2011/12/27

歌い始めた高田の松の笛  ラブフルート

 思わぬ流れから大震災でなぎ倒された陸前高田の松との出会いがありました。北大の倒木ポプラの時もそうでしたが、それはまだ自分自身も知る事のない道に繋がっているのでしょう。

 それがどれほど些細な事であれ、不可解な事であれ、大きな意味を持って人生に待ち受けている人生のあらゆる出来事への深い信頼。目の前の事象に短絡的に反応するのではなく、根底にある深い意図に思いを向ける事。

 それは心を揺るがす事がないとか、感情が揺さぶられない生き方を意味してはいません。弱さのない完璧を演じる生き方ではなく、痛み悲しみ嘆きを伴う事を恐れない素朴で純粋な心で旅を続ける事だろうと思っています。

 予期せぬ挫折や孤独が待ち受けていた人生。密かな約束を信じて来た僕は、気が付けば老いが進み、死の準備を始める時期になって来ました。目の前には、母が死に、父が倒れた年齢が待っています。

 倒木ポプラと陸前高田の松が手元に届いた意味を新たな視点から受け取る事になりそうです。それは人生のバトンなのかも知れません。

  今回は陸前高田の松で2本のフルートを作りました。長い方のフルートに息を注ぐと、深い海の底に巻き込まれて行った人々のイメージが浮かんで来ました。

  それは怒りでも嘆きでも悲しみでもない不思議なイメージとなって湧き上がって来ました。仮に言葉を使うとすれば畏怖と静寂かも知れません。

 このフルートの響きだけでは重過ぎると感じ、もう一本フルートを作りました。こちらは落ち着きの中にも明るさや安らぎが伴う響きになりました。2本のフルートは、この23日のモエレと24日の藻岩山のコンサートで響きました。
 
 倒されたポプラと松のフルートが持っているメッセージ。その美しい響きは風になって求める人達のところに届けられるのでしょう。
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2011/12/21

届けタングロン  雑感

子供たちや妊婦たちを内部被爆から少しでも守ろうという願いを込めて動き出してから150日以上の時間が流れました。

 その間に何もして来なかったわけではなく、福島の現地の方々とのやりとりが続いていました。この間に、現地の状況の厳しさを痛感しました。思うように時間が取れず、現場の対応に追われている様がひしひしと伝わってきました。

 それと同時に、飲食物を手渡すためのプロセスには、様々な難しさがあると感じました。どの視点から捕らえるかによって、随分とイメージが違って来るものだと改めて気付かされました。

 あるイベントで、紹介され案内されている飲料水に触れる事がありましたが、どこかしら警戒心や、どうなのかな〜という感覚になっている自分を発見。なるほど、視点が変わると、ニュアンスが違って来るものです。自分や家族の身体に取り込むものですから。まして、お金を払うとになれば、はてさてどこでどんな動機で行動を起こせばよいのか危うくなってしまいます。

 タングロンなるネーミングも、なじみのある人にとっては良い感じなのですが、知らない人にとっては、良く分からないしイメージが湧かないのも当然かと思います。まずは自分が飲んでみるという選択をし、お会いする方々に試飲していたえだいたり、涙ぐましい努力を積み重ねてみるものの、健康体には分かりにくいし、栄養剤のような速攻性があるわけでもなく、難しいものです。

 まして内部被爆と云う言葉も、なかなか実感がわかないものです。そんなこんなで、子供たちの命のためにタングロンを送ろうという呼びかけは、消え去ろうとしていました。

 福島で4人目に接点を持った方と、ようやく具体的な動きが生まれました。相馬保育園との接点です。そこでは必死で子供たちを守ろうとする姿勢がうかがえました。それでも、タングロンの名前を持ち出してもピンとは来なかったようです。

 初めて耳にする方には、どんなものなのか見当もつかないのは当然です。150名以上の園児と職員の方々にお届けするには、こちらの資金はあまりにも限られています。保管場所の問題もあります。送料の問題もあります。継続した飲用に繋がらなければ、一時の自己満足に終わりかねません。

 たった一つの思いや必要が、決して簡単には具体化しない。これは今回の事に限らず、様々な状況の中で見受けられることではあります。日常に変化を生み出し、それを持続させること。それはひとえに、個々人の意識の変化と具体的な行動に関わることです。

 あたかも、これを飲めば放射能がみるみる体内から排泄されると思わせてしまうのも危険です。あくまで健康維持のための助けになる飲み物なのだといる領域を越えるものではないのですが、現地でどのような伝わり方になるのか、危惧する事も出て来ます。

 ひとつのことが、バランス良く適切に伝達される。この単純な事が、実際にはなかなか難しい。自分の意識が純粋で誠実であれば、問題ないようにも思えますが、現実には予想外の事が動き始めます。

 いまは、限られたチャリティー資金を、賢く生かせる知恵と新たな協力を願いつつ次の一歩に向いはじめています。密かな協力者も少しづつ現れています。
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2011/12/16

この道を歩く  ラブフルート

 ラブフルートガイドの準備を始めました。以前お渡ししていたガイドもありましたが、ほぼ一年前からフルートと簡単な文面だけを添えてお渡ししてきました。

 それなりに有用なガイドではあったと思うのですが、どこか違和感がありました。それはいわゆる教則本のようなスタイルに近いと感じていたからかもしれません。

 しかし、何もないのは不親切。さてどうしようかと思いつく事をメモしながら時間が経過していました。

 何もない空間に自分の呼吸と木々が触れ合う響きが生まれる。そこに起こっている事はいわゆる楽譜にしたり、教本のようなスタイルでは伝わりません。

 むしろ、教則本のようなアプローチはラブフルートに似合わないと感じています。勿論基本的なガイドはある程度必要ではあるのですが、それはむしろ補足的な要素かと思います。

 音楽という概念からすれば、楽譜があり、何かしらの知っている楽曲を演奏できるようになる事を求める事になるのでしょう。

 どんな曲がどの位上手に演奏できるか。それが目的になると、できる事で評価する価値観と繋がるでしょう。それはラブフルートが持っている大切な要素を見失わせるかも知れません。

 ラブフルートを単なる民族楽器のアイテムとして、自分のやりたい事、できる事を生み出す道具にする。そういう流れは始まってはいます。珍しさ好奇心で広がる笛としての流れはゆっくり広がっています。

  その流れを云々することは僕がする事ではなく、自分がこの笛と出会いなぜこの道を辿っているかを鮮明にする事が大切だと感じています。自分がアイテムを手にするというスタンスではなく、その出会いで自分自身が変わって行く。

 それはラブフルートと出来るだけ一緒に過ごす事。それを素朴に素直に実践する事です。人の心は様々な変遷を経ていますから、思っているよりもずっと奥深いところに自分が潜んでいるものです。

 その自分自身が笛との触れ合いの中で浮かび上がり、恐れも戸惑いもなく自由に生き始めるまでには、予想以上に時間が必要かも知れません。逆に表現すれば、随分と作られた自分が生きているとも言えるでしょう。演じても、模倣しても、論理や体験や知識で取り囲んでも、それは心の実質とは異なる姿かも知れません。

  ラブフルートとの出会いを通して、自分と出会う道に招かれている方々との旅。その為に最低限の要素を組込んだガイドをいつかお手元に届けたいと願っています。しばしお待ちください。
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