2009/2/22

30数年ぶり  ラブフルート

  意外な流れで30数年ぶりに関西方面に足を運びました。出発の時はマイナス18度、1時間45分後には中央分離帯に美しい花が咲く宝塚に到着でした。ラブフルートのお届けとレッスンを兼ねて訪れた街は、微かな遠い記憶とともに浮かび上がって来ました。

 一本のラブフルートが、行き先を指し示す魔法の杖のように人生に伴っている不思議さを楽しみながら短い旅を楽しみました。

 伊丹空港に到着し、帰りは神戸空港から飛び立ちました。神戸空港に向かうタクシーの中で、運転手さんが大震災の時の様子を詳しく話してくださいました。10数年という年月の短さ、長さ、いろんな思いがよぎりました。

 幾度か「ホピの預言」という映画との関わりでフルートを吹かせていただいて来ましたが、今回はその活動に専心されているTさんともお会いできました。その流れで、映画を製作されたご主人のMさんとお会いする機会もありました。ゆっくりと会話をし、フルートの音色に耳を傾け、蝦夷ヤマザクラのラブフルートを作らせていただくことになりました。

 フルート演奏家としては日本でも知られているカルロス・ナカイにフルート差し上げたというMさん。フルートのことは分からないので、自分が持っていても勿体ないので差し上げたとのことでしたが、今度はご自分自ら一本のラブフルートを望まれました。奥様のシウリザクラのフルートとご主人の蝦夷ヤマザクラのフルートが一緒に歌う時を楽しみに作らせていただくつもりです。

 この時、Mさんが入院しておられる病院のお昼休みに4本のラブフルートの音色を聴いていただく機会がありました。山の木々に囲まれた食堂でゆっくりと木々の音色に包まれる時間が与えられたことを感謝しています。

 皆さんがラブフルートに耳を傾けるために集まられたとき、初めて皆さんの前で演奏したのが北アメリカポートランドの病院のロビーだったことを思い出しました。心を閉ざし、首をうなだれていた方々が、美しい...もう一度聴かせてほしいと口にされていたことを思い出します。有馬の病院にも、心を傾けて喜びや感謝を抱く方々が待っていました。

 関西に新しい思い出ができました。お会いすることのできた幾人かの方々とのフルート交流も感謝でした。帰宅した翌日は猛吹雪で空港閉鎖。そんな雪の中、レッスンに集われた方々の姿を見ながら、さあここでまた新しい風が流れ始めるぞ...と感じました。
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2009/2/15

母と幼子とライブ  ラブフルート

おちびちゃんたちいっぱいのライブが昨日終わりました。軽快なリズムでドラムが鳴り出すと、一斉に飛び出してグルグル駆け回り踊り出す姿はとっても印象的でした。森の響きの中にやってきた妖精たちみたいだったと感想をもらしていたかたもおられました。

 演奏を聴きながら、自分たちもドラムを叩きたくてうずうずしている様子も楽しみました。子供たちにドラムを叩いてもいいよ〜と言うと、今度は駆け回るよりこっちがいいという状態になり、ドラムから離れられなくなっていました。

 ディジュのケンGさんにも賛助出演していただいたのですが、ディジュの周りに群がった子供たちが、覗いたり、触ったり、吹いてみようとしたりで、大きな木の笛に群がる子供たちという状態でした。赤ちゃんをだっこしたお母さんたちが多少騒いでも大丈夫だよという環境で、少しでも音の響きを楽しめればという趣旨でしたので、じっくり、ゆったり音色を楽しみたいと思われて集われた方々には、ちょっとごめんなさいという形でした。

 イグルーが広場に二つ出来上がっていましたが、一気に子供のころの雪遊び状態に引き戻されました。その頃は、ただただ雪の中にいて、風や光や雪の感触の中で一日中遊んでいました。びしょびしょになった手袋をまきストーブの前に並べて、予備の手袋に履き替えて遊び続けていました。

 この日は、前日夜明けまでドラムをたたき続けているうちに生まれてきた新しい歌を歌いながらのドラムワーク、ディジュとのコラボなどを交えたライブになりました。
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2009/2/9

身長25センチ  ラブフルート

 片手で吹けるラブフルート。これを作り始めたのはいつ頃だったろうか.....。手軽に一緒についてきてくれるラブフルート。旅の友として連れて行けるラブフルートといった希望を受けて、いつのころからか作り始めました。

 当然のことですが、試行錯誤しながら試作が続きました。小さくても本格的な響きのするラブフルートというスタンスを土台にしながらも、柔軟に皆さんのご要望を取り込みながら製作を続けて来ました。今では、18cmから40cmまで様々なサイズのラブフルートが旅立っています。

 音量の大きい笛は夜吹きたくなったとき、近隣が気になって結局吹かない、吹けないという方も少なくありませんので、音量をセーブしたスタイルのラブフルートも少しづつ生まれています。本体を厚くして共鳴を抑えたものやクローズドスタイルで音量がセーブされたものもその一つです。

 サイズだけではなく、音量も小さくする。そんなフルートが生まれています。それは本格的、標準的ラブフルートとは言えないかも知れません。ですが、それは別の意味でラブフルートなのだと感じています。

 最近のテレビ放映をご覧になられた方々の来訪やお電話が続いているのですが、その中に片手の不自由な方からの問い合わせがありました。ちょっとした流れで、片手でも吹けるフルートを手にしたのですが、放送局の方がその様子を採用してくださったことがきっかけで、連絡があったのです。

 この連携プレイはチビチビの愛の笛だからこそ生まれたのだと思います。もっともっと短いラブフルートを作ってきて良かったな〜しみじみ思っています。あのフルートが目に留まって良かった.....。人を思う心から生まれる笛、ラブフルートの風がこれからも静かに求める方々のところに流れていくのだと思います。
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2009/2/4

ラブフルートを背負ってやってきた...  ラブフルート

東京からラブフルートを求めて飛行機に乗って来られた方と、ほぼ一日一緒に過ごしました。「百聞は一見にしかず」を文字通り実践された訳です。これまでにも遠方からラブフルートとの出会いを求めて訪ねられた方は少なくありません。

 北海道観光を兼ねて立ち寄られる方が多いのですが、今回は前日遅くに来られて宿泊し、朝から夜までラブフルートのために費やすことが目的でやってこられました。ほんとに?!そのためだけに来られるんですね...と確かめたほどです。そんな思いで来てくださると思うと、こちらの方が緊張?でした。

 既にアメリカで製作したフルートを2本お持ちなのですが、敢えて小さな工房を訪ねてくださったのです。本場アメリカのフルートではなく、日本人の製作するラブフルートを求めていますとのことで、ますます恐縮でした。

 その姿や思いを感じて、思わずラブフルートを作らせていただくことの原点に引き戻され、感慨深いものがありました。同時に、これまでに工房を訪ねてくださり、出来上がりを待っていてくださる方々の姿が浮かんで来ました。

 そんな中で、今度はこちらから東京に出かける準備が始まっています。ワークショップとライブを東京方面で開かせていただくという流れです。まるで、それを知っているかのように、このところ東京方面からラブフルートの問い合わせ、ワークショップへの関心を持っておられる方々からの問い合わせが続いています。

 大都市東京に一粒の雨が降る。そんな感じで、今度はこちらから出向かせていただくことになります。きっと、木の響きをひそかに求めている方々との出会いがあるのだろうと思います。これまでにも東京でレッスンを開いたことはありますが、ほとんど突発的な集まりでしたから、十分な交流はできませんでした。今回は3日間、ラブフルートのためだけに出かけます。

 ラブフルートの響きが人の心を動かし、厳寒の北国へと誘いました。ラブフルートに心を動かされた人が、東京でのワークショップとライブを計画されました。さらには、その計画を知って、喜んでお手伝いしてくださる方も現れました。

 心がほんとうに動き出すまで決して動かないでください。自分の心が心底そうしたいと思う道に気づいたら、その道をためらわず歩いてください。

 ラブフルートを携えつつ、新たなラブフルートとの出会いを求めて来られたその姿を通して、自分もまた新たな思いの中で、東京で待っているであろう人々との出会いの準備を始めています。
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2009/2/3

きざし  ラブフルート

 毎朝やってくる小鳥たちの姿が変化し始めて来ました。ツグミやヒレンジャク、キレンジャクが姿を見せ始めると、もうじき春が来るな....と感じます。小鳥たちばかりではなく、変化の兆しは様々なところで生まれてきます。

 ラブフルートを求めて動き始めることも、その一つのように思います。日常生活の中で、木製の笛は必要なのかとなれば、ほとんどの人にとって必要性はないと感じられるでしょう。やることいっぱい、やりたいこといっぱいで、笛なんか吹いている暇も余裕も必要性もないというのが普通でしょう。

 そんな中から、ラブフルートに心を寄せる方たちが現れるのは何故でしょう。その一つの要素は、自分自身では気付かない、心の奥にある思いが動き始めることにあるように思います。自分ではさして必要と感じていないのに、奥に潜んでいる心は、それを必要だと動き始めるのです。

 それが具体的行動に繋がるには、それぞれに必要なプロセスがあるようです。地に落ちた種が、いつどんな時に芽を出し始めるかは自然の流れにゆだねられていますが、人の心の思いもまたその一つなのだと知るのは嬉しいものです。

 様々な価値観や経験や知識で道を切り開き、自己確立するという生き方を当然の前提として自分を保持できている間、心の深い思いはじっとしています。意識は自分の現在の生き方を肯定する要素と繋がって生き抜こうとします。自分の生き方がうまくいかないのは、努力や認識の欠如のためだと言い聞かせたりもします。

 こうした自分のあり方そのもの、その大前提が違っているのかも知れないと自らに問いかける必要や予感はかすかにあるけれど、現実の行動には結び付かない....。そんな状態の中にいる人が、自分の心の奥にある扉を開いて光を感じる。そのひとつの道が、純粋な心、美しさそのものに触れることのような気がします。

 その大切な手掛かりのひとつがラブフルートの響き、その響きを生み出す独特の構造のように思います。自分の息を注ぐ時、木の響きが自分を包み込み巡っている状態。人生を取り囲んでいる深い愛を木の響きそのものを通して受け取ることではないかと思います。

 人は愛を確かめ、伝えるために文字や言葉を尽くそうとします。そして、本質を伝えた、知ったと思いこもうとします。しかし、そうすればするほど愛の本質は失われ、形骸化していくという流れに気づかないような気がします。

 なぜ、愛する人に思いを伝えるために、巧みな言葉や豪華な品々や誇るべき自分を示すのではなく、愛の笛を手渡したのか....そこに伝えられている伝説を、真理そのものとして受け取らないのか..
「愛の笛」の中の青年は静かに語りかけているような気がします。
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