2008/9/25

実在した伝説の笛  ラブフルート

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 キツツキが木に開けた穴に風が吹いて美しい響きが森に響きわたり、それを耳にした若者がその木を見つけた...。それがラブフルート物語の一つとして語り告げられています。

 この9月のネイティブアメリカン・サバイバルセミナー、第一日目。立ち止まったところで、この写真のような光景がありました。時折、アカゲラの声がしていたのですが、まさかこんなところに、こんな木があるとは!!

 しかも、見事に5穴で、しかも測ったようにほぼ均等に開けられていました。この日の夕方からはラブフルートのライブとワークショップが予定されていました。実にタイムリーな出会いとなりました。

 この木を眺めていると、最初に笛の笛は「愛の笛」の物語が語るように、小鳥たちや動物たちが力を合わせて作ったのかもしれません。内部をアリが食べて穴が出来、風が吹いて音色が響き渡ったのかもしれません。

 人はそれを真似て笛を作るようになったのかもしれません。これは紛れもなく自然が生み出したものですが、とても印象に残りました。
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2008/9/17

静かに黙々と作らせていただく  ラブフルート

  RAVEN=ワタリガラスは人間に次いで多様な声を持つと言われていますが、それはそのままブルーレイバンのラブフルートの作り方と繋がっています。その90%はオーダーで製作するという流れは、お会いする方々の個性や人生の流れと関わりながら生み出されていくことを大切にして...と考えているうちに自然と生まれてきたスタイルです。

 それは既存のフルートではいけないということではありません。出来合いのフルートにも様々な出会いがありますし、工房からもすでに作られていたフルートも旅立っています。

 個人的な感覚でいいますと、アメリカのフルートショップで見かけた大量で多種多様なフルートを見ながら、何か選んでみようとしたのですが、音色も手触りもいま一つピンと来ませんでした。その時は、それが何故なのかはっきりしなかったのですが、今になると少し感じることがあります。

 それは、楽器、笛といった存在以上に、大切なものがあるんだな....ということでした。手にした笛にあれこれ意味や意義を持たせれば、それなりの価値を持ったものになるのでしょうが、どうもそれだけだと独りよがりな感じが漂ってきます。

 それは、人と自然、人と人の触れ合いが、自分自身に与えられている命、魂(ここではあえて、心や魂や精神の意味を厳密に定義する作業はやめますね..)とほんとうに繋がることかもしれないなと思うのです。

 別の表現をすれば、フルートにも出会い、人や自然とも出会っているけれど、自分自身の内面には自分自身では気づくことのできない壁もしくは扉があるのかもしれません。その壁や扉の奥にいるその人自身が、ラブフルートと出会うことの意味はとっても大きなものだと思うのです。

 愛の知恵を伝える笛を、単なる民族楽器や珍しい笛の一種としてコレクションする。笛は手に入るし、吹き鳴らすこともできる...演奏のアイテムにもなるし...。そういう流れにクレームを付けたいわけではありません。

 ただ、人生で出会うもの、存在の意味が深まる道に気づかなければ、主役はどこまでも自分自身という閉塞状態になるような気がします。

 オーダーでお受けして、個々の笛をゼロ状態から、出会った流れの中で新しく作りだすというプロセス、その時間や心の動き、合理的な機械作業を極力避け、汗水流しながら、木がもたらすメッセージ、会話やメールのやり取りで感じたことを思いめぐらす根気と忍耐と慎重さ、誠実さを求められるプロセス。

 この見えない時間と、不合理な手作業がもたらすものを大切に受け取る人々との出会い、その大切さと豊かさを、強く感じています。

 出会った方々が、新しい命に繋がる愛の笛を作らせてくださるのです。それは命や木や愛の意味をあらたに受け取る新しい心の物語の始まりでもあります。

 木の種類、長さ、太さ、手ざわり、仕上げられた状態、穴の数、指の位置、バードの樹種、形状、ケースのボタン、響き方の好み。これらを一つ一つ確認しながら一本のフルートが生まれます。このプロセスを通して、その人が大切に受け止められ、愛され、自分であることの印、喜びを携えて旅を続ける秘かな力になるかもしれないと思っています。

 何故自分の人生にラブフルートなのか、その秘かなメッセージがいつの日かこころの奥に届くかも知れない...。そんな気持ちで、今日もまた工房に向かいます。
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2008/9/11

かおり・かわりだま  雑感

 ここしばらく立て込んだ状態が続いたのですが、ある日無性に香りを嗅ぎたいと感じて、居間の香炉に火をつけました。これはあまり経験したことのないものでした。お腹がすいたとか、飲み物が欲しい、身体を休めたいというのは珍しくないのですが、香りが〜っと思っている自分にびっくり、初めての体験だったような気がします。

 立ち上った香を吸い込むと、すーっと身体がほぐれていく感覚がよ〜く分かりました。ラブフルートの旅をされている方の中には、色や香りにかかわっておられる方も少なくありませんが、こういう経験をすると、香りと笛の音に色が混じり合った世界に浸ってみたいな..と思います。一体どんなことになるのか少し興味もあります。

 勿論、日常の生活はあえて色や香りや音にこだわらずとも、いつだって自分たちをとりまいているのですから、それで十分とも言えそうです。ですが、特定の領域に関する集中的なアプローチは、やはりそれなりに意識を覚醒する機会になるのだと思います。それをうま〜く実生活の中で継続していく知恵があれば、生活はゆたかで楽しくなるのだと思います。あまりお金をかけないでという但し書きも必要ですが....。

 熱い蒸しタオルが気持ち良かったり、冷たいおしぼりが心地よかったり、木漏れ日を浴びた木の葉から差し込む美しい色に包まれて安らぎを感じたり......風や響きがこころを動かしたり....。こういうものが自然の中にたっぷりあって、それを感謝して受け取る心に満たされると、自分が今ここに生かされていることそのものが幸せであり喜びなんだという思いが静かにやってきます。

 そんな悠長なこと言ってられない、忙しい、生活が大変だ...と強い口調で話していた人にも、いつか気付かない時に、かすかな変化が訪れるかもしれません。

 笛なんか吹いてられるか..と思っていた人が、笛なくて人生やれるか....と変化している様子を見ていると時や出会いの中に待っている人生の知恵をしみじみ感じます。
 
 子供のころ、変わり玉と呼んでいた丸くて硬い飴玉がありました。溶けて、色を変えていくのを楽しみながら口に入れているのですが、何度も気になって取り出してみたものです。手にして、見ている間は溶けません。かといって、ずっと口に入れたままでは変化を楽しめません。

 口に入れたまま、変化する色を思い描いて、最後まで舐めていられるだろうか....。

 そういえば、口から取り出さずに、お互いの口の中の飴玉の色を教え合ったりしてたことを思い出しました。あの飴玉は、意外と知恵深い贈り物だったかも知れません。

 溶けること、変化することを楽しみながら今日も、ちょっと生きてみよう......かな。
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2008/9/3

石が風になる時  ラブフルート

 大きな岩を見ている時、ふとこの岩が砂粒になるのはいつだろうと考えてしまいました。それはもう自分が生きている時間の単位では想像もつかないことなのですが....。そもそも、この大きな石が砂粒になどなるのだろうか、とも思います。

 もし岩が砂になるのだとすると、おびただしい砂たちが、石や岩だった世界はどんな状態だったのだろう、とも思います。

 久々の露天風呂で見かけた大きな岩が、人々が手を掛けたり、雨だれがあたった部分だけ、ほんの少し形を変えているのを見つけました。この岩が半分になるのは、いつのことか分かりません。突発的な衝撃で真っ二つになったり、粉々になる可能性はありますが、それでも小さな砂粒になるには、さらに色んな道をたどらなければならないでしょう。

 どんなに大きな岩も風や水や熱や寒さで脆くなり、やがては崩れ落ちるのでしょう。この自然は、こうした流れの中で私たちと共に過ごしています。それを静かに思いめぐらす私たちと、それを包み込む自然。

 自分の中の石に気づくきっかけはさまざまでしょうが、一度気がつくと、至る所で行く手を阻み、苦痛や困惑、失意の根源となっている......ほとんど絶望的と思われる頑固で、ねじれていて、執拗にまとわりつくもの。それが自分自身の中にある。

 こんなものがいつの間に心の中に居座っていたのか...横柄で高慢で愚かしい考えを生み出すものが....。意地悪だったり、あまのじゃくだったり、知ったかぶりをしたり...。まあ、この調子で書き綴るととりとめがなくなるでしょう。

 それはだれかの話であって、自分のことじゃない?いや、紛れもなく自分自身の心の中にあるのではないか。若者が、フルートを手渡される前に見せられた鏡。鏡の光が目にあたった時、若者は目の前が真っ暗になる.....そこに不可解で知恵深い自らの石を見る。

 ラブフルートの旅を始られる方に、時折、これは長い忍耐を伴う旅の始まりになると思いますが、恐れず、ためらわず、この笛と一緒に歩き続けてみてくださいとお話しすることがあります。

 素朴な事実を、複雑な用語や手段でもっともらしく説明し、手助けとは程遠い困惑へと誘い込む世界。これぞ本質、真理、確かなものだと声を上げ、旗印を掲げる人々。自分自身の中の石を正当化して歩む世界。

  いつ、人は都合よく作り上げた自分自身のイメージから実態に向かうのでしょう....その道は隠された知恵の中にあるような気がします。その知恵の一つが、ラブフルートなのかもしれません.....。

 人生の旅の途上で出会った愛の笛を吹き続けていくうちに、いつしか石はその生涯(与えられた時間)を通してゆっくりと変化して行くような気がします。

 いつしか小さくなった砂粒も、口に入ればガリっと全身に響きます。肉体よりもはるかに敏感で繊細な心が、砂粒が風になる時まで、くじけませんように.......。笛の音、その響きが風になる道を伝えてくれますように....。
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