2014/5/20

A(ラ)からA(ラ)  雑感

「生まれたばかりの赤ちゃんは平均すると440サイクルのラで泣く。その後変声期までは、体の成長につれてラ音を中心に上下へ声域が広がる。

変声期を過ぎると、女性の方はそれまでの声域がやや上下に広がるだけあるのに対し、男性の方は声域全体が1オクターヴほど急降下する。

そして老いると、女性は声域が下がり男性は逆に上がる。この経緯を乱暴にまとめると、人間はみな、同じ高さの声で生まれ、途中で性差によって1オクターヴ以上も声域が離れるものの、、結局はほぼ同じ高さの声(赤ちゃんの時よりは約1オクターヴ近く下がった高さ)で死ぬということになる。」

引用-楽器からのメッセージ【音と楽器の人類学】 西岡信雄・著 音楽之友社 46頁

声の高さの経緯から幾つか興味深いことが思い浮かびます。かつてふとした切っ掛けで宝塚歌劇団の楽屋裏にお邪魔してラブフルートの個人レッスンをさせて頂いたことがありました。

この時、最初に美しい男装の女性とお姫様のような女性から挨拶を受けたのですが、立ち居振る舞いも身なりも男性なのに、声は無理して低くしているのでやや不自然というか、無理してるな…と感じた記憶があります。

男の子の産声が女の子より1オクターブ低かったら、ちょっと怖い?!引用した著書では、楽器の長さや大きさと音の高低を論じる部分なのですが、人間は成長した(長くなった)から音程が低くなるわけではないと言いたいところ、その導入部の記述です。

僕のところでボイスレッスンを受けられる方は、どちらかというと女性が多いのですが、音がどのように生まれてくるのか、呼吸と声帯との基本的な関係を重要なポイントとしてお伝えしています。産声は、文字通り呼吸と声が一緒に始まる瞬間です。この原点に可能な限り近いところでご自分の声の響きに出会う。

これは様々な道を辿って来られた個々人にとって、多様で複雑なプロセスから形成されている自己を根気良く解きほぐして行く地道な作業を意味します。言葉や知識に依存するタイプの場合、認識と現実(ご自分の実質)とのズレに直面し、さらに言葉を使って現状を打開しようとして行き詰まりを感じるというパターンを繰り返します。自分自身の体の中にある、小さな声帯が明らかに心のあり方、生き方と直結していること。この気付きと率直に向き合うことが、ボイスワークの始まりです。

発声はその人そのまんまなので、一人ひとり愛おしく感じます。無意識に力を入れたり、主張したり、特定の価値観を強調したり、客観性を維持しようとしたり、実に様々です。僕のポジションは、それぞれの響きが原初的な状態に接近するためのサポートです。

面白いことに、原初的な発声に近付くと、女性の声が男性的な声域と重なり始めるのです。自分の声って、こんな声だったのか…そんな印象を持たれることが多いようです。自分の奥にある響きは、身を守る様々な要素から解放された老年期を予見させるものかもしれません。

最初と最後は同じようなところに存在する声。なかなか興味深いことです。
声、言葉がどこから生まれているのか、自己の中心から生まれる呼吸と言葉が一体化する。心と言葉が一つになっている状態と言葉と内実が遊離している状態には、明らかな違いがあります。

人は誰しも、自己確信の中で自分の道を辿ろうとするのですが、知識や認識は容易に自己確信の状態を作り上げ、自己満足させるのが得意です。だからこそ、時折、自分自身はどこから言葉を生み出しているのか確かめる時間と場を持つ必要があるのだと思います。

並べたてられる言葉ではなく、その言葉がどこまで自分自身の内奥の響きと一つであるのかを丁寧に確かめて生きる事実を持っていることが大切だろうと思います。

ラブフルートのレッスンもボイスワークも、人生に組み込まれた大切な場であり、出会いなのでしょう。

同じ産声から始まったお互いが、いつしかそれぞれの人生の終結点に向かっている。知識と努力だけでは見出せない心と体の在り方そのものを素直に受け取る生き方。

どれほど知識が豊かで、雄弁であったとしても、心の奢りを支えにしている人が自分の姿に気付く切っ掛け…素直に心の扉を開き、声の響きの源に辿り着く魂そんな方々との出会いを楽しみにもう少し旅を続けて見たいと思っています。
クリックすると元のサイズで表示します
1

2014/5/9

愛の笛に携わる真意のカケラ  ラブフルート

愛の笛が手渡される時、そこに起こったこと。それはとても重要なことなのですが、単なるエピソードとして読み過ごされることが多いように思います。

小さな愛の笛にまつわる伝説に、それほど注意を寄せ、真剣に捉える人は少ないでしょう。神話学、あるいは心理学的な視点の有る方は、それなりに捉えることもあるかとは思います。

若者は聖なる輪の中心にある鏡の光に当たって気を失います。これはとても大切なイニシエーションなのですが、それは特定の年齢になればかならず通過する類のものではなく、個々の人生の特定のプロセスの中で待ち受けているものです。

自分の本質的な実態を浮かび上がらせる聖なる鏡。聖なる輪の中心にある鏡の光を浴びた時、到底目を開けていることなどできず、気を失うほどの衝撃を受ける。

その後に初めて愛の笛が手渡されるのです。そも意味は、一人一人が自分自身の事として真摯に受け止める時まで封印されているのです。人を愛すること、心の思いを表すこと。そこに開かれた道を歩むこと…。

ラブフルートは、様々な形で、それを求める方々の手に渡されるのだと思います。必ずしも、一様なプロセスを辿って手渡されるわけではなく、その心の歩みに相応しい流れとともに愛の笛が手渡された真意を知らされるのだと思います。

僕がラブフルートを作り続けている本来の意図は、笛の製作で生計を支えることではありません。そこに隠されている魂に必要なメッセージを、必要とする方にお伝えすることです。それは、僕自身にとってとても重要であり、存在を支える大きな力だからです。

あえて手作りで、時間をかけて、ひとりひとりの愛の笛を作る真意は、殆ど口にしたことはありませんし、流れ去るデジタル文字で伝わるとも思っていません。

仮に生活のためというだけであれば、フルートのバイヤーになったり、人を使って量産すれば済むことです。巧みに宣伝して広げるためにエネルギーを注げば良いのです。

しかし、そういう生き方は既に意味をなさないのです。何が自分という存在を生かし、支え、その道が示されるのか…。なぜ、いま自分がラブフルートとの関わりの中で生かされているのか…。

それはデジタル文字で書き記すものでもなく、仮に真摯に自らの道を歩こうとする人が求めるならば愛の笛と共にそっとお伝え出来ることがあるかもしれません。自分自身の心の内側の事実として、最期のときまで見詰め続け、死の扉の向こうで確かめることになるのでしょう。

僕が生かされている間に、どんな風に聖なる輪の中心にある鏡の光を浴びた方々の手に愛の笛を手渡せるのかは分らないのですが、そこに秘められた生命の知恵を巡って存分に語り合える出会いがあれば心は歓喜の中で震えるのでしょう。

そんな出会いがあろうとなかろうと、降り注ぐ光のように僕たちを包み込んでいる恩恵の中で、許される限り作らせていただけたなら幸いだと思っています。クリックすると元のサイズで表示します
3

2014/5/2

アイヌの響きのラブフルート  ラブフルート

この春の展示会で初めて見て、聴いて、感じてもらえるアイヌ文様と東海岸の樺太アイヌに伝わる音階と北米インディアンのラブフルートを展示したのか。

その真意は言葉で伝えるのは難しいのですが、書き記すことで最低限のことは感じて頂ければ幸いです。世界先住民族会議といった動きがありましたが、およそ文化の継承や社会的課題などが取り上げられ、相互の強調と協力を願うものだったように思います。

有る特定の民族の強調は結果的に、社会との融合よりも、微妙な区別の主張になり微妙な対立や差別意識を広げて行く可能性を孕んでいるような気がするのです。

アイヌの方々が差別的な対応を受けて複雑な思いになる事も有るのですが、逆にアイヌの人たちから差別を受けたという声も聞こえて来ます。その根元には、個々の人間の心の問題が有るように思います。

民族が同じでも内部の差別や対立は起こりますし、民族が違っていても友情や協調も出来るでしょう。心臓の鼓動と呼吸で繋がっている人間としてどう生きるか。
昨年は鼓動を感じ、生命を感じる集い「月夜の宴」を開きましたが、今回製作したラブフルートは、その延長線上にあります。

言葉のやりとりが始まれば、結局何処か釈然としない要素が残ることが多いかもしれません。遠慮と気遣いが行き交って、なかなか深いところで一つになることが難しいのです。それが、言葉の特質であり、限界とも言えるような気がします。

あっちの楽器や歌と、こっちの楽器や歌でコラボするというパターンは、むしろ違いが強調され、何処かに違和感がありながらも、なんとか一緒にやるという感覚があります。

かつてスミソニアンの博物館で、インディアンの生活を描いた図を見たとき、アイヌの資料館にいるような錯覚を覚えました。それほど両者のライフスタイルは似ていたのです。

このときの体験を長く暖めていて、今回初めてアメリカ先住民の笛とアイヌの伝統音階を体現することになったのです。ですから出来上がって音を響かせるまでの間、ずっとワクワクしていました。頭で考えたことと、実際に浮かび上がる響きとは全く違います。まして、トンコリという弦楽器の表現と笛の表現には明らかな違いがあります。

先住民のアイヌの方々が生活する以前から、この大地は厳然と存在し、自然そのものが世界そのものだった。そこに繋がる響きが、未成熟な人間たちの心に語りかけるものは何なのか…僕はその響きに心を傾けながら、残りの旅路を全うしたいと思っています。

今回の展示会は、その小さな歩みの始まりかもしれません。この笛の響きが何をもたらすのか分かりませんが、いずれ何処かで、誰かが、一人の若者のように不思議な笛と出会い旅を始めるかもしれない…そんな密やかな楽しみを抱きながら、僕に与えられた命の呼吸を木の笛に巡らせ、そこから響いてくる囁きに心を寄せて行きたいと思っています。クリックすると元のサイズで表示します
1

2014/4/23

屑という種  ラブフルート

屑という種。(感謝の道を辿るメモ)

先に書いたガラスのコンペティションの作品を製作する時に、工房のゴミとして棄てられる屑ガラスと韓国製の安い板ガラスを使いました。値段などつけられないと言うことで、タダで頂きました。(石戸谷さん・改めてありがとうm(_ _)m)
硝子切りさえ満足に出来ないまま、簡単に手ほどきを受けて取り組んだ記憶があります。かなり無謀でした…。

父親から硝子切りを教えられた記憶は有るものの、うまく出来るはずもなく、硝子が勿体無いからという理由で断念したままでした。

ゴミ箱から集めた色ガラス(ステンドグラス)を、呆れるほどカットして、散りばめることで硝子の量の不足を補い、黙々と取り組みました。

それから時が流れ、今度は硝子ではなく木材の端っこを頂いてラブフルートを作り始めました。製材工場を訪ね、切り離して売り物にならない端材をひとまとめ幾らで購入しながら製作を続けました。

合わせて木工に携わる人と出会い、切れ端を頂いては製作に向かいました。その中でも都築氏にはカツラの埋もれ木を手始めに、僕の財力では手に入れられない材料の切れ端をたくさん頂きました。

貧乏学生の時は、パンの耳を常食にしたり、寮の余り物を楽しみにする生活でしたから、その延長に今があるようです。ノートは、印刷に失敗した藁半紙や広告の裏紙という感じでしたから、屑で生きる基盤が身に付いていたのかもしれません…。

小さな切れ端なので、フルートを作るのが難しい端材も有るのですが、バードにすれば大丈夫!厳しい条件が工夫を生み、技術を培ってくれたように思います。

生まれて初めて製作したラブフルートもまた、知人のケーナ製作者が使い物にならないから好きなだけ持って行って良いよと言われ、ベランダに無造作にたてかけられていた竹をひとかかえ頂いた中の一本でした。

屑野菜を美味しいスープにしたり、屑米で小鳥たちとの交流を楽しんだり、もう捨てるけど…という衣類で何年も過ごしたりで、感謝の連続。そういえば、ただで頂けるオカラも工夫次第でなかなか美味しい…。ココオシというマッサージアイテムもKOCOMATSU建設の時の端材で作られています。

屑という種が実りをもたらす楽しみ。屑が作品になり、心と繋がる笛の一部になり、すっかり生まれ変わるのは楽しいものです。こんなことは、色んなところにあ有るのかもしれません。

人の繋がりという錬金術を楽しみ感謝しながらもう少し歩いてみようかな…。
屑を分けてくれる気持ちに感謝。屑が宝になる楽しみをありがとう。

ちなみに木の切れ端はフルートケースのボタンになり、薄い板はココペリになり、最後の削りかすはお風呂の燃料になっています。木のように、最後の最後まで生きて生かされ、最後に人を暖めて終われたら良いだろうな…。

都築謙司さん (http://kens-wood-working.ftw.jp) 改めてありがとうございます!今後ともよろしく(^.^)クリックすると元のサイズで表示します
2

2014/4/23

出会いと感謝の道を辿る  ラブフルート

人生がいつまでも、どこまでも続くわけではないことは誰しも知ってはいるのだけれど、終わりが予期せぬ形で突然やって来る事もあるとなると、思い立った時にやっておかねばならないことがある。

そのひとつを書いておくことにしました。それはKOCOMATSUのステンドグラスのことです。そこにある5枚のステンドグラスは全てボザールデザインビューローを運営するステンドグラス作家・石戸谷準氏の作品です。

彼と出会う以前、東京に住んでいた頃に出会ったステンドグラスは今でも鮮明に思い出せる印象的なものでした。ほぼ長方形の広い建物の天頂部に数色しか使っていないステンドグラスが組み込まれていました。

建物をぐるりと窓が囲んでいて障子がはめ込まれ、淡く優しい光が内部全体を包み込んでいました。通りがかりの一瞬の出来事でした。その一瞬の体験が光とガラスの世界の入口でした。

その後、色んなことが次々と起こる中で僕自身がステンドグラスのデザインを数個手掛ける機会がありました。ダルドベールいうステンドグラスの欠片を半年眺め、光と色彩と光を透過するガラスの不思議を感じ取ることから始めて、数百枚のスケッチを続けました。それはまだそこに存在しないイメージと自分の内面との繋がりを模索するプロセスでした。

そこからさらに時間が流れ、僕は旭硝子主催のガラス作品のコンペティションに作品を出展しました。この時も自分の中に有るイメージが表現できないかぎり、造形に意味はないと、半月ほどガラスの欠片を見つめ続けました。

何とか作品のイメージはできたものの、実際に製作する場所と材料が必要でした。しかも、締切が迫っていました。この時に、石戸谷氏が工房を貸してくださったのです。ほぼ丸2日徹夜で仕事を休んで、何とか仕上げることができました。

その作品は予期せず北海道と全国で最優秀賞の評価を頂きました。これは石戸谷氏の好意無しにはあり得なかった事です。この時の感謝とお礼をと思いながら、気がかりなまま時間が経過していました。(祝ってくれる仲間とのちょっとしたパーティーにお招きしただけでした…)

それからかなり時が経過していたのだけれど思い立った時に動かなければと、自宅の居間に飾る小さなステンドグラスをお願いに出向きました。一枚お願いしたいと伝えたまま、やがてKOCOMATSUを建てる動きが始まりました。
その流れの中で、折角なら皆さんに見ていただける方が良いと考え、石戸谷氏にステンドグラスのプランを伝えました。

やがて石戸谷氏からステンドグラスの構成とデザインが提案されました。小さなものを一枚取り付けるのが精一杯と思っていたのですが、提案は5枚の作品を配置するものでした。

結果的に感謝とお礼どころか、更なる好意を受け取ることになりました。その時出来る精一杯のお支払いはさせていただいたもののの到底十分なものではありませんでした。

この時、個人の住宅では一度も実現出来なかったステンドグラスの周囲に傾斜をつけたいという石戸谷氏の話を聞き、何としても実現させようと苦心しました。幸い色んな協力を頂いて何とか実現できました。

その結果は歴然としていました。わずかな傾斜が想像を超えた多様な光の世界を見せてくれました。大工さんからは苦言を受けましたが、無理にお願いして良かったと思っています。

KOCOMATSUのステンドグラスは個人のプロセスと石戸谷氏との出会いがあって生まれました。かつての僕の製作活動の動機は、透明で有ることと光を透過する色彩の不思議を見詰めることにありました。ガラスという存在と色彩と光の不思議は、KOCOMATSUと関わることでさらに感じるようになっています。

その光は音の響きの不思議と混じり合いながら、いままで訪れた方々、これから出会うであろう方々を包み込んでくれると思います。もはや、石戸谷氏のステンドグラスの無いKOCOMATSUは考えられなくなっています。

色んな方が、KOCOMATSUの光と響きを楽しんでくださっています。その光の輝きと移ろいを、たっぷりと感じ、喜び満たされる姿。丸一日存分に光を喜び楽しめる小さな空間。それは、小さな出会いの種から芽生えた天からのギフト。

記憶を失わない限り、石戸谷氏と彼との出会いを与えてくれた天の摂理に感謝しながら、残された道を辿ってみようと思っています。

ボザール・デザイン・ビューロー 石戸谷 準

ステンドグラス|ステンドグラス作家 石戸谷準の作品集
www.st-glass.jp/
北海道江別市のステンドグラス作家 石戸谷準の作品集です。フッ化水素酸によりガラスを溶かし繊細で緻密な絵を描くエッチング技法を多用しているのが特徴です。

KOCOMATSUステンドグラスのコメント・石戸谷準http://kocomatsu.exblog.jp/11665013


クリックすると元のサイズで表示します
2

2014/3/20

3月振り返りつつ前に向かう  ラブフルート

3月の確定申告が終わると、前年がどんな風だったか振り返る事が出来ます。とりわけラブフルートの製作や演奏活動がどうだったか一目瞭然です。何本作らせていただいて、収入はどうなのか。どこから依頼を頂いて演奏してきたか...。

 数年前から身体の負担が大きくなって製作のテンポが鈍くなり、製作数はピークの時の4分の1になっています。製作を手伝ってくださる方が居なくなった事も当然製作の流れに大きく影響しています。

 しかしそれ以上に、東日本大震災から始まった支援活動の影響があると思います。一日の半分は被災地、被災者とのコンタクトやそれに付随する活動に費やしている感覚がありました。

 現地への具体的な訪問は短期間ですが、その前後の諸々の動きが大きかったと思います。結果的に製作依頼くださった方々にご迷惑をおかけしてしまい申し訳なく思っています。

 今後も東北での活動は継続すると思いますが、まずはラブフルートの製作に集中してめどをつけたいと思っています。

 もうひとつの身体の負担に関しては、これまた葛藤が続いています。手作業にこだわる姿勢を継続すれば、当然のように身体への負担が増加します。手や指の負担は肩まで波及し、激痛で目覚める生活が何年も続いています。

 これを解消するためには、作業を休止し身体を守るか動かせなくなるのを覚悟で、可能な限り製作し続けるのか。後者の場合、製作不能になった後の日常生活に支障が出てくる可能性が高いと感じています。

 いずれにしてもいつか製作を止める時が来るのだと思いますから、それも考えて行動しなければと感じています。

 時折、後継者もしくは協力者のことを考えた方がと声をかけられることもありますが、なかなか難しいと感じています。演奏、製作、レッスンという一連の流れがあってなんとか継続して来ましたから、そのバランスを保てることが継続の前提になるでしょう。

 実際、製作だけで生計を維持しようとすれば、取り組む姿勢も製作の姿勢も変化する事になるでしょう。経済を安定させるためには...という視点に立つことになるでしょう。そうなると、完成するラブフルートにも確実な変化が起こるでしょう。

 それはそれで割り切れば作れるのでしょうが、誰もそれを求めなくなるかもしれません。或いは、販売のための手段に経費をつぎ込み、いわば中小企業と同様の課題を背負う事になるような気がします。

 どうやら、やれるだけの事をさせていただいて、後は流れに身を任せる事になりそうです。そして、ここまで継続させていただけたことに驚きと感謝を覚えています。はたしてどこまでラブフルートの旅が続くのでしょう....。
3

2014/3/6

書き掛けたままの日記・春が来る前の回想  ラブフルート

2014年の吹き初めの案内をしながら、僕の2014年は果たして無事にやってくるのだろうか?そんな自問の中で、ご案内の葉書を投函したり、お電話でお誘いしながら年末を過ごしました。

というのも、2013年にも親しい方が亡くなられたり、思い病気に罹られたりで、何が起こっても不思議ではない日常を感じていたからです。

東日本大震災は意外な出来事の象徴のひとつとも言えますが、それももう時期丸三年になろうとしています。どれほど強烈な体験であっても生き延びている限り、それもまた人生の一部に組み込まれてしまうのでしょう。

今年も新年の吹き初めの案内の時期が来て、改めて思い返し感じることがありました。僕自身がどちらかというと出無精で、失礼してしまうことが多いのですが、敢えて一つところに集う大切さを確認出来たように思います。

それぞれの旅路が、ふと一つの場所で交差する。そのわずかな時間の中には、一人では決して気付かないメッセージが用意されているように思います。それは意図的に作り出そうとしても出来ない貴重な体験に繋がる空間でもあり、人生の一部に組み込まれているのでしょう。

今年の吹き初めもまた、新しいスタンスで始まり、12時間の間に不思議な巡り会いが待っていました。好きな時間にやって来て、好きなように過ごし、好きな時間に帰って行く。それぞれの持ち寄りも楽しみの一つです。

そのひとつにラブフルートのワークショップも組み込まれているのですが、この時間が吹き初めの軸と言えるかもしれません。

そこではマイフルートを携えて来る方もおられれば、全く初めて手に触れる方もおられます。今回の集いも、マイフルートをお持ちの方が20余名、未体験者やマイフルートをお持ちでない方が40余名という構成でした。

吹き初めの二つの側面。マイフルートをお持ちの方が新年に初吹きをする事と、初めてラブフルートを体験する事です。僕自身が、特定の価値観の人間だけが集まる空間が苦手なので、フルートの有無に関係なく自由に過ごせる新年の12時間を楽しんで欲しいな…と思っています。

色んな方々と触れ合いながら、人生ってなかなか面白く、それぞれの道をたどる姿を喜んだり楽しんだりできる時間があって、その中で自分のことも感じてみるのもいいものだと思っています。

人を集めてリーダーシップを取るような方々が、自分も小さな一人、一つの細胞のようなものなんだと知り、何が本当の意味でのリーダーなのか気付いて行く空間。

それぞれがマイフルートを持ち、ご自身の呼吸と木々が触れ合う瞬間に感じるものが、静かに深く大地や空とつながる旅。

その小さな一歩。そんな2014年の吹き初めから、まる二ヶ月が過ぎました。

外は柔らかくキラキラと輝きながら舞い降りてきた雪の結晶で埋め尽くされています。

どこまでも個性的で、美しさと儚さを伴い、きっと僕のところに舞い降りると決めたきらめきたちがやって来る

彼らは確かに 大切なメッセージを届けに来たのでしょう。

降り積もる結晶の断片が 一瞬一瞬が時の意味を告げ
人生を浮かび上がらせ この世界を象徴しているような気がします…クリックすると元のサイズで表示します
2

2013/12/31

活動報告の言葉が続かない...  ラブフルート

  東北に向かう前と現地での接点と戻ってきてからの心の動き。それをまとめきれないまま、九州でコンサート、ワークショップが始まり、さらに東京、大阪、札幌の公演が続きました。

 その間に、何度かブログを書きかけたのですが、途中で言葉が止まってしまい、アップするには至らないまま時間だけが流れました。

 同行してくださったFさんからのレポートが届いたものの、過ぎ去った活動を報告するだけでは、何かが違うと感じて、これもまた保留状態になりました。

 どこで何をしてきたか、その報告が何を意味するのか疑問が生じるのを無視できなかったのです。自分たちが何をしてきたのか、現地で何があったのか以上に、これからどうすればよいのかが大切なのにその方向性が今一つ焦点が定まらないのです。

 現地の状況は、めまぐるしく変化し続けていると同時に、一向に変わらない現状が続いている。こうした状況は、東北の現状に限らず、僕たちの周辺でいつでも起こっていることなのでしょう。容赦なく変わり続けることと、一向に変わらないことが入り混じっている。

 その中で、僕らは自分の道を歩いて行こうとしている訳です。自分という存在が、この世界のあらゆるものとの関係の中で生きているということを改めて確認することでもあるわけです。

 衣食住という生命維持の土台が備えられたとしても、それだけで生きていけるわけではない。それをはっきりと感じさせられました。木々の響きに心を寄せ、ドラムの響きと共に過ごす方々の溢れるような笑顔とエネルギーに触れながらの旅は、今後の方向性をある程度予感させるものではあったと思います。

 子供たちの為に健康飲料(タングロン)を届け、放射能汚染の危険の少ない新鮮な食料(米、野菜、その他)を届けたり、子供たちの為のおもちゃなどを届けたり、現地の方々との交流を続けること。音楽を届け、ドラムや歌を通しての交流。これは変わらず継続していこうとしているのだけれど、そんな活動の必要性が次第に希薄になり、あまり感じられなくなっているような気がしています。

勿論、新たな協力者や理解者がおられるのですが、「前に寄付していますから」と自慢げに口にして済ませる方もおられました。ちょっとびっくりですが、継続して現地の必要性を考えるより、自分の行為の方を中心に捕えていたり、それは誰かがやること、あるいは国のやることでしょうと考える人もおられます。

 あえて僕がそれを呼び掛けたり、継続する意味はあるのだろうか。知らず知らずのうちに、現地のことよりも、僕がどんなことをしているのかが中心になるような報告は、どこか違った方向性を持ち始めるような気がしています。そんな思いもあって、今回は同行されたFさんにレポートを書いていただきました。

活動の為の基金の呼びかけの必要性と僕の活動報告との関係が微妙に変化し始めている。そんな感じが生まれてきて、どうも素朴に純粋に動けないのかもしれません。意図せずして変化が生まれてくるのは自然の成り行きかもしえませんが、注意深くありたいと思います。

 呼びかけ、協力を求めるためには誰が何をしようとしているのか明確にしなければならない。その結果、特定の存在・個人が中心になりやすくイメージが変化してしまうのです。この流れが気になって、報告自体を躊躇しているような気がします。

 こうした状況をご理解いただける範囲での活動に徹しているつもりですが、気付かないこともあるのだと思います。率直にご意見やご指導をいただければありがたいと思っています。年末ギリギリでなんとかタングロン支援基金の活動報告をさせていただきました。ご協力を心から感謝します。
3

2013/12/31

東北活動報告Aタングロン支援基金  ラブフルート

 16時過ぎY.Sセンターを立ち、仙台市宮城野区へと向かいました。
途中まだ日が暮れていなかったのでもう一度元道の駅で高田松原の慰霊碑がある場所に行きました。
前日来た時は暗くて気づかなかったのですが、そこにある高さが十数メートある建物の中には大きな松が今も当時のままそこに串刺しになっていました。
津波はその建物の上部に達し、内陸へ向けて8kmもさかのぼったそうです。

 22時30分南宮城野区の仮設住宅に到着。
翌19日は10時から演奏交流。みなさん元気に参加してくださり、踊りの輪が出来、炭坑節に交じって、生まれて初めてどじょうすくいを踊ることになりました。参加者の皆さんのことを思うとやらなくてはと思い切って踊りました。
ここでは仮設住宅に住み続ける苦労.心労を知ることになりました。
壁が薄く、音がだだ聞こえのためそのストレスは相当なようでした。
奥尻に住む僕の両親の話にも、ちょっとしたものをかけるフックのようなものを壁に刺したところ隣の部屋に突き出たことを話していたので、壁は相当薄いのでしょう。
また仮設の部屋はせまいらしく、台所に食器を置くスペースにも困るほどで、全てにおいてが仮の生活で、暮らしの中に豊かさや重みをおけない生活を続けるストレスを話に感じました。
次に移る場所のメドも立たず、行政も人の心もまだまだ混沌としている感じでした。

 その日は小野さんと縁がある仙台市の他地区の方のご好意で自宅に宿泊させていただきました。
とても温かく招いて下さりとても心地良く休むことができました。ありがとうございました。

 翌20日。相馬保育園へ。園のグラウンドに到着した時、丁度、放射能測定器で2人方が作業されていたのですがデジタルは5.00mbk/hrを表示していました。
だいたい半年ごとに点検.整備に県の方がこられるそうです。帰りにもう一度見ると0.92mbk/hrでした。
何がこの急な変化の原因かはわかりませんが、とにかく平時で毎時0.9というのは凄く高い数値だなと思いびっくりでした。
保育園内には大勢の園児たちがいました。急な来訪であったにも関わらず、明るく元気いっぱいに歌や歓迎の言葉、そして手づくりのメダルを授与してくれました。
小野さんが数曲フルート演奏をし、インディアンドラムの時間になると園児たちのくいつきかたはすごかったのですが、あの年齢の子たちにしては奪い合い、取り合いはそんなに激しくなく見えました。
60人以上はいたと思うのですがみんな調和を持ってタイコにふれあっていました。最後、園を立つ時に、「また来てねぇ!また来てねー!」、「またねぇ、またねー」と声をあげていたのがとても印象に残りました。「また来るよ、またねー!」

 そこから福島県との県境の宮城県角田市へ。陶芸家で角田市民放射能測定室という測定場所を自宅の一室に設けている池田さんという方の下へ行きました。
角田市は、福島県ではないため放射能の影響というのはクローズアップされないのですが、池田さんの自宅周りの放射線量は数千ベクレルの数値を示すそうです。
角田市は宮城県ということと一次産業従事者が多く、あまり騒がれては風評被害にあうということで、線量が高いことは表立たせたくないようです。
現地の子供をもつ母親で食べ物に気をつけているお母さんとあまり気にしない方のお子さんの尿検査をしたところ、前者の数値は低く、後者は高かったそうです。
そこで池田さんは今、100人の子供達の尿検査実施の考えを教えてくれました。
子供達は地域にとって宝物だし、子供を守ろうとする母親のエネルギーはすごいものがあるので、とてもいい考えだなと思い気持ちが昂ぶったのですが検査には今のところ一人2万円かかるそうです。
小野さんが、積んで来ていたお米と野菜を幾分か池田さんに手渡し、僕達は角田を立ちました。

 その夜は会津美里の長福寺へ、電話で連絡をとり予定を立てていた小野さんから聞いたところ、住職が小野さんのフルートの持ち主で、近くのユースホステルの経営者が知り合いなので無料で泊まれるので近くにいらっしゃるなら是非来ていただきたいと。
お寺に到着したのは21時過ぎでした、そこで太陽光発電の早川寿保さんと合流し、お寺で四人の不思議な縁の交流をしました。住職の先導の下ユースホステルへ。
実はユースホステルの主人と住職は初見だったそう(お子さんどうしが知り合っているだけ)で「支援金です」という形で3人分の宿泊代を支払ってくれました。

 明けて21日、朝6時に宿を出て8時に山形県おいたまサロン犬佞錣辰
2

2013/12/31

2013年東北活動報告@・タングロン支援基金  雑感

 9月17日苫小牧港から八戸港へ。

 翌朝4:40分到着。ここから最初の目的地釜石へ。

 途中の東北の山並、川、村の景色は日本昔話にでてくるような場所に住みたいと思っている僕にはヨダレのでるような土地で思わす何度もその思いを口にだしてしまいました。
「いやぁーいい感じのとこだなぁ〜」とか、「いやぁー懐の深くていい谷だぁ〜」とかおぉーいい川だ浸かりたいなぁ〜」などと。

 その度に思い知らされたのが、この辺りでも福島の原発の影響があるということでした。
岩手県は福島からは結構離れているという思いから、自分のなかでは放射性物質の影響ということはほぼ考えていなかったのですが・・
関東や信州方面の広い範囲でも影響のある極小の物質`原子''(塵⁈)それが福島から同程度の距離にある岩手県という東北の地に影響があったとしても何の不思議はない。
まして、アメリカはシアトルの方でもその物質の数値が上がったとの話も耳にしたこともあります。

 釜石市内陸部から海岸部にでてくると少しづつ崩れかけた建物であったり、建設中の建物であったりを目にするようになってきたが、二年半たっているだけあって"あの震災"の影響というのは特段に感じてはいませんでした。
小さい町を抜けて最初の目的地「鵜住居仮設商店街」に向かう途中、多くの野っ原を目にする。
初めからそうであったかのように、ただの広大な野原になっているのですが、よくよく見ると、
家々の基礎部であるコンクリートや門の跡など元々は多くの家が建っていたと思われる痕跡があちこちでみられるようになり、
仮設住宅群も目に付くようになり、自分としては突然犬△凌椋メ犬留洞舛鯡椶療・燭蠅砲垢襪海箸砲覆辰心恭个任靴拭」

 11時過ぎ鵜住居仮設商店街に入り、演奏交流に向けて荷をおろし準備にかかり、12時ライブスタート。
 小野さんがフルートを吹くとその場の雰囲気が一気に変わる、そこにいるみんなが純粋に聴く、耳を傾けるという行為に意識を向けるせいか、フルート以外の音が全くなくなる空間に入る感じでした。

 僕が感じたのは、小野さんのフルートは一旦その場の人々の思いや感情(そこではかなしさ、郷愁みたいなもの)を引き出すような気がします。悪い感覚ではなく、ほっこりするような感覚で何か共感共鳴するような一体感を感じました。

 そのライブでは周りの人を徐々に巻き込み最期は皆でインディアンドラムを叩くという方向になる。始めはその場で皆でやっていたけれど、やがて集まっていた人々はエネルギー余ってか次々に外に繰り出していく。

 昼近くの晴天の下、鵜住居の人達はドラムを叩きながらあっちの店、こっちの店を練り歩く。皆それぞれの思いをドラムで表現しているように僕には見えました。

 最後は皆で円になりその土地、その場所でのグルーヴを作り笑顔で演奏交流を締めくくった。

 そこから一時間半をかけ次の目的地 陸前高田市米崎町個・昔あたる
1

2013/11/5

なぜ東北に向かうのか  ラブフルート

( この文章は東北に向かう前に書いていたものです。
時間をさかのぼって読み返し、漠然としてはいるけれど感じている違和感、不思議な感覚が後日そういうことだったのか…という現実との繋がりを感じました。)

なぜ今再び東北に向かうのか…。出発を控えて自分自身に改めて問い掛けていました。

今回は今までとは少し感覚が違う自分を感じています。身の危険を感じているのだろうか、直感的に何かを感じている自分がいました。

僕が知っていることは、直接体験したこと以外は何らかの価値観から捉えられた特定の視点から生まれた情報でしかない。

最低限の知識から生まれる価値観を持ち出して、何かしら方向性は出て来るけれどそれは絶えず浮遊している感じがします。

何にも感じないけど危険なもの。それは実に見事にそれぞれの生き方、捉え方を引き出す触媒のような気がします。確実に危険性を持ちながら、微塵も危険を感知させない。

そんな地域に敢えて足を踏み入れる。その行動自体に否定的だったり、批判的な考えも聞こえてきました。

では、その只中で生きている人たちのことはどうなるのだろう。巨大地震や原発事故は多くの命を死に至らしめ、或いは危険に晒すものですが、何よりも難しいのは人間の反応ではないかと感じます。

事故直後の段階で、放射能汚染に対する姿勢が個々人の繋がりを分断させ、批判や対立を引き起こしていました。それは、今も現況の変化の中で、変わらず起こっていました。

大きな困難や問題が起これば、お互いに助け合うという単純な構図にはならず、個々人の違いが浮き彫りになり、むしろ分裂や対立が生まれる。この事実を直視しながら、より広い視点に立って全体の流れや方向性を知る必要を感じています。

避難者家族、とりわけ子供達の命を守り、相互の協力や情報の共有のターミナルになっている米沢のサロンとの繋がりから感じることをじっくり考えながら次の流れに向かいたいと思っています。
3

2013/9/3

お帰りなさい  ラブフルート

精魂込めて作らせていただいたラブフルートたちが工房に帰ってきました。

工房に帰って来るラブフルートには幾つかの帰り方があります。一番多いのは、ラブフルートを手に旅を始められた方が、マイフルートを連れて帰省する?スタイルです。

これはなかなか嬉しく楽しい帰省です。とりわけ、ピッカピカにお手入れされ、愛されているラブフルートと対面するのはいいものです。こんなことを書くと、手入れしてなくて恥ずかしいから帰省しないなどという方もおられるかもしれませんが...

妙な話ですが、手にされた人の記憶が怪しくなっても、自分が手をかけたラブフルートは鮮明に思い出します。打ち込んで過ごした時のエネルギーが鮮明な記憶と繋がるのでしょう。

もちろん、中には、帰省することなく棺と共に旅立ったラブフルートたちもいます。そして、今回は、手にした人は旅立ち、ラブフルートたちだけが工房に帰省しました。

最終的に僕のところで生まれたラブフルートを10数本手にされ、吹いて楽しまれ、イチイのラブフルートが完成した時には奥様とお二人で北海道まで引き取りに来られた方が、その数年後に急逝されました。

「木々の響き」というCDが発売される直前のことでした。CDの注文が入り、「主人に聞かせてあげたかった」という奥様からの電話で亡くなられた事を知りました。彼が、恵み野キャニオンで嬉しそうにイチイのラブフルートを吹き続けておられた姿が浮かんで来ました。

それから数年後、懐かしい奥様からの声が届きました。大切に残してあったラブフルートの響きが僕の演奏の時に、みなさんのところに届けられるのが良いと思いお届けすることにしましたとの連絡でした。

奥様のラブフルートや子供達のためのものは手元に置きますが、それ以外はぜひ演奏にお使いくださいとのことでした。この時、震災の前年末に盗難にあったラブフルートの事をお伝えしたところ、大変悲しまれると同時に、是非ともラブフルートを受け取っていただきたいとのことでした。

数日後、工房で生まれたラブフルートが3本とその他で作られたフルートが6本、さらに可愛いインディアンドラムとホピで買い求めたカチーナ2体が届きました。

僕は今後の演奏の中で、帰省した子供たちの声、その響きを届けることになるでしょう。彼らは新しい物語と共に、響き始めると思います。

失われたラブフルート20数本は、未だに帰ってきてはいませんが、不思議な形で我が子たちが工房に姿を見せてくれました。

これまでにも、どうぞ失われたフルートの代わりにお使いくださいと声をかけてくださった方々が何人もおられました。また、5本ほどまとめて梱包され、届いたこともありました。その後、ご安心くださいとお断りしましたが、その子達を合わせるとあたかも姿を消したラブフルートたちが帰って来たような不思議な気持ちになりました。

こういう暖かく優しい方々のところに出かけて行った木々のラブフルートたちは幸せだっただろうな.....。

クリックすると元のサイズで表示します
4

2013/8/31

複数のラブフルート  ラブフルート

このところ複数のラブフルートを求めて訪ねてくださる人々が続きました。その気持ちは分かるような気がします。僕自身、初めてラブフルートに出会った時、結局3本まとめて購入しました。

心の動きと密接な関係を持つ響きは、ひとつにしぼりきることが難しいものです。一日の間にも、気持ちはいろいろと変化し続けていますから、吹きたいと感じる響きも違ってきます。

木々の響きはとても繊細で個性的ですから、特定するには、それなりの知識や直感も含めて時間がかかります。比較的早い方でも、選択には数時間を要することが珍しくありません。

素朴にインディアンフルートが欲しいという事もありますが、出来ればある程度の納得をいただければと思います。お金で買うというスタンスから、少し角度を変えて触れていただければと思っています。

とにかくたくさん作って売れればいいという感覚は最初からないのですが、なかなか誤解を生みやすいことでもあります。

本当に必要で良いものを生み出し、分かち合うことが生きることそのものであること。その土台の上に、生活や金銭が伴うという流れを、大切にと思っています。

量産という発想は資本主義経済がもたらした価値観でしょうが、それが人々の生活や心に何をもたらしたか、よくよく考えて見る必要があるような気がしています。

長年の手作業で手や肩の痛みとの調整が難しく、明らかに製作のテンポが落ちていますが、長くお待たせしてきたフルート達もなんとか旅路に向かい始めました。 オーダーが途絶えて沈黙の期間が長かった製作作業も少し動き出しました。

先日、お渡ししたラブフルートを大切そうに抱えながら、生まれたての赤ちゃんを抱えているような気持ちですと話してくださった方。その嬉しそうな姿を見ながら、こちらの方が感謝でいっぱいでした。この方も2本同時にご注文でした。

かつては一度に3本購入したことを懐かしさも含めてお話ししてきましたが、先日は一度に5本の注文を頂きました。中には10数本の注文をくださり楽しんでおられる方々もおられます。

ラブフルートの森に囲まれる生活は楽しいだろうと思います。木が好き、木の響きが好きな方との交流は楽しいものです。

これからどんな流れになるのか分かりませんが、注文激減で廃業、転職も考えるなか、少し風向きが変わり、ゆっくり製作依頼の風が吹き始めました。どうやらもう少し、ラブフルート製作が続けられそうです。クリックすると元のサイズで表示します
5

2013/8/16

夏の風 から秋の風  ラブフルート

夏が一気に駆け抜ける。とりわけ北海道の夏は短い。

このブログを書いている時間、木々を揺らす風は明らかに変化し始めています。

爽やかな朝、耳にした蝉の声。少しづつ勢いがなくなっている。時は休むことなく流れています。

この時期に「風になる豆になる」の気ままな集い。セミナーとかワークショップとか言わない、なんか良さそう気分で集まる。

ひとりじっくりとは違う、誰か自分以外の人と場を共有すること。それは自分のスタンス次第だけれど、随分いろんな気づきを与えてくれると思っています。

スピリットキャッチャーを作ろうとしたところから、ウィンドキャッチャーが生まれて来た。構造や原理は同じだが、核になる部分が違う。

それは能動と受動という根本的な違いだ。突き詰めれば、能動も受動も視点の違いでしかないとは思うけれど、あえて何処かで具体的な動きを表現するなら、能動と受動ということになるだろう。

自分自身が手に持って振り回すのがスピリットキャッチャー。自分はただ手に持って、風がやってくるのを待ち、風の流れを体感するのがウィンドキャッチャー。

手で回すスピリットキャッチャーは軽量であることが重要。立ち尽くして風を感じるウィンドキャッチャーは、身体に風の流れを伝達し一体感を共有できることが大切。

風という言葉と実際に感じる風との違い。それは概念や知識とは違い、直接的で具体的なもの。人はおびただしい知識や概念や認識の中で自己認識を安定させようとしながら、何処かでその辿り方に違和感を感じているような気がする。

心と身体という二分化した相対的認識も一つの視点にすぎず、心と魂という表現もまた確固としたものではないだろう。

にもかかわらず、あたかもそうであるかのように意識に登らせ、言葉にしてはみるものの、多分前提となる言葉の意味を明らかにしようとする作業だけで多くの時間を費やし、結果的にこれと言った何かを引き出すことはできないような気がします。

ラブフルートを吹くという起点があってのウィンドキャッチャーだけど、多分ラブフルートを吹くよりも分かりやすく感じやすいのだと思います。

自分も風なのだという感覚が何処かで感じられれば十分だと思っています。その先は、それぞれにあるだろうから…。

自然との一体感を視覚や言葉ではなく、体感する。その意味では、実に素朴でありながら、深い領域に触れる可能性を持つウィンドキャッチャー。

今のところ、体感した全員が楽しんでり、喜んだり、自分も作る〜と言わせている。まさかまさか、流れ着いた流木が風を連れて来てくれるとは…。

クリックすると元のサイズで表示します
2

2013/7/20

ドラムはそれぞれの鼓動と繋がって響き続けて行く  雑感

月夜の宴からもうすぐ一ヶ月になろうとしています。少し時間をおいて、何か心に残っているものがあれば書き留めてみようと思っていました。

心にやって来た思いを表す。イベント的な意図は全くなく、経費をかけた宣伝も無く、いいなと思った人が、伝えたいと思う人に伝える。ノルマもリスクなく純粋な気持ちが集まる事だけを核に始まりました。

ただドラムを叩き続ける。自由に歌い踊る。それだけのために集われた方々の存在こそ何よりも大きなギフトでした。名の知られた演奏家のステージがあるわけでもなく、美味しい食べ物や珍しいものが並んでいる訳でもなく、手弁当プラス持ち寄り分け合いでした。

自主的に動いてくださったメンバーの純粋に喜び楽しんで皆さんをお迎えする姿はとても嬉しい驚きでした。僕はただただ尊敬の思いでいっぱいでした。こういう方々がおられるということ、そんな繋がりの中に人生があるということに感謝でした。

次々とそれぞれの道を辿りながら集われた方々の姿。ドラムを叩き、歌い踊る姿から、溢れるいのちの素晴らしさ、それぞれの個性が繋がってこそ夜明けまでドラムは響き続けたのだと強く感じました。

個人的には立ち続けて足が絡んだり、叩き続けて指が攣ったり、身体がふらついたりしながらも、叩き続けて夜明けを迎えました。

最初から数を集めることを目的にはしていませんでしたが、厚真の田舎に予想以上の皆さんが集われました。美しい満月が、素晴らしい焚き火とともに皆さんを照らし出し、素朴で素敵な宴になりました。

当日集うことが出来なかったけれど、心は一緒ですよという言葉もいろんなところから届きました。嬉しいつながりに感謝です。ありがとうございました。

今後の動きは、まだ具体化していませんが、夜明けまでという枠の必要性から離れた集いを漠然と思い浮かべています。何が大切かを明確にし、素朴で奥深い体験が実現出来ることを考えてみたいと思っています。

どこまでも自主的で、自由と喜びの範囲で、特定の存在のパフォーマンスを設けず、金銭的な負担が気持ちを妨げることがないというスタンスは変わらないと思います。

クリックすると元のサイズで表示します
神戸の画家・あおやまあきら 作
3



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ