2015/3/30

風の絵筆  ラブフルート

 ラブフルートの構造の固有性は文字でお伝えするのは難しい。それでも何らかの可能性を模索しながら地道に書き留めてみようと思う。

 前回はスペーサーとバードの関係が音のニュアンスの重要なポンイントであり、響きの源になることをお伝えしたが、この部分をもう少し書き加えてみたい。

 音のニュアンスを絵筆に置き換えて表現してみよう。音を絵筆の違いで表現すると、平筆なのか、丸筆なのか、面相筆なのかといった違いに例えられるかもしれない。どんな筆先で描くかによって表現される絵には明らかな違いが生まれる。

 絵画の場合には絵筆を持ち替えて必要な表現を試みることができる。この筆先の違いがラブフルートのスペーサーとバードと考えてみる。筆の幅はスペーサーの幅であり、ラブフルート工房の場合は6.2mmになる。

 筆の太さに当たる部分は、スペーサー厚みの0.8mmとなる。筆先の長さはフルート本体の前室と風を受ける本体下側までのアプローチの長さに当たる。

 ラブフルートはこの空気の流れを作るスペース全体から生まれてくることになる。呼吸が風の絵筆になり、透明で立体的な空間のキャンバスに音の色彩が自在に踊るといった感覚になる。

 薄くて幅広の音の絵筆は呼吸ひとつで繊細な表現が可能だ。呼吸の繊細な動きと微細な心の動きとが繋がることが可能なのだ。

 ラブフルートが呼吸と心の奥に潜む思いを繋ぐ不思議な存在であることを考えれば、強い吹き込みや表現で鳴らす構造は少しニュアンスの違いがありそうだ。それはラブフルート本体の歌口からバードまでの空間、スペースの意味を注意深くとらえ、大切にすることでもあるだろう。

 どんなに勇猛果敢な人間も、心に関してはちょっとしたことで傷ついてしまう繊細な部分があるように思う。その微妙な心の動きと連動する構造のラブフルートを産み出そうと神経を使うのは必然だろう。スペーサーの厚みが0.1mm違うことで、心のわずかな動きを表現することが難しくなる。あるていどプレッシャーをかけなければ鳴らない構造だと、静けさやふとした心の変化と連動することは断念しなければならないかもしれない。

 微細なニュアンスを表現できる構造であることは、必要な要素と考えているが、細かいニュアンスと心の思いが繋がる響きに出会うにはある程度の忍耐と集中力が必要になるだろう。

 自分自身の心の内奥に触れ、その実質的な要素を知ることは、自己以外の様々な存在の認識の土台となるだろう。だが、この部分を深く捉えながら歩むことは、容易ではないだろう。自分自身の内奥には、必ずしも好ましく望ましい要素だけがあるわけではない。
時には厄介で、人生の土台を全面的に築き直す必要に直面する可能性もあるからだ。

 それを望ましいこと、自分自身に向き合う絶好の機会と考えるか、それとなく回避し現状を保持することを願うのか。そんな分岐点を示唆するとも言えるだろう。さて、ここからどこに向かうのか。ラブフルートは、そんな密かな問いかけ、心の歩みを促す笛とも言えそうだ。

 ラブフルートに息を注ぐとき、自分の内奥が浮かび上がる。それは優れた人格との出会いを凌ぐような直接的で知恵深い木の人との触れ合いの時間とも言えるだろう。

 木の人との触れ合いは自らの呼吸、いのちそのものとの触れ合いの瞬間でもある。だからこそ、息と心の繊細さを表現しうる笛であるかどうかは大切だと感じている。それは同時に僕自身の価値観や認識の実質と直結しているのだと思う。ラブフルートは作り手としての自分自身にも静かに深い語りかけを続けているように思う。
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2015/3/23

風の通り道・空想日記  ラブフルート

流れる息の状態がラブフルートの音色の重要な要素であること。この要素に関してどれだけ注意深く向き合っているだろうか。自分の取り組みに関する新たなスタンスを模索するために、これまでの流れを確認してみようと思う。

自分に許される範囲で、歌口からの息の流れ方や構造を手探りしてきた。それは奏者の身体感覚と内面への影響を注意深く観察し考察する地道な作業の繰り返し。

ラブフルート上部のスペースから下部の管を橋渡しする僅かな隙間。それは音の響き、ニュアンスに大きく影響する。今は幅6.2mm、厚み0.8mmを基本にして製作を続けている。幅が広すぎるとブレスを強めにする必要がある。狭すぎると抵抗感が気になる。厚みも1mmまで厚くすると繊細なイントネーションが難しくなる。薄くすると音量が乏しくなる。

この部分には、生まれてくる音への影響が大きい。基本的に真鍮のスペーサーを取り入れているのだが、ここに至るプロセスをある程度書き留めておく。初めて出会ったラブフルートではなめして蝋で固めた皮が使われていた。ナチュラル志向からの選択と思われるのだが、水分を含むと膨張し音への影響が大きくなる。さらに再三の使用で劣化し部品として安定した入手が必要となるのだが、その対応が十分とは言えない。

おそらく駄目になったら自分で工夫して使うという考えが根元にあるのだと思う。それはアメリカの工房を訪ねて感じた。実際の製作方法やチューニングなども、自分で工夫したらどうだという感じだった。自分なりに思考錯誤して見つけたものを安易に教えるつもりはないとも言われた。

これは僕にとって望ましいことだった。もし、安易に教えてもらえたなら、その流れを模倣する作業を継続するだけでここまで来ていたかもしれない。この点に関しては、別の機会に書いてみようと思う。

先の構造に関して、つまり真鍮のスペーサーを取り入れてる前に取り組んだ事がある。風の流れを橋渡しする方法には、大きく3種類の方法がある。フルート本体を加工するスタイル。バードと呼ばれる部品を加工するスタイル。そしてバードと本体の間にスペーサーを挟み込むスタイル。

どれも試してながら、それぞれの特徴を生かして製作している。フルート本体を加工するスタイルは、本体の劣化や加工のロス、音のニュアンスの変化が乏しく単調な響きになることを考えるとやや気になる点がある。

バードを加工するスタイルは、仮にバードの劣化が起こっても、部品として新たに作ることが出来る利点がある。ただし、それまでの音のニュアンスを再現するのは難しい。このスタイルも音のニュアンスの幅は乏しく、単調な響きになる傾向がある。

スペーサーを挟み込むスタイルもメンテナンスを怠れば劣化が起こりうるけれど、本体やバードへのダメージは少ない。真鍮板は簡単な手入れをしていれば十分長持ちする。

ポイントはスペーサーを挟み込むスタイルは、ポジショニングが安定しないという特徴がある。これを扱いにくいと考えるか、だからこそ奥深い響きを楽しめると考えるか。この点は、僕自身初めて吹き始めた時苦心したので、かなり選択は難しかった。

簡単に音が出る万人向けのものを製作するのか、やや戸惑うけれど、結果的に自分独特のニュアンスで響く音に出会うのか。投げ出すのか根気よく続けて自分特有の響きと繋がるのか。結局リスクは有るけれど、結果的な充足感と個性ある響きに至るプロセスを大切にしようという選択をした。

スペーサーとバードと自分の呼吸との微細なニュアンスの違いを感じ、吹けば鳴る、音が出ていればいいというスタンスからゆっくり変化していただけると楽しいだろう。その時は、僕が作らせていただいたフルートが、それを手にして息を注ぎ込むその人の心と繋がる響きに出会えそうだ。

風の通り道の微細な調整は、音そのもの、響きそのものの原点になる。繊細な心の動きに可能な限り寄り添い、敏感に捉えて表現できる笛。

生まれてきた響きに触れて、自分自身が驚き、気付き、目覚め、涙が溢れる。そんな密やかな瞬間に触れる方がひとりでもおられれば幸いです。

昨夜も、今の作り方に見落としや思い込みはないか、新たな視点に立つ試行錯誤を楽しんでいました。かなり狭い部分への取り組みに関する書き込みになりました。

今の所継承者がいないので、いつかこの日記が誰かの目に止まり、新たなラブフルートが生まれるかもしれない…空想日記でした。

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