2007/8/29

月の夜  雑感

 早朝から慌しさと残暑の厳しさの中で休憩も取れずに過ごした一日でした。車を走らせていると周囲の景色はうっすら秋色。ススキが姿を見せ、風がどことなくひんやりしてきました。夜の仕事を早めに切り上げ、夕食の時間を惜しんで皆既月食と共に過ごしました。

 不思議色の月が闇に浮かび上がり、星たちが周辺にまたたいていました。スコープと大き目の三脚、双眼鏡、デジカメとフルートを積んで街明かりから離れた農道に向かいじっくりと過ごしました。ひたすら時間に追われながらの仕事が一区切りついた後でしたから、時を忘れて月食の空と過ごすことが出来ました。

 そこで感じたことはたくさんありました。気がついたら2時間以上、スコープ、双眼鏡、肉眼で交互に月を見上げて立ちっぱなしでした。時折フルートを吹きながらたっぷりと神秘的な月夜の下で贅沢に過ごしました。

 自分たちが立っている大地も、あの月と同じように宙に浮いていて、くるくる回っている....。何故浮かび、何故回っているのだろう....そんなあれこれの思いがキラキラ瞬く星のように浮かび上がってきました。
情報満載の不思議な映像の数々に感動するのも良いのですが、やはり事実そのものの中にいると不思議そのものと一体化した自分を強く感じます。

 月明かりの中に浮かび上がる周囲の情景の美しさが深く心に残りました。うっすらとした独特の色彩はとても魅力的で、いいな、いいなと何度もつぶやきながら眺めていました。一人の時間はとても贅沢で十分満喫できましたので、肉体的な疲れは残っているものの日中の激務は、遠くに行ってしまいました。

 もうひとつ感じたのは、暗闇の世界に月や星をちりばめた天の摂理の見事さでした。漆黒の闇に囲まれて身動きできなくなった私たちが、心を天に向けたときちゃんと光を注がれていることを知り、絶望することがないように....。輝く太陽は見えないけれど、その光を受けた月が闇を照らし、月が見えなくなっても星たちがメッセージをつないでいるのですね。

 もうひとつおまけですが、自分自身は光ることは出来ないけれど、立派に輝いている月を見ていると光を妨げるものを取り除けばなんの変哲もない石ころだって十分に輝くぞという思いが浮かんできました。
 
 何よりも、この数時間の天体の動きが心身の根元に力と喜びを満たしてくれたことを知り、感謝しながらの帰宅になりました。どれだけの人が月を眺めていたのでしょうね....。
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2007/8/26

変わり目  ラブフルート

 8月に入って、葬儀関連特集で音楽葬のテレビ放映。24時間テレビ・ローカルSTVホールでの収録などで日常とは違う空間に紛れ込んで振り回されているうちに庭の草花はすっかり秋色になり始めていました。草取りをしなければと思いつつ時間がとれず、ハーブも野菜も雑草もそれぞれ自由に育っています。

 日が差せば汗ばむものの、吹き抜ける風は秋色になり始めています。夏の喜びを一緒に歌った木の実たちはすっかり葉の色を変え、身支度を始めています。風が変わり、色が変わった...北国の四季の変化はエネルギッシュでアクセントがはっきりしているような気がします。

 こうした変化は肉体にも、精神にも起こるのでしょう。変わり目というのがある...。常に変化しているといえば、その通りなのですが、やはり竹の節目のような象徴的なことが起こります。すーっと伸びて、カクンとなる。これを何度か繰り返しているうちに、そろそろ来るな..という予感がするようにもなります。

 自然を見ていると、すーっと伸び続けることはなくて、やはりどこかに区切りがあるようです。物事が成長していく過程には、節が必要なのでしょう。樹木も良く見ると枝を張ることで自分を支える力を増していることが分かります。

 四季の変わり目を感じながら、自分自身の変わり目を確かめる。果たして、その変化はどこに向かっているだろう。必ずや終局を迎える人生ですから、今というときの意味を静かに受け止めながら旅を続けたいものです。足跡を確かめ、節目を感じ新たな旅支度を始める。そんなひと時があるといいですね。
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2007/8/17

トンネルの中  雑感

 猛暑が一転して冷たい風に変わった...夏を満喫しただろうから、そろそろ秋への準備だよと言われているような雨空になりました。厳しい作業の後、ゆっくりと音色とつながる時間をとる。このバランスを失わないように心がけてはいますが、作業で酷使した指の痛み強く感じると、いつかどちらかを選択しなければならないときが来るのだろうなと思います。つまり、製作に専念するか、演奏だけに切り替えるか...いまはまだなんとかバランスを保っていますが、力仕事は指に良いわけがありません。

 かつてギターを弾きまくっていたころ、将来のために極力力仕事は避けたほうがいいですよと指導された記憶があります。ラテンギターで多用するラスゲアードでさえ、多用しすぎると繊細な指の動きが出来なくなるからと警告されました。結果的に、指導に忠実になれなかった私は脱落。後輩たち数名はギターのプロで今も活躍しています。

 ギター弾いたり、フルートやリコーダーを吹いたり、いろんなバンドをやっていたことも自分の内面との繋がりがなければ空虚さが付きまといます。ほぼ必然的に内面的な世界への関心へと方向転換し、しばらく旅をしてきました。

 現在の演奏と製作とレッスンの動きは、いわばこれまでの流れを集約したものとも言えそうです。体を動かし、具体的なものと向きあう作業は、浮ついた論理や空想を退ける直接的で具体的な時間です。読書や情報や論理や価値観を言葉の中で構築することは、大切ではあるけれど肝心なことを失う危険性も高いように思いますから、カラダを持って生きている現実を十分感じる肉体作業は大きな助けです。思うようにならない素材と向き合うことは、おのずと自分自身を変化させていきます。

 音の響きというのは、具体的であると同時に、見えない世界、内面的に直結している不思議で独特な世界のように思います。演奏という動きにはたくさんの厳しい面があるのですが、それでも存在しているお互いが心の奥深くに持っている普遍的な要素を分かち合い、触発し合う空間であることに気づき始めると、その意義の大きさもまた再確認させられます。

 レッスンという要素は素朴な空間ですが、たくさんの知恵を学び何がお互いを結び付けているかを再確認する貴重な場です。

 トンネルの中・恵み野グランドキャニオンで数時間練習している時、通りがかった青年が礼儀正しく「少しの間聴いていてもいいでしょうか?」と声をかけてくれたことがきっかけで青年期から現在に至る一連の流れのようなことを書いてみました。
 
 変なおじさんがトンネルで笛を吹いてるのを聴いた彼が、いつかどこかで誰かの笛に心惹かれて、自分の歌を歌い始めるかもしれないなと空想しながら夜道を引き返しました。
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2007/8/16

ひとつの旅立ちを終えて  ラブフルート

 ここ1ケ月の間に14〜15本のラブフルートが旅立ち、工房のフルートは寂しくなりました。製作や仕上げにそれなりの時間をかけて様々な思いが詰まっていますから、みんな旅に出てしまうとどことなく気が抜けた感じです。

 それでもまた、ゆっくりと製作のための連絡が入り始め材料の切り込みが始まっています。30度を超える外気を承知で小さなプレハブ工房に閉じこもっての作業はなかなか厳しいものがあります。周囲は住宅地ですから騒音が少しでも漏れないように閉め切りますので、内部は軽く40度を超えます。数時間閉じこもって汗と埃にまみれていると様々な思いがよぎります。気がついたら夏休みがないな〜とか、こんな暑さの中で大変な作業をしなくてもいいかも....とも思うのですが、次に控えている仕事との関係で、今手を付けて段取りを整えないとフルート製作はかなり遅れてしまうことになるのです。

 フルートの原型になる切り出しの段階で、それぞれの木の性質が直接伝わってきます。かなり時間をかけてもまとまらない木もあれば、嘘みたいにすんなりまとまる木もあります。この時の切り出し方が、最後まで影響しますから、地味な作業ほど根気と集中力が必要になります。

 どんなものでも共通していると思うのですが、美しいものや存在感のあるものには人目に触れない地道な工程があるのでしょう。激しい機械の音の中で切り出され、削られていく、さらに内管が削りだされ、細かな作業が続く間は生まれてくる美しい音色とはまったく別の世界です。一枚の金属プレートもまた、切り出され、叩かれ、磨かれて重要な役割を果たします。

 いわば騒音にの中を潜り抜けてラブフルートが生まれてくるというわけです。大地に芽を出し、成長するまでの長く厳しい道を経て、やがて切り出された樹木たちは、いったいわが身に何が起こったのか混乱するというプロセスをたどるのです。

 樹木はその存在そのものの中から語りかけます。それを受けて、人は心をこめて笛になるまでの工程を忍耐強く辿ります。さらにその笛を手にする方との繋がりを大切にし、まだ見えないそれぞれの旅路を思い巡らします。

 真夏の厳しい作業を終え、この小さな工房との出会いをされた方々のことを思い返しながら過ごす時間には、言葉にならない密かな思いが巡っています。
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2007/8/13

夏の真ん中  雑感

 セミの声、幼鳥を連れてやって来たシジュウカラ、蝶や蛾、蜂たち、たくさんの虫たち。夏の空と雲。摘み取られてジャムになったり、ヨーグルトに入れて楽しんだベリーたち。元気に泳ぎ回る小さな池の金魚とメダカ。グングン育つ水草。2メートル以上の背丈になったフェンネルたち。川岸を自転車で走り抜け、飛び跳ねる魚たちの影を追い、鳴き交わす野鳥に姿を追う。

 30度以上の日が二日続いてこのあたりもようやく夏らしい夏になりました。この瞬間を十分に受け取って今というときを楽しみ感謝しています。決してのんびり状況ではないのですが、せめてこうしてブログに書き込む時間くらいはゆっくりしたい.....そんな気分の夏です。

 長年がまんしてだましだまし使っていたPCがストレスになって支障を来たすようになり思い切って新規PCを使うことにし、同時に回線をようやく光ファイバーラインに切り替えました。そのためにデータの処理や設定の変更に伴う諸々の作業にかなりの時間を費やしました。ようやく、最低限の対応が出来るようになり、気になっていたブログも再開。あちこちから受け取っているメールの移行が手間取りこれからまとめて返信開始です。

 動作確認をかねて少しインターネットの世界を覗きながら、こうした情報過多の世界と接触するときはくれぐれも自分を誤解し、空虚な自己満足に陥らないようにという自戒の思いが強くなります。情報として提供されているものとそれを受け取る側。双方に実質とのギャップが生まれやすいように思います。

 勿論、それはネットの世界だけのことではないのでしょう。顔と顔を合わせていても言葉のやり取りをしていても、それだから分かることと、それだから分からなくなることが常に付きまといます。心のつながりが生きる力の根底に必要だと思うのですが、それが思うように実現できないような気がします。

 店頭の水槽にいた金魚やメダカたちが、光と雨と風の中で水草といっしょになった時、ものの見事に生き生きとした姿に変化していくのを見ていると自然とのつながりの大切さを強く感じます。私たち人間もまた同じような要素を持っているのかもしれません。コミュニケーションの大切さは、自然との確かなつながりを持っているという基盤と無関係ではないのでしょう。

 言葉にならない思いを伝えるラブフルートの伝説が、こうした本質的な意味を素朴に伝えているのを知るとき、ラブフルートが誰かに愛を伝える笛というよりは、むしろ自分自身が愛に気づくために与えられた笛とも言えるのかもしれません。

 奏でるものの心、心で受けるものの心、その笛を与えたものとの繋がり。これらがまたたく夜空の星たちのように人生の旅路を埋め尽くす光となっていることに気づく。そんな夏の夜空をゆっくりと見上げる時があるといいですね....。
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2007/8/2

音域  ラブフルート

 ラブフルートは音域が狭いため、プロで演奏する何人かの方から2オクターブ出せないだろうか。せめて1オクターブ半は出せるものがほしいと相談されたことがあります。試みとしてアメリカの工房に依頼したものを見せていただいたこともありました。短いフルートと長いフルートを組み合わせるという考え方で作られたようですが、結果的に誰も吹きこなせないものになったようです。歌口も二つ、本体も二本。一体音の繋ぎをどうこなすのか..よほど巧みな人でも曲として成立させるのは難しいでしょう。

 この時、リコーダーやケーナやその他の笛たちのように裏穴を開けたらどうかと相談され、試作しましたがほとんど意味のないものになりました。先のフルートを製作したアメリカの工房の方も同じ結果だったとお聞きしました。その後しばらくは検討したこともありましたが、仮に音が出たとしても、それが美しい響きになるのかと考えると、疑問が生じ中断しました。

 R.Carlos Nakai&James DeMars の The Art of the Native American Fluteのテキストの中でも音域は1オクターブにプラス2ないし3音の運指が掲載されているだけです。運指には
いくつか流れがありますが、ほとんど左手の動きに違いがある程度です。ペンタトニックのスケールを平均律の12音階にする場合には、基準の音をどこにするか、最高音との関連で決めることになります。仮にドレミで吹いたとしても、和服でサッカーをするような感覚です。出来なくはないけれど、敢えて何故ラブフルートで吹かなければならないのか疑問がわいてきます。勿論、チューナーのない時代のラブフルートからすれば、何故ペンタトニックなのか...ということになるのでしょう。

 かつて吹いていたスチールフルートが4オクターブ、リコーダーが2オクターブ。どうやらラブフルートはほぼオカリナに近い音域と言えそうです。この6月の展示会向けに製作した太くて短いフルートを再度調整しているうちに高音とのバランスが難しくなり、思い切って通常のチューニングを諦めて、高めの音を選択しました。結果的に上の2音だけが唐突に上ずる感じのフルートになりました。

 ところがこのフルートを一般的な運指をやめて替え指を使うと、ペンタトニック5音階になりました。試しに12音階で吹いてみました。最低音をドと考えて吹くと1オクターブ上のドに加えて、レ、ミ、ファ、ラ♭が容易に出るようになりました。運指は少し複雑になりますが音域は広がります。

 ただ、音域が広がるとか、どの音が出るかといった価値観だけでは問題がありそうです。出来る出来ないということに意識が向きすぎて、出来ているつもりだけの本来の音の響きを忘れては本末転倒です。わずかな音域の中でも広がりや豊かさや力強さは十分生まれてくることに気づくとき、この音域の狭いラブフルートが何故、この時代に復活したか、少し秘密が見えて来そうです。
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