2014/10/16

アイヌ伝統音楽と愛の笛  ラブフルート

アイヌ伝統音楽の中に興味深い一文がある。それを
少し抜粋してみる。

トンコリに関する記述の中に「 それが独奏楽器として使用されるようになると固有の曲が生まれることになる。その曲は個人が独創した固有の曲節というものではなく、多くは自然界の音響の模倣であり、それを説明する言葉が曲の名前となる」 出典 「アイヌ伝統音楽」日本放送協会編
P520

この記述は「愛の笛」の物語の一節と酷似している。鹿人間から愛の笛を手渡された青年は生き物たちの真似をしながら笛の扱いを覚え、自分の心の思いを現すことを知って行く。自然と一体になることから始めたのだ。

それは存在の原点から始める行為。ひとつの原点回帰とも言えるだろう。

音楽の原点は、耳を澄ませ、心を傾け、よくこの世界を知り、感じ、学ぶ事なのだ。

昨年開いた、風を全身で感じるワークショップは、その一つの試みだった。風とは一体なんなのか...

ラブフルートのワークショップで、大切なのはフルートを吹く技術よりも、メンタルなことなのだ。

ラブフルートの存在。深くその意味を知り、自ずとラブフルートを吹きたくなる。この流れがポイントなのだ。

その構造の意味を知り、そこからどんな風が巻き起こり、心をどんな風に動かすのか。

木々が生み出す固有の響きが心にどのように働きかけるのか。

特定の周波数や響きを誇張するのではなく、複雑に変化し続ける揺らぎの中に隠された響きの不思議を感じ取る意識の重要性。

個々の響きと音程の変化がもたらす心との繋がり。認識や判断をこえた不可思議な響きが呼び起こすもの。

個性豊かな木々たちから届けられる固有のメッセージ。

言葉ではなく、なぜ木々の響きが心を現すのか。そんなひとつひとつの事を伝えるワークショップ。身体と呼吸と心のつながり。

これらはラブフルートの製作と並行して初めてバランスを保てるだろう。

ラブフルートを手に入れることの意味を深く受け取り、地道に伝えて行く数少ない出会い。

それが自分に残された時間の意味なのかもしれない。

ひとりでも木々の響きに耳を傾けたいと願う人がいれば、お招きし、あるいは出向いて行く...

今回は、長年高価で入手出来なかった「アイヌ伝統音楽」をようやく手に入れその一部を紹介してみた。
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2014/10/3

ほどよく混じり合う  ラブフルート

ラブフルートの響きに関して、その即興性や既存の音楽意識から自由になることを、幾分強調してみた。だが、そこにはバランスも必要になる。自在に楽しむ要素と、基本的な関わり方を知ること。この両面のバランスが取れると一層楽しみも喜びも豊かになるだろう。

レッスンでは、呼吸と笛との関わり方や笛と身体の一体感を大切な要素としてお伝えしている。循環する呼吸や血流、身体全体と笛が違和感なく無理のない形で保持できることを大切にしている。笛と指との関係も、有る程度基本的な要素を知っている方が良いかもしれない。

とはいえクラシック音楽を演奏するような厳密なものではなく、全員が一様のスタンスで取り組むようなものでもない。工房で作られているラブフルートは様々な形状をしているので、個々に創意工夫が必要になる。

一貫しているのは、可能な限り自然体で笛と繋がることだ。歌口の形状も、より無理のない感覚で笛と接するために、有る程度の選択肢を用意している。

呼吸の大切さをラブフルートの構造的な特徴と合わせてお伝えしているのだが、そこに若干思い込みが起こる可能性がある。循環性の意味を感じ取ることの大切さに意識が向きすぎると、物静かに吹かなければならないと受け止めやすい。逆に言えば、強く吹いたらダメといった意識が強くなる。

せっかくのラブフルート独自の構造を大切にしながら、自分ができるだけ自然な状態で笛の響きと繋がるためのアドバイスと考えていただければと思う。

基本的なスタンスを受け止めながら自由性を失わない。自由性を持ちながら、基本的なスタンスを大切にする。それは、より自由で自然な呼吸、無理のない状態で木の笛と繋がるためのプロセスとなる。

これは旋律的なものと自由自在なものとの関係にも言えることだ。旋律で有ることが悪いわけではない。旋律にこだわりすぎたり、旋律だけに意識が傾かないこと。既成の音楽に拘束されない自由さがバランスを生み出してくれるだろう。

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2014/10/2

ラブフルートで遊ぶココペリたち  ラブフルート

5穴もしくは6穴のラブフルート。その指穴を単純に開け閉めして、決められた音を出す。後は、音の並びをあれこれ変化させながらメロディーを奏でる。もし、それだけであれば、ラブフルートを手にした豊かさをの大半を押入れにしまいこむことになるだろう。

ラブフルートを旋律的な表現の手段と考え、ごく一般的な笛の使い方で終わらせネイティブ的な音の動きを模倣する単純作業になりかねない。

ラブフルートを手に入れることは情報が豊かな社会では比較的容易だろう。ただ、どのように自分自身と繋がる笛になって行くかを知る知恵がなければ、いずれ吹くことを忘れ去るだろう。

仮に、有る程度の楽曲を吹けるように習い事を始めたとしても、ネイティブたちが何故この笛を吹き続けてきたかを知るのは難しいだろう。

多分、笛と自由に戯れるときのアイデアをお伝えした後は、自分自身の心の流れとラブフルートが自在に繋がる瞬間を感じる地道な継続があるだけだろう。自分自身がどれほどユニークな存在として命を与えられているか、それを楽しみ喜ぶ笛。

その構造がもたらす意味については、これまでにも何度か視点を変えて掲載してきたが、いずれまとまった形で改めて掲載するつもりだ。

さて、基本の指の動きは、ごく単純に下穴から順番に開け閉めし、全開させ、今度は上穴から順番に開け閉めする。そのバリエーションで様々な音の流れが生まれる。これに様々なリズムが加わり、指の動きの変化が始まる。

だが、何よりも大切なのは、こうしたセオリーを完全に無視して、自分勝手に音を出したり、指を動かして見ることだ。幼子のように笛と戯れる。少々乱暴なようだが、そんな感覚で触れてみるのがいい。心の自由さが鍵になる。

「愛の笛」に登場する若者は動物たちの真似をしながら笛との関わりを感じ取って行った。だが真似るのは、動物に限らない。風も光も水も雲も虹も雪も太陽も月も星も…。まあ、思い付くもの出会うもの、内面の様々な変化も…。

呻くように、泣くように、笑うように、楽しみながら奏でる。その自由自在な表現力を知らないのはもったいない。

書道のお手本を見ながら筆を持つのではなく、新しくやってきた広大な半紙にのびのびと思うがままに筆を動かす。或いは、透明で立体的なキャンバスに、好きな色を使って思うがままに絵を描くといった感覚。呼吸という絵筆で描く感じです。

笛が持っている指穴を、単に開け閉めするのではなく、穴を分割して開けたり閉めたりする。指穴の開け閉めは、穴のサイズを変えるもよし、穴の上部に指をかざして風の流れを微細に変化させる。開け閉めの速度を微妙に変える。びっくり箱のように開けて見たり、急速に閉じてみる。穴に対する様々なアプローチに呼吸の強さの変化が加わる。

そんなこんなで戯れているうちに、自分独自の響きの世界が現れて来るだろう。多分、そんな笛を知ったら、聴いて見たいな〜というお友達も現れ、楽しい繋がりが生まれるだろう。

ラブフルートが人生の旅を豊かにし、自分自身の内面や周囲のあらゆる存在や事象をよくよく知り、感じる楽しみが響きになる。心の流れが歌になり、響きになる。

今回は、無料公開レッスン風の日記になった。こうした自由自在な笛吹きココペリがあちこちに現れたら、さぞ旅も楽しかろうと夢見つつ…。

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2014/10/1

今日は今日の歌を歌う  ラブフルート

ラブフルートの演奏がほぼ画一的にメロディーを奏で、一つのテーマを表現するスタイルを取り、実践するとしたらどうだろう。

ネイティブの世界との繋がりをもたらす笛が、近代的な価値観を継承することで維持されるという考え方もあるだろう。オーケストラの基準音に合わせ、近代音楽の音階やスタイルに習い楽曲を展開する。

そこでは、いわゆるインディアン風とされるメロディーや演奏スタイルが生み出され、次々とそれを模倣する流れが起こる。後は、ほぼ決まったように、様々なスタイルの音楽形態との組み合わせを展開する。結果的に個性は失われ、ネイティブの笛と言う象徴だけが残る。

フルートの形状も音の世界も、いつしか白人の描くインディアンイメージで形成されている気配があります。いわゆる曲を奏でるというスタイルは、必ずしもネイティブのものとは言えないだろう。

美しいメロディーを巧みに構成して起承転結をまとめ上げるのは、一つの価値観であり、是非を問うものではないだろう。ここでは価値観を対立させたいわけではない。個々人が自分自身のスタンスを求めるきっかけになれば十分だと思う。

工房を直接訪ねてくださる方には、こうした一連の視点や認識の断片をお伝えしてきたけれど、これはフルートを手にする事以上に重要な基盤と言えるだろう。

僕自身は、ごく普通に表現されている周辺の音楽とぶつかったり、単純にわけがわからないといった感覚にならないよう注意しながら演奏を続けてきた。取り分け初期の頃は、徐々に音色の世界を感じてもらい、歌謡やフォークに近いニュアンスの曲の比率を多くしてきた。その中に、時折ラブフルート固有の響きと即興で生まれたものを挟み込んできた。

数年前に、ラブフルートの響きだけのCDを製作し、一歩踏み込んで見た。即興性、瞬間の感性をダイレクトに表現するスタイルを中心にしたのだが、一般の音楽に慣れている方には物足りないとかよく分からない感覚が生じるだろうことを承知で製作した。また、フルート以外の音を全く取り入れないことで、一人の人間が一人で笛を吹く感覚を少し感じてもらえればと考えた。

それでも、そのCDはひとつのステップに過ぎない。音楽が、奏でて聞かせることを前提としているというスタンスから、ゆっくり変化し、自由度と個性の尊厳が豊かに形成されるものになって行けばと思っている。

単純にメロディーを反復し、再現性を大切にするスタイルとは別に、人生の全体が響きとなり、絶えず変化し続ける雲や風や水たちと繋がる世界。小鳥や獣たち、木々や花々、命ある世界の呼吸や鼓動と繋がる息吹が木々の響きとなって現れる。そんな瞬間の連なりの中で笛を吹く。

僕の工房でコツコツと続けられてきた小さなレッスン。かれこれ10年以上通い続けておられる方が、歌を詠み、メロディーを作って吹いていた時期を過ぎた頃、ポツリとひとこと「先生、作った曲を吹くよりも、その時その時の音を吹くのがいいですよね…」と。

長文ついでに、もうひとつ手短にマイフルートをお持ちの方向けに書いてみます。
いわゆる、曲として生真面目に吹くのもそれなりに楽しめるのですが、どうぞ学校教育や世間の音楽から離れて、自由気ままに生まれてくる音、響きを楽しんでみてください。それこそ自由自在に…。この詳細については、追って書き留めることにします。
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