2011/2/4

カードの事&節分に刑事課から連絡  雑感

 実務的な事を書き込むもは幾分煩わしいのですが、これもまた人生の現実だと割り切って、今日2度目の書き込みになりました。

 今回のカード会社とのやりとりの中で感じたのは、人生の限られた時間の中で、何が大切なのかということでした。前提を決して変えようとはしないのならば、対話をしても無意味だと云われました。しかし、結果的に前提を変えようとしなかったのはむしろ会社の立場にいる人だったような気もします。

 対話の実質は、提示された規約の主張と反復になりました。契約が強調されるのであれば、契約のプロセスに関する問題性はどうなのでしょう。双方が十分に納得した上で履行されるはずですが、十分な説明、とりわけ問題が生じた時の具体的な対応のあり方など、詳細の説明がないままカードが届きます。そして事が起きた時には会社側の規約だけで動いてしまいます。確かに、書いてはあるのですが、矛盾が潜んでいるし、どこか片手落ちな気がします。

 暗証番号がなければ、引き落としはできない。ならば、盗難の結果、お金が引き出された時はどうなるのか。その対応の結果が、会社によって異なるのです。この違いを考えてみれば、消費者が盗難にあった時のために、保険に加入するのは会社の責任ではないかと思います。盗難保険に入れないのなら、その点を明確にしていく必要があるように思います。消費者は、そういうリスクを契約しする前に十分承知でした上で契約することになるでしょう。

 めったに起こらない、可能性の少ない事が実際に起こった。そんな事例は、決して多くはないと思うのです。多くはないけれど、実際に起こったのです。ありえないという前提から始まれば、その視点は変わらないでしょう。ありえなくはないと考えれば、そういう時のための対処をする。それが会社の姿勢のような気がします。

 いい方を変えれば、万が一盗難にあって、暗証番号で引き出されるような事があれば、消費者が払うべきだというわけです。むしろ、そういう場合もありうるのだから、その時は消費者を保護しますという姿勢が必要なのではないだろうか。仮に、盗難保険に加入して維持する力がないのならば、そうしためったにないことに対する個別の対応をしても良いように思います。

 この会社の場合は、こうした状況に対する補てんの保証がないというのです。それは最初から提示されて注意事項として説明してもらうべき重要な事項だと思います。そうした対処ができない、しないカード会社だと分かればその会社のカードを敢えて所有したいとは思わないでしょう。ふたを開けたら、保証がなかった。自分が払うしかないという構図は、不親切ですし、ちょっと疑問です。

 第一に、この会社に勤務する人は、こうした内情を知りながら、自分の会社のカードを敢えて選択するのでしょうか。親しい仲間や家族に、このカードを勧めるのでしょうか。自分が支払いの当人ではないから、規約を示すけれど、いざ当事者になれば、システムの矛盾に沈黙できるでしょうか。なぜ、消費者に対しては規約の履行が主張されるのでしょう。

 保険に入っていないなら車を運転するなと言われるぐらい、いざというときのための保険は必要でしょうし、高い保険料を払うのは運転者の義務であり責任と言っても良いと思います。

 この会社が盗難保険に入っていないのは、会社の諸事情があるだろうからと百歩譲って受け止めたとしましょう。だとしても、通常起こらない事が起こったから支払いなさいではなく、通常滅多に起こらない事が起こったのだから、そういう場合には消費者の負担にならないように対応しますという姿勢が妥当な気がします。

 ブログの中に、その会社の具体的名前をあげることはしませんとお伝えしました。ですが、あまりに理不尽な対応となれば、風向きは微妙に変化するかもしれません。もし、個人的に問われれば、自分のようになって欲しくないし、仲間を守ろうとするのは自然な事だと思います。

 勿論、現段階では最終的な結論が出ているわけではありませんし、担当者も出来うる限りの事をしようという姿勢を示してくださっていますので、社名をお伝えするつもりはありません。

 今は、ビジネスの中にも、愛を!といった気持ちです......。それは会社自体にとっても有益な気がします。個人的には、このブログも含めて、出来うる限りの事をさせていただいたので、後は流れに沿っていくことになると思います。

 節分の日に、南警察署の刑事課から連絡が入りました。キャッシングの詳細の問い合わせと確認でした。何か動き始めそうな気もします。敏腕刑事の登場はあるのでしょうか...。

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  もっともっと短い屋久杉のラブフルート・バードは屋久島のヒノキ
      取り囲んでいるのは磨かれる前の屋久杉玉
     (詳細はKOCOMATSUブログに書いています)
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2011/2/4

交渉当日は大雪・報告断念  ラブフルート

 翌日のカード会社との経緯を書くつもりでしたが、車を出すために1時間半の除雪。吹雪になり、前方が真っ白けなのに、車を走らせる、無謀とも言える運転時間。通常の倍以上かかって辿り着いた頃には、既にぐったり。

 というわけで、十分に吟味した書き込みは断念。それは帰宅してから、車を入れるまでに3時間の除雪。あきれるほど降り積もった雪を、一人で黙々と取り除き、なんとか車を入れたものの、まだまだ雪は残っていました。空腹と疲労のまま、倒れこむように寝床に入ったのは朝方。

 精神疲労と肉体疲労に経済困窮と三拍子そろった長い一日でした。そして、翌日の朝も、除雪で数時間。いずれ屋根からの雪が落ちて、さらに重労働が待っています。

 休憩で部屋に入ると、障害を装って金をだましとった元道職員の事がラジオから流れて来ました。自分も、元道職員でしたが、障害者手帳は本物です。その手帳も今回一緒に盗まれました。痛みや不自由さを堪えながら生活している自分には、なんとも悲しい事件が聞こえて来ました。今は盗難を理由に手帳を再申請していますが、提示しても疑われることがあるかもしれないと思うと悲しい気分です。

 子供の頃は、手足を失ったり、目が不自由な人が路上に立って、お金を求めている姿がありました。
道を通る人は、それとなく目を合わせないように通り過ぎようとしていました。見てはいけないものを見る。そんな空気を感じた記憶があります。戦争という不条理の中で、肉体の一部を失った彼らは、どこへ行けばよいのでしょう。

 そんな記憶を手繰り寄せながら、再び除雪に戻り、疲れきったところにSさんが盗難事件を知って訪ねてくださいました。黄色いバラとオレンジのガーベラ、優しい色のスイートピーたち。とても素敵なアレンジフラワーを持ってきてくださいました。その花たちと出会って、なんだかようやく呼吸ができたような気がしました。

 疲れたこころとからだ。そこにやってきた励ましと笑顔と美しい花たち。いま、花はPCのそばにあります。今の自分が欲しかった色と輝きだと思いました。Sさんの姿の背後には、ほんとうに沢山の方々のこころある助けが重なって見えて来ます。助けられ、守られ、励まされ、支えられて生きる。それは心の思いが満ち、時が満ちて出会ったラブフルートとの旅路の途上に待っていました。

 ラブフルート達が失われた時に浮かびあがってきた事があります。どれほど心をこめて笛を奏でても、どれほど近くにいても、その思いが届かない人がいる....。逆に、まだお会いしたこともなく、木々の響きに触れた事がないはずなのに、ちゃんと愛を知り、与え、受け取り、響かせている方がおられrるということです。

 愛の笛といつも一緒にいること。それがファーストレッスンであり、ラストレッスンであること。それは、どんな行為や言葉でもなく、愛そのものの中に生きることを意味しているのだと思います。愛は漠然とした感覚や感情的なものではなく、とても具体的で明確なものだと思います。

 愛の笛の物語が教えている事の一つ。それは、愛は自分自身の中にあるものではなく、真摯にそれを求めるものに与えられるギフトだと云うことです。

 愛は、自己への完全な絶望から生まれた祈りに始まり、時を経て与えられる。少なくとも、この物語はそう伝えています。自己に満足し、自分の根底にある問題に気付かなければ、相手の中の問題ばかりが気になるでしょう。愛する価値のある何かを探すのではなく、自分自身の中に欠落している空白に気づくこと。それが最初の扉になるような気がします。
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