2012/6/29

たんたんと続ける心のドラムと愛の笛  雑感

   この3月に多くの方々の助けをいただいて福島県相馬市を訪ねることが出来ました。改めてご協力に感謝します。

  一度目はエネルギーも意識も集中し、盛り沢山のプレゼントを届けることができましたが、それを継続、持続させるために、次の動きを続けて来ました。

  二度目の活動になると、支援基金の動きも停滞気味であり、周囲の反応も少なくなっているように思います。目の前にあるそれぞれの現実生活が活発になり、意識の何処かで気にしてはいるけれど、具体的な活動に結び付かなくなるのは自然の成り行きかもしれません。

  この時期になると、それぞれの人生経験などで道が別れるのでしょう。一度仕送りしたら、それで終わりと考えるのではなく、状況が回復し自立するまで支える必要があるのだと思いますが、支援となると一回で途絶えてしまう事が少なくありません。

  実際二度目の活動は資金も乏しいのですが、現地のニーズは続いています。質的な変化、意識の変化を的確に受け取りながら、新しいステップを踏むことが大切だと感じています。また、次の時代を支えて行く若い方々が現実を直接知る機会が必要だとも思っています。

   訪問のため現地の方々と連絡をとって行くうちに、どこか風向きが変化している事に気づきました。意識が低下しているのはこちら側だけではなく、現地の方々もまた気持ちが変化し、諦めムードで放射能のことは誰も口にしなくなっているというのです。マスクをするのは気にし過ぎだと見なされるというのです。何でもないのに騒ぎ立てるなという風潮がさらに強くなっているというのです。皮肉にも、国の、なんでもない、大丈夫情報が混乱を回避させた形になっているのです。

  ふと周囲を見回しても、震災関連の支援活動にを口にする人は激減し、
何もなかったかのように自分たちの事に向かっている気がします。こういう時期に、演奏で支援をし続けている方と出会ったり、生活支援のために奔走し、次の必要のために動いている方との出会いが続きました。

  そんな流れの中で、コツコツと積み上げられてきたお手玉やミズカンリンバ、スマートボールたちやラブフルートやドラム演奏などが相馬保育園の子供達のところに届けられます。

  どれ程多くの情報を手に入れたとしても、自分自身が直接触れ、知ることの大切さは変わらないでしょう。この活発に活動する時期に、仕事の手を止めて出向くのは厳しいのですが、ものだけを送り届けるのではなく、顔を合わせことの大切さを感じています。

   出発まで少し時間があります。もし、支援の手を添えてくださる方がおられましたら下記の口座に送金いただけると助かります。また、届けたいものがある方は可能な限り手渡ししたいと思っていますのでお申し付け下さい。

  タングロン支援基金送金先
ゆうちょ銀行  記号19010  番号 13399611
名前  タングロンシエンキキン
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2012/6/19

生き物になる  雑感

   先日は「シウリザクラ」に会うために馬追の森にふらりと足を延ばしましたが、機械がトラブルを起こさなければ出会えなかっただろうなと改めて感じています。トラブルという形をした助けがあったのでした。

 この時携えていたラブフルートは、いわるゆネイティブっぽいスタイルのものでした。どちらかというと少し乱暴で雑な感じに仕上げたものでした。どうも森の中では、おしゃれに仕上げたラブフルートはしっくり来ないと感じたのです。

 しっくりしなかったのは、フルートから生まれるメロディーの方でした。コンサートというスタイルで吹く時のメロディーはまったくもって森の中には似合わないのです。

 もう目の前どころか360度全部が森そのものなのですから、あえて森のイメージのメロディーなど必要ないのは当然といえば当然なのです。

 では、どうなったかといえば、あちこちで囀る小鳥たちのように、単調な音の繰り返しになってしまいました。結局、同じ音の響きを繰り返して径を辿りました。

 もう、自分も何かわからない生き物になって鳴いてみたという感じです。これが実に生き生きとして楽しいのです。人間であることを忘れて、自然の中で鳴いたり吠えたりする感覚です。

 見事な巨木をテーマに一曲生み出すどころか、奇妙な獣か鳥になって巨木によじ登ってしまった感じです。演奏家としては失格でしたが、生き物にはなれた気がしました。

  それでも、カメラがあってポケットには携帯がありましたから、小鳥や木々からはダメ出しが出そうです。次回は、腰蓑一つ、裸足になって山にはいるまではしなくても、文明の利器は一切持たず、ドラムとラブフルートだけで歩いてみたいと思っています。

  自然体験のおまけですが、つい先日、少し見つめたいことがあって土砂降りの雨の中を傘はささず3時間ほど歩いてみました。この時は山の中ではなく川辺をたどったのですが、雨に打たれた草や木々があまりに美しくて、考えることも忘れるほどでした。

 身体に音を立てて降り注ぐ雨を感じながら、この世界がどんな風につながっているのか、その世界に命をもらって生きている僕はどんな存在なのか浮かんでくるままを感じながら歩きました。

 水たまりの中をグングン進んで行くカタツムリの親子や水中歩行しているミミズ。一匹のミミズがゆっくりと進んでいるのを見ていると、必ずしも目的地にまっしぐらではなく、微妙にズレながら、取捨選択しながら、やがて草むらに入って行きました。そのスピードはあまりにもゆっくりで、3メートルほど移動するのを見ていたらずいぶん時間がすぎてしまいました。

 僕なんかも人生の時間の辿り方がゆっくりなので妙に親近感を覚えました。何かあった時、ふとミミズの水中移動を思い出しそうです。全身ずぶ濡れのまとめがミミズ歩きになりました。ちょっと寒かったけど心地よい時間でした。衣服はなんとか乾いたけれど、靴はまだ乾いていません....。
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2012/6/11

6月のシウリ  ラブフルート

  連日のハードな作業はバンドソーの刃が切れてやむなく中断。たまには休息してもいいかなと感じ、6月に入って密かに願っていたシウリザクラの花を探しに出掛けてみました。

  急な出発だったので、フルートとカメラだけ持って馬追の森の道に向かいました。黒くて重たい雲が見えていましたから、雨を覚悟で森に入りました。

  脇道から数分歩くと別世界。深い森には顔馴染みの巨木が待っていて、不思議な心の交流が生まれます。足元にはエビネ欄がいっぱい。おしゃれなカンザシのようで嬉しさと楽しさが足元を飾ってくれました。

 僕も私もという感じで、草花達が径の両脇にいっぱい。この山道の細さは、どことなく可愛らしく、ちょっといい感じ、夢気分になれます。エンレイそうは花が終わり実がなっていました。

 長く厳しい冬のために倒れ、他の木によりかかっている木々たちもいましたが、どっしりと揺るがない長老のような木々もあちこちで姿を見せてくれました。

 すぐに会えると思っていたシウリザクラはなかなか見当たらず、見つかるまで山道をたどることにしました。時折小雨が降りましたが、ひどいふりにはならず、いい感じの静けさと小鳥たちの心地よく囀る森は別世界でした。人の気配もなく、森にすっぽりと包まれる感覚は嬉しいものでした。

  ようやくシウリザクラを見つけたのですが、かなり遠くて写真にするには厳しいものでした。ところが、よくよく見渡すと目が変わって、近くにもあることが分かりました。山菜の見つかり方と同じです。目に写っているものと意識が繋がって認識に辿り着くまで気付かないのです。

  どうやら花のピークは過ぎ、残った花びらと枯れた部分が上手く組み合わされていました。帰り道には、これまで気づかなかったシウリザクラの花が次々と待っていてくれました。

 終わりかけではあっても、ちゃんと出会えたことが嬉しい散策になりました。その翌日、シウリザクラの事を書き始めたところに神戸から電話が入りました。「シウリザクラのフルートが私のところにやって来たので、何かコメントがあれば教えてください」という事でした。

 そのラブフルートは、以前神戸でライブやワークショップをした時に声をかけてくださった80代のご婦人にお届けしたものでした。それから半年あまりで亡くなられたのですが、そのご子息が手元において置いたものでした。大切な母親をなくされた時、何も言葉が見つからず、お母様を抱いて、シウリザクラのフルートを吹いたと伺いました。

  当時懇意にしておられた方のところに、そのシウリザクラのラブフルートが届けられたというお知らせでした。

 その電話からすぐ後に、チャイムがなり一人のご婦人が姿を見せました。ご注文いただいてからかなり時間を経過していたシウリザクラのラブフルートを受け取りにこられたのでした。来られる予定時間をお聞きしていなかったのでちょっとびっくりでした。あの森のシウリザクラたちの歓声が聞こえるような一日のスタートでした。

  引き取りに来られた方は、「ほんとうに今必要だと感じている音色の笛を手にする事が出来ました。あまりにもいろんな事があったけれど、ちゃんと前を向いて歩かなければと思っていたところでした。」とマイフルートを手に嬉しそうに帰られました。

  この6月、シウリザクラにまつわるいい思い出が出来ました。ますますあの花が好きになりそうです。
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