2012/5/31

6月の桜  ラブフルート

  もう間もなく6月になります。6月の声を聞くとシウリザクラが浮かんで来ます。よく知られている桜とは趣の違うサクラで、6月頃に花を咲かせます。

  名前も知らなかったシウリザクラは、20数年振りに再会した木工家との会話の中で知りました。当時は僕が木の笛を作ることなど思いもしませんでした。彼は、笛を作っていることを知って、資材小屋の屋根裏から細い木材を取り出し、これで作って見たらと声をかけてくれました。この時初めて、シウリザクラの名前を知りました。

  いただいたのは辛うじてギリギリ一本作れるくらいの材料でした。失敗しないように慎重に手を掛けてみました。硬い木でした。内管を仕上げ、外管の荒削りを済ませ響きの印象を確かめようと息を吹き込んだ時、なぜか涙が溢れ出しました。突然のことでしたので、自分でも驚きました。

 この事は以前にもブログで触れた記憶がありますが、今回は新たな気持ちで書いています。涙の訳は今も分かりませんが、かなり時間をかけて仕上げたシウリザクラのラブフルート。その後、一年ほど吹き続け、ようやく響きと繋がり出し、やがて「愛の笛」という曲が生まれました。それは、その一曲のためにだけ吹く笛になりました。

  後に、このシウリザクラのラブフルートは、盗まれた笛たちと一緒に姿を消しました。CDの音源としても残っていませんから、コンサートでお届けした時に耳にされた方々の記憶の片鱗に残っているだけになりました。

  その子が戻って来て「愛の笛」を演奏する事はもうないのかもしれません。シウリザクラの素材を探し、数年後にようやく少しまとめて手元に届き、ご要望に応じて製作してきました。自分の為のシウリザクラの笛は、細かいヒビがあって製品としてお渡しするのが難しくなった細身の一本だけです。

  シウリザクラの響きは、どこか切なく深い思いが潜んでいて不思議な感覚に包まれます。人々に賞賛される、美しい桜たちが咲き終わった頃に山奥で密やかに質素な花を咲かせるシウリザクラ。その仲間が2本旅立ちの準備をしています。

  お隣の長沼町にある馬追温泉のすぐ向かいにある林道に足を踏み入れると、シウリザクラの花たちが出迎えてくれます。声の届く無理のない範囲で声をかけ、笛を片手にお弁当持って出かけてみるのも良さそうです。恵庭には原生林の面影を残す公園がありますから、公園の散策や温泉と組み合わせるプチ旅も良さそうです....。
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2012/5/28

誰かがいること  ラブフルート

  誰かがいる。それはただ黙っているだけかもしれないし、何か話しかけてくるかもしれない。

 何かをしてあげるかもしれないし、してもらうかもしれない。してあげるではなく、させてもらうとか、してもらうではなくさせてあげるのかもしれない。

 隣とはいっても、すぐそばなのか、ちょっと離れてるのか、ずーっと離れたところなのか。それによって誰かの意味が変わってくる。

 誰かがいることで、自分と同じようなことがみつかったり、全然違ってることに気付いたりする。

  一人でギターを弾きながら歌ってた時間がいっぱいあったけれど、合唱でみんなと歌うこともあった。毎日歌っていて、歌わない日がないような日が25年以上あったけれど、全く歌えなくなった時期も長かった。

 いろんな出来事の中で、クッキリ記憶していることがある。ある合唱練習の時、音楽大学の声楽科で学んだ友達がいた。彼と並んで、テノールのパートを歌っていた。僕の声域はバリトンなのだが、音量のバランスの関係で彼の隣になった。

  彼の隣で歌っていると、普段は出ないような声が出ている自分に気付いた。自分でも驚いて、ふと声を意識し始めると急に苦しくなってブレ始めた。無心に隣にいるとやがて声が出始めた。

  今彼がどこにいるのか、風の噂を耳にしてから随分時間がすぎている。もう会う機会はないのかもしれない。だけど、声を出していると、ふっと彼が隣にいた時の感じが蘇る。

 誰かがいる。それは遠い時間の中だったけど、いまこの時間の中にもいて、その時と同じことを口にする。彼は「イメージできる音は、出るようになる」と言った。この言葉は少し謎めいていて、時々思い出しては反芻しているが、咀嚼し切れてはいない。

  僕はなぜその時声が出たのか。それは彼の存在そのもの、彼から届く全身の響きにすんなり同調したからではないかと思っている。

  誰かがいること。存在していること。その存在が失われても、何かがそこにあること。

 そういう誰かと出会い、そういう誰かになって、グルグル巡っているのだろう。
 
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2012/5/26

蝦夷松のラブフルート  ラブフルート

  蝦夷松の響きがもたらすものは、トトロップ(トドマツ)とは微妙に違っています。蝦夷松は黒蝦夷松とも呼ばれています。それは、赤蝦夷松と識別するための別称なのでしょう。

  トトロップはどこまでも優しさと爽やかさが広がって行く感覚があります。限りなく優しさが浮かび上がるトトロップからは、北国の厳しさは感じられません。厳しい旅路の片鱗を感じさせない、強さと優しさがあるのかもしれません。

 蝦夷松はどうかといえば、優しく爽やかな響きの中に、凛とした強さが潜んでいるような気がします。森を知る方に伺ったところでは、トトロップ(トドマツ)と蝦夷松は、木の根元の印象が全く違うといいます。風格があるというか、存在感があるのだといいます。

  残念ながら、両者の違いを改めて自分の目では確かめていません。ですが、今年はしっかり確かめようと思っています。きっと、なるほどということになるのでしょう。

  切り出された素材を見ると判別は難しく、似たような印象を受けます。生息地の違いなどの個体差はありますが、見た目では分かりにくいものです。ここに赤蝦夷松が加わると一層分かりにくくなります。

 ですが、手で触れて、香りを嗅ぎ始めると、ゆっくりとそれぞれの個性を感じ始めます。手にした時のぬくもり、微かな香り、質感の微妙な違いを感じ始めます。

  さらに笛になって、息を吹き込み始めると、言葉では表現しきれない違いを感じ始めます。

 違っていて当たり前といえばその通りなのですが、違いってなんなのでしょう。さらには、同じってなんなのでしょう。

  同じように見えたり、同じ言葉や認識の中にいるようですが、実際には微妙な違いがあって、その微妙さが最も大切なのではないだろうか。

  トトロップの響きであれ、蝦夷松の響きであれ、その個性を浮かび上がらせるのは吹く人の呼吸から生まれてくる風なのです。そして、吹く人の呼吸には心の内側にある様々な要素が凝縮されているのです。

   トトロップに触れる時と蝦夷松に触れる時では微妙に異なった響きが生まれますし、吹く人の状態がさらに微妙な違いを生み出します。一本の木の笛との出会いは言葉を介さないからこそ、静かに深く自分の内面に向かう道を示してくれるように思います。

  また、それは木ですから、大地のことも水のことも生き物たちのことも伝えてくれます。風の言葉や光の豊かさや、雨の歌のことも伝えてくれます。彼らは、この地球という丸い大地でみんなつながっていますし、僕らよりは遥かに長生きです。

 蝦夷松のラブフルートを携えて、蝦夷松の根元でのんびり過ごす。そこから聞こえてくるメッセージはどんなでしょう?季節の移ろいを越えて、鮮やかな緑を保つ松たちには、彼ら独特の世界がありそうです。

 ひたすら優しさに満ちたトトロップと優しさの中にも強さがある蝦夷松。彼らは果たしてどんな人と出会い、旅を続けるのでしょう。
 
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2012/5/25

ボイスワーク  雑感

   素朴に声を出すことが顔を輝かせる。そんなボイスワークは、これまでにも様々なところでトライして来ました。アウトドアの時などのコミニュケーションの一つとして、気軽に声を出すことも良くありました。

 あの曲この歌と言った歌ではないため、時にためらう方もおられますが、仲間に加わっているうちに変化の兆しを感じることもあります。

 KOCOMATSUのスペースが出来てからの数年は、これまで以上にボイスワークの機会が増えています。

 ラブフルートとの接点を求めてこられた方が、インディアンドラムが気にいり、最後は声を出したり、時に身体を動かしてすっかり元気になられる。そんなことが良くあります。

 来られた時には考えられないような笑顔や表情の輝きに触れることも珍しくありません。

 はっきりとボイスワークを受けたいという方々には、それなりのプロセスを辿って頂き、レッスン料も頂きますが、成り行きで始まる方が自然な流れになりやすいかもしれません。

 お伝えしているのは、声とか歌という概念とは違った視点からのアプローチです。僕は今、ラブフルートの演奏中心の旅をしていますが、かつては合唱の指揮をしたり、ギターを弾きながら歌ったりもしていました。
 
 そんな中で、世界各地でボイストレーニングをしておられた方との出会いがありました。その方はプロのための発声のアドバイスをしておられたのですが、不思議な繋がりで数年指導していただきました。

  その当時は、なかなか言われていることが体得できず苦戦続きでした。頭では認識しているのに実際にはうまく行かない。せっかくの機会なのにと思うと、なおさらうまく行かない。そんな悪循環でしたが、シンプルで大切なポイントだけは、今もしっかり記憶し、出会った方々に噛み砕いてお伝えしています。僕自身の心の変化が声の変化を生み出すまでに、必要なプロセスがあり、時間がかかりました。今も声を響かせるたびに、新たな気づきが続いています。

 時間を経て、気付いたのは声の響きは全身の状態と内面の状態を明確に伝えてくれるということです。いま生きている状態がどんなものなのかが浮かび上がってくるのです。知識や情報や価値観を示して、理知的な印象があったり、スピリチャルなイメージが強く内面的な情報や知識が豊富な人も、声を出すと実質が浮かび上がって来ます。

 声の響きに、その人の全体性、生き方そのものが直接反映されるのは当然といえば当然のことです。他者の分析や洞察が巧みでも、いざ自分のこととなると全然違った状態が現れてくるのです。思いの外警戒心が強く、ガチガチになったり力んだり、恐れたり、カッコつけたり、開き直ったり、一体化できなかったりすることは珍しくありません。

 自分のフィールド(専門的な知識や知的な世界であれ、霊的であれ)ではしっかりしているけれど、それは一つの仮面的要素が強く、実質は仮面の裏表の全体にある。声はそれを浮かび上がらせてくれる人格の全体性のシンボルとも言えるのです。別な表現をすれば、声だけが別物であるはずはなく、全体の一部として響くということでしょう。

 ボイスワークは身体と心の全体性をリセットするシンプルなガイドになるかと思います。
  
  頭でわかっているのに、身体がいう事を聞かないという表現は少し違う....。頭を使う事が賢いと思い込んでいるために、実践に結びつかないのです。頭で身を守っているので、声も頭に仕切られている状態です。頭が霊的だけど実質は違っているというのも同じ状態でしょう。

  先日ボイスワークをされた方が、典型的に頭で理解するタイプで、ご自分でも自覚しておられたのですが、合間を見ながら少しづつガイドして行くうちに、ものすごい響きが起こりました。

  本人が自分の響きの力強さに気づき、圧倒され驚いた瞬間、頭が働いて止まってしまいましたが、未知の自分との出会い体験は貴重でした。最初はラブフルートに惹かれて来られたのですが、ボイスワークの事を聴いて、自分にはまずボイスレッスンが必要だと感じられたのでした。

 今回は声の響き(全身バイブレーション)について少し触れてみました。長文お読みくださりありがとうございます。
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2012/5/22

トトロップ・ラブフルート  ラブフルート

  トトロップ・ラブフルートの優しく爽やかな風の響きは、心を軽くしてくれるような気がします。トトロップはアイヌ語で、トドマツの語源になっているとも言われています。音の響きが可愛いので、ちょっと気に入っています。

 ラブフルートの音色を感じるためのKOCOMATSUも、このトトロップの柱を中心に組み上げられています。初めてトトロップで作ったラブフルートは残念ながら盗難に会いましたが、初めて触れた響きは今でもはっきりと印象に残っています。音色が響いた瞬間、心の中を風が吹き抜けたのです。

  比較的手に入りやすい樹種なので、特別な思い入れはありませんでしたが、響きに触れてすっかりイメージが変わりました。厳冬の北海道で育ったトトロップは、厳しさの中で優しさを身に付けたのでしょうか。

  材が柔らかいため、製作の難しさはありますが、生まれてくる響きは心地よく楽しみがあります。軽やかな響きは、個性が乏しく、おとなしめで弱い印象もありますが、大地に聳え立つトトロップの姿を知れば、イメージは変わるかもしれません。

  トトロップはクリスマスツリーに使われる木として思い浮かべることが多いと思いますが、ラブフルートを手に旅を始めた方々が、新鮮なメッセージを携えてくださるかもしれません。

  トトロップが太くて背の高いKOCOMATSUラブフルートになって歌い始め、インディアンドラムやディジュリドゥー、ハンマーダルシマー、カンテレ、馬頭琴、三味線、ジャンベ、ドラムセット、ウッドベース、ケーナ、ギター、歌声、ハープ、クリスタルボール、トンコリ、三線、琵琶などと一緒に過ごした楽しい日々が蘇ります。

 トトロップ・ラブフルートは、これからも楽しく嬉しい友たちを招き、今少し旅を楽しむことになりそうです。
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2012/5/16

ちょっと振り返り、前に進む  ラブフルート

  自分から企画する演奏はこれまで一切なく、ことが起こり声がかかるときに出来ることをさせていただくという旅を続けてきました。演奏の機会は決して多くはないけれど、不思議と今日まで続いて来ました。

 それは一見無気力な印象を与えるかもしれませんが、こういうスタンスはこれまでの様々な体験から生まれて来たように思います。

 ラブフルートの製作もほぼ同じスタンスです。レッスンも同じ流れです。当然、生活は厳しくなるのですが、長いスパンで人生を眺めてみると、自分で旗を掲げて歩いているというよりは、不思議な恩恵の中で生かされていることがよくよく分かるのです。

 演奏者として自分の名前が出されるのは、いつもちょっとした葛藤があります。ただ、どこの誰かもわからない者が、よく分からない楽器の演奏をするというのでは失礼なので、受け止めてはいるのですが、極力ユニット名での掲載を希望しています。

 大切なのは、演奏者ではなく、そこに生まれる木々たちの響きが心に届けられ、一人でもご自分の命の喜びや感謝が生まれることだと思っています。何のために音を奏でるのか。この素朴な問いがいつも心に浮かんできます。

 野の草花や、野山の生き物たちは、自分の存在を知らしめ、人気を得るために生きてはいないけれど、美しく輝き、不思議な力を与えてくれたり、生きる力を与えてくれます。彼らは名前を持たず、直接存在そのものを全身で感じ取って生きているように感じます。名前は人間が勝手に付けているだけです。

 こんなことを書いていると、ますますオファーは来なくなりそうですが、どこかで密かに求めている人たちとの出会いはポツポツと続いていくような気がします。

 ラブフルートの製作も、風の便りを聞いた方が、木の笛を求めて声をかけてくださる時を待っている感じです。忘れた頃に誰かがやってきて、不思議と作らせていただけるという感じです。

  製作は木の種類や形状、求める方の心や思いを考えながらなので、思わぬ時間がかかるものもあります。お待たせしてしまうこともあるのですが、乾燥させるためだけでも一ヶ月以上かかる樹種があったり、時間と共に変化が激しく何度となく手をかけなければならない樹種があったりと苦戦を強いられることも少なくありません。

 今回はなんとなくこれまでの旅を振り返る感じになりました。こういう人には演奏も製作も頼めないな〜と思う人が大半でしょうが、ほんの一握りは、こういう変なやつに声かけてみようかと思う人がいるかもしれませんね。
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