2013/12/31

活動報告の言葉が続かない...  ラブフルート

  東北に向かう前と現地での接点と戻ってきてからの心の動き。それをまとめきれないまま、九州でコンサート、ワークショップが始まり、さらに東京、大阪、札幌の公演が続きました。

 その間に、何度かブログを書きかけたのですが、途中で言葉が止まってしまい、アップするには至らないまま時間だけが流れました。

 同行してくださったFさんからのレポートが届いたものの、過ぎ去った活動を報告するだけでは、何かが違うと感じて、これもまた保留状態になりました。

 どこで何をしてきたか、その報告が何を意味するのか疑問が生じるのを無視できなかったのです。自分たちが何をしてきたのか、現地で何があったのか以上に、これからどうすればよいのかが大切なのにその方向性が今一つ焦点が定まらないのです。

 現地の状況は、めまぐるしく変化し続けていると同時に、一向に変わらない現状が続いている。こうした状況は、東北の現状に限らず、僕たちの周辺でいつでも起こっていることなのでしょう。容赦なく変わり続けることと、一向に変わらないことが入り混じっている。

 その中で、僕らは自分の道を歩いて行こうとしている訳です。自分という存在が、この世界のあらゆるものとの関係の中で生きているということを改めて確認することでもあるわけです。

 衣食住という生命維持の土台が備えられたとしても、それだけで生きていけるわけではない。それをはっきりと感じさせられました。木々の響きに心を寄せ、ドラムの響きと共に過ごす方々の溢れるような笑顔とエネルギーに触れながらの旅は、今後の方向性をある程度予感させるものではあったと思います。

 子供たちの為に健康飲料(タングロン)を届け、放射能汚染の危険の少ない新鮮な食料(米、野菜、その他)を届けたり、子供たちの為のおもちゃなどを届けたり、現地の方々との交流を続けること。音楽を届け、ドラムや歌を通しての交流。これは変わらず継続していこうとしているのだけれど、そんな活動の必要性が次第に希薄になり、あまり感じられなくなっているような気がしています。

勿論、新たな協力者や理解者がおられるのですが、「前に寄付していますから」と自慢げに口にして済ませる方もおられました。ちょっとびっくりですが、継続して現地の必要性を考えるより、自分の行為の方を中心に捕えていたり、それは誰かがやること、あるいは国のやることでしょうと考える人もおられます。

 あえて僕がそれを呼び掛けたり、継続する意味はあるのだろうか。知らず知らずのうちに、現地のことよりも、僕がどんなことをしているのかが中心になるような報告は、どこか違った方向性を持ち始めるような気がしています。そんな思いもあって、今回は同行されたFさんにレポートを書いていただきました。

活動の為の基金の呼びかけの必要性と僕の活動報告との関係が微妙に変化し始めている。そんな感じが生まれてきて、どうも素朴に純粋に動けないのかもしれません。意図せずして変化が生まれてくるのは自然の成り行きかもしえませんが、注意深くありたいと思います。

 呼びかけ、協力を求めるためには誰が何をしようとしているのか明確にしなければならない。その結果、特定の存在・個人が中心になりやすくイメージが変化してしまうのです。この流れが気になって、報告自体を躊躇しているような気がします。

 こうした状況をご理解いただける範囲での活動に徹しているつもりですが、気付かないこともあるのだと思います。率直にご意見やご指導をいただければありがたいと思っています。年末ギリギリでなんとかタングロン支援基金の活動報告をさせていただきました。ご協力を心から感謝します。
3

2013/12/31

東北活動報告Aタングロン支援基金  ラブフルート

 16時過ぎY.Sセンターを立ち、仙台市宮城野区へと向かいました。
途中まだ日が暮れていなかったのでもう一度元道の駅で高田松原の慰霊碑がある場所に行きました。
前日来た時は暗くて気づかなかったのですが、そこにある高さが十数メートある建物の中には大きな松が今も当時のままそこに串刺しになっていました。
津波はその建物の上部に達し、内陸へ向けて8kmもさかのぼったそうです。

 22時30分南宮城野区の仮設住宅に到着。
翌19日は10時から演奏交流。みなさん元気に参加してくださり、踊りの輪が出来、炭坑節に交じって、生まれて初めてどじょうすくいを踊ることになりました。参加者の皆さんのことを思うとやらなくてはと思い切って踊りました。
ここでは仮設住宅に住み続ける苦労.心労を知ることになりました。
壁が薄く、音がだだ聞こえのためそのストレスは相当なようでした。
奥尻に住む僕の両親の話にも、ちょっとしたものをかけるフックのようなものを壁に刺したところ隣の部屋に突き出たことを話していたので、壁は相当薄いのでしょう。
また仮設の部屋はせまいらしく、台所に食器を置くスペースにも困るほどで、全てにおいてが仮の生活で、暮らしの中に豊かさや重みをおけない生活を続けるストレスを話に感じました。
次に移る場所のメドも立たず、行政も人の心もまだまだ混沌としている感じでした。

 その日は小野さんと縁がある仙台市の他地区の方のご好意で自宅に宿泊させていただきました。
とても温かく招いて下さりとても心地良く休むことができました。ありがとうございました。

 翌20日。相馬保育園へ。園のグラウンドに到着した時、丁度、放射能測定器で2人方が作業されていたのですがデジタルは5.00mbk/hrを表示していました。
だいたい半年ごとに点検.整備に県の方がこられるそうです。帰りにもう一度見ると0.92mbk/hrでした。
何がこの急な変化の原因かはわかりませんが、とにかく平時で毎時0.9というのは凄く高い数値だなと思いびっくりでした。
保育園内には大勢の園児たちがいました。急な来訪であったにも関わらず、明るく元気いっぱいに歌や歓迎の言葉、そして手づくりのメダルを授与してくれました。
小野さんが数曲フルート演奏をし、インディアンドラムの時間になると園児たちのくいつきかたはすごかったのですが、あの年齢の子たちにしては奪い合い、取り合いはそんなに激しくなく見えました。
60人以上はいたと思うのですがみんな調和を持ってタイコにふれあっていました。最後、園を立つ時に、「また来てねぇ!また来てねー!」、「またねぇ、またねー」と声をあげていたのがとても印象に残りました。「また来るよ、またねー!」

 そこから福島県との県境の宮城県角田市へ。陶芸家で角田市民放射能測定室という測定場所を自宅の一室に設けている池田さんという方の下へ行きました。
角田市は、福島県ではないため放射能の影響というのはクローズアップされないのですが、池田さんの自宅周りの放射線量は数千ベクレルの数値を示すそうです。
角田市は宮城県ということと一次産業従事者が多く、あまり騒がれては風評被害にあうということで、線量が高いことは表立たせたくないようです。
現地の子供をもつ母親で食べ物に気をつけているお母さんとあまり気にしない方のお子さんの尿検査をしたところ、前者の数値は低く、後者は高かったそうです。
そこで池田さんは今、100人の子供達の尿検査実施の考えを教えてくれました。
子供達は地域にとって宝物だし、子供を守ろうとする母親のエネルギーはすごいものがあるので、とてもいい考えだなと思い気持ちが昂ぶったのですが検査には今のところ一人2万円かかるそうです。
小野さんが、積んで来ていたお米と野菜を幾分か池田さんに手渡し、僕達は角田を立ちました。

 その夜は会津美里の長福寺へ、電話で連絡をとり予定を立てていた小野さんから聞いたところ、住職が小野さんのフルートの持ち主で、近くのユースホステルの経営者が知り合いなので無料で泊まれるので近くにいらっしゃるなら是非来ていただきたいと。
お寺に到着したのは21時過ぎでした、そこで太陽光発電の早川寿保さんと合流し、お寺で四人の不思議な縁の交流をしました。住職の先導の下ユースホステルへ。
実はユースホステルの主人と住職は初見だったそう(お子さんどうしが知り合っているだけ)で「支援金です」という形で3人分の宿泊代を支払ってくれました。

 明けて21日、朝6時に宿を出て8時に山形県おいたまサロン犬佞錣辰
2

2013/12/31

2013年東北活動報告@・タングロン支援基金  雑感

 9月17日苫小牧港から八戸港へ。

 翌朝4:40分到着。ここから最初の目的地釜石へ。

 途中の東北の山並、川、村の景色は日本昔話にでてくるような場所に住みたいと思っている僕にはヨダレのでるような土地で思わす何度もその思いを口にだしてしまいました。
「いやぁーいい感じのとこだなぁ〜」とか、「いやぁー懐の深くていい谷だぁ〜」とかおぉーいい川だ浸かりたいなぁ〜」などと。

 その度に思い知らされたのが、この辺りでも福島の原発の影響があるということでした。
岩手県は福島からは結構離れているという思いから、自分のなかでは放射性物質の影響ということはほぼ考えていなかったのですが・・
関東や信州方面の広い範囲でも影響のある極小の物質`原子''(塵⁈)それが福島から同程度の距離にある岩手県という東北の地に影響があったとしても何の不思議はない。
まして、アメリカはシアトルの方でもその物質の数値が上がったとの話も耳にしたこともあります。

 釜石市内陸部から海岸部にでてくると少しづつ崩れかけた建物であったり、建設中の建物であったりを目にするようになってきたが、二年半たっているだけあって"あの震災"の影響というのは特段に感じてはいませんでした。
小さい町を抜けて最初の目的地「鵜住居仮設商店街」に向かう途中、多くの野っ原を目にする。
初めからそうであったかのように、ただの広大な野原になっているのですが、よくよく見ると、
家々の基礎部であるコンクリートや門の跡など元々は多くの家が建っていたと思われる痕跡があちこちでみられるようになり、
仮設住宅群も目に付くようになり、自分としては突然犬△凌椋メ犬留洞舛鯡椶療・燭蠅砲垢襪海箸砲覆辰心恭个任靴拭」

 11時過ぎ鵜住居仮設商店街に入り、演奏交流に向けて荷をおろし準備にかかり、12時ライブスタート。
 小野さんがフルートを吹くとその場の雰囲気が一気に変わる、そこにいるみんなが純粋に聴く、耳を傾けるという行為に意識を向けるせいか、フルート以外の音が全くなくなる空間に入る感じでした。

 僕が感じたのは、小野さんのフルートは一旦その場の人々の思いや感情(そこではかなしさ、郷愁みたいなもの)を引き出すような気がします。悪い感覚ではなく、ほっこりするような感覚で何か共感共鳴するような一体感を感じました。

 そのライブでは周りの人を徐々に巻き込み最期は皆でインディアンドラムを叩くという方向になる。始めはその場で皆でやっていたけれど、やがて集まっていた人々はエネルギー余ってか次々に外に繰り出していく。

 昼近くの晴天の下、鵜住居の人達はドラムを叩きながらあっちの店、こっちの店を練り歩く。皆それぞれの思いをドラムで表現しているように僕には見えました。

 最後は皆で円になりその土地、その場所でのグルーヴを作り笑顔で演奏交流を締めくくった。

 そこから一時間半をかけ次の目的地 陸前高田市米崎町個・昔あたる
1



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ