2010/7/29

ちっちゃいけれどいい感じ..  雑感

 5人それぞれの世界を携えて開かれた世界の民族楽器・ハーモニーライブ。ここしばらく色んな演奏者の世界と触れる機会が少なかったけれど、ひさびさにゆっくりじっくりそれぞれの音色、響きの世界を楽しむことができました。
 
 8面体のスペースは演奏者と来場者でいっぱいになりました。果たして席は埋まるのだろうかと思っていたのですが、ちょうどいい具合に車座を組むことができました。

 気がつけば予定時間をはるかに超えるライブになりました。それぞれの思いが満ちた空間は、双方に喜びと感動をくれました。

 ラブフルートの響きを感じるために作られたスペースですが、いろんな音仲間にとっても楽しんでいただければ、それもまた嬉しいことです。

 昼と夜の違いが音のイメージ、響きの印象を随分と変えるものだと思います。そして、音の響きがもたらす素晴らしいエネルギーも改めて感じました。それぞれの素晴らしい響きから、言葉にならないすがすがしい何かが伝わってきました。

 馬頭琴を聴けば弾いてみたくなり、カンテレを聴けば弾いてみたくなり、タンプーラを聴けば弾きたくなり、三味線やディジュもいいな〜と..。音の流れに心を合わせていると、なんともいえない幸せな気持ちでいっぱいになるのです。音に全神経を傾けている演奏者の姿にも感動します。

 時を忘れた素敵な時間に感謝です。満足げな来場者の姿も印象に残ります。つい少し前も、感動と喜びと感謝の電話がありました。

 そして、今日からまた新しい一日が始まりました。次の場面に向けて、ゆっくり楽しみつつ、今日の一歩を踏み出したいと思います。

KOCOMATSUブログもご覧ください! ⇒ http://kocomatsu.exblog.jp/
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2010/7/25

宝塚舞台の雄姿・ラブフルート  ラブフルート

去年の3月、宝塚の楽屋で男役の女性と、女性役の女性のお二人にラブフルートをお届けし、レッスンをしていました。その方々の舞台は結局見ることはできませんでした。残念だけれど、そういうこともあったな〜という思い出として過ごしてきました。

 ところが、今年になって以前ラブフルートをお渡ししたYさんから連絡が入りました。お友達が宝塚、雪組のファンで、舞台で使われていたフルートを作った人を知っていると話したところ、是非会ってみたいということになりました。

 二人でKOCOMATSUを訪ねてくださり、その後のライブにも来てくださいました。その時、近いうちに「ZORRO 仮面のメサイア」の放映があるので、録画してお渡ししますと約束してくださったのです。そして、次のライブの時、約束通りDVDを持ってきてくださいました。

 あれこれ慌ただしく、なかなか見る時間が取れなかったのですが、ようやく昨夜ゆっくり見ることができました。さて、どんなところにラブフルートが登場し、どんな風に吹いているのか気になりつつ過ごしました。

 舞台全体の時間からすれば、わずかな登場ではありましたが、舞台映えするようにやや大きめのバードのついたラブフルートの姿を懐かしく見ることができました。生演奏での舞台で、比較的音量の少ないラブフルートを吹いて聴かせるのは難しいことだと思います。でも、それがむしろ素朴な音色として響いていました。

 まずまず良かった..。ただ、当時のレッスンのポイントは、動きのある、着替えも慌ただしい舞台でラブフルートの音色が出なくなるというアクジデントへの対応策と心の自由さを大切に奏でてほしいということでした。ですから、十分にラブフルート全体が共鳴するための呼吸のレッスンができなかったのが少し残念でした。

 ストーリーからすれば、もう少し堂々と奏でても良いかもしれない...。言葉を使えない青年の唯一のよりどころとしてのラブフルートということでしたので..。

 ラブフルートが宝塚に旅立ち、ラブフルートを手にしていたYさんが宝塚ファンのお友達を連れて来てくださり、ついに宝塚の舞台で奏でられたラブフルートの姿を見、音色を聴くことができた..。この全体の流れが、あたかもひとつのメロディーのようです。

 はてさて、あの子たち(4本のラブフルート)は、今後どんな旅をするのだろう。小道具として倉庫で眠るのだろうか。スタッフの中に関心の高かった方がおられたので、みんなで分け合った?のだろうか。それとも、ラブフルートを奏でた彼(彼女)が大切にそばに置いているのだろうか...。
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2010/7/22

駅と線路  雑感

 道南の大沼公園。今年は大沼でのコンサートが2度。それも一週間開けてすぐでしたから、どことなく通いなれた?気がする道のりでした。

 随分若い頃に大沼でキャンプを張ろうとしたけれど、湖岸に立ってさーっと景色を眺めたものの、日程の都合であきらめたことがありました。それ以来の大沼ですから、多分40年近い...。通過はしても、とどまることがないまま、いつもどこかで気になっていました。

 そういうところを訪ねるのは、ちょっと不思議な気分です。イメージと意識の中で勝手に出来上がった大沼と現実の大沼の違いを感じつつも、どこか懐かしい感じでした。


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                大沼湖畔


 賑やかな観光地とは趣が違い、ゆったりのんびり空間でした。半日散歩したら、駅の周辺は全部分かってしまうような気がする小さな町でしたが、駒ヶ岳と大沼の景色は見事な組み合わせでした。

 夜になって、カメラ片手に散歩していると、自分がその場所にいることが不思議だな〜と感じました。
ふと駅の光景が目に入り、シャッターを切りました。ポツンとした駅が浮かび上がり、まっすぐに伸びた線路が印象に残りました。

駅って、乗るためにあるのか、降りるためにあるのか...多分どっちもなんだろうけれど..

待合室とホームと線路。
上りと下り。
素朴で奥深いものが、一つ所にある感じがします

二本の鉄の道と枕木。
線路というけれど、それは必ず2本で一つになっている

線路の真ん中を歩くもよし
どちらかの線路を辿るもよし
気の向くままに、右に左に移りながら進むもよし
引き返すもよし


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                大沼公園駅
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2010/7/21

響きの源  ラブフルート

  今日のレッスンのテーマはラブフルートの吹き始めと吹き終わりの呼吸でした。83歳の方の個人レッスンでした。フルートの音色と自分の全体性が一体化する。そういう響きと音色をレッスンの土台にしてきましたが、これは一朝一夕に感じられるものではないでしょうし、自分自身の問題でもあり続けると思います。

 地道で根気や忍耐が必要とされる旅の途上でふと「ああ。これかもしれない..と気付くようなものかもしれません。せっかちに、何か名曲の類を演奏できるようになるために、ひたすら努力を積み上げると云う事とはちょっと違います。勿論、そうした達成感を味わうことがあっても良いと思いますし、それなりの楽しさもあると思います。

 ただ、自分の中では出来る人と、出来ない人。自負心と劣等感、称賛や挫折感を引き起こす音楽に少し疑問を感じています。それが音楽だからという点では共通する要素があるのだと思いますが、そこにも激しい自己主張や安易さや奇妙な優越感を伴うこともあると感じるのです。

 それは人間が関わる世界に起こる必然的な状況ではあると思いますが、それはちょっと違うのではないかと感じたことを放置せず、心の内側がそうなのだな〜と思うことをじっくりと見つめ、ゆっくり確かめながら歩もうと思っています。

 自分自身を動かした動機、その始まりをじっくりと思い返すこと。そしてその旅の終わりを静かに思い見ること。そうした生きている姿そのものから響きは生まれてくるのだと思うのです。

 若い頃は、時間の許す限り、ギターを弾き、歌い、フルートを吹いて過ごしていました。それ以外の楽器の類も随分触れて来ました。そんなある時、一人の友人が一言「お前のギターの音、しっくりこないな..」と..。これは結構衝撃でした。指でつま弾くだけのギター。その一音の響きの違い、そこに現れる自分。

 それは、どんなに優しくしたい、穏やかにしたい、力強くと思って練習しても、そういう響きにはならないというショックでした。そしてフルートの響きにも同じことが起こっているのだと感じたのです。それらしくなることと、それそのものであることは違っていて当然なのでした。その後も音楽は続けていましたが、この時感じたことは終始心の奥に残っていました。

 優しさも、美しさも、静けさも、それが自分自身の心の事実とならなければ、そういう響きにはならない。どれほど練習し、難しいと思われるテクニックを身につけたり、上手だと称賛されても心が満たされなければ、空虚さが残る。このやり方、生き方は自分が本当にしたいこととは違う..。こうして、しばらく音楽から離れ自分の行為が歴然と残され、言い逃れできないものと向きあい始めました。

 こうした流れの中で、試行錯誤しながらもレッスンを続けさせてもらっています。気付き始めるきっかけに音楽があり、音楽がさらなる気づきへといざなっているようにも思います。

 もし生きながらえたとして、自分は80代半ばを越えて静かな情熱と謙虚さを持って歩んでいられるのだろうか...。与えられたレッスンの時間は、自らへの問いかけの時間でもあるな..と思います。
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2010/7/19

40年 そして 45年  雑感

 話が出て、10日もたたずに開かれた小学校のミニクラス会。近郊のクラスメイトに思いつくまま連絡を取り、担任の先生が来られるので、久しぶりに会おうということになりました。

 病弱で、公務員を辞めて以来、生活は不安定..両親を亡くして、未だに独身生活。はてさて今はどんな生活をしているのか心配だと常々口にしていた先生との再会。それは、オープン前のKOCOMATSUで実現しました。

 旅立って、様々な歩みを経た仲間が、色んな繋がりから少し離れて顔を合わせる。これは一種独特の感覚があります。社長さん、役人さん、市長夫人、バリバリ主婦、それこそ様々なジャンルに関わり、それなりの役割を果たしている年齢ですが、始まりはちびっこ小学生のクラスメイトなわけです。

 ちょっとした早送りムービーを見ている気分でした。へえ〜こんな風になったんだ...。話題は次々と変わりつつも、今度会うときは、今以上に変化しているのだろう..という予感がします。

 つい先月は高校の同窓会で40年ぶりの再会。今度は45年ぶりのミニクラス会。この波はさらに別の再会へと繋がっているのかもしれません。

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  イチイ(オンコ・アララギ)のトラディショナルスタイル・ラブフルート
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2010/7/17

音の旅人  雑感

 この7月28日のライブは10数年ほど前にお会いしたり演奏を聴く機会のあった演奏家たちのライブになります。当然ながら年齢は加算されているのですが、それぞれが積み重ねてきた旅のエキスがいっぱいの響きがいいな〜と感じています。

 いつかまた時を経て聴くことができれば、どんな感じになってるのだろうと楽しみでもあります。響きは演奏家自身の変化に伴って生まれてくるのですが、それは演奏家ばかりではなく、聴く方々の変化とも繋がっているのだと思います。

 発信する側も受け取る側も、それぞれの意識や感性の変化を感じながら旅を続けているのだと思います。久々にライブでお会いした方が、「失礼かもしれないけれど、随分いい感じになってるね」と声をかけられたことがあります。演奏は消え去っても、印象だけはくっきり残ります。それでも率直な感想を伝えてくださるのはありがたいことです。

 失礼という前置きは、プロの演奏家に云うことではないけれどというニュアンスがあるからだと思います。こうした感覚は、プロと言われている存在全体に対する、微妙なタブーがあるからかもしれません。教師や講演者に、何かモノ申しすのは失礼ということかもしれません。ですが、様々なことにプロという言葉を付けてみると、プロという言葉の実態は何なのか浮かび上がってくるように思います。

 プロという言葉はよくよく慎重に捕らえないと、独りよがりの自負心になりかねません。人生のプロ、人間のプロであることが、何よりも大切な土台のような気がします。こうなると、先生とか指導者という言葉の実質もかなり怪しくなってきます。人は簡単に称賛しながら、たちまち非難し、退けたりするものですから、自分自身を直視する必要があるな..と感じます。

 変化があることは生きている事、命を持っているものの必然なのでしょう。成長もすれば衰退もする。さて今度はどんな風に変化しているのだろうという楽しみや期待があるのが良いのだと思います。

 ライブの打ち合わせ兼リハーサルの面々は、それぞれに個性的な楽器を持って旅をしているのですが、その響きに包まれていると、音の世界、響きの世界が、また別の感覚を刺激してくれたような気がします。

 自分の中では、改めて息を注いでラブフルートと共に過ごすことの難しさと心地よさが混じり合っています。精神性、肉体のコンディション、内在する価値観、演奏に取り組む姿勢、聴いてくださる方々との繋がり。じっくりと見つめることがいっぱいです。

 是非、カッコイイ4人の演奏を聴きに来てほしいな..と思いつつ、誇りまみれの作業に向かいます。

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       図書館の近くの池のそばで出会ったワンちゃん。
       枯れ葉大好きだそうで
       じーっと枯れ葉を見つめてます
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2010/7/15

4人の演奏家  雑感

 今日の午後からは、この28日に予定しているライブの打ち合わせ兼リハーサルでした。草舞弦とRAUMAの4名。おまけで私も顔出し。最初は、太陽の光が弱く薄暗い感じでしたが、ゆっくりと光が差し込み始め、一気に輝きいっぱいのスペースになりました。

 様々な光の色彩が部屋を満たすと同時に、それぞれの豊かな音の響きが部屋を満たしました。それぞれの音色とリズムに誘われるように響きが繋がり、重なり、美しい調和が生まれる...。始めるともなく始まり、ゆっくりと静けさに辿り着く。

 奏でることをやめて聴き入るもよし、心地よい流れに身を任せるもよし...。楽譜を注視し緊張がいっぱいの演奏もあるけれど、その時あるがままの自分でいることがいい...。音楽のスタイルは、そのまま生きる姿勢に似ているのだろう...。

 一緒に音を奏で続けるように、人生もまたそれぞれの響きの中で道ができていくのでしょう。今日は響きで繋がる素敵な4人の中に混ぜてもらって、とっても心地よく幸せな時間を過ごしました。

 その響きは、密かな祈りに似て、愛にも繋がって、耳を傾ける人が誰もいなくても、許される限り奏で続ける。そんな音旅人達と過ごせた時間に感謝です。

 あと2週間後のライブ

その日 風はどこから来るのだろう

その日 光はどんな風に降り注ぎ

その日 ステンドはどこに広がり輝くのだろう

そして それぞれの響きはどんなだろう

それぞれの響きが重なった時  どんな世界が生まれるのだろう

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          RAUMA(嵯峨治彦・荒ひろ子)

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          草舞弦(杉中久夫・ゆう呼咲亜弥)

ライブの詳細は→http://kocomatsu.exblog.jp/
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2010/7/13

きらきら ゆらゆら  雑感

 光と水が触れ合う世界。輝く海の道をゆるりと眺めていると、向こうから光の源がやってくるように感じます。或いは、向こう側へ向かって歩いて行けるような気がしてきます。

 ほんとうに足を踏み出せば、ちゃんと歩いて行けるのかもしれません。片時もとどまることなく、きらきらゆらゆら輝いている道..。

海があればこそ、光は輝き道を作る...

いや、光があればこそ、海に輝く道ができる...

一瞬の間に、心は深い海の底を巡り、輝く太陽の世界を自らの内側に取り込もうとする...。

ラブフルートの響きが光の道、海の輝きと一つになる瞬間

自分という存在が消え

すべてが一つになっている事に気づく


これは以前訪ねた函館江差の夕景を眺めていた時に感じたことでした...


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2010/7/8

100才のフルーティスト  ラブフルート

この5月末で100歳を迎えられたラブフルート奏者!短めのレッドシダーフルート・5穴タイプを吹いておられるのですが、指の動きを考えて上の穴を2か所塞いで、3穴フルートとして吹いておられます。

 一時的な好奇心で求めたのではなく、毎日楽しみに吹いておられるとのことでした。毎日3キロの散歩も欠かさないとのこと。すごいな〜と思わず拍手です。そればかりか絵もたしなみ、8月には個展を開かれるとのことです。

 下は3歳から上は100歳まで揃った木々の響きを伝えるフルーティストたち。メールやFAXやお電話のやり取りだけでお会いしたことのない方もおられますが、あちらこちらの野山で囀る小鳥たちのようで楽しくなります。

 KOCOMATSUでのフルートレッスンには、定期的なレッスンだけでなく個人レッスンも希望しますという80代なかばの方もおられます。しかも、もっと色んなフルートを吹いてみたいとも話しておられます。

 ともすれば年齢で人をみる傾向が強い社会ではありますが、その人の生きざま、エネルギーこそが大切であり中心にあるのだと確認させられます。ほぼ確実に、自分は100歳までの人生を送れないとは思いますが、自分なりの命を存分に生きて旅を終わりたいものです。

 笛を吹くなどという、およそ人生に格別必要性がないと思われること。そこに生きる活力を見出されたり自分との出会いを経験される方もおられますから、出来る限りその方にふさわしいラブフルートを作り続けたいと思っています。
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2010/7/5

タジンコメント解禁  雑感

 3年ほど前から気になっていたけれど..。ようやくそれを手にする時が来ました。手に入れてから、ほぼ2カ月。毎日のようにトライし続けてきました。

 その名は「タジン鍋」。単に流行を追っておるだけではないかと言われれば、確かにそうかもしれないけれどモロッコでは定番の必需品だった。それが南蛮渡来の鍋として活躍し出したのです。

 人によっては使いにくく邪魔になる。台所で場所を取り過ぎるという方もおられます。それとは対照的にかわいらしいと喜び楽しむ人もおられます。使わずに、あれこれ言いたがる人たちはさておいて、実際に使い始めると、何かが違ってる...。

 野菜たちの出来上がりも味覚も、いわゆる蒸し器とは違っているのです。しかもエネルギー効率が良く出来上がりが早い。このあたりを説明し始めて数分後には、使ってみようかな..という声が聞こえ始めます。

 気がつけば、フルートの話よりも熱心に鍋話をしています。タジン鍋を在庫として仕入れて売ってもいいんじゃないといわれる始末です。光と響きのスペースに色んなタジンを並べて飾ってもいいかなと思ったり、タジン愛好家の調理や料理の持ち寄りの集まりも良さそうなどと、勝手に想像して楽しんでいます。

 ダッチオーブンや保温調理機と並んで、新参者のタジン鍋が加わりました。タジン鍋は電子レンジでもオーブンでも使用可能なものがありますので、応用性は高いかもしれません。

 一人の食事が中心の生活には、とりわけ便利。タジン鍋料理がそのまま食卓に上がって、食べ終わったら洗い流して次の出番を待ちます。野菜のうまみがいっぱいで健康的。トッピングをあれこれ工夫してあまり野菜をリッチでリーズナブルな料理が出来上がります。

 魚や肉も工夫次第で、ふんわり優しい仕上がりになります。火加減や焦げ付きへの工夫などで速くてうまくて便利を楽しめます。よくも2カ月も連日のようにタジン鍋を使い続けられるものだ..。いえいえ、まだまだ、いろんなチャレンジができそうです。

 最初は一人用。次に、来訪者にもおすそわけできるようにと一回りサイズの大きいものを手に入れました。ところが、使っていくうちに、こうなっていれば、ああしたいという思いがが兼ね備わってるタジン鍋と出会いましたが、ここに至って資金切れ....。なんとも皮肉なものです。

 この夏の野菜を楽しみながら健康維持、体力維持をお考えの方には、タジン鍋も良いかもしれません。
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2010/7/4

88人目の来訪者  雑感

 まだちゃんとしたオープンをする前にKOCOMATSUの来訪者が延べ人数で150名を越えました。自宅の狭い敷地に建てられた小さなスペース.。来られた方々がどんな印象を持たれたかはわかりませんが、出来るだけゆったり過ごしていただければと思っています。

 自分の心が静かに、ゆっくりと本来の状態になっていくまで待つ。そんな場になって行けばいいかなという気持ちでお出迎えしています。

 KOCOMATSUには時計がありません。光の移ろいがあるだけの空間の中にいると時間という考えかたが薄らいでくるようです。年月で区切った人生の捕らえ方とは違ったところで自分を感じ始めるのかもしれません。

 今朝は早朝からトドマツ・ラブ・フルートのチューニングを手掛けていたのですが、ようやく調整を終えてKOCOMATSUで響きや音程の確認をしました。この時、正面右手のステンドの光がミズナラの床に不思議な水の流れを浮かび上がらせていました。

 その光をじっと眺めていると、揺らぎながら別世界の入り口へと誘っているような錯覚におちいりました。背高のっぽのステンドは一日の始まりを知らせてくれる場所に立っています。その輝きは静けさを伴いながら、ゆっくりと深い水の世界を描き出してくれます。ほぼ同系色でまとめられ、一見地味なステンドはひとたび光を受けて投影されるとき、神秘的な世界を浮かび上がらせてくれます。

 ブルーのガラスの両脇に配された微妙な色彩が絶妙なコントラストを生み出し、青の深みだけでなく爽やかさや透明感を感じさせてくれます。シンプルで奥深い..。

 このステンドはステンド作家石戸谷氏が、なぜステンドと関わり続けるのかという問いへの答えの一つのような気がします。日々刻々と光の移ろいは変化し続けていますが、いつかこの光を感じてみてください。

 今回の日記は、新設ブログ KOCOMATSU http://kocomatsu.exblog.jp/ のご案内も兼ねて、同じ内容になっています。演奏や展示会などの案内は、ブルーレイバンのものは従来通りラブフルートリング(掲示板)でお知らせします。

 KOCOMATSU・光と響きのスペースでのライブや展示会のご案内・KOCOMATSU建設に関わった方々の紹介を含めたコメントなどは、KOCOMATSUブログに掲載しますのでよろしくお願いします。

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