2007/8/13

夏の真ん中  雑感

 セミの声、幼鳥を連れてやって来たシジュウカラ、蝶や蛾、蜂たち、たくさんの虫たち。夏の空と雲。摘み取られてジャムになったり、ヨーグルトに入れて楽しんだベリーたち。元気に泳ぎ回る小さな池の金魚とメダカ。グングン育つ水草。2メートル以上の背丈になったフェンネルたち。川岸を自転車で走り抜け、飛び跳ねる魚たちの影を追い、鳴き交わす野鳥に姿を追う。

 30度以上の日が二日続いてこのあたりもようやく夏らしい夏になりました。この瞬間を十分に受け取って今というときを楽しみ感謝しています。決してのんびり状況ではないのですが、せめてこうしてブログに書き込む時間くらいはゆっくりしたい.....そんな気分の夏です。

 長年がまんしてだましだまし使っていたPCがストレスになって支障を来たすようになり思い切って新規PCを使うことにし、同時に回線をようやく光ファイバーラインに切り替えました。そのためにデータの処理や設定の変更に伴う諸々の作業にかなりの時間を費やしました。ようやく、最低限の対応が出来るようになり、気になっていたブログも再開。あちこちから受け取っているメールの移行が手間取りこれからまとめて返信開始です。

 動作確認をかねて少しインターネットの世界を覗きながら、こうした情報過多の世界と接触するときはくれぐれも自分を誤解し、空虚な自己満足に陥らないようにという自戒の思いが強くなります。情報として提供されているものとそれを受け取る側。双方に実質とのギャップが生まれやすいように思います。

 勿論、それはネットの世界だけのことではないのでしょう。顔と顔を合わせていても言葉のやり取りをしていても、それだから分かることと、それだから分からなくなることが常に付きまといます。心のつながりが生きる力の根底に必要だと思うのですが、それが思うように実現できないような気がします。

 店頭の水槽にいた金魚やメダカたちが、光と雨と風の中で水草といっしょになった時、ものの見事に生き生きとした姿に変化していくのを見ていると自然とのつながりの大切さを強く感じます。私たち人間もまた同じような要素を持っているのかもしれません。コミュニケーションの大切さは、自然との確かなつながりを持っているという基盤と無関係ではないのでしょう。

 言葉にならない思いを伝えるラブフルートの伝説が、こうした本質的な意味を素朴に伝えているのを知るとき、ラブフルートが誰かに愛を伝える笛というよりは、むしろ自分自身が愛に気づくために与えられた笛とも言えるのかもしれません。

 奏でるものの心、心で受けるものの心、その笛を与えたものとの繋がり。これらがまたたく夜空の星たちのように人生の旅路を埋め尽くす光となっていることに気づく。そんな夏の夜空をゆっくりと見上げる時があるといいですね....。
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