2011/5/24

ゆっくり、しずかに立ちあがる  雑感

  5月に入って、ほぼ3週間、何にも書きとめることもないまま時間が流れました。KOCOMATSUブログに、ちょっと調子悪いとメモ書きした以外は、何も書きとめず、この10日ほどは接客と薬を飲む時以外は布団の中でした。

 このまま病の中で、静かに消え去っても、どうということもなく淡々と時は流れ、そんな人も居たな..と思いだす人もいなくなる。20代の時も、30代の時も、40代の時も、ほぼ誰との関わりもなくなって病院のベットで過ごした時間がありました。

 大好きな夏が、何にも出来ないまま過ぎ去って、周囲の人の生活は次々と変わっていく。悲しい事も、虚しい事も、楽しい事も、良かったな..と思う事もあったけれど、自分の周囲では死を迎える人がいつもいて、社会の中に自分が戻る場所もないままの自分。苦痛のためにモルヒネを打ち続ける生活。経済的負担と先の見えない子供の病に憂鬱を隠せないまま過ごした両親と弟の姿。

 虚無感と喪失感が、孤独感と手を繋いでグルグル回っている時間が長かったけれど、ゆっくり何かが変わって来て、今は素朴な木の笛と歩いています。

 10年が、数年に感じる。この時間感覚に肉体の衰弱が加わるのだから、実際には予想以上に時は速く過ぎ去るのでしょう。

 フルート盗難の出来事は、久々の再会の時の話題となって甦り、古傷が痛むのに似て、鈍く深い痛みとなって現れます。あの時も、しばらく大きな空白があって、ようやく動き出そうとし始めた頃に大震災が起こって、再び大きな空白がやってきました。いまはさらに、放射能の重苦しく長い影が忍び寄っています。今年は、いまのところ実質半分しか時間がなかった感じがします。

 そんな最中に、さらに寝込んでしまったのですから、しばし過去を振り返る時間もありました。いつかは寝込んだまま起き上がれなくもなるのだろうけれど、不思議な事に途絶えていたラブフルートの製作依頼が少し続きました。まだ、私が作らせていただくフルートを待っている人がいたのです。

 木漏れ日を愛し、せせらぎを喜び、命に感謝して、木々との会話を楽しみ、花たちの宴に笑顔を添える人たち。その中に、木と息が触れ合う繊細な響きを感じる人たちがいて、それぞれに自分の時を感じてやってきました。

 ようやく明日あたりから動き出せそうな気配です。5月は、季節を味わう事もなく過ぎ去ろうとしていますが、忘れずに庭に現れたイカリソウ、カタクリ、ユスラウメ、ボケにヤマブキ、チューリップやツツジたちと声を交わしながらゆっくり出発です。
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2011/5/3

壁画の歌  雑感

  神戸のあきらさんのことを、もうひとつ書いておくことにします。それは、箕面のギャラリー会場の出来事です。今回の作品は、大きく二つのスペースに分かれていました。

 販売している作品コーナーと非売品のコーナーです。豊かな色彩とモノトーンの作品が対照的、かつ印象的でした。ある種、壁画の様な印象もある作品たちは、生物学のテキストの挿絵として依頼され、描かれた一連の作品です。

 様々な専門用語が飛び交う生物学の世界に長く関わって来られたあきらさんが、絵画の世界に関わるようになったからこそ生まれた作品。そんな印象を強く持ちました。

 連作になっており、それぞれにテーマがありました。生物学の視点と哲学的な概念が混じり合ったようなテーマは、描かれた絵と見事に調和していました。ゆったりと、作品たちの前を通り過ぎて行くうちに涙が滲んでくるのを感じました。

 涙の元を辿ると、そこには存在する世界の美しさと調和、密接な繋がりが浮かび上がっていました。どんな
に素晴らしい世界に生かされているのか、生命がなんなのか。しばしば心に浮かんできたものを、象徴的に描いた絵の力に圧倒されました。素朴な形象が、存在の本質をやさしく、たのしく、わかりやすく伝えていたのです。

 ひとつひとつの作品を、ゆっくりと眺めながら過ごす時間を、思い描くだけで、いのちが喜ぶのが分かります。自分は、音楽という世界を通して、浮かび上がる思いを分かち合いながら過ごしてきましたが、絵は音楽なのだということをはっきりと感じました。

 いつか、あきらさんをKOCOMATSUに招いて、楽しい現代の壁画たちを囲んで過ごしたいと思っています。自分たちの命と時間をどのように使かっていくのがいいか、静かに考えながら、過ごしてみます。

 自分の心が、どんな風になるとき、人は互いに愛し合う事を知るのだろう。ここまでの旅路で感じ、そうなんだよな〜と思いながら旅を続けて来たけれど、残された道もそんな感じで巡っていくような気がします。
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2011/5/1

東のココペリ、西のココペリ  ラブフルート

 関東と関西にココペリが現れた!

 東京のライブに駆けつけてくれた神奈川のTさん。定番のリッチなお土産を携えて顔を見せてくれました。彼がラブフルートを吹いている姿を見ていると、全身が幸せいっぱいになります。

 実に楽しそうで、心地良さそうで、魔法の響きが周囲を包み込んでしまいます。今回は、残念ながらTさんと音色を楽しむ時間はなく、シェア中の突然の揺れが参加者を脅かせました。関東には、ココペリ候補生も潜んでいますから、いつかまた出向く事があれば楽しみが増えていそうです。

 東京のワークショップとライブから、大阪と神戸に移動して過ごしましたが、この辺りにもココペリたちが現れ、周囲を喜びと幸せで包み込んでいる事が分かりました。

 昨年の関西のワークショップの後で、仕上げてお送りした、あきらさんのトドマツ・マイフルート。それはひと目惚れした彼女を、嬉しくて楽しくてみなさんに紹介せずにはいられない。そんな感じで響いていました。文字通り、森の中で一番色んな生き物たちがやってくるといわれているトドマツだからこそ、とりわけ多くの皆さんが集まるのかもしれません。

 あきらさんが個展会場でラブフルートを奏でる姿はとても印象的で感動的でした。静かに吹き始めていたかと思うと、次第に身体が動き出し、音色に合わせて楽しそうにステップを踏む姿は、まさにココペリそのものでした。みんなが、その音色を聞いて、すっかり楽しく幸せに包まれてしまうのですから...。

 あきらさんが愛犬ロンドと散歩に出かける時、その肩にはラブフルートが一緒です。ラブフルートレッスンの第一ステップを忠実に実践しておられました。あきらさんが、手渡してくださった「愛の笛」の絵には、彼が大切にしているトドマツラブフルートをやさしく包み込んでいる人物が描かれています。

 随分昔に、絵画と音楽の事をブログに書いた事がありました。今回の旅は、まさしく絵画と音楽の融合を実現させるものでした。指揮棒を振りながら、廊下を挟んだ向かいの部屋の絵画同好会の動向が気になっていた学生時代がありました。廊下で隔てられた、それぞれの空間が一つになった...。そんな感覚でいっぱいの旅でした。

 レッスンの中で、時折、見えない音の響きという絵筆で、見えないキャンバスに、自由に描くようにフルートを奏でてみてくださいと伝えて来ました。それは一つの面に描くのではなく、四方八方どこでも自由に描くのです。

 あきらさんは、ラブフルートに出会って、それまでたどってきた様々な心の思いとの強く深い繋がりを見つけました。私は、一枚の絵が、どれほど豊かで愛に満ちた繋がりを描き出すものかを、改めて強く知らされました。絵が音を響かせ、音の響きが絵を描く。ラブフルートと絵画を両手にした帰宅はとてもシンボリックなものだったと感じています。

 心底、トドマツラブフルートとの出会いを喜び、その響きを愛し、そこから生まれ出た絵。それは、初めてラブフルートを手にし、夜明けまで吹き続けた時の記憶と繋がります。木々の響きが全身を包み込んでくれたように、いま彼の絵が、私の全身を包み込んでくれるのが分かるのです。

 ラブフルートも絵画も、いつしか失われていくのだと思います。それは、失われる事を通して、何よりも大切な事を浮かび上がらせてくれるのだと思います。自分たちの心が、お互いの存在を愛し、喜び、感謝し、尊ぶ。その瞬間は誰も奪う事は出来ず、消す事も出来ないのだと思います。

 この瞬間が、これまでの歩みを支え、これからの道を繋いで行ってくれるのだと思います。それは、荒れ果てた瓦礫の中を、行くべき道を見つけられずにさ迷う時に惜みなく差し出される、透明で純粋な甘い水が全身を潤してくれる、そんな瞬間です...。

 東や西に現れ始めたココペリたちですが、北にも南にも姿が見え隠れしています。ラブフルートと呼び続けて来た15年。それはこの笛が、民族楽器であること以上に、「愛の笛」そのものであること、木々から生まれた響きの美しさに触れる喜び。感じる心の不思議さが密かに伝わっていくきっかけになればとの思いと繋がっています。

* あきらさんのホームページ http://www.eonet.ne.jp/~infinitas/
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