2015/9/1

よろこびと空洞体験から次に向かう  雑感

小さな種粒が思いもよらぬ収穫をもたらす。つい最近、体験した集まりの中で、その一端を感じることになった。かつて勤務していた某高校の吹奏楽部のOB会に参加した。

思いがけず、年月を重ね、当時の学生たちが社会の中核を担って生きている様子を知ることとなった。当時は、様々な状況が繋がり、僕は吹奏楽部誕生のスタートのきっかけとなった。地元の高校の吹奏楽部に所属していたのだが、卒業後市役所の社会教育課に勤務した。その後、地元の別の高校の移管業務のために出向、後に北海道教育局からの出向で道立高校に勤務することになった。

そこで、眠っていた15人編成の吹奏楽器と出会い、メンテナンスを兼ねて試奏したことがきっかけだった当時の校長から、入学式に校歌を演奏して欲しいという要望があり、編曲し演奏を指導することになった。演奏に感動した校長が、教頭と相談し顧問にしたいと望んだ教師が翌年赴任。

こうして顧問と演奏指導者の共同作業が始まった。僕は実習助手から行政職になり、指導に直接関われる時間に制約が出始めた。それでも、随分と厚遇され生徒たちと過ごす時間が与えられていた。当時は、地方への転勤を促されながらも、吹奏楽の指導継続を望んでお断りした。

何もわから無い学生たちに、それぞれの楽器との取り組み方を、手取り足取り、運指やブレスの仕方、楽譜の読み方、リズムの合わせ方、楽曲の理解など、ひとつひとつ伝えること、全体をまとめることに力を注いだ。ゼロからのスタートは、かなりのエネルギーを必要としたけれど、徐々に成長する姿を見るのは楽しみでもあった。

年齢差は大きくはなかったけれど、生徒と指導者というスタンスの違いは大きかったかも知れない。通常の勤務をこなしながら、時間を見つけては吹奏楽部の演奏指導に出向く生活が続いた。校長の理解、教え子であった事などの後押しがあり、移管業務の渦中であったからこそ
可能だった。

勤務との板挟みの中で、何とか最低限の形が見え始めて間もなく、個人的事情で公務員を辞任する事になった。それ以来、全く接点のなくなった生徒たちと再会する事になったのが、つい最近の事だ。

詳細な事情など知る術のなかった学生たちとの再会には、それなりの戸惑いがあった。学生たちにとっては、最初のきっかけになった僕の存在は、さほど重要なものではなく、仲間同士や顧問との交流の記憶が次々と蘇る時間。その嬉しさと楽しさでいっぱいの時間だっただろう。まして、指導者という立場にいた僕とは距離感があって当然でもある。

ましてや遠い記憶の中では、僕の存在はかすかな陽炎のようなものだろう。そこに集う、喜びと楽しみの原点。それは、音楽の楽しみと喜びを伝えたいという密かな思いを抱いたひとりの存在から始まった。それは確かに事実だけれど、記憶から確実に消えていくだろう。

僕自身は、彼らが辿った結婚、家庭、子供。或いは孫のいる人生とは随分とかけ離れた歩みをしてきた事を、改めて強く感じた。僕には両親を失った子供という立場しかなく、家族はいない。OB会への参加は、僕にとって過ぎ去った時間が空洞のように感じる強烈な体験でもあった。

同時に、それぞれに生きてきた学生たちの人生の尊さ感じる時間でもあった。喜ばしさとちょっとした空虚さを瞬時に受け取る時間になった。

参加を躊躇した感覚。参加を決断した感覚。それはどちらも予感通りだった。

さて、この体験時間から、残されたわずかな残り人生をどんな風に生きて、終わりを迎える事になるのだろう。少なからず、出身校の吹奏楽部体験と後に出会った吹奏楽部誕生のプロセスは、その後の人生や音との関わりの大切な土台になっている事は確かだ。

今回出会ったOBたちが、記憶の確認のプロセスから、これからの歩みの中で新たな意味で音のある人生の豊かさを感じ、具体的な交流を深め、さらに豊かな人生を受取って欲しいと感じている。

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2015/5/9

合宿の宿 ひまわりでお伝えしたこと・その1  雑感

夕張 合宿の宿でお伝えした事を数回に分けて投稿してみます。

一人の人間が多数の皆さんにお話をすること。それはとても複雑な状況を生み出します。 それは一対一、もしくは複数の人との対話の複雑さとはかなりニュアンスが異なります。そのあたりの課題を、何度もシュミレーションしながら当日を迎えました。

実際、被災地の実状の一端をお伝えしている時に、涙が止まらない女子高生の姿が目に留まりました。その方の事は何も知らないまま話を進める事になりました。逆に、全く関心を示さず私語の世界を楽しんでいる姿も見えました。

そんな中で、最初にお伝えしたのは、目の前の事柄だけに気を奪われず、全体性を持って生きる事の大切さでした。自分を中心に物事を見て慌てて判断をしない事。前も後ろも、右も左も、上も下もよく見渡し、人間だけを中心に捉えない事。その大切さをお伝えしました。さもないと、僕たちは簡単に人の言葉や情報に振り回されてしまいます。単純な思い込みで物事を判断してしまいます。そんな事をお話をしました。それは、震災をどう捉えるか、或いは原発の状況をどう捉えるのかといった現状の具体例を提示するスタンスでは無く、それらも含めた全体的な事柄としてお伝えしました。

これは球体のように全体性を持って生きるということなのですが、この時は磁石のプラスとマイナスの関係を中心にお伝えしました。相対的認識の限界性、盲点に留意するということなのですが、生徒の皆さんには、物事を単純に肯定したり否定せず、全体を見渡しながら、自分の心の内側にあるものに忠実に生きること。自分の心が決めたことを、恐れず勇気を持って踏み出すこと。過ちに気付いたら、しっかり受け止めて道を正す勇気を持つ事。中心軸から全方向に放射すること。周囲の全方向から自己の中心軸に向かうこと。それを、磁極を例にし、簡略化してお伝えしました。

人生は一歩、一歩進んでいくものだから、頭の中で考えたり情報をたくさん手に入れたとしても、実際にどういう行動をするかが大切じゃないだろうか。その時の自分に出来る範囲で広く捉えて、そうだと思う一歩を具体的に踏み出す事。その一つの具体例が僕のような活動になっていることをお伝えしました。

続いて、被災地で何をしているのかをお伝えしました。いのちの原点である鼓動をドラムを共に叩く事で実感すること。もう一つは、いのちの呼吸を感じること。あらゆる違いを超えて繋がっているいのちの原点に立って、自分はどう生きるかを確かめ、感じる時間を過ごすこと。そこでは、何か具体的な方向性を提示するのでは無く、ひとりひとりが自分の道を歩き出すきっかけを静かに伝えていること。

こんなお話をし、全員で立ち上がって鼓動を感じ、大地を自分の足で踏みしめる時間を持ちました。

自分が与えられている全てを惜しみなく受け取って、全身で心から生きること。その勇気をいのちの鼓動が教えてくれること。それが、前半の中心的なテーマでした。

それは、単なるお話では無く、具体的に鼓動を感じ、確かめ、足踏みと共にドラムの響きを感じる時間でした。

次回は、この後の流れをお伝えしてみたいと思います。

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2015/1/17

実践を支えるもの  雑感

新年 すでに17日目。神戸の震災に強烈な衝撃を受けてから20年になるという。
新年を迎えるたびに加速度的に時間が流れ去る感覚が始まる。昨年12月は東北訪問が急遽決まり、準備と現地の活動で半月。戻ってからの予期しない体調不良で半月の間、寝たり起きたり。約束事を済ませると、布団に伏せる。その繰り返しが続いた。

まったく工房に入れない状況。完璧な誤算で終わった年末。仕上げを終えてお渡しする筈のラブフルートは全く手がつけられず残念な年末になってしまった。

この体験は貴重。製作作業に伴う肉体的負担が、確実に大きくなり、リタイアの可能性を密かに感じ始めている時期。健康体であることが土台であると改めて確認。

食事など、それなりに留意して来たつもりだが不覚にも崩れた…。嬉しくはないが、新しい一年も何が待ち受けているか分からない。不測の事態を念頭に行動する必要を痛感する。ほんの少し身体を横にしたつもりでも、そのまま長引き最後にいたる可能性もある。

独り暮らしならば当然考えておかなければならないことがある。今年は本気で準備を始める年になりそうだ。

これまでは災害など緊急事態に適応することに集中してライフスタイルを調整してきたが、自分自身の健康状態に緊急事態のこともある程度考えておかなければならないと感じている。

自分が生きているそのすべての営みは身体を持ち動ける事。その土台があってこそだろう。その土台を大切にし、具体的に実践しているだろうか。

食に関してはそれなりに意識してきたつもりだが、肉体を支えるための時間はどうかと言えば、いささか問題がある。何度か地元の体育館で身体を動かしたりしたものの、長続きしない…。

鼓動と呼吸の大切さ、ラブフルートを吹くことに関しては地道にお伝えして来たのだが、生きる土台となる身体に関して自分はどう生きて来ただろう。肉体的ハンディがあることで言い訳じみた生き方を続けてきたのではないだろうか…。

自分自身の課題を知り、具体的に実践する生き方。その土台は、しっかりと現状を知る事だろう。明らかに、ときおり気にしては見るものの、向き合い実践できていない。

やや遅すぎるかとは思うが、どうやら回避して来た課題に具体的に取り組む年になりそうだ。ラブフルートを手元に置きながら、なかなか具体的に関わることができない方々に、何か声を掛ける前に自分自身の価値観に沿った生き方を実践するのが先のようだ。

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2014/9/29

繊細な心が微細な響きと繋がる  雑感

「ウォーター・サウンド・イメージ」の翻訳者のお話を伺うために急遽東京の神楽坂に出向いてから、しばらくあれこれと考える事があり、ブログへの書き込みは控えていた。

 話を聞きながら、音という現象が生み出すもの。その原点を探り、さまざまな事物、事象との関係性を認識する場に集中できたのは良かったと思う。

 現象を分析し、事例を多岐に渡って明示するパターンは貴重ではあるが、どこまでも多様な事例が羅列されるだけでは、進展性がないようにも思う。

 また、個々の現象が強調され、周波数と特定の領域との連関性を説明し、この先にはまだまだ未知の領域が隠されているという流れには、ある種の疑念も浮かんだ。

 個々の要素が強調され、お金の流れが起こる。それは、今回の集まり以外にも見られる時代の特性なのかもしれない。特定の栄養素が強調されたり、特定のアイテムが持ち上げられ、一時的に意識が集中する現象は、それが医学であれ、心理学であれ、様々な領域に見受けられるある種のムーブメントとも言えそうだ。

 そこにはメディアと呼ばれる媒体の特性が現れているとも言えそうだ。テーマを誇張し、食い付きのよさそうな文言を並べ立てる。それに釣られて、一時的に人が群がる。それが心理的誘導と必須アイテムとの組み合わせともなれば、一気にお金が集まる。

 自己陶酔タイプの群れが、流れ込む。どんな事象であれ、誇張され強調されれば、なるほどと頷きたくもなる。大半はイメージの拡張によって引き起こされる、一時的な反応の場合が少なくない。

 とりわけ、科学的とか、神秘的とか、体験的、医学的、歴史的、本質的などと表現される類。或いは、何々学的な視点と特定のアイテムとが結びつくと最強?これと併せて、情報や知識を本の受け売り状態で伝達するパターンもなくなりません。伝達手段が飽和状態になり個々人のオリジナリティーを失わせ、どこか一様な価値観の集団が一気に生まれる。

 10年経過したら、跡形もないようなことにつられてしまう。支払われたお金たちは、どこに行くのだろう。

 その辺りの事をあれこれ考えながら過ごしていた。自分を動かしている真の動機と方向性をじっくり見つめる作業を継続する事。その土台を確かめているうちに、1ケ月以上経過した。

 結果的に、その会場で勧められたアイテムの類は何一つ手に入れなかった。しかし、今回の上京ではアイテム入手以上に確実な成果があった。

 響きが引き起こす微細な変化との繋がりだ。工房に戻り、水や粒子と響き(周波数)との関係を視覚化する事で、視覚を超えた微細な現象と精神との緊密な関係を具体的に感じ取る事になった。

 ミリ単位で捕えていた世界を100分の1ミリ、もしくは1000分の1ミリ単位で感じるようになった。現象的には1000分の1ミリ程度しか感知できないが、心はそれを遥かに超えた繊細さで感じ取っているのだと思う。

 ラブフルートのレッスンでは、吹く事より聴いて感じることの大切さをお伝えしてきたが、これからはさらにその重要性をお伝えすることになるだろう。ミクロの視点が、僕たちの世界観を変えたように、響きの微細な世界を知ることは、存在する世界と心の繋がりの意味を変える事になるだろう。 クリックすると元のサイズで表示します
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2014/8/12

りしり・れぶん  雑感

利尻島 北の果て

玉響の夏も過ぎ去り

冬長い島


この歌は忘れかけたころ 何気なく心を吹き抜けて来た

初めて耳にしてから45年ほどの時が流れ

僕は 初めて 利尻島に会いに行った

20年ほど前 微かに浮かぶ利尻富士を 遥か遠くから眺めた記憶がある

今までに何度も訪れたいと思いながら

いくつもの夏が過ぎ去り

ゆるやかに 訪ねるときを待っていた

ある日 ふと風が吹き抜け 僕は礼文島に向かう船に乗った

利尻島がゆっくり 確実に 近づき くっきりと姿を見せてくれた

利尻富士はなかなかすっきりと姿を見せてくれないんですよ

そんな 島の人の声を聞きながら

利尻富士を見ながら過ごした 3日間

訪れる前日まで雨 戻った翌日から大荒れ

45年待っていた僕を 利尻は惜しげなく迎え入れてくれた

礼文の花たちが 言葉にならない 思いを歌ってくれた


海に浮かぶ山

しずやかに伸びる裾野が 人々を受け入れてくれる

山頂は鋭く険しいけれど 美しい

空と大地と海

天体の動きとひとつになった島

長く思い描いていた利尻は 新たな憧れの地になった

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初めて訪れた利尻を見ながら3000回ほどシャッターを切りましたが、堂々と聳え立つ利尻富士を見上げているうちに、写真に残す行為がつまらなくなりました。

何も記憶にとどめる手段を持たず、そこにある山そのものをそのものとして感じる瞬間の大切さを強く感じたのです。

長く憧れていた利尻は、イメージ以上に豊かでした。父は空 母は大地の朗読音楽ライブから一週間後のことでした。広大な海に浮かぶ山 利尻富士のシンプルさが空と海と大地、月と太陽と星々との一体感を凝縮して浮かび上がらせてくれました。

ありがちな観光地の匂いがほとんどなく 自然そのものの中で 素朴に生きる島の人々の姿も心地よく 何も無いのが嬉しい島でした。

他に見るものは何もない 山があるだけ…
北海道に生まれ育ったけれど、この二つの島に来て北海道に惚れてしまった気がします。

最初に書いた歌詞は、学生時代の先輩が作った曲の断片です。素朴で印象的で今でもメロディーを覚えています。誰も知らない、彼の歌を僕はなんとなく好きでした。

あの時から今日まで、思いがけないことが次々とやって来て、こんな所で生きている。一喜一憂のあれこれを、ことさらに言葉や文字にすることもなく、天空から滴るひとしずくのように落ちて終わるのがいい。大地に浸み込むもよし、海の一部になるのもいい。この世界に降り落ちて 世界とつながるいのちの楽しみ。

絵を描いたり 詩を書いたり 歌を歌ったり 笛を奏でたり ドラムを叩いたり
しばらく そんな風に 利尻で過ごして見たい

宗谷の山火事から必死に逃れたヒグマが泳いで 利尻に渡った…その足跡を見つけた島民達が山狩りをしてヒグマを追い立て海に出たところを船で追いかけて殴り殺したと聞いた。恐怖心からの事だろう。

アイヌの痕跡が至る所にある島だが、今現在はアイヌの血を引くものはいないと言う。ある時 疫病が流行り 医療的な処置の知識が無かったアイヌは次々と亡くなって行ったのだと言う。カムイが起こしていることだからと、受け入れて亡くなって行ったと聞いた。

利尻の事を中心的に書いたが、礼文島は利尻とは対照的で目立った山もなく、おとなしい地形が印象的だった。樹木は あっても背が低く 大半は低木と草原、草花で覆われていた。海風が激しすぎて樹木がそだたないのだという。異国の風情がする礼文。そこから遠くに見える利尻富士。この組み合わせが心憎い。

戻ってすぐに、今度はどんな季節に行こうかと楽しんでいる。出来れば人の少ない時がいいような気がしている。


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2014/5/20

A(ラ)からA(ラ)  雑感

「生まれたばかりの赤ちゃんは平均すると440サイクルのラで泣く。その後変声期までは、体の成長につれてラ音を中心に上下へ声域が広がる。

変声期を過ぎると、女性の方はそれまでの声域がやや上下に広がるだけあるのに対し、男性の方は声域全体が1オクターヴほど急降下する。

そして老いると、女性は声域が下がり男性は逆に上がる。この経緯を乱暴にまとめると、人間はみな、同じ高さの声で生まれ、途中で性差によって1オクターヴ以上も声域が離れるものの、、結局はほぼ同じ高さの声(赤ちゃんの時よりは約1オクターヴ近く下がった高さ)で死ぬということになる。」

引用-楽器からのメッセージ【音と楽器の人類学】 西岡信雄・著 音楽之友社 46頁

声の高さの経緯から幾つか興味深いことが思い浮かびます。かつてふとした切っ掛けで宝塚歌劇団の楽屋裏にお邪魔してラブフルートの個人レッスンをさせて頂いたことがありました。

この時、最初に美しい男装の女性とお姫様のような女性から挨拶を受けたのですが、立ち居振る舞いも身なりも男性なのに、声は無理して低くしているのでやや不自然というか、無理してるな…と感じた記憶があります。

男の子の産声が女の子より1オクターブ低かったら、ちょっと怖い?!引用した著書では、楽器の長さや大きさと音の高低を論じる部分なのですが、人間は成長した(長くなった)から音程が低くなるわけではないと言いたいところ、その導入部の記述です。

僕のところでボイスレッスンを受けられる方は、どちらかというと女性が多いのですが、音がどのように生まれてくるのか、呼吸と声帯との基本的な関係を重要なポイントとしてお伝えしています。産声は、文字通り呼吸と声が一緒に始まる瞬間です。この原点に可能な限り近いところでご自分の声の響きに出会う。

これは様々な道を辿って来られた個々人にとって、多様で複雑なプロセスから形成されている自己を根気良く解きほぐして行く地道な作業を意味します。言葉や知識に依存するタイプの場合、認識と現実(ご自分の実質)とのズレに直面し、さらに言葉を使って現状を打開しようとして行き詰まりを感じるというパターンを繰り返します。自分自身の体の中にある、小さな声帯が明らかに心のあり方、生き方と直結していること。この気付きと率直に向き合うことが、ボイスワークの始まりです。

発声はその人そのまんまなので、一人ひとり愛おしく感じます。無意識に力を入れたり、主張したり、特定の価値観を強調したり、客観性を維持しようとしたり、実に様々です。僕のポジションは、それぞれの響きが原初的な状態に接近するためのサポートです。

面白いことに、原初的な発声に近付くと、女性の声が男性的な声域と重なり始めるのです。自分の声って、こんな声だったのか…そんな印象を持たれることが多いようです。自分の奥にある響きは、身を守る様々な要素から解放された老年期を予見させるものかもしれません。

最初と最後は同じようなところに存在する声。なかなか興味深いことです。
声、言葉がどこから生まれているのか、自己の中心から生まれる呼吸と言葉が一体化する。心と言葉が一つになっている状態と言葉と内実が遊離している状態には、明らかな違いがあります。

人は誰しも、自己確信の中で自分の道を辿ろうとするのですが、知識や認識は容易に自己確信の状態を作り上げ、自己満足させるのが得意です。だからこそ、時折、自分自身はどこから言葉を生み出しているのか確かめる時間と場を持つ必要があるのだと思います。

並べたてられる言葉ではなく、その言葉がどこまで自分自身の内奥の響きと一つであるのかを丁寧に確かめて生きる事実を持っていることが大切だろうと思います。

ラブフルートのレッスンもボイスワークも、人生に組み込まれた大切な場であり、出会いなのでしょう。

同じ産声から始まったお互いが、いつしかそれぞれの人生の終結点に向かっている。知識と努力だけでは見出せない心と体の在り方そのものを素直に受け取る生き方。

どれほど知識が豊かで、雄弁であったとしても、心の奢りを支えにしている人が自分の姿に気付く切っ掛け…素直に心の扉を開き、声の響きの源に辿り着く魂そんな方々との出会いを楽しみにもう少し旅を続けて見たいと思っています。
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2013/12/31

2013年東北活動報告@・タングロン支援基金  雑感

 9月17日苫小牧港から八戸港へ。

 翌朝4:40分到着。ここから最初の目的地釜石へ。

 途中の東北の山並、川、村の景色は日本昔話にでてくるような場所に住みたいと思っている僕にはヨダレのでるような土地で思わす何度もその思いを口にだしてしまいました。
「いやぁーいい感じのとこだなぁ〜」とか、「いやぁー懐の深くていい谷だぁ〜」とかおぉーいい川だ浸かりたいなぁ〜」などと。

 その度に思い知らされたのが、この辺りでも福島の原発の影響があるということでした。
岩手県は福島からは結構離れているという思いから、自分のなかでは放射性物質の影響ということはほぼ考えていなかったのですが・・
関東や信州方面の広い範囲でも影響のある極小の物質`原子''(塵⁈)それが福島から同程度の距離にある岩手県という東北の地に影響があったとしても何の不思議はない。
まして、アメリカはシアトルの方でもその物質の数値が上がったとの話も耳にしたこともあります。

 釜石市内陸部から海岸部にでてくると少しづつ崩れかけた建物であったり、建設中の建物であったりを目にするようになってきたが、二年半たっているだけあって"あの震災"の影響というのは特段に感じてはいませんでした。
小さい町を抜けて最初の目的地「鵜住居仮設商店街」に向かう途中、多くの野っ原を目にする。
初めからそうであったかのように、ただの広大な野原になっているのですが、よくよく見ると、
家々の基礎部であるコンクリートや門の跡など元々は多くの家が建っていたと思われる痕跡があちこちでみられるようになり、
仮設住宅群も目に付くようになり、自分としては突然犬△凌椋メ犬留洞舛鯡椶療・燭蠅砲垢襪海箸砲覆辰心恭个任靴拭」

 11時過ぎ鵜住居仮設商店街に入り、演奏交流に向けて荷をおろし準備にかかり、12時ライブスタート。
 小野さんがフルートを吹くとその場の雰囲気が一気に変わる、そこにいるみんなが純粋に聴く、耳を傾けるという行為に意識を向けるせいか、フルート以外の音が全くなくなる空間に入る感じでした。

 僕が感じたのは、小野さんのフルートは一旦その場の人々の思いや感情(そこではかなしさ、郷愁みたいなもの)を引き出すような気がします。悪い感覚ではなく、ほっこりするような感覚で何か共感共鳴するような一体感を感じました。

 そのライブでは周りの人を徐々に巻き込み最期は皆でインディアンドラムを叩くという方向になる。始めはその場で皆でやっていたけれど、やがて集まっていた人々はエネルギー余ってか次々に外に繰り出していく。

 昼近くの晴天の下、鵜住居の人達はドラムを叩きながらあっちの店、こっちの店を練り歩く。皆それぞれの思いをドラムで表現しているように僕には見えました。

 最後は皆で円になりその土地、その場所でのグルーヴを作り笑顔で演奏交流を締めくくった。

 そこから一時間半をかけ次の目的地 陸前高田市米崎町個・昔あたる
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2013/7/20

ドラムはそれぞれの鼓動と繋がって響き続けて行く  雑感

月夜の宴からもうすぐ一ヶ月になろうとしています。少し時間をおいて、何か心に残っているものがあれば書き留めてみようと思っていました。

心にやって来た思いを表す。イベント的な意図は全くなく、経費をかけた宣伝も無く、いいなと思った人が、伝えたいと思う人に伝える。ノルマもリスクなく純粋な気持ちが集まる事だけを核に始まりました。

ただドラムを叩き続ける。自由に歌い踊る。それだけのために集われた方々の存在こそ何よりも大きなギフトでした。名の知られた演奏家のステージがあるわけでもなく、美味しい食べ物や珍しいものが並んでいる訳でもなく、手弁当プラス持ち寄り分け合いでした。

自主的に動いてくださったメンバーの純粋に喜び楽しんで皆さんをお迎えする姿はとても嬉しい驚きでした。僕はただただ尊敬の思いでいっぱいでした。こういう方々がおられるということ、そんな繋がりの中に人生があるということに感謝でした。

次々とそれぞれの道を辿りながら集われた方々の姿。ドラムを叩き、歌い踊る姿から、溢れるいのちの素晴らしさ、それぞれの個性が繋がってこそ夜明けまでドラムは響き続けたのだと強く感じました。

個人的には立ち続けて足が絡んだり、叩き続けて指が攣ったり、身体がふらついたりしながらも、叩き続けて夜明けを迎えました。

最初から数を集めることを目的にはしていませんでしたが、厚真の田舎に予想以上の皆さんが集われました。美しい満月が、素晴らしい焚き火とともに皆さんを照らし出し、素朴で素敵な宴になりました。

当日集うことが出来なかったけれど、心は一緒ですよという言葉もいろんなところから届きました。嬉しいつながりに感謝です。ありがとうございました。

今後の動きは、まだ具体化していませんが、夜明けまでという枠の必要性から離れた集いを漠然と思い浮かべています。何が大切かを明確にし、素朴で奥深い体験が実現出来ることを考えてみたいと思っています。

どこまでも自主的で、自由と喜びの範囲で、特定の存在のパフォーマンスを設けず、金銭的な負担が気持ちを妨げることがないというスタンスは変わらないと思います。

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神戸の画家・あおやまあきら 作
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2013/6/12

大地に立ち、いのちの鼓動を打ち鳴らす「月夜の宴622」  雑感

ラブフルートを背負って富士山の5合目に出掛けてから随分時が流れました。広い駐車場いっぱいに太鼓達が陣取っている中に、一本のラブフルートを持って参加した富士山奉納太皷。

ギックリ腰が回復し切らないまま、夕方から翌日の朝まで太鼓を叩き続ける。それは富士山を背にした印象的な世界でした。老若男女が思い思いに、うねるように太鼓を叩き続ける一夜でした。

腰の痛みを気にしながらも気が付けば数時間叩き続けていました。大掛かりな照明や音響設備が用意され、大テントが幾つも張られていました。大型バスも乗り込んで来る大イベントでした。それは世界的に知られたシンセサイザー演奏、作曲者の喜多郎主催ですから当然の規模でした。

僕はカッターナイフで削った素朴な細くて短いラブフルートを吹く時間を楽しみ、様々な交流を楽しみ、喜多郎との会話やツーショットを思い出に北海道にトンボ帰りでした。たった一晩のために富士山まで出向き、翌朝には帰路につきました。

この体験を振り返り、何が大切かを吟味しながら時を待ち、備えられた場所を待ってきました。そして2013年6月22日夕方から翌朝6時まで開かれる「月夜の宴622」が動き出しました。

それは何の知名度もない勇払の大地(勇払郡厚真町字上野4番地の4/電話番号:0145-27-3380)厚真インターから会場までは約10分くらいの農地で開かれることになりました。

大音響の設備もなく、大掛かりな太鼓もテントもなく、人々を呼び込む知名度もありません。ポロトコタンからお借りする松明4個、催事用テント2張り、各自持ち寄り分け合いの食料品、有志の助け合い、声掛け合いの手作りの宴です。

噂の風だけで伝えられる「月夜の宴622」楽しんで生まれて来たパンフレットは自主コピー拡散で大活躍。意外なところまで噂は届いているようです。

様々な価値観や主義主張、民族や国家、年齢、性別から生まれる対立や確執は存在の多様性の現れでもあるのでしょう。それは一人一人の人間から生まれてくるものです。

その一人一人が与えられている命の原点、鼓動と呼吸で繋がり、大地に立ち、天を見上げ、満月と満天の星々、太陽との繋がりを喜び、楽しみ、それぞれの道を歌いながら、踊りながら歩き出す宴になればと思っています。

果たして誰がどこからやって来るのか全く分からないけれど、素朴な呼び掛けに応えて集われる方々は、すでに豊かで力強い鼓動のドラムを叩き始めているのだと思います。

真っ暗闇、低い気温、夜明けまでの宴です。安全のためにも各自照明を
用意し、寒さ対策も、椅子や暖かい敷物、仮眠などの必要は全て自己防衛ください。

特別な規制はありませんがピュアーな時間になるようアルコール類はご遠慮くださるようお願いします。また、一晩中ドラムが鳴り続けるためにご協力下さい。ドラムの数には限界がありますので、各自創意工夫して参加して頂ければと思います。

参加費(100円以上)は最小限の必要経費以外、すべて東日本大震災の為に(現地訪問、交流、協力活動など)使わせて頂きますので、よろしくお願いします。

お問合せ先
ブルーレイバンクリエーション
電話番号0123-36-8881
携帯電話090-8906-9916
Eメール ravenono@basil.ocn.ne.jpクリックすると元のサイズで表示します
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2013/4/10

へその緒が繋がった  雑感

今は天満敦子のバイオリンソロを聴き、ブルーベリーのフレバリーティーを飲みながらブログを書き始めています。春を目前に、激しい雨や風がやって来て、ちょっとした緊張感があったり、また雪が降るぞと言うニュースを耳にして、渡り始めた水鳥たちが引き返して来るかもな〜と空想して楽しんだりしています。

オフグリッドソーラーパネルが発電を始めて一週間。欲しかったおもちゃを手にいれてワクワクしている子供のような気分をほんの少し味わって楽しんでいます。

率直な感想は、太陽とへその緒が繋がった!僕は命の元と繋がって生きているんだな〜という感じです。

パネルが胎盤みたいに素晴らしい命のエネルギーを受け取って、僕の工房を照らしたり、小さな工具を動かしてくれる。コントローラーが、いまこんな風に太陽の恵みを受け取って、ゆっくり蓄えてくれているから大切に電気を使おうねと知らせてくれる。

この流れ、この繋がりは僕の命と同じだ!その感覚がとても心地良く、自ずと感謝や喜びが湧いてくる。同じような作業だけれど、そのみなもとが太陽と繋がっている感覚。無機質な外観のソーラーパネルだけれど「僕らはみんな生きている。生きているから嬉しいんだ。生きているから悲しいんだ。手のひらを太陽に透かしてみれば、真っ赤に流れる僕の血潮〜ミミズだって、オケラだって、みんなみんな生きている〜生きているんだ、友達なんだ〜」なにやらソーラーありがとうの替え歌ができそうです。

知識や情報ではなく、事実そのものの中に生きること。生かされているその只中で受け取り、触れること。その大切さを改めて確認できました。これまでにも、研究業務でソーラーパネルを設置し、データーを集積し、転送する事はありました。けれど、自分自身の生活の中に取り入れるのは、全く違った感覚が生まれます。

家屋に設置された大掛かりなソーラーパネルや風力発電とは違った感覚。自宅の庭に井戸が出来て、ポンプで水を汲み上げて生活する感覚に似ているかもしれません。

僕はラブフルートに息を入れる時、唇に触れる樹の感覚を通して、大地や空を感じ、風雪の中で育まれた樹々の囁きに耳を傾けます。僕が何をどう表現したいかよりも、樹々や風の響きから受け取るメッセージを聴きたいと思っています。その流れに太陽光から生まれる電気がやって来て、自然との繋がりがより豊かになった感じです。

これから生まれて、手渡されるラブフルートたちは少し違った響きになるのかもしれません。それは作らせていただいている僕の心の変化と一緒に静かに変わって行くような気がします。

設置作業の日は、生憎の雨と寒さで動きはやや鈍りましたが、人間カラオケ早川さんのヒットメロディーを聞きながら、楽しんだり喜んだり頑張ったり、工夫したりの一日でした。地元の手打ち蕎麦を食べに行ったり、遅くなったのでギョウザ屋さんに行ったりで、美味しい一日でもありました。

農業も林業も漁業も自然と一緒に生きることを身を持って学んだり感じたりのお仕事ですが、僕もちょっと仲間入りです。これまでは野菜を干したり、雨水を貯めたりの生活でしたが、今度はソーラーパネルを太陽に向けて、貯まった電気を覗いて見る生活が加わりました。

本格的なパネル設置は楽しみに残しつつ、太陽から届いたプレゼントで作業開始です。多少力不足ではあったけれど、ちゃんとハンドルーターが動きました。手元の照明も付きました。
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2013/3/28

少し長めの呟き  雑感

この星は、この瞬間、様々な状況をのせながらゆっくりと回転している。回転することで何かを生み出そうとしているのだろうか。

僕らの心はとても繊細で傷つきやすいのだけれど、同時になかなかしぶとく頑なでもある。

時計という時間の世界から離れてみれば、この星は一瞬の中にありとあらゆり現象を抱えて回っている。喜怒哀楽、争いと平和、真実と欺瞞、生まれること死ぬことなどなど。とても僕らの認識では把握などできるはずのないもので満ちている。

それは僕たちが自分が生きている世界が、ひとつの星なのだと知らされた時から、明らかに変化してきたように思う。勿論、この星を画像や映像ではなく、直接目の当たりにすれば、さらに変化を起こすのだろう。

僕たちは、自分の足元を基準に様々な価値観を積み上げ、人生の途上で手にした知識や価値観を微調整しながら旅を続けている。

僕たちは、それがどれほど広範な世界であれ、価値観であれ、自分の精神や心の中に収めていると自負し、錯覚を起こしているのかもしれない。ある意味、それはとても不思議であり、不可解であり、興味深いことでもある。誤解も錯覚も思い込みも、それを確かめる十分な余裕もなく時は巡り続けている。

この星で、誰が何をどうしようが、だれもその真価を云々することはできないのだろう。その一切は同時に存在しながら、回転している。この星で起こっているあらゆる出来事、その現実を言葉で表すことなど出来るのだろうか。何事かを語ることは自由だが、その思いはどこからやって来て、どこに向かっているのだろう。

たった一つ「あなたは何なのだ?!」と問われた時、僕の心は宙に浮き、ただ不思議な涙を流すような気がする。

どこから来て、どこに向かっているのか。
風になって木々と触れ合う…
ことさらに答えを求めているわけではない
ただ笛を吹く…

その問いも答えも、僕の内側で響く何かなのだろうけれど
この僕は何なのだろう…

風を吸い込み、風を起こす
木々が震えて響きになる

僕はいつもこの一つの事実を見つめ、ここから始めて
ゆっくりとここに帰ってくる

求める人たちと一緒に愛の笛を創る

いのちの循環を自らの形で見せてくれる愛の笛
循環が生み出す不思議な響き
いつかその神秘に気付くだろう人たちと旅をする

ここまでのありがとうと、これからのありがとうを込めて…

久々の書き込みになりました…。
しばらくの沈黙から、ゆっくり再開のつもりです。
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2013/2/2

ふたり  雑感

1月27日は今年初のコンサートでした。2台のレインボウストーブをつけて、会場の準備をしてお客様をお迎えするまでの時間がとても大切。入り口の除雪、案内の掲示....。遅れて来られる方をギリギリまでお待ちして、さあそろそろ始めようという所に待っていた方たちがやって来てくれました。

 この流れが、コンサートのイントロダクション。素朴なドラムと木の笛だけのコンサートは冬の静けさの中で始まりました。少しお話をしながら、ゆったりと流れ、冬の小鳥たちやエゾリスの雪遊びなどシンプルなモチーフを辿りながらのコンサートでした。

 冬の只中で力強く生きるいのちの様も含めて冬の素晴らしさや楽しさ、喜びを分かち合う時間になりました。お話の中で、ドラムの常松さんが、「お正月といえば雅楽です。僕は、正月には必ず雅楽を聴くんです」と話していたのが印象的でした。なるほど、彼の音の幅の自由さの秘密はこんなところにあるのかもしれません。

 僕の方は、山があって、川があって、広い雪野原があって、スキーで学校に通ったり、雪合戦や落とし穴作り、一日に何度も毛糸の手袋を取り換えて、暗くなるまで外で遊んでいた冬の記憶をお話しました。

 今日は少し気温が高くなっていたので、屋根の雪を落とす作業をしていましたが、ずぼっと長靴が雪に食い込んだ時に、ああ子供の頃の記憶って随分と長持ちするものだな〜と感じました。それと同時に、その時はさして印象的ではないかもしれないけれど、子供のころの体験や記憶は大切なものだな...と改めて感じました。

 コンサートの余韻は、終わってからも様々な形で心の中に甦って来るものです。終わってからのお茶菓子とお茶の時間は、なかなか和やかで、いい感じの冬の一日を味わいました。会話に加わりたくても、タイミングをなくしてしまう人もなく、ゆったり時間でした。

 それぞれが自分の音の世界を持っていて、年齢も離れている二人がKOCOMATSUという空間で一緒に響き合うのは、ちょっといい感じです。鼓動と風(息)というシンプルな空間。言葉ではなく、響きそのものから浮かび上がってくる世界がそれぞれの内面に伝わっていく時間でした。

 僕は、この繋がりが2台のストーブのようだなと感じました。一台のストーブでは到底厳しい真冬は乗り切れないと、急遽もう一台ストーブを設置しました。当然と言えば、それまでですが2台揃うと十分な暖かさになりました。1台だけだと、いつまでたっても暖まった感じがしないのです。頑張って燃えてはいるのだけれど外気の寒さに負けそうな感じでした。

 ストーブも人も、もう一台、もう一人いることで素晴らしい豊かさや広がりや温かさを生み出してくれるものだとしみじみ感じました。一人と二人の違いで印象的なのは、二人いて初めていのちが生まれるという素朴な事実でしょうか。性別の違いはありますが、二人であることの深い知恵を感じます。

 僕が知っている音楽家の方たちが、二人組で活躍しているのをみていると、二人ってすごいなと思います。二人が居て、いのちが生まれる。そんな素敵な音楽が、今年も色んな形、色んなところで、新しいいのちを生み出していくのでしょうね。

 そんな中で、僕はこの週末、一人でカウンセリングセンターのワークショップの演奏に出かけます。耳を傾けてくださる方たちとの繋がりが生み出す響き。2月は、そんな風に始まります。
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2013/1/18

出遅れた2013年1月・ゆっくりスタート  雑感

20013年1月 5日の吹き初めで始まったラブフルートの活動は、5日夜に会場を引き上げてから、一気に体調不良に陥り、そのまま寝込んでしまい、風邪のひき初めになってしまいました。

おりしもインフルエンザが活発化している時期と重なり、周囲への迷惑も考えて珍しく病院に出向きました。一時期は軽くなったのものの、どうも調子が戻りません。年末のハードなスケジュールのツケが回ったのかもしれません。免疫力が落ちているのでしょう。

こんなにズボラで何にもしない一年のスタート。さすがに半月を過ぎ、残り10日あまりとなると、これはまずいなと少々焦り気味になってきました。

何処かで切り替えて動き出さなければならないのだけれど、そのタイミングが難しい。身体の支えと気持ちのバランスは、自分自身のことでありながら思うようにならないものです。このまま起き上がれずに終わることだって十分ありうる。そんな思いが浮かび上がったりもしました。

つくづく健康が人生の土台だと思い知らされています。食生活をしっかりとさせてきたはずなのに...。思い返せば、2〜3日続けて徹夜になってしまった年末の誤算が尾を引いたようです。正月はのんびりできるから多少無理しても何とかなるだろう。この油断が思わぬ形で不覚のスタートに繋がってしまいました。

若い頃は、意識優先で肉体に無理をかけ過ぎる傾向が強かったけれど、それも随分抑制されバランスが取れるようになって来たはずでしたが、まだまだ未熟でした。

食べることとと寝ること。このシンプルな土台を年齢の変化に応じて確認する機会を与えられたことは良かったと思います。加齢と共に自分との付き合い方も変化して行くのは当然なのですが、どうやら自覚が乏しかったようです。

どんな知識も経験も、夢も希望も、この小さな肉体を持つ自分が維持されることが無くなればすべて失われてしまう。

これまでに何度も肉体喪失の危機をくぐり抜けてきた自分が、改めて足元を見詰めさせられたのはありがたい事です。15年以上健康診断を受けずに過ごしてきた生活も、ここらでシフトチェンジする必要が出てきたのでしょう。上手に死んでいけるよう準備を始めるのは、生き続ける事と同じくらい大切だと確認する1月になりました。
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2012/12/31

さいごの一日  雑感

 最後の時をわきまえる事。そんな思いが浮かんできました。全てが終わる事は分かり切った事なのだけれど、それを前提に事をなしているだろうか。

 この一年は、前年に半減したラブフルートの製作が、そのまた半減。これまでにも増してラブフルートの製作依頼が激減した年でした。フルート盗難は2年前、年の瀬の迫った時に起こりました。その翌年の3月には大震災でしたから、今の状況は全体の流れと繋がっているとも言えるのでしょう。

 それと同時に自分自身の人生がゆっくりと衰退し、着実に終わりに向かっている事とも繋がっているように思います。繁忙期の製作活動で負担のかかりすぎた両腕、両肩、両手の痛みが激しく、徐々に工房に向かう気力と意識が弱まっているという現実があります。

 一年の最後の時を一人で過ごす。そしてほぼ確実に一年の初めも一人で過ごす。それは行き場もなく、来る者もなく、人との繋がりもない孤独な状況と云えばそうなのでしょう。自分の現実を直視する時間と空間のど真ん中で、IPod120Gに取り込めるだけのCDをインストールしながらキーボードを叩く12月31日。北海道、真冬の深夜で+1℃は不思議な感覚です。

 積み上げられた数百枚のCDが、手のひらの記憶媒体に吸い上がられていく様を見ていると、辿ってきた人生の営みが瞬く間に一握りの石ころになってしまうような錯覚に陥ります。それは悲壮感を意味するわけではありません。むしろ、大きな安らぎと静けさに繋がっているようにも感じます。

 状況の変化を衰退と捕らえれば、悲観的、消極的になるのでしょうが、新たな歩みへの兆しとも言えるでしょう。配偶者もなく、子供もなく、一人で老いに直面する者には、それなりのけじめと覚悟が必要になるのだと真面目に考えています。

 それと同時に、自分が本当にしたいと考える生き方を選択する姿勢を明確にする機会を与えられているとも言えそうです。変化し続けている現実をよくよく見つめて、これまで以上に大切に、何をするのか吟味し、実践する必要を感じます。確実に終わりの時が来るのですから....。
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2012/10/31

蝦夷山桜が呼び寄せてくれた  雑感

ラブフルートの響きに心を寄せる方々との出会いを楽しみ、喜ぶ旅。それがどこまで続くのか分からないけれど、道がある限り辿って行くことになるのでしょう。

つい先日、蝦夷山桜の木を切り倒すのだけれど、もし必要なら引き取りにこられますか?と連絡がありました。数年前にラブフルートを作らせていただいたご婦人からの電話でした。

近くの公園のトンネルでラブフルートを吹いていた時、ジョギングをしていたご夫妻に声を掛けられ、その後の流れでご夫妻が一緒に楽しむためにペアでラブフルートを作らせていただきました。

仲良く登山に出かけたり、ジョギングの途中で工房に立ち寄ってくださったり、恒例の吹き初めの時に美味しいカステラを作ってきてくださったり。交流を楽しんでいましたが 、多忙になられてしばらくご無沙汰していました。

切り倒された蝦夷山桜がラブフルートになるまでには3〜5年掛けてじっくりと乾燥するのを待たなければなりません。果たしてフルートになれるかどうか分からないけれど、とにかく引き取ることにしました。

ご婦人は体調が良くないと話しておられたのですが 、お訪ねして知ったのは予想外の出来事でした。具合はいかがですかとお尋ねしたところ、ジョギング中に大型犬の群れに襲われたというのです。

ご夫妻で走っていたのだけれど、途中で分かれて、また合流するつもりだったのだそうです。ご婦人の方が農道脇で複数の大型犬に襲われ、側溝に引きずり込まれ、泥水の中で血塗れになったというのです。調度、飼い主が餌をやりにきていた時だったので、何とか引き離せたようです。さもなければ、恐らく命を落とされていたことでしょう。群れになった犬は本能のままに振る舞うでしょうから.....。

耳や、両足の太腿、頭部、腕や手など、至る所を噛みちぎられたのだと知りました。頭蓋骨を噛まれた時に聞こえた不気味な音が耳から離れないとお聞きしました。しかも、飼い主は全く謝罪することもなく、会おうともしないということでした。

あまりに突然のお話に、何も言葉が出ませんでした。温厚で笑顔の素敵なご婦人ですが、すっかり怯えて外に出ることもできず、ご主人は奥様の身の回りの事を手助けするためにお仕事をやめられたとのことでした。

痛みで眠られない夜が今も続いているとのこと....そんな中でラブフルートの事を思い出して連絡をいただけたことを感謝しています。僕はこの出来事とどのように関わって行くのだろうか?

盲導犬のためにパピーウォーカーをされているTさん。奥様が歩くことや身の回りのことがうまくできなくなり、付きっ切りのTさん。ご主人が重篤のUさん。ラブフルートとの出会いから生まれた交流は、ラブフルートを吹く機会が持てなくなった時こそ大切になって行くのでしょう。

与えられた出会いを大切にし、とりわけご高齢で一人暮らしの方々には、格別な用事はないけれど思いついた時に声をかけるようにして来ました。それは、ラブフルートの有無に関わらず続けて行くだろうと思います。

秋が一気に過ぎ去り、玄関を開けたら一面雪景色という日が近づいています。美しい月明かりを眺めながら、久々の書き込みです。
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