2006/6/26

和太鼓とインディアンドラム  雑感

 先日美唄で開かれた演奏会。第一部インディアンドラム。第二部和太鼓。そんな組み合わせになりました。5〜6年前に一緒に演奏した和太鼓、獅子舞のカメサンとも久々に顔を合わせました。お互いに口にこそしないけれど、老けたな...。 

 ぎっしり貼り付けて、がっちり鋲で留め、ガンガン叩く和太鼓。その激しさ、威勢のよさ、切れのよさは強い印象を与えます。叩くという単純な動きが、こうも複雑で美しく不思議な世界を作り出すのもなのかと、改めて感心しました。2本の腕で叩いているとは思えませんでした。さらに大小さまざまま太鼓が組み合わさり、楽しい時間を過ごす事ができました。生きることの純真さ、ひたむきさに触れる空間は実に心地よいものでした。

 考えてみると、張り詰めた皮を硬い丸棒で強く叩くのですから、かなり強い音が生まれます。音とは空気の振動であることをまざまざと見せてくれました。全身音の波に包み込まれている、そんな空間でした。いや、包み込まれるというより、呑み込まれると言ったほうがいいかもしれません。

 和太鼓の強さとは対象的なインディアンドラムの響き。しかも単純すぎると言いたくなるようなリズム。硬い撥ではなく、皮で包まれた綿や布のマレット。強く張り詰めた皮ではなく、両面を皮紐で縛り付けただけの太鼓。実に対照的な太鼓の世界でした。

 和太鼓に合わせて甲高く鳴り響く横笛。これだけで賑やかな祭りの空気が生まれて来るのですから、音の持つ力は大きいと思います。音には人の想像性を刺激する強い働きがあるのだと感じます。

 和太鼓は、村や里。インディアンドラムは広い空間、大陸的な空間とのつながりを感じます。そして、笛の音にもそれぞれの世界につながる印象があるように思います。

 どうやら音は明らかに風土と繋がって存在するということなのでしょう。音色と風土は切っても切り離せない関係にあるのでしょう。それは音に限られた訳ではなく、形や色彩、言葉も風習も..いやその全ては生かされている場、土地とのつながりの中で育まれているのでしょう。

 以前、私の製作したラブフルートを持っておられた方が、北海道で開かれたインディアンの方たちとの交流の際に、ラブフルートのトレードを申し出られたことがありました。本場のインディアンが、何故日本人の製作したラブフルートを望んだのでしょう。結局彼はお気に入りのマイフルートを、アパッチインディアンのたっての希望に応じて交換したのでした。親交を大切にしたいという思いと、「この笛はアジアの響きがする」という言葉が彼を動かしたようです。

 このエピソードから感じるのは楽器は風土と人間とが繋がって響くものだということです。その響きを、誰が何処で、どんな状況、どんな内面的状態のときに聴いたのか。これも一つの要素ですが、もうひとつは、その響きが吹き手や聴き手が生かされているその場との繋がりを持っているかどうかではないかと思います。

 さらには、その繋がりをどんな形で受け取り、表現するかでもあるでしょう。強く、激しく、鮮明になのか、静かに、優しく、深く、無に繋がるのか。静と動、陰と陽。対峙する要素との調和。さまざまな可能性が引き出されてくる世界があるのだと思います。

 たぶん生涯模索しながら、許される間はラブフルートを作るのだと思うのですが、いつか日本の風土に育まれた人たちが、風土の中から生まれたラブフルートを奏でた時、インディアンたちがその音色に触れ、互いの深い心の繋がりを感じる...そんな時が来るかもしれないな..と。独自性、唯一性は、より普遍的で本質的なお互いの繋がりに気づく入り口なのだと...。
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