2013/6/21

月夜の宴というひとつの始まり  ラブフルート

「星の少年 」シャイアン・インディアンに残された物語 が目に止まり、やらなくてはならないことがいっぱいなのに、ページを開いてしまいました。(発行 ビイング・ネット・プレス / 発売 星雲社 /再話 北山耕平 /作画 菊地慶矩)

次々と現れる言葉に押し出されるように読み進み、しばし別世界を漂いました。既に読んでいた物語ではあるのだけれど、新たな発見をしている自分がいました。

それは明日の夜、見上げるであろうスーパームーンと夥しい星々への思いと繋がっているのでしょう。

風の噂だけで集まる人々。

月夜の晩にドラムを叩き続けるという、ただそれだけの一夜のために、やって来る人々がいる。これは、始まりからすでに物語なのでしょう。

北海道勇払の原野に数千人の小さな町があります。その農地の一角にある敷地に、ただそれだけのために人が来る。それは楽しみ喜んで生まれて来た小さな案内を手に、細い農道を辿ってくる密かな集いです。

あの手この手で、其れなりの経費をかけ集客するイベントとは全く違う集いです。接客というスタンスはありません。

僕は呼び掛け人ではあるけれど集いの主催者などではありません。いつも通り、静かにドラムを叩き、心の底に湧き上がる響きを感じ、時に声を出したり、ゆらゆら身体を動かして過ごすだけです。

中には祭りのイメージをお持ちの方もおられるでしょう。ワイワイするのが楽しいという方もおられるでしょう。それはそれで、いいのだと思います。ただ、この宴は一気にエネルギーを発散させて、はい終わりますという催しものではありませんから、時間の経過と共にいろんな気づきが起こるのではないかと思います。

僕は、いのち、鼓動、呼吸そのものを感じ、そこに潜んでいる何ものかに触れたいのです。結論めいた言葉や、悟りの極みのような言葉、これぞ真理といった教えたちに邪魔されず、いのちの姿、事実そのものを純粋に感じたい。それを密かに求めているであろう人たちとの出会いを楽しみたいと思っています。

アラスカのクリンギット族の中の熊のクランを持つ方々が来られて、熊の踊りをしてくださったことがありました。僕はその時の踊る姿と、聞こえてきた歌を鮮明に覚えています。その時に流れたメロディーをときおりラブフルートで吹いてきました。また、踊りのスタイルもお伝えしてきました。

ところがみなさんの踊りは静かで淡々ととはならず、あっという間に盛り上がり、大宴会さながらのエネルギッシュな踊りになります。僕は勝手に、感じた印象のまま「静かに踊ろう」と曲名を付けていたのですが、一度も静かな感じになったことがありません。

彼らクリンギット族の中の80歳を越えた女性は静かにドラムを叩き、踊りの輪を見ていました。太鼓といえば、元気に力強く叩くものだという和太鼓のイメージとは対象的な姿でした。

実はインディアンハンドドラムも、踊り同様、しばらくすると激しく叩くようになる方が多いと思います。和太鼓のイメージが強いのかもしれません。太鼓と言えば大音響という思考パターンが出来上がっているのかもしれません。

ラブフルートの吹き方も、やはり似たような傾向があるような気がします。外に向けて発散する、発信するエネルギーの方向性を感じます。ラブフルートの構造は、むしろ内側に深く浸透する響きを生み出すようになっています。

今回の月夜の宴622 は、すでに動きだし、集まられる方々によって生まれて来る、未知の時空間になりそうです。そこには、誰もが予期しない何かが待っているのでしょう。

ただ、僕自身は、明日への思いと同時に、次のスタンスに向かっています。インディアンドラムだけで過ごす時間、ラブフルートが歌い続けるだけの時間。声の響きだけの時間。いずれも特定の存在が中心にならないというポイントを押さえて、しっかり、はっきり、どっぷり全身で関わる。そういう時間、空間の必要を感じています。呆れるほど情報が交錯する環境の中で明らかに変化し始めている自分自身が原点を確認する時間といったところです。
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2013/6/12

大地に立ち、いのちの鼓動を打ち鳴らす「月夜の宴622」  雑感

ラブフルートを背負って富士山の5合目に出掛けてから随分時が流れました。広い駐車場いっぱいに太鼓達が陣取っている中に、一本のラブフルートを持って参加した富士山奉納太皷。

ギックリ腰が回復し切らないまま、夕方から翌日の朝まで太鼓を叩き続ける。それは富士山を背にした印象的な世界でした。老若男女が思い思いに、うねるように太鼓を叩き続ける一夜でした。

腰の痛みを気にしながらも気が付けば数時間叩き続けていました。大掛かりな照明や音響設備が用意され、大テントが幾つも張られていました。大型バスも乗り込んで来る大イベントでした。それは世界的に知られたシンセサイザー演奏、作曲者の喜多郎主催ですから当然の規模でした。

僕はカッターナイフで削った素朴な細くて短いラブフルートを吹く時間を楽しみ、様々な交流を楽しみ、喜多郎との会話やツーショットを思い出に北海道にトンボ帰りでした。たった一晩のために富士山まで出向き、翌朝には帰路につきました。

この体験を振り返り、何が大切かを吟味しながら時を待ち、備えられた場所を待ってきました。そして2013年6月22日夕方から翌朝6時まで開かれる「月夜の宴622」が動き出しました。

それは何の知名度もない勇払の大地(勇払郡厚真町字上野4番地の4/電話番号:0145-27-3380)厚真インターから会場までは約10分くらいの農地で開かれることになりました。

大音響の設備もなく、大掛かりな太鼓もテントもなく、人々を呼び込む知名度もありません。ポロトコタンからお借りする松明4個、催事用テント2張り、各自持ち寄り分け合いの食料品、有志の助け合い、声掛け合いの手作りの宴です。

噂の風だけで伝えられる「月夜の宴622」楽しんで生まれて来たパンフレットは自主コピー拡散で大活躍。意外なところまで噂は届いているようです。

様々な価値観や主義主張、民族や国家、年齢、性別から生まれる対立や確執は存在の多様性の現れでもあるのでしょう。それは一人一人の人間から生まれてくるものです。

その一人一人が与えられている命の原点、鼓動と呼吸で繋がり、大地に立ち、天を見上げ、満月と満天の星々、太陽との繋がりを喜び、楽しみ、それぞれの道を歌いながら、踊りながら歩き出す宴になればと思っています。

果たして誰がどこからやって来るのか全く分からないけれど、素朴な呼び掛けに応えて集われる方々は、すでに豊かで力強い鼓動のドラムを叩き始めているのだと思います。

真っ暗闇、低い気温、夜明けまでの宴です。安全のためにも各自照明を
用意し、寒さ対策も、椅子や暖かい敷物、仮眠などの必要は全て自己防衛ください。

特別な規制はありませんがピュアーな時間になるようアルコール類はご遠慮くださるようお願いします。また、一晩中ドラムが鳴り続けるためにご協力下さい。ドラムの数には限界がありますので、各自創意工夫して参加して頂ければと思います。

参加費(100円以上)は最小限の必要経費以外、すべて東日本大震災の為に(現地訪問、交流、協力活動など)使わせて頂きますので、よろしくお願いします。

お問合せ先
ブルーレイバンクリエーション
電話番号0123-36-8881
携帯電話090-8906-9916
Eメール ravenono@basil.ocn.ne.jpクリックすると元のサイズで表示します
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2013/6/5

小さな街からお出かけ演奏  ラブフルート

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 モンクールという名前を聞くようになって、色んな方が様々な催しをされているな〜と思っていました。そんな僕も、ちょっとしたきっかけで演奏やワークショップをさせていただくことになりました。

 遅ればせながらお世話になりますと、あいさつと下見を兼ねてモンクールさんをお訪ねしました。普通のお客としてお店に入り、パンを選ぶことにしたのですが、パン以上にオーナーさんの笑顔とお話しが印象的でした。

 以前、酵母パンでお世話になったルシルさんのパンを頂いた時、ああ本人がパンになってるという感じがしました。面白いものです。そんな経験から、きっと彼の人柄がパンになっているんだろうな〜と思いました。

 どれも個性的で、どれもお勧め!わが子をお届けする感じで、嬉しそうでした!僕は幾つかのパンを選び終え、置かれていたパンフレットに目をやり、この写真僕です...と呟きました。

 彼はかなり意外で、びっくりといった様子でしたが、すぐに笑顔であいさつをされました。こちらこそよろしくお願いしますということで、奥にある小さなスペースを見せていただきました。

 お客様がお一人席についておられました。顔なじみ風でしたので、少し試し吹きさせていただきました。次々とモンクールファンの方が来られるので、あまりのんびりできないほどでした。気がつくと、ほとんどのパンが無くなっていました。

 ああ、僕はここで木の笛の声をお届けするんだな...と、ゆっくり心の準備を始めました。
どんな方がいらっしゃって、どんな雰囲気になるのかな...

 僕にできるのは、ラブフルートの音色もさることながら、みんなでゆったり喜び、楽しみ、ふっと身も心も一歩、歩きだせる感じになれたらいいなと思いながら過ごすこと。
木々の響きが集まられた皆さんの全身をつつみこんでくれるように呼吸を大切に使わせてもらうこと。

 演奏が終わってからパンと飲み物のバイキングなので、ちょっと嬉しいです。いつもはライブ2時間前は飲食をしないのですが、今回は大丈夫!?

 もっとも、その後はフルートやドラムのワークショップもありますから、控えめにはなるのですが...

 久々の札幌市内のライブです。これからもポツリポツリとどこかで木々の響きをお届けする機会はあるかもしれませんが、地方の街から都会に足を踏み入れる独特の感覚を楽しむつもりです。
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2013/4/10

へその緒が繋がった  雑感

今は天満敦子のバイオリンソロを聴き、ブルーベリーのフレバリーティーを飲みながらブログを書き始めています。春を目前に、激しい雨や風がやって来て、ちょっとした緊張感があったり、また雪が降るぞと言うニュースを耳にして、渡り始めた水鳥たちが引き返して来るかもな〜と空想して楽しんだりしています。

オフグリッドソーラーパネルが発電を始めて一週間。欲しかったおもちゃを手にいれてワクワクしている子供のような気分をほんの少し味わって楽しんでいます。

率直な感想は、太陽とへその緒が繋がった!僕は命の元と繋がって生きているんだな〜という感じです。

パネルが胎盤みたいに素晴らしい命のエネルギーを受け取って、僕の工房を照らしたり、小さな工具を動かしてくれる。コントローラーが、いまこんな風に太陽の恵みを受け取って、ゆっくり蓄えてくれているから大切に電気を使おうねと知らせてくれる。

この流れ、この繋がりは僕の命と同じだ!その感覚がとても心地良く、自ずと感謝や喜びが湧いてくる。同じような作業だけれど、そのみなもとが太陽と繋がっている感覚。無機質な外観のソーラーパネルだけれど「僕らはみんな生きている。生きているから嬉しいんだ。生きているから悲しいんだ。手のひらを太陽に透かしてみれば、真っ赤に流れる僕の血潮〜ミミズだって、オケラだって、みんなみんな生きている〜生きているんだ、友達なんだ〜」なにやらソーラーありがとうの替え歌ができそうです。

知識や情報ではなく、事実そのものの中に生きること。生かされているその只中で受け取り、触れること。その大切さを改めて確認できました。これまでにも、研究業務でソーラーパネルを設置し、データーを集積し、転送する事はありました。けれど、自分自身の生活の中に取り入れるのは、全く違った感覚が生まれます。

家屋に設置された大掛かりなソーラーパネルや風力発電とは違った感覚。自宅の庭に井戸が出来て、ポンプで水を汲み上げて生活する感覚に似ているかもしれません。

僕はラブフルートに息を入れる時、唇に触れる樹の感覚を通して、大地や空を感じ、風雪の中で育まれた樹々の囁きに耳を傾けます。僕が何をどう表現したいかよりも、樹々や風の響きから受け取るメッセージを聴きたいと思っています。その流れに太陽光から生まれる電気がやって来て、自然との繋がりがより豊かになった感じです。

これから生まれて、手渡されるラブフルートたちは少し違った響きになるのかもしれません。それは作らせていただいている僕の心の変化と一緒に静かに変わって行くような気がします。

設置作業の日は、生憎の雨と寒さで動きはやや鈍りましたが、人間カラオケ早川さんのヒットメロディーを聞きながら、楽しんだり喜んだり頑張ったり、工夫したりの一日でした。地元の手打ち蕎麦を食べに行ったり、遅くなったのでギョウザ屋さんに行ったりで、美味しい一日でもありました。

農業も林業も漁業も自然と一緒に生きることを身を持って学んだり感じたりのお仕事ですが、僕もちょっと仲間入りです。これまでは野菜を干したり、雨水を貯めたりの生活でしたが、今度はソーラーパネルを太陽に向けて、貯まった電気を覗いて見る生活が加わりました。

本格的なパネル設置は楽しみに残しつつ、太陽から届いたプレゼントで作業開始です。多少力不足ではあったけれど、ちゃんとハンドルーターが動きました。手元の照明も付きました。
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2013/3/28

少し長めの呟き  雑感

この星は、この瞬間、様々な状況をのせながらゆっくりと回転している。回転することで何かを生み出そうとしているのだろうか。

僕らの心はとても繊細で傷つきやすいのだけれど、同時になかなかしぶとく頑なでもある。

時計という時間の世界から離れてみれば、この星は一瞬の中にありとあらゆり現象を抱えて回っている。喜怒哀楽、争いと平和、真実と欺瞞、生まれること死ぬことなどなど。とても僕らの認識では把握などできるはずのないもので満ちている。

それは僕たちが自分が生きている世界が、ひとつの星なのだと知らされた時から、明らかに変化してきたように思う。勿論、この星を画像や映像ではなく、直接目の当たりにすれば、さらに変化を起こすのだろう。

僕たちは、自分の足元を基準に様々な価値観を積み上げ、人生の途上で手にした知識や価値観を微調整しながら旅を続けている。

僕たちは、それがどれほど広範な世界であれ、価値観であれ、自分の精神や心の中に収めていると自負し、錯覚を起こしているのかもしれない。ある意味、それはとても不思議であり、不可解であり、興味深いことでもある。誤解も錯覚も思い込みも、それを確かめる十分な余裕もなく時は巡り続けている。

この星で、誰が何をどうしようが、だれもその真価を云々することはできないのだろう。その一切は同時に存在しながら、回転している。この星で起こっているあらゆる出来事、その現実を言葉で表すことなど出来るのだろうか。何事かを語ることは自由だが、その思いはどこからやって来て、どこに向かっているのだろう。

たった一つ「あなたは何なのだ?!」と問われた時、僕の心は宙に浮き、ただ不思議な涙を流すような気がする。

どこから来て、どこに向かっているのか。
風になって木々と触れ合う…
ことさらに答えを求めているわけではない
ただ笛を吹く…

その問いも答えも、僕の内側で響く何かなのだろうけれど
この僕は何なのだろう…

風を吸い込み、風を起こす
木々が震えて響きになる

僕はいつもこの一つの事実を見つめ、ここから始めて
ゆっくりとここに帰ってくる

求める人たちと一緒に愛の笛を創る

いのちの循環を自らの形で見せてくれる愛の笛
循環が生み出す不思議な響き
いつかその神秘に気付くだろう人たちと旅をする

ここまでのありがとうと、これからのありがとうを込めて…

久々の書き込みになりました…。
しばらくの沈黙から、ゆっくり再開のつもりです。
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2013/3/8

手カンナと手ヤスリ  ラブフルート

手作りのラブフルートが出来上がるためには目に見えない様々な工程があります。機械で一気に削りあげるのとは違い、あまりに不合理と思われる手作業が延々と続きます。

勿論、時間をかければ良いということにはなりませんが、一見不合理と思われる行程がとても大切なものになると感じています。

アメリカのサイトでは一度に何本もラブフルートが形成できる機械なども登場しています。自動車や電化製品の流れ作業のイメージと重なる感じです。

なぜ、早く大量に生み出そうという考えに至るのでしょうか?その時間の感覚が、社会に様々な弊害を生み出してきたように感じます。それは量産されるセラピストにも繋がる一連の価値体系を持っているように思えます。

ひたすら加速される構造は、いずれ著しい崩壊を招くことは誰の目にも明らかです。それでも一緒になって駆け回る。そういう姿はいろんなところに見え隠れしています。忙しすぎる人たちは、どこかで自分の基盤を見直さなければならないように思います。

結果を急ぎすぎる傾向は、その場でアンケートやシェアをするというスタイルにもしばしば見受けられます。まるで、いま仕込んだ味噌を、さあこれで味噌汁を作ろう!食べて見て!飲んで見てどうでしたか?とすぐさま問いかけるような感じです。

熟成する時間、成熟に至るプロセスを飛ばして、結論を求める。これが当たり前の流れになることの危険性と愚かさに気付くのは難しいのかもしれません。それこそ行き着くところまで行って、ようやく気付くのかもしれません。

それは言葉のやり取り中心の世界で顕著に見られるように感じます。口先だけ、情報や知識だけで、とりあえず成り立つ世界には、様々な矛盾と欺瞞が引き起こされるのですが、それを問題にし始めると現状が成り立たないと感じるのかもしれません。

僕が何日も汗水流して木を削り、穴を開け、音を作るために地味な作業を繰り返してようやく出来あがるラブフルート。この工程を言葉で説明すると、ものの10分もかかりはしません。言葉や知識と現実。この関係性を熟慮する必要があるように感じます。

短時間にささっと削りあげたラブフルートを手にしても、その行程が合理的でスピーディーであればあるほど、僕自身との繋がりは希薄になります。思いとは無関係に、きわめて合理的にラブフルートが出来上がってしまうとき、とても大切なものを失ってしまうように思います。一人の人と親身に接するように木を削り、音の響く時を待つ、その流れがとても大切に思います。

これを人との関係に当てはめるとよく分かります。多くの人と関わったことなど数量をステイタスにする時なども、皮肉な逆説的現象が起こっているように思います。次々と発信し、瞬く間に消え去る繋がり方には危うさがありますが、これから暫くはこうした流れが続くのでしょう。

一人の人間が、限られた時間の中でなし得ることは決して多くはないでしょう。だからこそ、与えられた時間を大切に、お互いの存在を大切にするのだと思います。ところが、合理的で素早い応答に慣れてしまうと、人はどこかで自分自身が存在する意味を勘違いしてしまうかもしれません。

ワンクリックで何百人、何千人、何万人、何千万人、何億人に情報が送り出される時代。それが、習慣化して行く僕たちが、どこに目を向け、何をどんな風にしていくのか....

そんなことを思い巡らしながら、黙々と手カンナと手ヤスリで様々な樹木たちと対話し、一本のラブフルートを生み出す時間が流れています。

野鳥たちがバードテーブルに目もくれなくなる春までに幾つかのラブフルートが生まれてくれるのを楽しみに工房にこもります。演奏の時は留守にしますけれど....。

































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2013/2/2

ふたり  雑感

1月27日は今年初のコンサートでした。2台のレインボウストーブをつけて、会場の準備をしてお客様をお迎えするまでの時間がとても大切。入り口の除雪、案内の掲示....。遅れて来られる方をギリギリまでお待ちして、さあそろそろ始めようという所に待っていた方たちがやって来てくれました。

 この流れが、コンサートのイントロダクション。素朴なドラムと木の笛だけのコンサートは冬の静けさの中で始まりました。少しお話をしながら、ゆったりと流れ、冬の小鳥たちやエゾリスの雪遊びなどシンプルなモチーフを辿りながらのコンサートでした。

 冬の只中で力強く生きるいのちの様も含めて冬の素晴らしさや楽しさ、喜びを分かち合う時間になりました。お話の中で、ドラムの常松さんが、「お正月といえば雅楽です。僕は、正月には必ず雅楽を聴くんです」と話していたのが印象的でした。なるほど、彼の音の幅の自由さの秘密はこんなところにあるのかもしれません。

 僕の方は、山があって、川があって、広い雪野原があって、スキーで学校に通ったり、雪合戦や落とし穴作り、一日に何度も毛糸の手袋を取り換えて、暗くなるまで外で遊んでいた冬の記憶をお話しました。

 今日は少し気温が高くなっていたので、屋根の雪を落とす作業をしていましたが、ずぼっと長靴が雪に食い込んだ時に、ああ子供の頃の記憶って随分と長持ちするものだな〜と感じました。それと同時に、その時はさして印象的ではないかもしれないけれど、子供のころの体験や記憶は大切なものだな...と改めて感じました。

 コンサートの余韻は、終わってからも様々な形で心の中に甦って来るものです。終わってからのお茶菓子とお茶の時間は、なかなか和やかで、いい感じの冬の一日を味わいました。会話に加わりたくても、タイミングをなくしてしまう人もなく、ゆったり時間でした。

 それぞれが自分の音の世界を持っていて、年齢も離れている二人がKOCOMATSUという空間で一緒に響き合うのは、ちょっといい感じです。鼓動と風(息)というシンプルな空間。言葉ではなく、響きそのものから浮かび上がってくる世界がそれぞれの内面に伝わっていく時間でした。

 僕は、この繋がりが2台のストーブのようだなと感じました。一台のストーブでは到底厳しい真冬は乗り切れないと、急遽もう一台ストーブを設置しました。当然と言えば、それまでですが2台揃うと十分な暖かさになりました。1台だけだと、いつまでたっても暖まった感じがしないのです。頑張って燃えてはいるのだけれど外気の寒さに負けそうな感じでした。

 ストーブも人も、もう一台、もう一人いることで素晴らしい豊かさや広がりや温かさを生み出してくれるものだとしみじみ感じました。一人と二人の違いで印象的なのは、二人いて初めていのちが生まれるという素朴な事実でしょうか。性別の違いはありますが、二人であることの深い知恵を感じます。

 僕が知っている音楽家の方たちが、二人組で活躍しているのをみていると、二人ってすごいなと思います。二人が居て、いのちが生まれる。そんな素敵な音楽が、今年も色んな形、色んなところで、新しいいのちを生み出していくのでしょうね。

 そんな中で、僕はこの週末、一人でカウンセリングセンターのワークショップの演奏に出かけます。耳を傾けてくださる方たちとの繋がりが生み出す響き。2月は、そんな風に始まります。
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2013/1/24

冬の輝きを楽しむ時間時間  ラブフルート

心のドラムと愛の笛・冬の輝き IN KOCOMATSU
若手のドラマー常松将行さんとの演奏会がこの1月27日の午後2時から開かれます。今は、この日に向けて体調を万全にすべく準備中です。

ドラムとラブフルートの素朴な響きの世界は、僕が思っている音の世界をじっくりと浮かび上がらせてくれる貴重な時間です。

いろんな演奏家の方々が、様々なスタイルでコラボしているのは、とても魅力的ですし、盛り沢山で、お得感いっぱいのライブは来場者を十分満足させてくれると思います。

滅多に機会はありませんが、僕もそういう方々の仲間に加えていただく
事があり、感謝しています。KOCOMATSUでも、演奏家の方々が来られて、僕もちょっと参加させていただくこともあります。

KOCOMATSUが出来てから、まだ一度もブルーレイバンとしての演奏も僕の演奏会も開いたことがありません。

決して出し惜しみしているわけではありません。音楽は演奏会というスタンスで聴くものという形が普通なのでしょうが、僕はちょっと違うな...と感じているのです。自分が演奏すること以上に、皆さんがご自身の命の歌を表現することに関心があるのかもしれません。

優しい言葉や笑顔、道端で見かけた一輪の花、雄大な景色に心が揺れたり、踊りだす瞬間、木漏れ日や流れる川のせせらぎ。そんな世界と共に生きていること、その世界に触れる感動や喜びや感謝。与えられている命を喜ぶこと。その状態と直結している音楽が風や光のように自分たちを包み込んでいる。それを感じることで命が支えられているような気がしています。

僕は常松さんとの演奏を楽しみにしています。彼がリズムの中にいる時、とても幸せそうで、音でつながる時間を楽しんでいる姿が好きだからでしょう。音合わせの時間も、とても自然で無理がなくいい感じで流れています。

それぞれが感じる冬の世界、季節の輝きを楽しむ時間。静けさも、
楽しさも、喜びもみんなが一つになって過ぎて行く冬の一日。

ようやく体調も戻りましたので、レインボーストーブを囲みながらゆったりと過ごしたいと思っています。よろしければお出掛けください。

日時 2013年1月27日 午後2時から4時まで
場所 KOCOMATSU (JR島松駅下車・徒歩7分島松郵便局裏)
チケット 2000円
連絡先 ブルーレイバンクリエーション
090ー8906ー9916
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2013/1/18

出遅れた2013年1月・ゆっくりスタート  雑感

20013年1月 5日の吹き初めで始まったラブフルートの活動は、5日夜に会場を引き上げてから、一気に体調不良に陥り、そのまま寝込んでしまい、風邪のひき初めになってしまいました。

おりしもインフルエンザが活発化している時期と重なり、周囲への迷惑も考えて珍しく病院に出向きました。一時期は軽くなったのものの、どうも調子が戻りません。年末のハードなスケジュールのツケが回ったのかもしれません。免疫力が落ちているのでしょう。

こんなにズボラで何にもしない一年のスタート。さすがに半月を過ぎ、残り10日あまりとなると、これはまずいなと少々焦り気味になってきました。

何処かで切り替えて動き出さなければならないのだけれど、そのタイミングが難しい。身体の支えと気持ちのバランスは、自分自身のことでありながら思うようにならないものです。このまま起き上がれずに終わることだって十分ありうる。そんな思いが浮かび上がったりもしました。

つくづく健康が人生の土台だと思い知らされています。食生活をしっかりとさせてきたはずなのに...。思い返せば、2〜3日続けて徹夜になってしまった年末の誤算が尾を引いたようです。正月はのんびりできるから多少無理しても何とかなるだろう。この油断が思わぬ形で不覚のスタートに繋がってしまいました。

若い頃は、意識優先で肉体に無理をかけ過ぎる傾向が強かったけれど、それも随分抑制されバランスが取れるようになって来たはずでしたが、まだまだ未熟でした。

食べることとと寝ること。このシンプルな土台を年齢の変化に応じて確認する機会を与えられたことは良かったと思います。加齢と共に自分との付き合い方も変化して行くのは当然なのですが、どうやら自覚が乏しかったようです。

どんな知識も経験も、夢も希望も、この小さな肉体を持つ自分が維持されることが無くなればすべて失われてしまう。

これまでに何度も肉体喪失の危機をくぐり抜けてきた自分が、改めて足元を見詰めさせられたのはありがたい事です。15年以上健康診断を受けずに過ごしてきた生活も、ここらでシフトチェンジする必要が出てきたのでしょう。上手に死んでいけるよう準備を始めるのは、生き続ける事と同じくらい大切だと確認する1月になりました。
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2013/1/4

食べて生きる  ラブフルート

 心身の健康の維持と新しい取り組み。これが2013年スタートの素朴なプランです。

島松はマイナス24度。キリットした空気が町を包み込みました。今日から作業スタートと思ってストーブを付けたけれど、なかなか暖まらず、5日に吹き初めが終わってからスタートに予定変更にしました。

 そんな中、バートテーブルにやって来る小鳥たちが、とにかく食べ続けていのちを繋いでいる姿をみながら、食べる事が生命維持の土台になっていることを改めて確かめてのスタートです。

 10数羽の雀たち。ヤマガラのカップル1組。シジュカラのカップル2組。ゴジュウカラ1組。シメ1羽。ハシブトカラ1組。ヒヨドリ2組。一気に集まると、なかなか賑やかです。それぞれに力関係があって。小鳥たちも、それなりに大変そうです。

 食べ物を身体に入れる、それが自分を作り維持するのはごく当たり前のことですが、ふと食べ物が直接身体に押し込まれるイメージが浮かんできました。それ以来、食べ物と身体の繋がり方、イメージが変化しました。

 どういう食べ物で自分を作りたいのか?出来あがった自分はどうなるのか?そんなこんなを考えながら、玄米を活性化させてから炊き上げる炊飯器で新年をスタート。時にはおこげご飯も楽しめるタイプです。昔のかまどご飯のおこげを時折楽しみ、懐かしさと一緒に新たな食生活の始まりです...。

 生豆大豆から豆乳を作り。植物性発酵菌を使った豆乳ヨーグルトを作り、野菜スープを取り入れながらの食事。シンプルなスタイルに時折バリエーションを付けて楽しむといったところです。

 これに心地よい音楽と写真やスケッチ、気ままな日記。ゆるりと読書。専門書山積みの書棚を離れてどうしても目を通したいと思うものを手にする。これに、銭湯料金で入れる温泉がありますから(実際はなかなか行けない....),後は仕事に打ち込めます。

 身体が動くうちに、じっくりラブフルートを作らせていただいて、ポツリポツリと演奏の依頼があるところに出向いて行く。小さな出会いが野の花のように心を楽しませ、喜びを届けてくれるのを楽しむつもりです。さて今年はどんなかな〜と待ちながらのスタートです。

 昨年末はモエレ沼公園のホワイトクリスマスコンサートに出演させていただき静けさの中で年末を迎えることが出来ました。
 
 新年は、2013年1月の13日に、中標津まで日帰りで演奏にお出かけ。27日は心のドラムと愛の笛・冬の輝きのライブをKOCOMATSUで開く事になっています。若手に(ドラムの常松さん)に見限られず、なんとか声をかけていただいて演奏の機会が持てるのはありがたいことです。よろしければ、冬の輝きを楽しみにお出かけください。
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2013/1/1

最初の一日・2013  ラブフルート

最初の一日。工房前のバードテーブルにやって来る小鳥たちは時を刻んで、あれこれ動き回る人間たちとは違って、今を生き延びることに集中しています。

さて僕はどう過ごそうか…。
まず始めに抹茶をたてて一服。素朴な野菜スープと玄米食、豆乳ヨーグルトに頂いた茶碗蒸し、パック入りの黒豆を食べながら気ままに音楽を流してゆったり。ヒマワリの種と豚の脂身やリンゴを食べに来る小鳥たちの飛来を楽しみながらのスタートになりました。

食事の後は、自分へのメッセージと思い浮かぶことをノートに書き留める時間。筆記具も楽しんで、ラジオで聞きかじった「大人の鉛筆」を手にいれました。パーカーの新感覚のペンと一万年以上保存が効く中性紙フールスという紙で作られたノート。

誰も確認出来きはしないのだけれど、一万年後に僕の徒然日記が発見された時のことも考えて!?空想を楽しみながら、使って見ることにしました。

何十年も原稿用紙に日記を書いて来たのだけれど、日常的な出来事はほとんど書きとめず、自分の内側に起こっていることを綴って来ました。今日はどの筆記具で綴るか、ふと立ち止まり、楽しみながら過ごす時間はいいものです。

午後からはKOCOMATSUにあるレインボーストーブに火を付け、差し込む冬の光を楽しみながら円柱形のコンパクトなスピーカーを用意し響きに浸る準備。

いざという時や、必要な人に貸し出せることも考えて、レインボーストーブは二台用意しました。やはり、コンサートの時は温風ストーブのノイズは避け、電気の力も節約し、灯りにもなり、お湯も沸かせるストーブがいいなと思っています。

冬の長い夜は、お気に入りのティーポットに素朴で深みのある紅茶葉を用意して、ノンシュガー・カカオ100%のチョコレートを用意して、心と身体が喜ぶ音の響きに浸るつもりです。

気ままにスケッチブックを開いて思い浮かんだものを描いて見たり、ペンをとって書き留めたり…。

コーヒー豆をコリコリ挽いて、ドリップで落としたてのコーヒーを楽しむ時間、野生茶を楽しむ時間を織り交ぜ、玄米のお粥と野菜スープに自家製沢庵漬けでフィニッシュ。

5弦カンテレとラブフルートの時間は寝る前に少し…。まあ、静かな元旦です。年末に転倒し、頭をガードするために、痛い痛いと言っていた両肩、両腕で身体を支えたため、痛み倍増。ゆっくりするのが一番でしょう。
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2012/12/31

さいごの一日  雑感

 最後の時をわきまえる事。そんな思いが浮かんできました。全てが終わる事は分かり切った事なのだけれど、それを前提に事をなしているだろうか。

 この一年は、前年に半減したラブフルートの製作が、そのまた半減。これまでにも増してラブフルートの製作依頼が激減した年でした。フルート盗難は2年前、年の瀬の迫った時に起こりました。その翌年の3月には大震災でしたから、今の状況は全体の流れと繋がっているとも言えるのでしょう。

 それと同時に自分自身の人生がゆっくりと衰退し、着実に終わりに向かっている事とも繋がっているように思います。繁忙期の製作活動で負担のかかりすぎた両腕、両肩、両手の痛みが激しく、徐々に工房に向かう気力と意識が弱まっているという現実があります。

 一年の最後の時を一人で過ごす。そしてほぼ確実に一年の初めも一人で過ごす。それは行き場もなく、来る者もなく、人との繋がりもない孤独な状況と云えばそうなのでしょう。自分の現実を直視する時間と空間のど真ん中で、IPod120Gに取り込めるだけのCDをインストールしながらキーボードを叩く12月31日。北海道、真冬の深夜で+1℃は不思議な感覚です。

 積み上げられた数百枚のCDが、手のひらの記憶媒体に吸い上がられていく様を見ていると、辿ってきた人生の営みが瞬く間に一握りの石ころになってしまうような錯覚に陥ります。それは悲壮感を意味するわけではありません。むしろ、大きな安らぎと静けさに繋がっているようにも感じます。

 状況の変化を衰退と捕らえれば、悲観的、消極的になるのでしょうが、新たな歩みへの兆しとも言えるでしょう。配偶者もなく、子供もなく、一人で老いに直面する者には、それなりのけじめと覚悟が必要になるのだと真面目に考えています。

 それと同時に、自分が本当にしたいと考える生き方を選択する姿勢を明確にする機会を与えられているとも言えそうです。変化し続けている現実をよくよく見つめて、これまで以上に大切に、何をするのか吟味し、実践する必要を感じます。確実に終わりの時が来るのですから....。
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2012/11/2

小いけれど確かな響き  ラブフルート

静かにささやく木の声を感じる。そんな時間や空間が必要かもしれない…ふとそんな思いが浮かんでいます。

かつては考えられない程の情報が目まぐるしく立ち現れては、跡形もなく消え去る。その繰り返しの中で、人の心や身体は、どうなって行くのだろう?

一日に、一体どれほどの文字や画像が飛び交っては去って行くのだろう。そこには、今までには無かった社会があるような気がします。言葉や文字が、必ずしも本人の実質と繋がらず一人走りしているような感覚さえあります。

そんな大きな流れとは無縁の小さな工房で生まれているラブフルート。
その中に、あまり音量のない静かな響きのラブフルートたちがいます。

それは、16ー17世紀頃のものだろうと言われるラブフルートの構造を原型にし、響き方を考慮して作っているものです。幽霊が囁くようなと表現された響きに繋がるフルートです。

パフォーマンスの媒体として使われる楽器とは異なるものとしてラブフルートを位置付けるのは時代錯誤のようですが、その存在は大切な意味を持っているのではないかと感じています。

その響きからは、心の奥にある自分自身をそっと呼び起こすような不思議な空間が生まれます。そんなラブフルートは、メディアに繋がったり、スマートフォンやパソコンを切ってから休むような生活が増えて行く社会には入り込む隙がないのかもしれません。

小さな工房では、大きな声で歌うラブフルートも生まれていますが、そっと木々たちの密やな響きに心を寄せる方々のためのラブフルートも生まれています。

静かな真夜中に吹いても大丈夫な、控えめに響く木の笛は、目まぐるしくやって来る言葉や文字の波間をくぐり抜け、息だけになった素の自分に囁き始めるかもしれません…。
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2012/10/31

蝦夷山桜が呼び寄せてくれた  雑感

ラブフルートの響きに心を寄せる方々との出会いを楽しみ、喜ぶ旅。それがどこまで続くのか分からないけれど、道がある限り辿って行くことになるのでしょう。

つい先日、蝦夷山桜の木を切り倒すのだけれど、もし必要なら引き取りにこられますか?と連絡がありました。数年前にラブフルートを作らせていただいたご婦人からの電話でした。

近くの公園のトンネルでラブフルートを吹いていた時、ジョギングをしていたご夫妻に声を掛けられ、その後の流れでご夫妻が一緒に楽しむためにペアでラブフルートを作らせていただきました。

仲良く登山に出かけたり、ジョギングの途中で工房に立ち寄ってくださったり、恒例の吹き初めの時に美味しいカステラを作ってきてくださったり。交流を楽しんでいましたが 、多忙になられてしばらくご無沙汰していました。

切り倒された蝦夷山桜がラブフルートになるまでには3〜5年掛けてじっくりと乾燥するのを待たなければなりません。果たしてフルートになれるかどうか分からないけれど、とにかく引き取ることにしました。

ご婦人は体調が良くないと話しておられたのですが 、お訪ねして知ったのは予想外の出来事でした。具合はいかがですかとお尋ねしたところ、ジョギング中に大型犬の群れに襲われたというのです。

ご夫妻で走っていたのだけれど、途中で分かれて、また合流するつもりだったのだそうです。ご婦人の方が農道脇で複数の大型犬に襲われ、側溝に引きずり込まれ、泥水の中で血塗れになったというのです。調度、飼い主が餌をやりにきていた時だったので、何とか引き離せたようです。さもなければ、恐らく命を落とされていたことでしょう。群れになった犬は本能のままに振る舞うでしょうから.....。

耳や、両足の太腿、頭部、腕や手など、至る所を噛みちぎられたのだと知りました。頭蓋骨を噛まれた時に聞こえた不気味な音が耳から離れないとお聞きしました。しかも、飼い主は全く謝罪することもなく、会おうともしないということでした。

あまりに突然のお話に、何も言葉が出ませんでした。温厚で笑顔の素敵なご婦人ですが、すっかり怯えて外に出ることもできず、ご主人は奥様の身の回りの事を手助けするためにお仕事をやめられたとのことでした。

痛みで眠られない夜が今も続いているとのこと....そんな中でラブフルートの事を思い出して連絡をいただけたことを感謝しています。僕はこの出来事とどのように関わって行くのだろうか?

盲導犬のためにパピーウォーカーをされているTさん。奥様が歩くことや身の回りのことがうまくできなくなり、付きっ切りのTさん。ご主人が重篤のUさん。ラブフルートとの出会いから生まれた交流は、ラブフルートを吹く機会が持てなくなった時こそ大切になって行くのでしょう。

与えられた出会いを大切にし、とりわけご高齢で一人暮らしの方々には、格別な用事はないけれど思いついた時に声をかけるようにして来ました。それは、ラブフルートの有無に関わらず続けて行くだろうと思います。

秋が一気に過ぎ去り、玄関を開けたら一面雪景色という日が近づいています。美しい月明かりを眺めながら、久々の書き込みです。
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2012/10/7

自分の軸が明確になる…  ラブフルート

東京神楽坂の小さな丘の展示会、コンサート、ワークショップ、アロマとのコラボ、路上ライブ盛りだくさんの神楽坂滞在期間が終わりました。

ラブフルートと触れ合うために来てくださった方は予想以上に多かったように思います。なんの知名度もない木の笛と作家のためにわざわざ足を運んで下さる事自体が驚きでした。

いつものことですが、東京に入ると人の多さが印象に残ります。誰にも会わずに過ごす日などありえない。そんな大都会は平日の真夜中にたくさんの人が、街中で飲み食いしていました。

僕はほとんどの時間を工房作業ですごし、月2回のレッスンと忘れた頃にラブフルートに関心を寄せて訪ねてくださる方とお会いしたり 、たまあにやってくる演奏のオファーにお応えしています。実に静かなものです。

そんな僕が東京のど真ん中で、手作りのラブフルートを並べて、ご希望があれば音色をお届けするという機会を与えられたわけです。そこにどれだけの人口があったとしても 、ラブフルートとの出会いを経験される方はわずかです。さらにご自分で手にして吹かれる方はさらに限られています。

展示会会期中に、「売ろうとしているのではなく、買わないようにしているんじゃない?」と言われました。そう感じさせる要素があったのだと思います。時間をかけて手作りしたラブフルートがあっさりとお金と入れ替わってしまう事が苦手なのかもしれません。十分に吟味し納得した上で手にして欲しいという思いが、売れないようにしているという印象になっているのでしょう。

人との出会いから生まれてくるラブフルートという流れの中で製作してきましたので、売れれば良いという視点がなかったのだと思います。お金の必要性も大切さも十分理解しているつもりですが、受け取るお金の質を出来るだけ大切にしたいと思っています。それはKOCOMATSUの空間を支える姿勢とも繋がっています。

いつものことですが、お会いした方々から学び感じることがたくさんあります。会期の最初の方に来られた方が、最終日に再び駆けつけて一本のシウリザクラのラブフルートを手にされました。30センチに満たない小さなラブフルートに確かめるように息を吹き込まれてから、このラブフルートをくださいと言われました。

「この笛を吹いていると、自分の軸がはっきりとするんです。」と口にされました。必死で仕事を終わらせて来たんですとも話しておられました 。最終日は早めに撤収して荷造りし、飛行機に間に合わせることにしていたのですが、台風直撃で欠航になりました。天候もまた、絶妙のタイミングで僕たちの旅を支えていることを感じるできごとでもありました。

いい出会いが生まれたな…と感じました。いのちの根源的状態である呼吸が木と触れ合いバイブレーションを起こすとき、自分自身が響そのものになり自在に天空を駆け巡る。自分を取り囲む一切のものが霧散し、存在そのものを喜び楽しむ。新しい仲間が現れた…そんな風を感じる最終日でした。
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