2012/4/22

あうということ・へんかしつづけること  ラブフルート

  バードテーブに群がる雀達の姿がすっかり見られなくなりました。春の食べ物が出始めたからでしょう。自然の変化が起これば、バードテーブルの餌に依存せず自然の中で生きる彼らの自立性は見事なものです。その代わり、ヒヨドリが残っていたくず米をたらふく食べていました。

 入口付近の氷割も終わり、ここ数日の日差しで一気に雪の姿が小さくなりました。見上げるほど降り積もっていたのが嘘のようです。一体あの大量の雪達はどこに行ってしまったのでしょう。

 変化にともなう心の動きについて、少し感じていることを書き留めて見ます。それは、ラブフルート製作の過程の中の事です。最終段階に向けて音程の調節をするのですが、この段階はかなり神経を使います。自分自身の体調や精神状態がはっきりと影響するからです。

 自分の意識がどこに向いているか、それが音程の流れと直結します。これは音程が出来上がっているフルートを演奏する時とは明らかに違ってきます。

 並べられた音がどのように繋がりを、流れを生み出していくか。それが演奏の世界だとすれば、音程つくりはゼロの状態から音を生み出して行く作業です。

 求められている音程になるように試行錯誤を繰り返すのですが、これはひたすら根気と集中力を必要とします。この時、どの位静けさと安定した心が保たれているか。これが大切なポイントになります。

 内面の状態は明らかに呼吸と繋がっています。笛は、その呼吸で響きを生み出すものです。ほんの少しでも先を急いだり、完成させることに意識が向いていると、合わせたはずの音程がバラつき始めます。

 呼吸の状態で、微妙な音程の調整が出来るのが笛の特徴なのですが、それが厄介なのです。微妙な心理が働いて、あっている状態を作り出しているのです。

 本当にあっているのか、合わせているのか。これはシビアで大切なポイントになります。合わせる気持ちで調整されたものは、結果的にバランスが悪く、いざ演奏となると使えなくなるのです。

  しっかりと合わせたはずなのに、結果的にあっていないという現象が起こります。 微妙な意識のコントロールが働いていたからです。

 これは笛の音程調整に限らず、様々な場の中で起こっているように思います。夫婦や親と子の関係に始まって、社会的な領域の中でしばしば見られます。教師と生徒、医師と患者、上司と部下、指導する側とされる側などなど。

 微妙な力関係が働いて合っている状態に見えているものも、いざとなるとガタガタと軋みや歪みが生まれるのです。これは、あっていたのに崩れたのではなく、合わせていただけで、あっていたわけではないために問題が表面化したのでしょう。

 とても順調に進んだはずの音程調整が最後の段階で失敗する。失敗して初めて、自分がどんな状態で取り組んでいたか浮かび上がってきます。それは不真面目だったり、気を抜いていたからではなく、むしろ真剣に取り組んでいるために起こってしまうとも言えるのです。

 バランスの崩れた状態を確認し、更に調整に取り組むのですが、この段階でかなり神経が疲れてきます。聴覚も心もへとへとになります。なんとか頑張って工房作業を終え、さて翌日確認をすると、またまたバランスを失っていることも珍しくありません。一本の笛の音程調整に、どれだけ取り組めばいいのか…。当然、気候の変化、温度の変化も音程を変えてしまいます。一晩経つと、気持ちがガラッと変わっている人の心との共通点を感じます。

  さて、最後まであきらめずにさらなる調整を始めて、ようやく全体の調整がまとまり始めます。ここにいたるまで、たった五つのトーンホールの間をどれだけ行き来することでしょう。

 一つのホールに手を掛ければ、他の4つのホール全体を調整する。常に全体の状態を確かめる。まして、吹き込み方一つで、どうにでも変化し続けるラブフルート。むしろ揺らぎの大きさが、このフルートの特徴といっても良いのです。ですから、このフルートと関わる時は必然的にゼロに引き戻されるとも言えるでしょう。これは人と人との関係と同じかもしれませんね。
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