2014/3/6

書き掛けたままの日記・春が来る前の回想  ラブフルート

2014年の吹き初めの案内をしながら、僕の2014年は果たして無事にやってくるのだろうか?そんな自問の中で、ご案内の葉書を投函したり、お電話でお誘いしながら年末を過ごしました。

というのも、2013年にも親しい方が亡くなられたり、思い病気に罹られたりで、何が起こっても不思議ではない日常を感じていたからです。

東日本大震災は意外な出来事の象徴のひとつとも言えますが、それももう時期丸三年になろうとしています。どれほど強烈な体験であっても生き延びている限り、それもまた人生の一部に組み込まれてしまうのでしょう。

今年も新年の吹き初めの案内の時期が来て、改めて思い返し感じることがありました。僕自身がどちらかというと出無精で、失礼してしまうことが多いのですが、敢えて一つところに集う大切さを確認出来たように思います。

それぞれの旅路が、ふと一つの場所で交差する。そのわずかな時間の中には、一人では決して気付かないメッセージが用意されているように思います。それは意図的に作り出そうとしても出来ない貴重な体験に繋がる空間でもあり、人生の一部に組み込まれているのでしょう。

今年の吹き初めもまた、新しいスタンスで始まり、12時間の間に不思議な巡り会いが待っていました。好きな時間にやって来て、好きなように過ごし、好きな時間に帰って行く。それぞれの持ち寄りも楽しみの一つです。

そのひとつにラブフルートのワークショップも組み込まれているのですが、この時間が吹き初めの軸と言えるかもしれません。

そこではマイフルートを携えて来る方もおられれば、全く初めて手に触れる方もおられます。今回の集いも、マイフルートをお持ちの方が20余名、未体験者やマイフルートをお持ちでない方が40余名という構成でした。

吹き初めの二つの側面。マイフルートをお持ちの方が新年に初吹きをする事と、初めてラブフルートを体験する事です。僕自身が、特定の価値観の人間だけが集まる空間が苦手なので、フルートの有無に関係なく自由に過ごせる新年の12時間を楽しんで欲しいな…と思っています。

色んな方々と触れ合いながら、人生ってなかなか面白く、それぞれの道をたどる姿を喜んだり楽しんだりできる時間があって、その中で自分のことも感じてみるのもいいものだと思っています。

人を集めてリーダーシップを取るような方々が、自分も小さな一人、一つの細胞のようなものなんだと知り、何が本当の意味でのリーダーなのか気付いて行く空間。

それぞれがマイフルートを持ち、ご自身の呼吸と木々が触れ合う瞬間に感じるものが、静かに深く大地や空とつながる旅。

その小さな一歩。そんな2014年の吹き初めから、まる二ヶ月が過ぎました。

外は柔らかくキラキラと輝きながら舞い降りてきた雪の結晶で埋め尽くされています。

どこまでも個性的で、美しさと儚さを伴い、きっと僕のところに舞い降りると決めたきらめきたちがやって来る

彼らは確かに 大切なメッセージを届けに来たのでしょう。

降り積もる結晶の断片が 一瞬一瞬が時の意味を告げ
人生を浮かび上がらせ この世界を象徴しているような気がします…クリックすると元のサイズで表示します
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2013/12/31

活動報告の言葉が続かない...  ラブフルート

  東北に向かう前と現地での接点と戻ってきてからの心の動き。それをまとめきれないまま、九州でコンサート、ワークショップが始まり、さらに東京、大阪、札幌の公演が続きました。

 その間に、何度かブログを書きかけたのですが、途中で言葉が止まってしまい、アップするには至らないまま時間だけが流れました。

 同行してくださったFさんからのレポートが届いたものの、過ぎ去った活動を報告するだけでは、何かが違うと感じて、これもまた保留状態になりました。

 どこで何をしてきたか、その報告が何を意味するのか疑問が生じるのを無視できなかったのです。自分たちが何をしてきたのか、現地で何があったのか以上に、これからどうすればよいのかが大切なのにその方向性が今一つ焦点が定まらないのです。

 現地の状況は、めまぐるしく変化し続けていると同時に、一向に変わらない現状が続いている。こうした状況は、東北の現状に限らず、僕たちの周辺でいつでも起こっていることなのでしょう。容赦なく変わり続けることと、一向に変わらないことが入り混じっている。

 その中で、僕らは自分の道を歩いて行こうとしている訳です。自分という存在が、この世界のあらゆるものとの関係の中で生きているということを改めて確認することでもあるわけです。

 衣食住という生命維持の土台が備えられたとしても、それだけで生きていけるわけではない。それをはっきりと感じさせられました。木々の響きに心を寄せ、ドラムの響きと共に過ごす方々の溢れるような笑顔とエネルギーに触れながらの旅は、今後の方向性をある程度予感させるものではあったと思います。

 子供たちの為に健康飲料(タングロン)を届け、放射能汚染の危険の少ない新鮮な食料(米、野菜、その他)を届けたり、子供たちの為のおもちゃなどを届けたり、現地の方々との交流を続けること。音楽を届け、ドラムや歌を通しての交流。これは変わらず継続していこうとしているのだけれど、そんな活動の必要性が次第に希薄になり、あまり感じられなくなっているような気がしています。

勿論、新たな協力者や理解者がおられるのですが、「前に寄付していますから」と自慢げに口にして済ませる方もおられました。ちょっとびっくりですが、継続して現地の必要性を考えるより、自分の行為の方を中心に捕えていたり、それは誰かがやること、あるいは国のやることでしょうと考える人もおられます。

 あえて僕がそれを呼び掛けたり、継続する意味はあるのだろうか。知らず知らずのうちに、現地のことよりも、僕がどんなことをしているのかが中心になるような報告は、どこか違った方向性を持ち始めるような気がしています。そんな思いもあって、今回は同行されたFさんにレポートを書いていただきました。

活動の為の基金の呼びかけの必要性と僕の活動報告との関係が微妙に変化し始めている。そんな感じが生まれてきて、どうも素朴に純粋に動けないのかもしれません。意図せずして変化が生まれてくるのは自然の成り行きかもしえませんが、注意深くありたいと思います。

 呼びかけ、協力を求めるためには誰が何をしようとしているのか明確にしなければならない。その結果、特定の存在・個人が中心になりやすくイメージが変化してしまうのです。この流れが気になって、報告自体を躊躇しているような気がします。

 こうした状況をご理解いただける範囲での活動に徹しているつもりですが、気付かないこともあるのだと思います。率直にご意見やご指導をいただければありがたいと思っています。年末ギリギリでなんとかタングロン支援基金の活動報告をさせていただきました。ご協力を心から感謝します。
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2013/12/31

東北活動報告Aタングロン支援基金  ラブフルート

 16時過ぎY.Sセンターを立ち、仙台市宮城野区へと向かいました。
途中まだ日が暮れていなかったのでもう一度元道の駅で高田松原の慰霊碑がある場所に行きました。
前日来た時は暗くて気づかなかったのですが、そこにある高さが十数メートある建物の中には大きな松が今も当時のままそこに串刺しになっていました。
津波はその建物の上部に達し、内陸へ向けて8kmもさかのぼったそうです。

 22時30分南宮城野区の仮設住宅に到着。
翌19日は10時から演奏交流。みなさん元気に参加してくださり、踊りの輪が出来、炭坑節に交じって、生まれて初めてどじょうすくいを踊ることになりました。参加者の皆さんのことを思うとやらなくてはと思い切って踊りました。
ここでは仮設住宅に住み続ける苦労.心労を知ることになりました。
壁が薄く、音がだだ聞こえのためそのストレスは相当なようでした。
奥尻に住む僕の両親の話にも、ちょっとしたものをかけるフックのようなものを壁に刺したところ隣の部屋に突き出たことを話していたので、壁は相当薄いのでしょう。
また仮設の部屋はせまいらしく、台所に食器を置くスペースにも困るほどで、全てにおいてが仮の生活で、暮らしの中に豊かさや重みをおけない生活を続けるストレスを話に感じました。
次に移る場所のメドも立たず、行政も人の心もまだまだ混沌としている感じでした。

 その日は小野さんと縁がある仙台市の他地区の方のご好意で自宅に宿泊させていただきました。
とても温かく招いて下さりとても心地良く休むことができました。ありがとうございました。

 翌20日。相馬保育園へ。園のグラウンドに到着した時、丁度、放射能測定器で2人方が作業されていたのですがデジタルは5.00mbk/hrを表示していました。
だいたい半年ごとに点検.整備に県の方がこられるそうです。帰りにもう一度見ると0.92mbk/hrでした。
何がこの急な変化の原因かはわかりませんが、とにかく平時で毎時0.9というのは凄く高い数値だなと思いびっくりでした。
保育園内には大勢の園児たちがいました。急な来訪であったにも関わらず、明るく元気いっぱいに歌や歓迎の言葉、そして手づくりのメダルを授与してくれました。
小野さんが数曲フルート演奏をし、インディアンドラムの時間になると園児たちのくいつきかたはすごかったのですが、あの年齢の子たちにしては奪い合い、取り合いはそんなに激しくなく見えました。
60人以上はいたと思うのですがみんな調和を持ってタイコにふれあっていました。最後、園を立つ時に、「また来てねぇ!また来てねー!」、「またねぇ、またねー」と声をあげていたのがとても印象に残りました。「また来るよ、またねー!」

 そこから福島県との県境の宮城県角田市へ。陶芸家で角田市民放射能測定室という測定場所を自宅の一室に設けている池田さんという方の下へ行きました。
角田市は、福島県ではないため放射能の影響というのはクローズアップされないのですが、池田さんの自宅周りの放射線量は数千ベクレルの数値を示すそうです。
角田市は宮城県ということと一次産業従事者が多く、あまり騒がれては風評被害にあうということで、線量が高いことは表立たせたくないようです。
現地の子供をもつ母親で食べ物に気をつけているお母さんとあまり気にしない方のお子さんの尿検査をしたところ、前者の数値は低く、後者は高かったそうです。
そこで池田さんは今、100人の子供達の尿検査実施の考えを教えてくれました。
子供達は地域にとって宝物だし、子供を守ろうとする母親のエネルギーはすごいものがあるので、とてもいい考えだなと思い気持ちが昂ぶったのですが検査には今のところ一人2万円かかるそうです。
小野さんが、積んで来ていたお米と野菜を幾分か池田さんに手渡し、僕達は角田を立ちました。

 その夜は会津美里の長福寺へ、電話で連絡をとり予定を立てていた小野さんから聞いたところ、住職が小野さんのフルートの持ち主で、近くのユースホステルの経営者が知り合いなので無料で泊まれるので近くにいらっしゃるなら是非来ていただきたいと。
お寺に到着したのは21時過ぎでした、そこで太陽光発電の早川寿保さんと合流し、お寺で四人の不思議な縁の交流をしました。住職の先導の下ユースホステルへ。
実はユースホステルの主人と住職は初見だったそう(お子さんどうしが知り合っているだけ)で「支援金です」という形で3人分の宿泊代を支払ってくれました。

 明けて21日、朝6時に宿を出て8時に山形県おいたまサロン犬佞錣辰
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2013/11/5

なぜ東北に向かうのか  ラブフルート

( この文章は東北に向かう前に書いていたものです。
時間をさかのぼって読み返し、漠然としてはいるけれど感じている違和感、不思議な感覚が後日そういうことだったのか…という現実との繋がりを感じました。)

なぜ今再び東北に向かうのか…。出発を控えて自分自身に改めて問い掛けていました。

今回は今までとは少し感覚が違う自分を感じています。身の危険を感じているのだろうか、直感的に何かを感じている自分がいました。

僕が知っていることは、直接体験したこと以外は何らかの価値観から捉えられた特定の視点から生まれた情報でしかない。

最低限の知識から生まれる価値観を持ち出して、何かしら方向性は出て来るけれどそれは絶えず浮遊している感じがします。

何にも感じないけど危険なもの。それは実に見事にそれぞれの生き方、捉え方を引き出す触媒のような気がします。確実に危険性を持ちながら、微塵も危険を感知させない。

そんな地域に敢えて足を踏み入れる。その行動自体に否定的だったり、批判的な考えも聞こえてきました。

では、その只中で生きている人たちのことはどうなるのだろう。巨大地震や原発事故は多くの命を死に至らしめ、或いは危険に晒すものですが、何よりも難しいのは人間の反応ではないかと感じます。

事故直後の段階で、放射能汚染に対する姿勢が個々人の繋がりを分断させ、批判や対立を引き起こしていました。それは、今も現況の変化の中で、変わらず起こっていました。

大きな困難や問題が起これば、お互いに助け合うという単純な構図にはならず、個々人の違いが浮き彫りになり、むしろ分裂や対立が生まれる。この事実を直視しながら、より広い視点に立って全体の流れや方向性を知る必要を感じています。

避難者家族、とりわけ子供達の命を守り、相互の協力や情報の共有のターミナルになっている米沢のサロンとの繋がりから感じることをじっくり考えながら次の流れに向かいたいと思っています。
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2013/9/3

お帰りなさい  ラブフルート

精魂込めて作らせていただいたラブフルートたちが工房に帰ってきました。

工房に帰って来るラブフルートには幾つかの帰り方があります。一番多いのは、ラブフルートを手に旅を始められた方が、マイフルートを連れて帰省する?スタイルです。

これはなかなか嬉しく楽しい帰省です。とりわけ、ピッカピカにお手入れされ、愛されているラブフルートと対面するのはいいものです。こんなことを書くと、手入れしてなくて恥ずかしいから帰省しないなどという方もおられるかもしれませんが...

妙な話ですが、手にされた人の記憶が怪しくなっても、自分が手をかけたラブフルートは鮮明に思い出します。打ち込んで過ごした時のエネルギーが鮮明な記憶と繋がるのでしょう。

もちろん、中には、帰省することなく棺と共に旅立ったラブフルートたちもいます。そして、今回は、手にした人は旅立ち、ラブフルートたちだけが工房に帰省しました。

最終的に僕のところで生まれたラブフルートを10数本手にされ、吹いて楽しまれ、イチイのラブフルートが完成した時には奥様とお二人で北海道まで引き取りに来られた方が、その数年後に急逝されました。

「木々の響き」というCDが発売される直前のことでした。CDの注文が入り、「主人に聞かせてあげたかった」という奥様からの電話で亡くなられた事を知りました。彼が、恵み野キャニオンで嬉しそうにイチイのラブフルートを吹き続けておられた姿が浮かんで来ました。

それから数年後、懐かしい奥様からの声が届きました。大切に残してあったラブフルートの響きが僕の演奏の時に、みなさんのところに届けられるのが良いと思いお届けすることにしましたとの連絡でした。

奥様のラブフルートや子供達のためのものは手元に置きますが、それ以外はぜひ演奏にお使いくださいとのことでした。この時、震災の前年末に盗難にあったラブフルートの事をお伝えしたところ、大変悲しまれると同時に、是非ともラブフルートを受け取っていただきたいとのことでした。

数日後、工房で生まれたラブフルートが3本とその他で作られたフルートが6本、さらに可愛いインディアンドラムとホピで買い求めたカチーナ2体が届きました。

僕は今後の演奏の中で、帰省した子供たちの声、その響きを届けることになるでしょう。彼らは新しい物語と共に、響き始めると思います。

失われたラブフルート20数本は、未だに帰ってきてはいませんが、不思議な形で我が子たちが工房に姿を見せてくれました。

これまでにも、どうぞ失われたフルートの代わりにお使いくださいと声をかけてくださった方々が何人もおられました。また、5本ほどまとめて梱包され、届いたこともありました。その後、ご安心くださいとお断りしましたが、その子達を合わせるとあたかも姿を消したラブフルートたちが帰って来たような不思議な気持ちになりました。

こういう暖かく優しい方々のところに出かけて行った木々のラブフルートたちは幸せだっただろうな.....。

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2013/8/31

複数のラブフルート  ラブフルート

このところ複数のラブフルートを求めて訪ねてくださる人々が続きました。その気持ちは分かるような気がします。僕自身、初めてラブフルートに出会った時、結局3本まとめて購入しました。

心の動きと密接な関係を持つ響きは、ひとつにしぼりきることが難しいものです。一日の間にも、気持ちはいろいろと変化し続けていますから、吹きたいと感じる響きも違ってきます。

木々の響きはとても繊細で個性的ですから、特定するには、それなりの知識や直感も含めて時間がかかります。比較的早い方でも、選択には数時間を要することが珍しくありません。

素朴にインディアンフルートが欲しいという事もありますが、出来ればある程度の納得をいただければと思います。お金で買うというスタンスから、少し角度を変えて触れていただければと思っています。

とにかくたくさん作って売れればいいという感覚は最初からないのですが、なかなか誤解を生みやすいことでもあります。

本当に必要で良いものを生み出し、分かち合うことが生きることそのものであること。その土台の上に、生活や金銭が伴うという流れを、大切にと思っています。

量産という発想は資本主義経済がもたらした価値観でしょうが、それが人々の生活や心に何をもたらしたか、よくよく考えて見る必要があるような気がしています。

長年の手作業で手や肩の痛みとの調整が難しく、明らかに製作のテンポが落ちていますが、長くお待たせしてきたフルート達もなんとか旅路に向かい始めました。 オーダーが途絶えて沈黙の期間が長かった製作作業も少し動き出しました。

先日、お渡ししたラブフルートを大切そうに抱えながら、生まれたての赤ちゃんを抱えているような気持ちですと話してくださった方。その嬉しそうな姿を見ながら、こちらの方が感謝でいっぱいでした。この方も2本同時にご注文でした。

かつては一度に3本購入したことを懐かしさも含めてお話ししてきましたが、先日は一度に5本の注文を頂きました。中には10数本の注文をくださり楽しんでおられる方々もおられます。

ラブフルートの森に囲まれる生活は楽しいだろうと思います。木が好き、木の響きが好きな方との交流は楽しいものです。

これからどんな流れになるのか分かりませんが、注文激減で廃業、転職も考えるなか、少し風向きが変わり、ゆっくり製作依頼の風が吹き始めました。どうやらもう少し、ラブフルート製作が続けられそうです。クリックすると元のサイズで表示します
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2013/8/16

夏の風 から秋の風  ラブフルート

夏が一気に駆け抜ける。とりわけ北海道の夏は短い。

このブログを書いている時間、木々を揺らす風は明らかに変化し始めています。

爽やかな朝、耳にした蝉の声。少しづつ勢いがなくなっている。時は休むことなく流れています。

この時期に「風になる豆になる」の気ままな集い。セミナーとかワークショップとか言わない、なんか良さそう気分で集まる。

ひとりじっくりとは違う、誰か自分以外の人と場を共有すること。それは自分のスタンス次第だけれど、随分いろんな気づきを与えてくれると思っています。

スピリットキャッチャーを作ろうとしたところから、ウィンドキャッチャーが生まれて来た。構造や原理は同じだが、核になる部分が違う。

それは能動と受動という根本的な違いだ。突き詰めれば、能動も受動も視点の違いでしかないとは思うけれど、あえて何処かで具体的な動きを表現するなら、能動と受動ということになるだろう。

自分自身が手に持って振り回すのがスピリットキャッチャー。自分はただ手に持って、風がやってくるのを待ち、風の流れを体感するのがウィンドキャッチャー。

手で回すスピリットキャッチャーは軽量であることが重要。立ち尽くして風を感じるウィンドキャッチャーは、身体に風の流れを伝達し一体感を共有できることが大切。

風という言葉と実際に感じる風との違い。それは概念や知識とは違い、直接的で具体的なもの。人はおびただしい知識や概念や認識の中で自己認識を安定させようとしながら、何処かでその辿り方に違和感を感じているような気がする。

心と身体という二分化した相対的認識も一つの視点にすぎず、心と魂という表現もまた確固としたものではないだろう。

にもかかわらず、あたかもそうであるかのように意識に登らせ、言葉にしてはみるものの、多分前提となる言葉の意味を明らかにしようとする作業だけで多くの時間を費やし、結果的にこれと言った何かを引き出すことはできないような気がします。

ラブフルートを吹くという起点があってのウィンドキャッチャーだけど、多分ラブフルートを吹くよりも分かりやすく感じやすいのだと思います。

自分も風なのだという感覚が何処かで感じられれば十分だと思っています。その先は、それぞれにあるだろうから…。

自然との一体感を視覚や言葉ではなく、体感する。その意味では、実に素朴でありながら、深い領域に触れる可能性を持つウィンドキャッチャー。

今のところ、体感した全員が楽しんでり、喜んだり、自分も作る〜と言わせている。まさかまさか、流れ着いた流木が風を連れて来てくれるとは…。

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2013/6/21

月夜の宴というひとつの始まり  ラブフルート

「星の少年 」シャイアン・インディアンに残された物語 が目に止まり、やらなくてはならないことがいっぱいなのに、ページを開いてしまいました。(発行 ビイング・ネット・プレス / 発売 星雲社 /再話 北山耕平 /作画 菊地慶矩)

次々と現れる言葉に押し出されるように読み進み、しばし別世界を漂いました。既に読んでいた物語ではあるのだけれど、新たな発見をしている自分がいました。

それは明日の夜、見上げるであろうスーパームーンと夥しい星々への思いと繋がっているのでしょう。

風の噂だけで集まる人々。

月夜の晩にドラムを叩き続けるという、ただそれだけの一夜のために、やって来る人々がいる。これは、始まりからすでに物語なのでしょう。

北海道勇払の原野に数千人の小さな町があります。その農地の一角にある敷地に、ただそれだけのために人が来る。それは楽しみ喜んで生まれて来た小さな案内を手に、細い農道を辿ってくる密かな集いです。

あの手この手で、其れなりの経費をかけ集客するイベントとは全く違う集いです。接客というスタンスはありません。

僕は呼び掛け人ではあるけれど集いの主催者などではありません。いつも通り、静かにドラムを叩き、心の底に湧き上がる響きを感じ、時に声を出したり、ゆらゆら身体を動かして過ごすだけです。

中には祭りのイメージをお持ちの方もおられるでしょう。ワイワイするのが楽しいという方もおられるでしょう。それはそれで、いいのだと思います。ただ、この宴は一気にエネルギーを発散させて、はい終わりますという催しものではありませんから、時間の経過と共にいろんな気づきが起こるのではないかと思います。

僕は、いのち、鼓動、呼吸そのものを感じ、そこに潜んでいる何ものかに触れたいのです。結論めいた言葉や、悟りの極みのような言葉、これぞ真理といった教えたちに邪魔されず、いのちの姿、事実そのものを純粋に感じたい。それを密かに求めているであろう人たちとの出会いを楽しみたいと思っています。

アラスカのクリンギット族の中の熊のクランを持つ方々が来られて、熊の踊りをしてくださったことがありました。僕はその時の踊る姿と、聞こえてきた歌を鮮明に覚えています。その時に流れたメロディーをときおりラブフルートで吹いてきました。また、踊りのスタイルもお伝えしてきました。

ところがみなさんの踊りは静かで淡々ととはならず、あっという間に盛り上がり、大宴会さながらのエネルギッシュな踊りになります。僕は勝手に、感じた印象のまま「静かに踊ろう」と曲名を付けていたのですが、一度も静かな感じになったことがありません。

彼らクリンギット族の中の80歳を越えた女性は静かにドラムを叩き、踊りの輪を見ていました。太鼓といえば、元気に力強く叩くものだという和太鼓のイメージとは対象的な姿でした。

実はインディアンハンドドラムも、踊り同様、しばらくすると激しく叩くようになる方が多いと思います。和太鼓のイメージが強いのかもしれません。太鼓と言えば大音響という思考パターンが出来上がっているのかもしれません。

ラブフルートの吹き方も、やはり似たような傾向があるような気がします。外に向けて発散する、発信するエネルギーの方向性を感じます。ラブフルートの構造は、むしろ内側に深く浸透する響きを生み出すようになっています。

今回の月夜の宴622 は、すでに動きだし、集まられる方々によって生まれて来る、未知の時空間になりそうです。そこには、誰もが予期しない何かが待っているのでしょう。

ただ、僕自身は、明日への思いと同時に、次のスタンスに向かっています。インディアンドラムだけで過ごす時間、ラブフルートが歌い続けるだけの時間。声の響きだけの時間。いずれも特定の存在が中心にならないというポイントを押さえて、しっかり、はっきり、どっぷり全身で関わる。そういう時間、空間の必要を感じています。呆れるほど情報が交錯する環境の中で明らかに変化し始めている自分自身が原点を確認する時間といったところです。
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2013/6/5

小さな街からお出かけ演奏  ラブフルート

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 モンクールという名前を聞くようになって、色んな方が様々な催しをされているな〜と思っていました。そんな僕も、ちょっとしたきっかけで演奏やワークショップをさせていただくことになりました。

 遅ればせながらお世話になりますと、あいさつと下見を兼ねてモンクールさんをお訪ねしました。普通のお客としてお店に入り、パンを選ぶことにしたのですが、パン以上にオーナーさんの笑顔とお話しが印象的でした。

 以前、酵母パンでお世話になったルシルさんのパンを頂いた時、ああ本人がパンになってるという感じがしました。面白いものです。そんな経験から、きっと彼の人柄がパンになっているんだろうな〜と思いました。

 どれも個性的で、どれもお勧め!わが子をお届けする感じで、嬉しそうでした!僕は幾つかのパンを選び終え、置かれていたパンフレットに目をやり、この写真僕です...と呟きました。

 彼はかなり意外で、びっくりといった様子でしたが、すぐに笑顔であいさつをされました。こちらこそよろしくお願いしますということで、奥にある小さなスペースを見せていただきました。

 お客様がお一人席についておられました。顔なじみ風でしたので、少し試し吹きさせていただきました。次々とモンクールファンの方が来られるので、あまりのんびりできないほどでした。気がつくと、ほとんどのパンが無くなっていました。

 ああ、僕はここで木の笛の声をお届けするんだな...と、ゆっくり心の準備を始めました。
どんな方がいらっしゃって、どんな雰囲気になるのかな...

 僕にできるのは、ラブフルートの音色もさることながら、みんなでゆったり喜び、楽しみ、ふっと身も心も一歩、歩きだせる感じになれたらいいなと思いながら過ごすこと。
木々の響きが集まられた皆さんの全身をつつみこんでくれるように呼吸を大切に使わせてもらうこと。

 演奏が終わってからパンと飲み物のバイキングなので、ちょっと嬉しいです。いつもはライブ2時間前は飲食をしないのですが、今回は大丈夫!?

 もっとも、その後はフルートやドラムのワークショップもありますから、控えめにはなるのですが...

 久々の札幌市内のライブです。これからもポツリポツリとどこかで木々の響きをお届けする機会はあるかもしれませんが、地方の街から都会に足を踏み入れる独特の感覚を楽しむつもりです。
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2013/3/8

手カンナと手ヤスリ  ラブフルート

手作りのラブフルートが出来上がるためには目に見えない様々な工程があります。機械で一気に削りあげるのとは違い、あまりに不合理と思われる手作業が延々と続きます。

勿論、時間をかければ良いということにはなりませんが、一見不合理と思われる行程がとても大切なものになると感じています。

アメリカのサイトでは一度に何本もラブフルートが形成できる機械なども登場しています。自動車や電化製品の流れ作業のイメージと重なる感じです。

なぜ、早く大量に生み出そうという考えに至るのでしょうか?その時間の感覚が、社会に様々な弊害を生み出してきたように感じます。それは量産されるセラピストにも繋がる一連の価値体系を持っているように思えます。

ひたすら加速される構造は、いずれ著しい崩壊を招くことは誰の目にも明らかです。それでも一緒になって駆け回る。そういう姿はいろんなところに見え隠れしています。忙しすぎる人たちは、どこかで自分の基盤を見直さなければならないように思います。

結果を急ぎすぎる傾向は、その場でアンケートやシェアをするというスタイルにもしばしば見受けられます。まるで、いま仕込んだ味噌を、さあこれで味噌汁を作ろう!食べて見て!飲んで見てどうでしたか?とすぐさま問いかけるような感じです。

熟成する時間、成熟に至るプロセスを飛ばして、結論を求める。これが当たり前の流れになることの危険性と愚かさに気付くのは難しいのかもしれません。それこそ行き着くところまで行って、ようやく気付くのかもしれません。

それは言葉のやり取り中心の世界で顕著に見られるように感じます。口先だけ、情報や知識だけで、とりあえず成り立つ世界には、様々な矛盾と欺瞞が引き起こされるのですが、それを問題にし始めると現状が成り立たないと感じるのかもしれません。

僕が何日も汗水流して木を削り、穴を開け、音を作るために地味な作業を繰り返してようやく出来あがるラブフルート。この工程を言葉で説明すると、ものの10分もかかりはしません。言葉や知識と現実。この関係性を熟慮する必要があるように感じます。

短時間にささっと削りあげたラブフルートを手にしても、その行程が合理的でスピーディーであればあるほど、僕自身との繋がりは希薄になります。思いとは無関係に、きわめて合理的にラブフルートが出来上がってしまうとき、とても大切なものを失ってしまうように思います。一人の人と親身に接するように木を削り、音の響く時を待つ、その流れがとても大切に思います。

これを人との関係に当てはめるとよく分かります。多くの人と関わったことなど数量をステイタスにする時なども、皮肉な逆説的現象が起こっているように思います。次々と発信し、瞬く間に消え去る繋がり方には危うさがありますが、これから暫くはこうした流れが続くのでしょう。

一人の人間が、限られた時間の中でなし得ることは決して多くはないでしょう。だからこそ、与えられた時間を大切に、お互いの存在を大切にするのだと思います。ところが、合理的で素早い応答に慣れてしまうと、人はどこかで自分自身が存在する意味を勘違いしてしまうかもしれません。

ワンクリックで何百人、何千人、何万人、何千万人、何億人に情報が送り出される時代。それが、習慣化して行く僕たちが、どこに目を向け、何をどんな風にしていくのか....

そんなことを思い巡らしながら、黙々と手カンナと手ヤスリで様々な樹木たちと対話し、一本のラブフルートを生み出す時間が流れています。

野鳥たちがバードテーブルに目もくれなくなる春までに幾つかのラブフルートが生まれてくれるのを楽しみに工房にこもります。演奏の時は留守にしますけれど....。

































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2013/1/24

冬の輝きを楽しむ時間時間  ラブフルート

心のドラムと愛の笛・冬の輝き IN KOCOMATSU
若手のドラマー常松将行さんとの演奏会がこの1月27日の午後2時から開かれます。今は、この日に向けて体調を万全にすべく準備中です。

ドラムとラブフルートの素朴な響きの世界は、僕が思っている音の世界をじっくりと浮かび上がらせてくれる貴重な時間です。

いろんな演奏家の方々が、様々なスタイルでコラボしているのは、とても魅力的ですし、盛り沢山で、お得感いっぱいのライブは来場者を十分満足させてくれると思います。

滅多に機会はありませんが、僕もそういう方々の仲間に加えていただく
事があり、感謝しています。KOCOMATSUでも、演奏家の方々が来られて、僕もちょっと参加させていただくこともあります。

KOCOMATSUが出来てから、まだ一度もブルーレイバンとしての演奏も僕の演奏会も開いたことがありません。

決して出し惜しみしているわけではありません。音楽は演奏会というスタンスで聴くものという形が普通なのでしょうが、僕はちょっと違うな...と感じているのです。自分が演奏すること以上に、皆さんがご自身の命の歌を表現することに関心があるのかもしれません。

優しい言葉や笑顔、道端で見かけた一輪の花、雄大な景色に心が揺れたり、踊りだす瞬間、木漏れ日や流れる川のせせらぎ。そんな世界と共に生きていること、その世界に触れる感動や喜びや感謝。与えられている命を喜ぶこと。その状態と直結している音楽が風や光のように自分たちを包み込んでいる。それを感じることで命が支えられているような気がしています。

僕は常松さんとの演奏を楽しみにしています。彼がリズムの中にいる時、とても幸せそうで、音でつながる時間を楽しんでいる姿が好きだからでしょう。音合わせの時間も、とても自然で無理がなくいい感じで流れています。

それぞれが感じる冬の世界、季節の輝きを楽しむ時間。静けさも、
楽しさも、喜びもみんなが一つになって過ぎて行く冬の一日。

ようやく体調も戻りましたので、レインボーストーブを囲みながらゆったりと過ごしたいと思っています。よろしければお出掛けください。

日時 2013年1月27日 午後2時から4時まで
場所 KOCOMATSU (JR島松駅下車・徒歩7分島松郵便局裏)
チケット 2000円
連絡先 ブルーレイバンクリエーション
090ー8906ー9916
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2013/1/4

食べて生きる  ラブフルート

 心身の健康の維持と新しい取り組み。これが2013年スタートの素朴なプランです。

島松はマイナス24度。キリットした空気が町を包み込みました。今日から作業スタートと思ってストーブを付けたけれど、なかなか暖まらず、5日に吹き初めが終わってからスタートに予定変更にしました。

 そんな中、バートテーブルにやって来る小鳥たちが、とにかく食べ続けていのちを繋いでいる姿をみながら、食べる事が生命維持の土台になっていることを改めて確かめてのスタートです。

 10数羽の雀たち。ヤマガラのカップル1組。シジュカラのカップル2組。ゴジュウカラ1組。シメ1羽。ハシブトカラ1組。ヒヨドリ2組。一気に集まると、なかなか賑やかです。それぞれに力関係があって。小鳥たちも、それなりに大変そうです。

 食べ物を身体に入れる、それが自分を作り維持するのはごく当たり前のことですが、ふと食べ物が直接身体に押し込まれるイメージが浮かんできました。それ以来、食べ物と身体の繋がり方、イメージが変化しました。

 どういう食べ物で自分を作りたいのか?出来あがった自分はどうなるのか?そんなこんなを考えながら、玄米を活性化させてから炊き上げる炊飯器で新年をスタート。時にはおこげご飯も楽しめるタイプです。昔のかまどご飯のおこげを時折楽しみ、懐かしさと一緒に新たな食生活の始まりです...。

 生豆大豆から豆乳を作り。植物性発酵菌を使った豆乳ヨーグルトを作り、野菜スープを取り入れながらの食事。シンプルなスタイルに時折バリエーションを付けて楽しむといったところです。

 これに心地よい音楽と写真やスケッチ、気ままな日記。ゆるりと読書。専門書山積みの書棚を離れてどうしても目を通したいと思うものを手にする。これに、銭湯料金で入れる温泉がありますから(実際はなかなか行けない....),後は仕事に打ち込めます。

 身体が動くうちに、じっくりラブフルートを作らせていただいて、ポツリポツリと演奏の依頼があるところに出向いて行く。小さな出会いが野の花のように心を楽しませ、喜びを届けてくれるのを楽しむつもりです。さて今年はどんなかな〜と待ちながらのスタートです。

 昨年末はモエレ沼公園のホワイトクリスマスコンサートに出演させていただき静けさの中で年末を迎えることが出来ました。
 
 新年は、2013年1月の13日に、中標津まで日帰りで演奏にお出かけ。27日は心のドラムと愛の笛・冬の輝きのライブをKOCOMATSUで開く事になっています。若手に(ドラムの常松さん)に見限られず、なんとか声をかけていただいて演奏の機会が持てるのはありがたいことです。よろしければ、冬の輝きを楽しみにお出かけください。
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2013/1/1

最初の一日・2013  ラブフルート

最初の一日。工房前のバードテーブルにやって来る小鳥たちは時を刻んで、あれこれ動き回る人間たちとは違って、今を生き延びることに集中しています。

さて僕はどう過ごそうか…。
まず始めに抹茶をたてて一服。素朴な野菜スープと玄米食、豆乳ヨーグルトに頂いた茶碗蒸し、パック入りの黒豆を食べながら気ままに音楽を流してゆったり。ヒマワリの種と豚の脂身やリンゴを食べに来る小鳥たちの飛来を楽しみながらのスタートになりました。

食事の後は、自分へのメッセージと思い浮かぶことをノートに書き留める時間。筆記具も楽しんで、ラジオで聞きかじった「大人の鉛筆」を手にいれました。パーカーの新感覚のペンと一万年以上保存が効く中性紙フールスという紙で作られたノート。

誰も確認出来きはしないのだけれど、一万年後に僕の徒然日記が発見された時のことも考えて!?空想を楽しみながら、使って見ることにしました。

何十年も原稿用紙に日記を書いて来たのだけれど、日常的な出来事はほとんど書きとめず、自分の内側に起こっていることを綴って来ました。今日はどの筆記具で綴るか、ふと立ち止まり、楽しみながら過ごす時間はいいものです。

午後からはKOCOMATSUにあるレインボーストーブに火を付け、差し込む冬の光を楽しみながら円柱形のコンパクトなスピーカーを用意し響きに浸る準備。

いざという時や、必要な人に貸し出せることも考えて、レインボーストーブは二台用意しました。やはり、コンサートの時は温風ストーブのノイズは避け、電気の力も節約し、灯りにもなり、お湯も沸かせるストーブがいいなと思っています。

冬の長い夜は、お気に入りのティーポットに素朴で深みのある紅茶葉を用意して、ノンシュガー・カカオ100%のチョコレートを用意して、心と身体が喜ぶ音の響きに浸るつもりです。

気ままにスケッチブックを開いて思い浮かんだものを描いて見たり、ペンをとって書き留めたり…。

コーヒー豆をコリコリ挽いて、ドリップで落としたてのコーヒーを楽しむ時間、野生茶を楽しむ時間を織り交ぜ、玄米のお粥と野菜スープに自家製沢庵漬けでフィニッシュ。

5弦カンテレとラブフルートの時間は寝る前に少し…。まあ、静かな元旦です。年末に転倒し、頭をガードするために、痛い痛いと言っていた両肩、両腕で身体を支えたため、痛み倍増。ゆっくりするのが一番でしょう。
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2012/11/2

小いけれど確かな響き  ラブフルート

静かにささやく木の声を感じる。そんな時間や空間が必要かもしれない…ふとそんな思いが浮かんでいます。

かつては考えられない程の情報が目まぐるしく立ち現れては、跡形もなく消え去る。その繰り返しの中で、人の心や身体は、どうなって行くのだろう?

一日に、一体どれほどの文字や画像が飛び交っては去って行くのだろう。そこには、今までには無かった社会があるような気がします。言葉や文字が、必ずしも本人の実質と繋がらず一人走りしているような感覚さえあります。

そんな大きな流れとは無縁の小さな工房で生まれているラブフルート。
その中に、あまり音量のない静かな響きのラブフルートたちがいます。

それは、16ー17世紀頃のものだろうと言われるラブフルートの構造を原型にし、響き方を考慮して作っているものです。幽霊が囁くようなと表現された響きに繋がるフルートです。

パフォーマンスの媒体として使われる楽器とは異なるものとしてラブフルートを位置付けるのは時代錯誤のようですが、その存在は大切な意味を持っているのではないかと感じています。

その響きからは、心の奥にある自分自身をそっと呼び起こすような不思議な空間が生まれます。そんなラブフルートは、メディアに繋がったり、スマートフォンやパソコンを切ってから休むような生活が増えて行く社会には入り込む隙がないのかもしれません。

小さな工房では、大きな声で歌うラブフルートも生まれていますが、そっと木々たちの密やな響きに心を寄せる方々のためのラブフルートも生まれています。

静かな真夜中に吹いても大丈夫な、控えめに響く木の笛は、目まぐるしくやって来る言葉や文字の波間をくぐり抜け、息だけになった素の自分に囁き始めるかもしれません…。
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2012/10/7

自分の軸が明確になる…  ラブフルート

東京神楽坂の小さな丘の展示会、コンサート、ワークショップ、アロマとのコラボ、路上ライブ盛りだくさんの神楽坂滞在期間が終わりました。

ラブフルートと触れ合うために来てくださった方は予想以上に多かったように思います。なんの知名度もない木の笛と作家のためにわざわざ足を運んで下さる事自体が驚きでした。

いつものことですが、東京に入ると人の多さが印象に残ります。誰にも会わずに過ごす日などありえない。そんな大都会は平日の真夜中にたくさんの人が、街中で飲み食いしていました。

僕はほとんどの時間を工房作業ですごし、月2回のレッスンと忘れた頃にラブフルートに関心を寄せて訪ねてくださる方とお会いしたり 、たまあにやってくる演奏のオファーにお応えしています。実に静かなものです。

そんな僕が東京のど真ん中で、手作りのラブフルートを並べて、ご希望があれば音色をお届けするという機会を与えられたわけです。そこにどれだけの人口があったとしても 、ラブフルートとの出会いを経験される方はわずかです。さらにご自分で手にして吹かれる方はさらに限られています。

展示会会期中に、「売ろうとしているのではなく、買わないようにしているんじゃない?」と言われました。そう感じさせる要素があったのだと思います。時間をかけて手作りしたラブフルートがあっさりとお金と入れ替わってしまう事が苦手なのかもしれません。十分に吟味し納得した上で手にして欲しいという思いが、売れないようにしているという印象になっているのでしょう。

人との出会いから生まれてくるラブフルートという流れの中で製作してきましたので、売れれば良いという視点がなかったのだと思います。お金の必要性も大切さも十分理解しているつもりですが、受け取るお金の質を出来るだけ大切にしたいと思っています。それはKOCOMATSUの空間を支える姿勢とも繋がっています。

いつものことですが、お会いした方々から学び感じることがたくさんあります。会期の最初の方に来られた方が、最終日に再び駆けつけて一本のシウリザクラのラブフルートを手にされました。30センチに満たない小さなラブフルートに確かめるように息を吹き込まれてから、このラブフルートをくださいと言われました。

「この笛を吹いていると、自分の軸がはっきりとするんです。」と口にされました。必死で仕事を終わらせて来たんですとも話しておられました 。最終日は早めに撤収して荷造りし、飛行機に間に合わせることにしていたのですが、台風直撃で欠航になりました。天候もまた、絶妙のタイミングで僕たちの旅を支えていることを感じるできごとでもありました。

いい出会いが生まれたな…と感じました。いのちの根源的状態である呼吸が木と触れ合いバイブレーションを起こすとき、自分自身が響そのものになり自在に天空を駆け巡る。自分を取り囲む一切のものが霧散し、存在そのものを喜び楽しむ。新しい仲間が現れた…そんな風を感じる最終日でした。
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