2009/1/26

映像...響き..  雑感

今年のスタートはライブと吹き初め、テレビ放映で始まりました。そこで何が生まれ、どこに繋がっているのかをゆっくりと眺めながらの歩みになりそうです。1月11日の放映に続いて1月31日には北海道テレビのローカル番組「スキップ」で正午から流れるということでした。

 こうしたメディアとの関わりには、自分でも予測できない波が起こるように思います。どんな媒体と関わっても、自分自身の実質が変わるわけではないのですが、断片を繋ぎ合せた映像が与える印象は当然のようにイメージを変質させていくように思います。

 そうしたイメージは映像に限らず文章を書いても、直接会話をしても、少なからず引き出されているわけです。興味深いのは、生まれて初めて自分自身が動いたり話したりしている様子をビデオ映像で見たときのインパクトです。この人は誰...?えっ!これが自分なんだ.....。自分ってこんな感じなんだ...と。自分で自分の映像を見てもこうした反応が起こるのです。まして、全く自分を知らない人が、その映像を見たとしたらどんなことが起こるのでしょう。

 映像で自分を見ることができる時代と、それがまったくできなかった時代にはどんな違いがあるのでしょう。こうした現象は映像のみならず、音の響きの中にもあるように思います。テープレコーダーが登場した時にも、映像ほどではありませんが、やはり自分の言葉、話し方ってこんな感じなんだ....と印象に残りました。自分で自分の行動の意味を認識できないまま生きている...。周囲を見渡し、様々な反応をし、判断している自分自身の足元が見えないまま生きているということになるのでしょう。どんなに静かに優しく演奏しているつもりでも、主張や誇張や作為が現れてくる.....。

 ラブフルートの響きには、こうした自分自身の状態を感じ取りやすい不思議な構造が隠されています。勿論、ラブフルートを吹けば誰でも自己洞察が可能だなどと安易にお伝えしているわけではありません。その独特の構造から生まれる響きの中に、自然に自己と向き合わせてくれる状態が生まれてくるのです。それは、求めている人の助けになる大きな可能性を秘めているようにおもいます。さらに重要なのは、自分の状態に気づかせること以上に、それを変化させるプロセスへと向かわせてくれるように思います。

 形、構造、仕組みにはそこに生み出される本質的な要素との深いつながりがあります。ラブフルート独特の響きには私たちの心と繋がる繊細で、不思議な道が隠されているように思います。それは、その音色、響きに触れた方々の変化となって受け取ることができます。

 何故、この時代、この国にラブフルートを求める方々がおられ、その笛がゆっくりとではあるけれど求められ、望まれて手渡されているのか....。その大切な意味は、メディアを通して伝えられるラブフルートの響きの中にも、潜んでいるのかも知れません。
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