2009/3/7

宝塚で歌うクルミペア・ラブフルート  ラブフルート

 少し前のブログで30数年ぶりの関西訪問と書いたのですが、それはちょっとした宝塚歌劇団リベンジでもありました。30数年前の自分は、宝塚歌劇の世界にまったく無知でした。それこそ、大阪に足を延ばしたついでに、ひとつ宝塚に立ち寄ってステージを覗いてみようと思い立ったのでした。

 映画館にでも出向くような気持で受付前に向かったのですが、その日にチケットを入手して入場できるような世界ではなかったのでした。それ以来、宝塚はちょっとした失望の象徴の一つになっていました。

 そんな自分が30数年後に宝塚に思いもよらぬ形で足を運ぶことになりました。この3月(東京は5月)に雪組が公演する舞台で、ラブフルートの音色が響くことになったのです。求められているスケールで同じものが2本必要とのことで、巡り巡ってラブフルート工房に連絡が入ったのです。

 注文がたまり作業が遅れ気味のところに飛び込んだ製作依頼にしばし戸惑いましたが、2千人を超える観客の前で歌うラブフルート、しかも時間の余裕が全くない。私が真っ先に考えたのは、そのフルートを皆さんの前で演奏しなければならない歌劇団の方たちのことでした。

 これまでにも、特別な事情でラブフルートを必要とする方たちのために、先に注文された方々に待っていただくことがありましたが、今回も、そのひとつとしてお受けすることにしました。言葉を発することのできない男性が奏でるラブフルートの音色...。物語の断片をお聞きし、その物語とフルートの繋がりから生まれる大切なメッセージのために、この小さな工房に声がかかったのでした。

 男性と女性のそれぞれが、同じスケールのフルートを奏でるため、チューニングやデザインを考えながら最速で間に合わせる作業が始まりました。くるみ・ラブフルートのペアの完成後・納品とレッスンのために宝塚歌劇団の楽屋入口の前に立った時、不思議な、それでいて必然とも思える感覚がありました。

 飛行機が遅れたこともありましたが、到着してすぐに稽古が始まりました。二人の女性と向き合いながら、かなり集中したレッスンになりました。その中心は、舞台を前提としたものになりました。バードとプレートとチューニングのコンビネーションを何度も繰り返し、安定して身につくまで反復すること。水滴がたまって音が出なくなる現象を舞台の上でどのように対処するかなどなど。

 お二人の真剣な表情は、緊張感はあるものの次第にフルートを奏でることの楽しさへと変化し始めていました。舞台での演奏ということ以上に、自分の人生の時間、空間の中で自分らしく自由に羽ばたき奏でる響きがなければ、その音色は心には届かないと思います。このレッスンのポイントは全身が自らの呼吸とひとつになり、その瞬間の中にいることですとお伝えしました。

 既に用意されていた楽曲との関係で、後日ブラックウォルーナットのAスケールフルートをお送りし、結果的に手を慣らすために最初にお送りしたシウリザクラフルートと合わせて4本のラブフルートが宝塚歌劇団のもとに届けられました。

 歌劇団の音楽担当者の方が、正直このフルートのことを軽く考えていたと思います。素朴でとても奥深いフルートなのですねと口にされた言葉が、印象に残っています。はるかに豊かに音楽の専門家として経験を積まれ、歩んでこられた方が、年若き自分の前で謙虚な眼差しを向けてくださったこと。それは、残された道を旅する自分にとってとても大切な出会いとなりました。そして、ラブフルートの持つ豊かで、多様で、奥深い構造と響きを改めて見つめ直すことにもなりました。
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2009/3/7

そこに響いているもの  ラブフルート

 再生音について考え続けています。一般的な環境では生音を直接聴く以外は、何らかの媒体を通した音の響きを感じ取ることがほとんだと思います。いつしか、それが当たり前になっているのですが、録音されたものを聴くことが可能になる以前、ラジオのスピーカーを通したものが中心だったのかとも思います。それ以外の音楽は、生そのものを聴く以外になかったのかもしれません。だとすると、音楽はとても貴重で、特別な意味合いを持っていたのかもしれません。

 学校で音楽を習ったことなどないという高齢の方々のお話をお聞きしながら、ラブフルートのレッスンを続けているのですが、考えてみたらフルートを吹いてみようとしておられるだけでも、凄いな〜と思います。楽譜なんか分からないという方々が、自分なりの音の流れや響きを楽しんでおられる姿を見ていると、自分とは違う感覚で笛を吹いておられるのだろうと思います。自分は、そういう方々の音の響きを聴くのをとても楽しみにしています。

 再生されたり電波を通してスピーカーで再現される音は、明らかに作られたものと言えるでしょう。どんなに素晴らしいアンプやスピーカーがあったとしても、それは再生音であり、響きを作り出す人の価値観の表現になるわけです。個人的には4〜5種類のアンプやスピーカーでCDなどを聴いているのですが、媒体によって、CDなどの響きは全く違った印象になります。一体、どの音響で聴けば良いのだろうかと戸惑うことが多いですし、多様な音の世界を考えればすべてにマッチする媒体はないのでしょう。そこには、実際の音の響きとは別の世界、新たな響きの価値観が生まれているといえるでしょう。音の意味、響きの感じ方、それは音をまとめて再現する方々の感性にゆだねられているともいえるでしょう。

 ライブなどで音響設備を使う時にも同じようなことが起こるわけです。持ち込んだ音響で慣れているライブも、違う音響になると随分違った響きになりますので、少なからず違和感があるものです。さらに言えば、聴いている人と演奏している自分との間にも、当然のように響きの違いが起こってるわけです。ステレオとモノラルによっても、勿論音の意味は変化する訳です。ライブを終えて、生音で聴いてみたいとおっしゃる方も少なからずおられます。

 とはいうものの、自分自身は幼児期から完全に右耳が聞こえないまま旅してきたので、ステレオという感覚を体験できてはいません。もし両方の耳で音の響きを感じたとしたら、どんなだろう...と時折思うこともあります。

 かつて、亡き母にウォークマンをプレゼントしたとき、頭の中心で音が響いていると聞かされ、まったく想像できない自分がいました。音に関する強いコンプレックスがあったのでしょう。音楽に関わることを続けていたのにオーディオもレコードもないまま長く過ごしていました。

 音楽に関わる活動をしているのですが、どういうスタンスで進んでいくのが良いかじっくり考えて残りの人生時間を過ごしてみたいと思っています。いろんな方々に音のことを教えていただきながら、一本のラブフルートを携えてもう少し旅を続けてみようと思っています。
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