2006/4/19

小林未郁:コバヤシミカ にインタビューする vol.2  インタビュー
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-----勉強は?

MK:国語、音楽が大好きで算数は普通。理科が大っキライでした。
理科は、なんというか、やってることがピンとこなかった。
ビーカーとかフラスコとか、そういう実験器具の形は好きだったんですけど。
理科準備室とかも好きでした。でも理科の勉強はイヤだった。

-----小学校時代に読んでた本はなに?

MK:漫画が多かったです。高学年になったら、親が読んでた星新一のショートショートを読んでましたけど。未来の日本で、子供が増えすぎちゃって困った学校の先生が「みなさん、信号は赤になったら渡りましょう!」って言う話が衝撃でした(笑)。
マンガで好きだったのは、和田慎二さんの「超少女明日香」とか、あとはすごく流行ってた「北斗の拳」。友達の秘孔をついたりしてました(笑)。
それと、「スケバン」にあこがれてて。「花のあすか組」に、巾着に砂入れてそれを武器に戦うキャラクターが出てくるんですが、やってましたねー、巾着に砂
さすがに実戦はしなかったですけど。

-----それは残念。でも、どっちかと言ったら、おテンバ、イジメっこタイプってことだね

MK:どっちかと言ったら、そうだと思います。男の子とケンカして、ブランコから突き落としたりしてたし。もちろん「スケバン刑事」とかの影響もあったですけど、戦う強い女の人にあこがれてました。でも、6年生の頃は、友達の悪口を紙に書いてクラスを回してたのが見つかってハブにされたり。イジめられましたよー。

-----そりゃいかん。普通にイジめられるよ、そりゃ。

MK:ですよね(笑)。その頃ってクラス全体が悪くて。担任の男の先生が一度キレちゃって、黒板に大きく「悪の巣」って書いて、このクラスは悪の巣だっ!!って叫んでました。

-----ひどっ(爆)。その人まだ先生やってるのか。子供を預けたくない典型的タイプだ。

MK:ですよね。あ、「ひどい」で思い出したんですが、転校ばっかりしてる子を傷つけたことがあって。それは今でも思い出すとちょっとつらいんですが。その子が、今日で転校するっていう日に「みんな仲良くしてくれてありがとうね、この学校が一番楽しかった」って言ってくれたのに、わたしは「あなたはどうせ次の学校へ行っても同じ事言うんでしょ」みたいな事を言って。一緒にいた友達に、ひどーい!って言われました。

-----確かにヒドいけど、でもまあ、十分標準的なヒドさ、なんじゃないか。その年頃の女の子って異様に残酷だったりするし。で、まあ、そんな感じで十分標準的にヒドかった小林さんは、音楽はどんなのを聴いてたんですか。最初に買ったレコードとか。

MK:最初に買ったレコードは、斉藤由貴の「悲しみよこんにちは」ですね。一年生の時。お小遣いで買いました。これはすごく印象的だったんで覚えてます。で、次が西村知美、で、その次が南野陽子。南野陽子さん、ナンノはもう、大大好きで。出るレコードはもちろん全部買って、写真集とかも持ってました。歌はもちろん全部歌えました。お小遣いの関係でファンクラブまでは入れなかったですけど。他はWINK、本田美奈子・・・アイドル全盛期でしたから。

-----まさにそうか、そういう世代。そういや俺は、その頃盛んにアイドルのレコーディングしてた・・・ピアノはいつから?

MK:5歳から始めました。普通の近所のピアノ教室で、先生が大好きだったんで、練習はマジメにやってました。他にも習字、とか、水泳、とか、バレーボールとか、たくさん習い事はしてたんですが、続いたのはピアノだけです。高校2年までやってました。

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-----好きだった曲のコピーとかはしなかった?

MK:しなかったです。譜面がないと弾けないタイプで、ひたすらマジメにお稽古の曲だけ弾いてました。

-----クラシックで、なにか好きだった曲は?

MK:ベートーベンの「悲愴」ですね。高校の頃ですけど。わたしはタッチが強かったので、ショパンとかの柔らかな曲よりもベートーベン向き、と言われてました。気性が荒かったんですね、やっぱり(笑)。

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つづく

2006/4/19

小林未郁:コバヤシミカ にインタビューする vol.3  インタビュー
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-----タレント志向みたいなものはあった?

MK:それははっきりありましたよー。小学校五年の時、地方TVのドラマのキャスト募集のオーディションを受けました。落ちましたけど。でも、はっきり、この頃から「夢はマルチタレント」って思ってましたね。

-----「マルチタレント」って言い方、懐かしい(笑)。さて、というわけで、話を聞く限り、大過なく小学校は卒業っていう感じだね。そして迎える中学校時代。中学も公立?

MK:はい。家から歩いて一時間くらいのところにある、普通の中学です。

-----え、一時間歩く?!それって凄く遠くない?

MK:全然普通ですよ。小学校も歩いて一時間でしたから。

-----そうかあ・・・うーん、東京では考えられん状況だ。
じゃあ、そうやってすっかり足が丈夫になってた小林さんは、中学ではどんな子でしたか。

MK:あいかわらずごく普通の子で、日々平穏に過ごしてはいたんですけど、孤立してても平気、友達とツルんでなくても大丈夫、みたいな所があって。演劇部に入ったんですが、私の学年は私ひとりしかいなくて。でも全然平気で、ひとりで部員やってました。で、2年になったら、1年生誰も入ってこなくて。

-----(笑)人気ないなあ、演劇部。なにか理由が?

MK:うーん、よく分からないです。一つ上の学年はちゃんと10人以上いたので。
でも、その頃の広島の学校の演劇部っていうのは、基本的に「戦争モノ」とか「同和教育モノ」をやらなくちゃいけない、コンテストなんかに出る時にも、そういうテーマじゃないと受け付けてもらえない、みたいなところがあって、そういう窮屈な感じで人気がなくなってたのかも知れません。

-----広島の演劇部は「戦争モノ」と「同和教育モノ」が基本!
それは知らなかったなあ。でも小林は気にしなかった、と。

MK:そうですね、別に、普通の「赤毛のアン」とかもやってましたし(笑)。
で、三年生が卒業する時、演劇部の一・二年生は全校生徒の前で演劇やるっていう伝統があったんで、私ひとりでやりました。「ジーナと5つの青い壷」っていう、「ガラスの仮面」に出てくる北島マヤのやるひとり芝居なんですけど。一時間くらい、ひとり芝居。

-----それ、あんまり「普通の子」じゃないよ(笑)。その状況なら「やらない」って言う選択もあったはず。さすが、マルチタレント志望者。

MK:うーん、そうなのかもしれませんね。ちょうどこの頃、全国ネットのTV番組で「ゴールドラッシュ」っていうオーディション番組があって(註:フジTV系列で1991年から1993年3月まで放送された番組。初代チャンピオンは千秋)、それに応募しました。3年生の時ですね。地方予選に合格して、東京に行って番組本編に出演することになったんです。で、もう、あと数日で東京のスタジオでの収録に出発って言う時、TV局から連絡が入って。番組の打ち切りが決まった、って。

-----「打ち切り」!

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MK:母親も凄く喜んでたんで、とにかくガックリ。実はこれが、改名にいたる要因その1、です(笑)

-----なかなか根が深い。さて、では高校。高校はどんな?

MK:県立の安古市高校というところで、一応、地域の中では進学校でした。共学で1学年10〜12クラス。普通の規模の高校です。(註:福田が調べたところによれば、「一応」どころではなく、卒業生のほとんどが第1志望大学に進学。 国公立大合格者が毎年50%を超えている、というバリバリの進学校。ちなみに、フリーのアナウンサー魚住りえ、女優の戸田菜穂などが同校の出身)
-----いや、俺の感覚では十分デカいです、そのクラス数。学校生活はどんな?

MK:あいかわらず「誰とも分かり合えない感覚」は持ってたんですが、その感覚を分かってくれる親友、が出来ました。

-----そういう友人、って、むしろちょっとヤバい感じがするけど、よくそれで慰めあって自殺、とかしなかったね。

MK:全然「死ぬ」とかいう感覚はなくて。むしろ、「誰とも分かり合えない感覚」を共有しながら、でもその感覚を前向きに何とかしよう、どうしたらその感覚は無くすことができるだろうっていう感じでいました。わたしたちの気持ちを、みんなにどうやったら分かってもらえるんだろう、みたいな。あとは、これは中学の頃からずっと同じパターンなんですが、テニス部の男子に片想いしてました。好きな男の子が出来て、気がつくと、何故か必ずテニス部だったんですよ。

-----(笑)超健全。

MK:でも、芥川龍之介とかを読んで暗い文章を書き始めたのもこの頃だし、あと、大っキライな生物の授業中に江戸川乱歩の「鏡地獄」を読んでハマったのもこの頃なんで、やっぱり、なにか変わりつつはあったかもしれません。

つづく

2006/4/19

小林未郁:コバヤシミカ にインタビューする vol.4  インタビュー
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----音楽的にはなにか変化が?

MK:バンド始めました。

-----おお、やっと!

MK:中学時代はひたすらカラオケに行って、そのころ流行ってたビーイング系の歌を声が出なくなるまで友達と歌いまくる、とかやってたんですが、やっとバンドになりまして。バンド名は、えーっと・・あ、「カンパニー(仮)」っていう名前でした。誰かの曲のタイトルだったんですけど、「カンパニー」だけじゃダサいよね、っていう事で、「(仮)」をつけたんです。ドラム、ベース、ギターふたり、キーボードにボーカルが私、の6人バンドで、組んだ最初の時、とにかく各自、自分のやりたい曲を持ちよったんです。そしたら、ハロウィン、ジョージ・マイケル、安室、プリプリ・・・もう見事にバラバラでした。で、私はミニー・リパートンの「ラヴィング ユー」。でも、とにかく全部やりました。

-----活動は?

MK:基本的にはいわゆる「文化祭バンド」ですねー(註:安古市高校は文化祭が盛大なことで県下でも有名)。一度、地元の貸しスタジオさんが主催したバンドコンテストとかには出ましたけど。その時はベストボーカル賞戴きました。他のメンバーにはプロ志向は全然なかったんですけど、私はこの頃はすっかり、絶対音楽で食べていけるようになりたい、と思ってました。マルチタレント、って言うより、はっきり「歌手」になりたい、と。

-----っていうことは、もう高校在学中から、大学進学とかは全く考えてなかった。

MK:考えてませんでした。むしろ、「資格をなんにも持っていない人間になろう」と。なにか「余計な資格」を持ってるとそっちに逃げちゃうだろう、と思ってたから。音楽以外の事が出来ないように、自分で自分の逃げ道を塞いじゃったんです。

-----気合入ってる!

MK:でもその結果、ほんとうになんの資格も持っていないので、今になってすごく大変ですけど(笑)。

-----なにか大きなコンテストには出なかった?

MK:バンドでは出なかったんですが、個人でカラオケの全国大会、みたいなコンテストに出ました。で、広島地区予選で準優勝して、東京で開かれる全国大会に出場することが決まって。その全国大会の日が偶然にも高校の卒業式と同じ日だったんですが、ここは折角のチャンスだから、と思って、卒業式を欠席して東京に行きました。ところが、その数日前からひどい扁桃炎にかかってしまっていて、ずっとお医者さんで点滴を受けてて、その副作用でノドが締まってしまい、ちゃんと声が出ない状態で出場したので、全然ダメでした。これが、改名にいたる要因、その2、です。

-----二度も「ここぞ」っていうとこでダメになったんだ!

MK:そうなんですよ。でもとにかく、歌で食べて行きたい、それには東京に出るしかない、ということで、卒業してすぐ東京に来て、「東京アナウンス学院」という専門学校に行きました。と同時に、広島の知り合いの紹介で、小さな音楽事務所に所属しました。そこの社長さんのススメで、この頃から自分で曲を書き始めました。
でも「東京アナウンス学院」は個人的にあまりにも楽しくなくて、1年でやめちゃったんです。ダンスの勉強にはなったんですけど。事務所にはそれ以降3年くらいお世話になって、デモテープを作りためていったんですが、音楽的な方針が徐々にズレていって、どんどん心理的に追い込まれて。もうダメだ、このままじゃいられない、と思って、いったん広島に戻ることにしました。
で、しばらく地元でアルバイト生活をしてたんですが、西暦2000年のある日、東京の某レコード会社さんから電話がかかってきて。そのレコード会社さんと、大手出版社さんのタイアップ企画の「島耕作オーディション」というので、あなたがグランプリを獲りました、と。

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-----「島耕作」って、マンガの「課長島耕作」だよね。それはどういう経緯でエントリーした?

MK:お世話になっていた事務所が応募してくれてたんです。降って沸いたような話でしたけど、当時、案外話題にはなった企画で、特に出版社さんのほうのタイアップでは、「コミックモーニング」の見開き2ページに二回も載せてもらったり、スポーツ新聞やワイドショーでも何度も紹介されて。副賞で「ニューヨーク旅行」というのも貰って、行ってきましたよ、ニューヨーク(笑)。で、翌年2001年春にはCDデビュー、の予定だったので、この時は広島に住んだまま、デビュー準備で月2回東京に来て、レコード会社で2曲ずつデモを録ってました。

-----この話は前からなんとなく聞いてたけど、そこまで順風満帆な雰囲気で盛り上がってたんだ、その企画!企画名からして、CDデビュー曲は当然、「島耕作」がらみなわけだよね。

MK:TVのスペシャルドラマで「島耕作」があるので、その主題歌を歌ってデビュー、というはずだったんですが・・・・なぜか、これが流れてしまったんです。

つづく

2006/4/19

小林未郁:コバヤシミカ にインタビューする  vol.5  インタビュー
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-----それは、また、なぜ?

MK:原因は今でもナゾなんです。レコード会社さん、出版社さん、どちらに聞いても、お互いのせいにしてる感じで。もちろん、基本的に、スペシャルドラマの「島耕作」の企画が流れた、というのが最大の原因だったんですけど。そのドラマがなぜ流れたのかも、不明です。
で、デビュー中止。

-----しかし、そこまで小林の名前出してあれこれプロモーションしてたり準備してたんだったら、そのメーカー、せめてCDシングル一枚でも出すべきだよなあ・・・それが責任ってもんだろう。

MK:私もそう思って、一生懸命お願い、というか、抗議したんですが。本当に号泣して抗議した時もあります。でも結局聞いてもらえず、で。あれだけ盛り上がったにも関わらず、一枚のCDも出ませんでした。これが、改名にいたる要因その3。決定打です(笑)。

-----確かに、そりゃ決定打・・・・っていうか、それでもあきらめない小林はマジでエラい!その後は?

MK:フリーで活動をはじめました。いろいろと助け船を出してくださった方もいて、
「あっと驚く放送局」というWEBTV局で7時間生放送の「生イキ!」という番組のパーソナリティをやったりしました。小林未郁のプロモーション、ということで、ノーギャラでしたけど。

-----ノーギャラ!それまたすごいなあ・・・で、その頃、「かむゐ」の連中と知り合ったんだよね。彼らが「和じゃ!」っていう番組やってて。

MK:はい。

-----他の活動は?

MK:とりあえず、録りためたデモテープはたくさんあったので、それを使って、クラブやイベントで歌ってました。バリバリ元気な感じで。ブッキングも全部自分でしてました。それは、今も変わりませんけど(笑)。


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つづく

2006/4/19

小林未郁:コバヤシミカ にインタビューする  vol.6  インタビュー
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-----で、2003年の暮れ頃、「かむゐ」経由で福田に会って、ああいういわゆる「アイドル系」の歌やパフォーマンスはこの際思い切って全部やめて、ピアノの弾き語りしたら?と言われて、「明るい歌」はあえて全部封印、2004年から弾き語りライブ開始、デモテープもどんどん録って、去年の「月夜のかけおち」に至る、と。

MK:はい。「月夜のかけおち」は、今聞くと、うわー、もういっぺん歌いなおしたい、と思う部分もたくさんあるんですが(笑)、はじめてのCDとしてはすごく満足してます。それまでいろいろあったことはムダじゃなかったんだ、と思いました。自分でも大好きでずっと歌ってきた「鳥籠」もきちんとしたカタチになったし。

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-----最初に小林の歌を聞いたのは、確か、「武装社会」っていう、物凄いハードな歌詞(註:小林未郁のHP上で読めます)なのにメロもアレンジもやけに明るくて90年代ダンス系アイドルチック、っていう曲で、うわ、なんだこいつ、すげえ変なヤツ!って思ったんだけど、俺としては、曲も歌詞も悪くないけど、なにより「声が面白くない」と思ったんだよね、正直言って。なんていうか、すごく「普通の声」に聞こえた。でも、ライブでアカペラ歌ってるの聴いたら、ものすごくいい声だったんで、強引に「真っ暗路線」に進路変更した(笑)。いやでも声が引き立つように。それは方針としては成功だった、と思ってる。今回の「心臓ノ音」については?

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MK:「月夜のかけおち」が出来あがったあたりから、今度はもっと「お話風」というか、「物語的」な歌詞の歌が歌いたい、と思っていたので、自分的にすごく嬉しいアルバムになりました。中でも「鐘突き男の恋」は、自分でもすごく好きな曲ですねー。この曲聴いてくださいって、自信を持って言える感じ。

-----確かに、すごくいい歌を歌ってるよね。あれは泣ける。さて、小林未郁、というアーティストは、今後、どういうことを、というか「なにを」表現していきたいんだろうか?

MK:えーっと・・・それはすごく難しいですけど・・・うーん、難しい・・・
例えば、この間、変な夢を見たんですよ。
すっごくカラフルできれいな遊園地の上をふわふわ飛んでるんですが、
地平線のほうに、真っ暗な森のようなものが見える。見たくないんだけど、見える。
ああ、あっちのほうに行っちゃいけないんだ、と思いながら、ずっと飛んでる。
・・・・これ以上うまく言葉でいえないんですが、
そういう「うまく言葉で表現できない感覚」を歌で表現したいですね。

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-----具体的なイメージよりも、空気感を提示したい

MK:そう、なにかに対する「答え」ではなくて、空気です。廃墟の感覚とか工場の孤独感とか・・・ひとりで東京に出てきた時の物凄い疎外感で、昔から持っていた「理由の無い寂しさ」が、もっと強烈に切実に感じられるようになっているので、そういうものを伝えたいです。

-----人形が好き、というのもそのへんとつながってる?

MK:吉田良さんの作る人形を最初に見たときに感じたのは、寂しさ、だったですから、そういうことですね、多分。

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-----なるほど。さて、では、オマケの質問。
小林のHPやブログのタイトルにはかならず「猫」がついてるけど、ひょっとして猫好き?
小林が猫の事を語る局面を一度も見たことがないんで、よく分からなかったんだが。

MK:猫、大好きですよ!実家では初代「ちま」二代目「ちこ」三代目「ちろ」と、一匹ずつ猫を飼いつづけてきました。性格も完全に猫系です(笑)。

-----納得。それじゃ、これで本当に最後。
次の言葉から連想する言葉を即座に答えてください。

MK:うわ、なんか緊張しますね、そういうの。

-----ではいきます。まず、「沈黙」。 

MK:沈黙・・・沈黙ですか・・・・えーーーっと・・・・・・ひつじ

-----街  

MK:茶色

-----束縛  

MK:・・・・くさり

-----解放  

MK:赤とか白

-----依存  

MK:ニート

-----海   

MK:黒い

-----雲   

MK:すきとおってる すかすか

-----道   

MK:細くなっていくもの

-----薬   

MK:依存

-----消しゴム   

MK:消しカス・・・あー、つまんない答(笑)

-----幽霊     

MK:寂しい

-----未来     

MK:金色

-----絶望     

MK:緑

-----希望     

MK:ガラス

-----以上、お疲れさまでした!

             クリックすると元のサイズで表示します
                       おしまい


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