてるふりをする、とか。

MK:自分でもよくわからないです。でも、基本的には普通の子を演じてた、というよりは、普通の子そのものだったと思います。

つづく


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