2014/5/2

アイヌの響きのラブフルート  ラブフルート

この春の展示会で初めて見て、聴いて、感じてもらえるアイヌ文様と東海岸の樺太アイヌに伝わる音階と北米インディアンのラブフルートを展示したのか。

その真意は言葉で伝えるのは難しいのですが、書き記すことで最低限のことは感じて頂ければ幸いです。世界先住民族会議といった動きがありましたが、およそ文化の継承や社会的課題などが取り上げられ、相互の強調と協力を願うものだったように思います。

有る特定の民族の強調は結果的に、社会との融合よりも、微妙な区別の主張になり微妙な対立や差別意識を広げて行く可能性を孕んでいるような気がするのです。

アイヌの方々が差別的な対応を受けて複雑な思いになる事も有るのですが、逆にアイヌの人たちから差別を受けたという声も聞こえて来ます。その根元には、個々の人間の心の問題が有るように思います。

民族が同じでも内部の差別や対立は起こりますし、民族が違っていても友情や協調も出来るでしょう。心臓の鼓動と呼吸で繋がっている人間としてどう生きるか。
昨年は鼓動を感じ、生命を感じる集い「月夜の宴」を開きましたが、今回製作したラブフルートは、その延長線上にあります。

言葉のやりとりが始まれば、結局何処か釈然としない要素が残ることが多いかもしれません。遠慮と気遣いが行き交って、なかなか深いところで一つになることが難しいのです。それが、言葉の特質であり、限界とも言えるような気がします。

あっちの楽器や歌と、こっちの楽器や歌でコラボするというパターンは、むしろ違いが強調され、何処かに違和感がありながらも、なんとか一緒にやるという感覚があります。

かつてスミソニアンの博物館で、インディアンの生活を描いた図を見たとき、アイヌの資料館にいるような錯覚を覚えました。それほど両者のライフスタイルは似ていたのです。

このときの体験を長く暖めていて、今回初めてアメリカ先住民の笛とアイヌの伝統音階を体現することになったのです。ですから出来上がって音を響かせるまでの間、ずっとワクワクしていました。頭で考えたことと、実際に浮かび上がる響きとは全く違います。まして、トンコリという弦楽器の表現と笛の表現には明らかな違いがあります。

先住民のアイヌの方々が生活する以前から、この大地は厳然と存在し、自然そのものが世界そのものだった。そこに繋がる響きが、未成熟な人間たちの心に語りかけるものは何なのか…僕はその響きに心を傾けながら、残りの旅路を全うしたいと思っています。

今回の展示会は、その小さな歩みの始まりかもしれません。この笛の響きが何をもたらすのか分かりませんが、いずれ何処かで、誰かが、一人の若者のように不思議な笛と出会い旅を始めるかもしれない…そんな密やかな楽しみを抱きながら、僕に与えられた命の呼吸を木の笛に巡らせ、そこから響いてくる囁きに心を寄せて行きたいと思っています。クリックすると元のサイズで表示します
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