2009/5/30

一夜の嵐  雑感

 控えめな白い花が見事に咲いて嬉しく、楽しい時間をくれたプルーンの花。小さなユキヤナギの花もたくさんの輝きを見せてくれました。咲き始めたヤマブキや赤いボケや斑入りのボケ、紫のオダマキ、風知草などが揃って庭で歌ってくれました。

 そんな庭に、激しい風と雨の夜がやってきました。白い花たちは跡形もなく吹き飛ばされてしまいました。たった一夜で、そこには何もなかったかのように...。失われてしまうこと、それは何度も人生にやってくることなのでしょう。

失われてみて、あの時の白い花の輝きがその瞬間のもので、それを見て感動や喜びを感じていた自分の人生の瞬間もまた記憶の世界に引き込まれ、次の新しい瞬間に繋がっている....。

 花弁は散ったけれど、そこには新しい木々の源が育まれ始めている。あの濃い紫色のプルーンが、花弁のあったところに生まれてくる。美味しい実の内部に、新しい命の種がある。光を受け、風を受け、水を吸い上げながら、実りのときへと向かう。

 花が咲くまでにも当然のように物語はあるけれど、どうしてあの可憐な花と呼ばれるものが木の枝から現われるのだろうという驚きの方が印象に残ります。しかもそれが、どうしてあんな色と形の実になって枝にぶらさがるのか...。

 およそ、自分たちの人生もこんな風に流れているのだと知るとちょっとした共鳴感覚が生まれてきます。自分も木々もそれぞれの道を歩む不思議な存在なのだという共振が起こってきます。実際、自分の人生が特定の木と繋がっているという感覚も生まれてきます。

 身近な体験や話題の中に、木との繋がりを知らせてくれるものがいくつかあります。木が自分たちと一緒に生きているなどといえば、怪しげな話に聞こえるのかも知れません。でも、そういうことがあるのだと知って生きるのもいいものです。

 人とのつながりから離れた時、自分に語りかけてくれる存在があることを知る機会が訪れるのかも知れません。それは、孤独や孤立から始まる道を辿って知る秘かな道とも言えそうです。
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2009/5/28

ふきざんまい  雑感

 今年はフルート製作のために集中的に取り組み続けているのだけれど、やはり少しやらなければという状態から離れて心のラインを整理しなければと感じていました。

 ひたすら作り続けていると多分秋風が吹くころまで工房にこもらなければならない...それはどうだろう。少し息抜きをしながらのほうがきっと長持ちするだろう..。ということで、思い切って郊外の森の中に足を伸ばして蕗の収穫で気分転換することにしました。

 すこし育ち過ぎたタラの芽や若々しいヨモギもちょっと...。ここ数年は製作や演奏などに追われて、山菜採りを思いつく余裕もなく、時間があっというまに過ぎ去り残念..の繰り返しでした。今年は、さらに追われているのにいいのかな...。いえ、だからこそ心身のリフレッシュが大切なのだと痛感したのでした。

 こんなに素朴で美味な食べ物がたくさんある自然の中に入り込む。それはとても素朴で面白い..。自分の命を繋ぐものを自分の身体を使って収穫する。それを調理して、食べる。

 これはとても基本的な生きていく姿なのだとゆっくり思いめぐらしながらの山菜採り。僕は、何にもしていない。耕したり、植えたり、肥料をあげたり、雑草取りも、水をあげたりもしていない。そこに育まれたものをいただく....。

 蕗の煮付けや油いため、梅漬け、砂糖漬け。どうやら、今週は蕗三昧で終わりそうです。蕗料理を味わいながら、人生全部ギフトで満ちていて、何一つこれは自分のものだなどと言えるものはないんだ...と確認。いえ、自分自身の命もまた、いつか自分のものではないと知らされることになるのでしょう。

 蕗採りの思い出の中に浮かんでくる亡くなった母の姿。懐かしい煮付けの味を真似ながら、春から初夏に向かう旅日記を綴ってみました。
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2009/5/19

カラマツの歌  ラブフルート

  カラマツの新緑が美しい季節に訃報が届きました。ラブフルート繋がりで、巡り巡ってアメリカ在住のM・Pさんとメールや電話での交流が始まりました。ある時、ご自身のCDを送ってくださいました。その魅力的な歌声を聴く時間を楽しみに過ごしていました。

 M・Pさんもまた、こちらからお渡ししたCDを「毎日のように聴きながら過ごしています。一度はどうしてもお会いしたい」というお手紙をくださいました。

 ワシントンで開かれる音楽祭に来てもらいたい、どうしても合わせたいネイティブのフルーティストがいるので会わせたい、共演できたら素敵だねというお話が届きました。

 翌年の夏、日本に来る予定が出来たので足を伸ばして会いたいという連絡が入りました。やがてお会いできる時が来ました。調度クリスタルボールが2個工房にやってきていたこともあり、フルートを吹き交わしたり歌を歌ったり会話をして楽しく過ごしました。マイフルートを作りたいということになり、樹種選びをしました。そして「カラマツ」という素敵な美しい歌が大好きなので、カラマツで作ってくださいということになりました。

 そのM・Pさんが亡くなられたという知らせが届きました。あまりに突然で、思いがけない知らせに言葉がありませんでした。眺めるたびに、なんて美しいんだろ〜と声が出てしまう新緑のカラマツの林...。カラマツはラブフルートになってM・Pさんと一緒に旅立ってしまいました。

 色んなことがあって人生が過ぎ去る中で、M・Pさんとの小さな出会いはカラマツ・ラブフルートと繋がって不思議な印象を残して行きそうです。人は自分に与えられた生涯の時間全体との関わりの中で生きていることを、今回改めて強く感じました。
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2009/5/12

展示会場でちょっと感じたこと  ラブフルート

 展示会が終わりました。やっぱり、新しい出会いが待っていました。一昨年より会場に張り付く時間はとれませんでしたので、残念ながらお会いできなかった方もおられました。その代わり、工房を訪ねてくださる方がおられました。

 木製の笛が、なぜこの会場に並んでいるのかと怪訝に思われる方も少なくありませんが、逆に近づいてくださる方もおられました。来場者のタイプが大きく分かれるのが興味深く、音楽とか楽器という存在が人間にとって何なのかな..という視点で眺めるといろいろと思うことがありました。

 工房に来られる方は、基本的に目的があり関心がある方々なのですが、いろんなものが展示されている場所では、全く関心を持たない方もおられるわけです。ボッきれを咥えて息を吹き込んでピーピー鳴らして何がいいもんだか...と。まさに暇人の暇つぶしの道具とみなす方も現れます。

 かと思えば神聖な道具として位置付ける方もおられます。そこにある、一本の木の笛が人の思いによってさまざまに変化する..。いえ、人それぞれが笛のことを意味づけているのだろうと思います。

 身の周りに、様々な情報や目や耳を刺激するものが溢れている生活の中では、笛の類いは余程でなければ存在を意識されることは少ないのだろうと思います。日常生活の中で、笛を吹くという場面、状況はなかなか生まれてこないように思います。

 人の言葉に耳を傾けるように、笛の音に心を寄せる。そんな時間や空間はあるのだろうか...。そういう時間、空間、関わりの必要性を感じるところから始まるラブフルート・ライフ。それは限られた人生の時間、心の思いとどんなふうに関わりながら生きるのかという自らへの問いかけから始まるように思います。展示会場でラブフルートの紹介をしたり音色を聴いていただきながら、そんなことを思って過ごしてました。

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2009/5/8

3種限定  雑感

 工房の南側は高い建物にさえぎられて畑作物の生育がおもわしくないのであきらめかけていたのですが、やはり花もいいけど少しだけでも作物も楽しみたいという気持ちになりました。本格的なことはあきらめることにしました。近隣では農家の直販所がいろいろあるので、そこから買った方が安いし楽しいのです。いろんなことを教えてもらうこともできますし...。

 そこで、比較的高価で個性的で収穫が少なくても満足度の高いものを植えてみることにしました。候補に上がったのが、ヤーコン、ゴーヤ、フルーツトマト。今年はこの3種限定で取り組むことに決定。

 ヤーコンは昨年試し買いをしてみて、予想以上に美味で、調理にも好奇心が出てきたのでした。比較的高価な野菜ですので、これは作りがいがあるぞと思っています。

 ゴーヤは年間を通じて、あまり食べていないのですが、ふと食べたくなることがあります。健康にも味覚の刺激としても面白そうですし、たとえ一本でも満足度が高いと思っています。

 フルーツトマトは手軽に収穫出来るのと収穫時期が比較的長いので色んなスタイルで楽しめそうです。
それに買うと意外と高いので、これまた満足度があるような気がしています。

 土を掘り返すと大きなミミズが至る所から顔を出しますので、比較的養分の高い土のようです。大地に何かを植えたり、育つのを待っていると自分たちの命がこういうものに支えられているんだな〜という実感が湧いてきます。まして、こまやかに目を掛け、手を掛け、気を使いながら種から育んだものならば、どんなに強く大地への感謝が生まれてくることでしょう。

 知識や頭で知ってることと、実際に手を真っ黒にし、腰を曲げ、汗を流し、時間を掛けて収穫したものをいただくことの違いはかなり大きいと思います。

 スーパーで食物を買うことがあたりまえになってくると、こうした感覚はどんどん薄れてしまうような気がします。もし、スーパーにものが並ばなくなったら、きっと住むところを小さくして畑を広くするようになるんだろうな...と思います。

 多分、どんな知識や情報よりも、足もとの大地とどんな風に繋がって、水や食料を得るかを学ぶようになるのでしょうね。それは、単に食物を手にいれ命を繋ぐこと以上に、命が大地と繋がっていることへの神秘と感動と感謝、そして幸せや喜びになっていくんだろうと思います。

 果たして無事収穫となるかは分かりませんが、もし機会がありましたら収穫の頃にでも工房にお出かけください。ミニ収穫祭を一緒に楽しみましょう。
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2009/5/7

モクレンの花の前で  雑感

  連休中に開かれている展示会に参加しているのですが、昨日は少し早めに出発して公園を散歩してから会場に向かうことにしました。このところ工房にこもりっきりで季節の変化をゆったりと感じることができませんでしたから、ほんの少し気分転換になりました。時間を気にしながらではありましたが、初夏を思わせるような陽気をちょっぴり味わいました。

 小さな池の傍のベンチに腰かけ、カモのつがいの食事をながめながら、自分も軽食を取り出して遅い朝食にしました。背後にはまだ背の低い桜が2本、満開でした。目の前には背の高いモクレンがあり、両脇に背の低い種類の違うモクレンが咲いていました。

 目の前を通る方々の会話を聞いていると、「まあ立派なコブシとモクレンが!」と指さしている奥様がおられましたが、ご主人が名札をみながら、ここにはモクレンと書いてあるけど..と。どうみてもコブシではない花をコブシと呼び、コブシと間違われそうな花をモクレンだと声を上げていましたから、奥様はしばし沈黙。そーっとその場から遠ざかりました。

 次にやってきたご一家は、コブシが咲いてるけど、両脇は何の花なのか分からない..と話しながら通り過ぎていきました。

 最初の方は、コブシと間違われることもあるモクレンと、どうみてもモクレンと思われる花を入れ違えてしまったので完全にアウトではあったのですが、遠慮がちに「こっちにモクレンと書いてある」と口にされたご主人がいましたので、気まずくはあってもセーフでした。

 名札が両脇のモクレンにだけついているので、面白い現象が生まれたとも言えそうです。とはいえ時には、名札の記述が間違っていることもありますから、間違いや勘違いはどこまでも起こるのでしょう。

 似てはいるけど違っている..山菜とりの季節ですから、こういう勘違いや思い込み、間違いの類いはたくさん起こっているような気がします。勿論、それは植物の名称に限られたことではないでしょう。

 なかでも自分自身を勘違いしているという現象に焦点を当ててみるのは面白そうです。誰か自分以外の方と接点があれば、気づく可能があるのでしょうが、周辺みんなで勘違いしていることもあり得ます。

 勘違いしているから続けられるけど、実質に気づいたらやめた方がいい。逆もまたありで、駄目だと思っていたけど始めてみよう。そんなことが人生の中にはいっぱいあるのかも知れません。

 日常の言動を忠実に映像化してみることが出来れば、自分自身も他者もイメージの中で作られながら生きているという現象に気づきやすいような気がします。とはいえ、客観的に見えているはずなのにますます勘違いしてしまうこともありそうです...。
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